今、長年支え合って共存してきた海と丘の関係が崩壊しようとしている。
昨年水揚げ日本一だった千葉県銚子港。水揚げされた魚を凍結するキャパは1日3,000トンを超える。
1日300mtを超える凍結設備を持つ工場が数件あるが、その関係者皆が口を揃えて言うのだ。
「もう3カ月仕事をしていない・・・」
ここ3ヶ月間、凍結に回るほどの魚の水揚げが全くないのだ。
魚の流通というのは大まかに2つに分かれており、1つが鮮魚出荷と言い一般的に市場やスーパーなどで生魚として販売されるもの。
もう1つは冷凍工場で凍結され加工用や養殖のエサなどに回るものだ。
水揚げされた魚はまず鮮魚出荷用として入札され、残ったものが凍結用として入札される。
当然先に入札される鮮魚出荷用は高値となり、凍結用は安値となる。スーパーなどで生の魚が加工された魚より高いのはこの為だ。
銚子港自体全く水揚げが無い訳では無い。要は凍結に回るほどの魚が水揚げされていないということだ。
ではそれは何故か・・・?
漁師が本気で漁をしないからだと言うのだ。
魚を捕らなければ漁師に収入は無い。当然漁師は魚を追い求める必要がある。
それなのに何故本気で漁をしないのか???
実は東電から漁師に原発がらみで保証金がでているのだ。
それも、その保証金の算出方法は数年前の水揚げ量がベースとなっており、その数量を下回った金額が保証金として支払われるというもの。
三陸の漁師は漁をしなくても生活の保障がされているのだ。
確かに、福島原発の放射能流出は漁師にとって死活問題であり許されるものではない。
ただ、この制度がある限り漁師は水揚げをコントロールし冷凍工場に回る魚は減ってしまう。
海と丘。
業界で海は漁師を指し、丘は冷凍工場や水産加工工場を指す。
海と丘。どちらかが無くなっても日本の水産業は成り立たない。
海は魚を捕っても受けるところが無ければ水揚げできない。
丘は魚の水揚げが無ければ仕事が無い。
このバランスが崩れようとしているのである。
確かに近年、水産資源の減少、燃料費の高騰、海水温の上昇による魚の移動、魚の消費自体の減少など漁師にとって厳しい環境になっている。
だれが漁師でも、このような保証があればそれを利用するだろう。
ただ、この状態が続けば間違いなく日本一の港銚子は崩壊していまう。
ある丘の人は言った。「今まで漁師を助けてきたことは多々あった。しかし今後それはないだろう。」
ある丘の自虐的に人は言った。「冷凍庫に魚が何も無くなったから修理しているよ。ちょうど良かった。」
ある丘の人は言った。「電気代が30%上がったよ。ちなみに冷凍庫にかかる電気代は年間1億円以上だよ。」
そしてある丘の人は、この仕事から去って行った。
冷凍工場だけでなく、加工工場も深刻だ。
加工する魚が無くなっている。
国内の水揚げの減少、輸入原料の日本の他国に対する買い負け、安部ノミクスによる為替による原料価格の上昇、消費の縮小、労働者の減少。
週休1日だった加工場はほとんどで2日となっている。
さらに、夕方には加工を終了しているところも多々あると聞く。
海と丘。
あまりにも課題が多すぎやしないか。
根本的な改革がなければどちらも終わってしまう。