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ぼそつきマニア

放浪・妄想・水色・チベットが大好きな私がボソボソつぶやくブログ

ついにキレた私・机の占い(卓卓神)

2011年07月07日 | チベット
こないだついに例の子の前で私の怒りが爆発!!
その日は彼女がホテルで酒のんでて、「来週実家に帰ったら当分会えなくなるで、お願いだから今夜は帰らないで」と泣きついて離れなくて。

その前からいろいろイラつくことが溜まってて、今回ばかりはまじでキレる5秒前ってかんじになり。
しかしそれでも冷静な私がいて、一応心の中で
「ここでキレてあそこにおいてある私の荷物を忘れずにとってから部屋をでよう」
と荷物に目を配って確認。
そしてもう我慢できんと思って爆発!
日本語でどなりまくって彼女の手をふりはらい、逃げるように帰った。

頭に血が上りすぎて酸素が足りなくなり、手がしびれて帰りのバスでも怒り(興奮?)がおさまらず。
こんなに怒ったの、中学の反抗期に両親に怒った時以来だし。
あのときの感覚と一緒。急に昔を思い出した。

まあそんなこんなで私も両親以外の他人に怒ることがあるんだなとわかったよ。
爆発したらすっきりするかと思いきや、疲労が半端ないし、気持ちが切り替わらんし、あまりすっきりはしなかった・・・


で、もやもやした気持ちがおさまらんから翌日一人で甘粛省の天祝チベット族自治県へ。
天祝に「卓卓神」ってゆう神様が占いしてくれる人のいる村があるときいたもんで、急に思い立って行ってみた。
バスとタクシーをのりつぎ、6時間くらいで村についたものの、村、人いなさすぎ。
適当にあるいていると、たまたま門からでてきた女の人が。
「卓卓神に占いをしてもらいに来た」っていったら、
「あー、それならうちの旦那ができるからうち来なさい」
って家に案内してもらった。

ここの人たちは自分たちの祖先は青海省のほうからきたチベット人だといっているけど、実際チベット語話せないから漢語使ってるし、名前も漢族と同じで、ほぼ漢族っていう印象。

んで聞くと農歴5月13日から9月中旬までは、卓卓神は夜にならないとでてきてくれないらしい。
私がついたのは昼だったで、夜まで待つことに。

暗くなると家に村の人たちがぞろぞろと集まってきて、サンを焚いたりバター灯をつけたりと卓卓神を招く準備が進んだ。
で、神様が降りる(ということになっている)、鈴などでデコレーションが施された小さな机が運ばれてきた。
村には山の神と竜の神がいて、どちらかの神様がその机に乗り移って勝手に動くという。
今回は竜の神だった。
というかほとんど登場するのは竜の神らしい。

占いの流れとしては、神様が降りた机はすごい勢いで動くもんで、机の脚を三人の男性が持って飛んでかないように抑える。
そして三人のうち一人が、机の脚と一緒に赤い墨のついた筆をもつと、机が紙の上に占いのお告げを字で表すらしい。
それが占いの結果になるのだとか。

私は言われたとおりに床に膝立ちして手のひらを差し出した。
そしたら三人に脚を持たれた机は私の頭の上をすごい勢いでかすめ、墨の付いた筆がデコの前髪の生え際に激突。
めっちゃくすぐったくて笑いそうになったが、笑う雰囲気ではなかったから我慢。
ほんとはそこで占ってほしいことを机に向かって言うらしい。
先ほどのデコへの衝撃できょどった私は、いつ言えばいいかタイミングがわからず、言い逃してしまった。

でもあらかじめ、机の脚をもつ人の一人に「日本に帰ってからいい仕事がみつかるかどうか占ってほしい」っていっといたで、大丈夫だったらしい。
机は私の渡しておいたカタ(細長い布)にお告げを書き出した。
何文字か書いてから、文字の部分を縛ってしまったので、何語で何が書いてあるのかわからず。
ほかにも村人5人くらいが同じように占ってもらい、終了。

私への神からのお告げは、「とてもいい仕事が見つかる」とのこと。

もっと厳かな雰囲気で行われるかと思いきや、途中で参加者の携帯が鳴ったり机を持つ三人が普通に会話してたりしてて、なんだか不思議な空間だった。
しかも実際机自身が動いてるというよりも、三人のうちだれかが操ってるようにしか見えんかった。
とはいってもいい結果に私は大喜び。単純。

結局終わったのは夜10時すぎ。
もう遅いから、と泊まらせてもらい、次の朝帰った。
村長さん夫婦だったんだけど、二人ともめっちゃおもしろくていい人たちだった。

で、「占いの結果の書いたカタは、帰国して仕事が見つかるまで清潔なところにおいておいて、仕事が見つかったらどう処理するか教えるから電話して。それまで汚いとこに置いたり縛ってあるのをほどいちゃだめ」とのこと。
帰国後が楽しみー!

そんなわけで、二日前の悶々とした感じも収まり、精神状態は良好に。
久々に一人で旅行っぽいことして、いい気晴らしになった。

彼女とはその後仲直りして、実家へ帰ってったよ。
まさに嵐のようだった・・・