質問者:ハイル禅師 献金や布施をする際は
思念を込めることが大切なのでしょうか?
私:献金や布施をする際に思念を込めることは大切ですが
この思念とは希望や要求ではなく 対価代償を求めない
純粋な感謝の気持ちのことです
例えば神徳を期待する意味での布施は
「これだけしたのだから絶対に聞いてくれ」とか
「これぐらいしてやれば十分だろう」という
傲慢な気持ちでは神仏への布施にならず非常に勿体無い
「いつもありがとうございます」という感謝の気持ちが
なければ現金という媒介だけがこの世的に役立つ意味で
しかないからです
つまり感謝の献金や布施が真理であり
神徳の付与も神仏に委ねるのが本当です
また各教団が主張する真理とはその教団特有の教条主義
や固定観念が込められています
私の言う真理とは宇宙の法則である根源的な真理であり
創造神の意志に即するモノです
なぜ感謝が必要なのかといえば感謝を表現する媒介が
主として現金ですが 神仏は感謝を受け取ること
で献金者に無形の徳を付与出来るからであります
この場合は浄財が浄罪になり罪が弭化されたり徳数が
付くが感謝の誠がない献金は現金の額が現実的に役立つ
だけで喜捨ではないので神徳がつきません
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