夢で逢いましょう

雨の日も、晴れの日も。日々感じたことを、のんびりゆったり綴っています。
目指すは一日一笑。

訃報:仰木彬・前監督逝去

2005-12-17 00:00:27 | その名はパシフィック
昨日、オリックス・バファローズ元監督の仰木彬氏が亡くなられました。享年70歳。

前オリックス監督の仰木彬さん死去(Asahi.com)

前オリックス監督の仰木彬氏が死去(読売ONLINE)

指揮の裏、壮絶な闘病 仰木前監督死去

仰木前監督をしのび、本拠地ベンチに花束(ニッカンなにわWeb)

イチロー育てた 仰木彬氏が死去(スポニチAnnex)

その他ニュースリンクはみなとあきろーさんたむ1200さんのブログが充実されています。

私は残念ながら、にわか野球ファン・にわかパリーグファンですから、
近鉄監督時代は記憶になく、「がんばろうKOBE」は記憶に薄く、
オリックス・バファローズ監督としての印象しか残っておりません。

いろんな人の複雑な想いが入り混じった、合併球団の門出を任せられるのは
近鉄バファローズ・オリックスブルーウェーブの両方を優勝に導いた
仰木監督以外なかったことを、ご本人も分かっていらっしゃったのでしょう。

「野球界への最後の恩返しや」と言いながら。

試合日程の都合で8月・9月に集中した対ファイターズ戦では
仰木監督は常にベンチ奥におり、スカイマークや大阪ドームでも
試合前後になかなか姿を拝見することができませんでした。


今日のニュースでやっていましたが、
あの楽天イーグルスにホームで最後にサヨナラ勝ちした試合でも、
もはや選手を追ってベンチから飛び出す体力もなかったとか。

オリックスの、プレーオフ目前にした急激な失速は何か関係があったのでしょうか。








近鉄駅構内で、そして神戸地下鉄周辺で何度となく見かけた仰木監督写真入りポスター。


亡くなる直前の「夢をありがとう」では、表情が寂しげに見えますが


「グラウンドで死ねれば本望」と公言していた
名監督は、
自分に課した仕事は確かにやりとげたという充実感は抱いていたのではないでしょうか。

昨年の殿堂入りパーティーを生前葬にし、実際に死亡した暁には密葬してほしいと希望した仰木氏。


謹んでお悔やみ申し上げます。



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10 コメント

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こんばんは (yunchi)
2005-12-16 23:40:55
narukoさん、こんばんは。



仰木元監督逝去のニュースは私も驚きました。

生まれて初めて球場で野球を見たのが、『近鉄VS西武』の1戦で、近鉄ベンチの近くに座っていた私に笑顔で『お嬢ちゃん、もっと球場に来てね』と言ってくれた仰木元監督の姿がいまだに忘れられません。



今はただご冥福をお祈りさせてもらいたいです。



(ブログお引越しいたしました。)
yunchiさん (naruko)
2005-12-16 23:52:32
今更ながら、仰木監督全盛期のパリーグを知らないことが悔やまれますね。



>「お嬢ちゃん、もっと球場に来てね」



仰木監督の精神を、選手が、他球団が引き継いでいくことを願うばかりです。
夢を、ありがとう (ちどり)
2005-12-17 00:12:56
TB、ありがとうございます。

地元では、こんなにもオリックス(私には仰木さんの、と見えてしまいます)のポスターが貼られていたのですね……。

オリックス・バファローズの1年目、球界変革の1年目に、仰木さんが現場に復帰した意味は大きいのでは、と改めて感じます。

「夢を、ありがとう」という言葉、いち野球ファンとして、心から仰木さんにかけたいです。
ちどりさん (naruko)
2005-12-17 00:19:47
オリックスのポスターは月替わりのように貼られていましたが、交流戦が終わったシーズン後半から仰木監督の出番が多くなった気がしますね。



関西のパファンには…な印象だった球団のイメージアップにも、選手のモチベーションアップにも、仰木監督の「顔」は影響大だったと思います。



>「夢を、ありがとう」

今から考えると意味深長ですよね。。
すいません (デメテル)
2005-12-17 01:19:20
トラックバックに失敗しました。

汚して申し訳ありません。

まったくもって素人でした。



前年、最下位でかつ新しいチームをプレーオフ争いまで引き上げることができたのは仰木監督の手腕によるものだと思います。

新しいチームを率いることは重労働だったのでしょう。

球界のことを考え、身をささげた仰木監督のご冥福をお祈り申し上げます。
デメテルさん (naruko)
2005-12-17 02:01:06
はじめまして!

TBはこちらで調整できますのでお気になさらずに。



関西のパリーグファンで、合併オリックスのホームゲームに足を運んだ者なら誰でも、合併球団の船出が決して安易ではなかったことを肌で感じたことでしょう。



難しい仕事を、仰木監督は「野球界への最後の恩返し」として引き受け、立派に果たされたと思います。



Unknown (たむ1200)
2005-12-17 02:16:23
いつもどうもです。

今朝ほど出張の最中、車中のラジオで第一報を耳にしました。正直、まだ信じられません。





俺はまさに「10・19」をリアルタイムで知っている世代。ましてやあの時、ラジオで中継を聴いて野球に一層ハマったという経緯もあって、仰木さんはある意味おとっつぁんみたいなもんです。

あの時の何ともいえない痺れるような緊迫感を、また今思い出しています。





ただただ「ありがとう」の一言です。
たむ1200さん (naruko)
2005-12-17 09:19:22
私はずっと関西なので、ずっと野球ファンであれば仰木監督はよく知っていたはずなのですが…。



>仰木さんはある意味おとっつぁんみたいなもんです。



今シーズンのオリックス指揮官としての仰木さんの言動を聞いて「仰木さんも歳とりはったなぁ」というコメントをちらほら聞きました。

「10・19」の時代には、もっともっと名監督であったのだろうと思うと、その頃もっと野球に興味を持たなかったのが悔やまれます。



…そういえば母が、「がんばろうKOBE」時代のイチローのファンでした。
それにしても (katze)
2005-12-17 21:28:54
あまりにも急な話で、ただただ驚きでした。

ほんの2ヶ月前まで、「監督」として現場に出てたというのに・・・。



「10.19」の時は「ロッテ!空気よめ!」とか

思ってましたが、その翌年には見事に優勝に導いた

監督の手腕には、素直に感動したものでした。



ご冥福をお祈りいたします。
katzeさん (naruko)
2005-12-18 19:33:08
オリックスのホームゲームは今年何試合も見ましたが、

現場に出てはいても、「仰木さんやっぱり体調悪いのかなぁ」

と首をかしげることはありました。

ベンチから出てきませんしね。。



合併球団を何とか軌道に乗せたのは、監督の手腕だけではなく

信頼の置けるお人柄も大きかったのではないでしょうか。