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ぼそつきマニア

放浪・妄想・水色・チベットが大好きな私がボソボソつぶやくブログ

チベット牧民の性生活

2012年02月21日 | チベット
チベット人の中でも、農民と牧民は生活習慣が異なる。
農民は比較的漢族化が進み、地理的に漢族の影響を受けにくい牧民は独自の習慣をもつ。

特に牧民地域ではと父系に基づく姓が重要らしいが、青海省のアムドなんかははもう歴史の中でばらばらになってしまい、姓もいちおうあるが普段使わなかったり、という感じになっているらしい。
しかし私のいたセルタは、と姓が根強く残っており、独自の生活習慣が残っていた。

そのなかにはもちろん性に関する考え方も含まれている。
私が青海省にいたとき、だいぶ漢族の影響を受けていると思われる場所の牧民は
「昔は夜這いがあったけどねー今はもうないんじゃない?」と言っていた。
また、農民は
「牧民には夜這いの習慣とかあって性に関して自由ってきいたけど信じられない!」と同じチベット人でも牧民の習慣に驚いていた。

その後、セルタの牧地に滞在することになると、セルタの町に住む友達は皆私に
「夜男がテントに入ってきて、嫌なら断れば男も強制してくることは少ないから大丈夫だよ。次の日男は恥ずかしくて顔を合わせたがらないだろうけど。まあもちろん君がやりたければ自由にすればいい、へへへ」とニヤニヤ。

うわー夜這いかー厄介だなぁとか思っていたが、幸い牧地にある故郷を紹介してくれた男友達のことを村の人たちは私の彼氏と勘違いしていたらしい。
その上その友達は喧嘩が強く、村の親戚も彼を怒らすとやばいと知っていたため、「あいつの彼女に手を出したら殺される」とでも思った様子だった。

夜這いでなくても、泊まらせてもらっていた若夫婦のだんなの親戚など、若い男が夜あそびにくると、そこのだんながコソコソと
「今来てる俺のいとこと寝たい?寝たいなら夜布団となりにひくけど」
とか確認してくることも。
他の牧民の男友達曰く、
「特に独身の男は、女が相当不細工でない限りちょっと寝てみよう的なノリで誘ってくるよ。君はまあ別に見た目は普通というか相当不細工ではないしまだ若いから男は来るでしょ」と。
あえておせじで「きれい」とはいわないチベット人。こうやって非常に正直にものをいうところが好きだ。

それで、アムド語(セルタはカム地方にいれられているらしいが、アムド語をしゃべっている)には日本語でいう「ヤリマン」「ヤリチン」のほか、「彼氏がたくさんいる女」とか「アソコがでかい女」「いつも濡れ濡れ女」みたいなほとんど女性を表す言葉があって、親しい中だけでなく、初対面でも「ニャーチェーマ(アソコでか女)!」みたいなかんじで男性が冗談をいってくることもある。

日本では性に対して自由な女性は「ヤリマンで軽い女だ」とかいわれて男性からは嫌がれれることが多いみたいだが、ここの牧民の間ではさほど気にされない様子。
(もちろん、「あの女は軽いから嫌いだ」という人もいるが。)
結婚していても、旦那が家をあけているときに妻はほかの男と寝たり、旦那は旦那でほかの女に種をまいたり、とやりたい放題。

しかも牧民となると避妊をしている人はまだ少ない。
外で精子を出すという習慣はないらしく、当然牧地では婚外子がわんさかいる。
しかし、婚外子だからといって差別を受けたりすることはないらしい。
仏教の影響で、中絶という選択はまずないため、若い女性の両親ははじめは怒っても「まあできてしまったからには産ませるしかない」となり、だんなの疑いのある男性から養育費をちょっともらい、母方で育てることが多い。

日本では、基本的に恋愛段階において、彼氏彼女は一人だ。
たまに何人も相手がいるという人もいるが、誰が本命で、誰は遊び、不倫相手、とか身体だけの関係、という感じだろう。
一晩だけ身体の関係になったからって好きでもなければ相手のことを「彼氏彼女」とよぶことはしない。
しかし、チベットでは、体の関係になればもう「恋人」らしい。
だから、恋人が何人いったって別に誰にも文句はいわれない。
さすがに結婚している身だと、相手には内緒にしており、ばれたら大ゲンカ、ということもあるが、ばればれでも「お互い様」と知らんぷりの夫婦もいる。
こういうところはどこへ行っても同じだろう。

しかし、チベットは一妻多夫や一夫多妻の家庭がある。
理由を尋ねると、もちろん財産などの問題もあるだろうが、本人たちは
「二人を好きになっちゃったからしょうがない」
とか言っている。
中には、弟夫婦と同居しているだんなの兄(しかも坊さん)が弟の妻を寝とってしまい、弟も気まずくて見て見ぬふり、という状態の家庭もある。

そしてチベット人は同じ部屋に他人がいても平気で夜の房事を行う。
私はいろんな夫婦とひとつのテントで寝たが、皆隣でやりはじめるため、初めは笑いがとまらなかったが、慣れた。
盛りの若い夫婦だけでなく、60歳くらいの夫婦も、娘と孫も隣のふとんで寝る中はげんでいた。
それでも、15歳くらいになった年頃の女の子は、夜這いに備えて両親とは違うテントで寝るようになる。
また、たとえば異性の親戚兄弟の間で「トイレ」という単語を出すことはとても恥ずかしいこととされるため、家庭内で「トイレに行く」とは決して言わず、「外へ行く」とぼかして言う。

性行為はあんなにオープンに行われるのに、こういった禁忌があるところがおもしろい。
この話を聞いたチベット人の農民は
「わけわかんないよ、なんでトイレって単語がダメなのにあんなに性的には自由なんだ?」と再び驚いていた。
チベット人も色々だなと実感する。

















セルタのデモで友達が撃たれた

2012年02月19日 | チベット
中国から脱出したのでセルタの出来事についてブログ書きます。

私はタイから戻ってまた相変わらず四川省ガンゼ州のセルタにいた。
結局5か月くらい滞在の滞在になった。

おもに私はセルタゾン(セルタの中心地)から車で3時間くらいにある、牧地の村に滞在していたが、漢族の春節にあったデモ直前には中心地にいた。

中心地ではレストランをやっている友達の家に泊まらせてもらっていた。
1月21日、「今日店の前の大通りでデモがあるから写真をとっとけ」と友達にいわれ、私はレストランの窓からずっと観察していたが、結局バイクに乗った数人のチベット人が「キーキキー」と叫んで終わった。
その最中、私服の警察が人々の様子を終始ビデオにとっており、写真を撮っているひとはいないかなど目を光らせていた。
そして町には武装警察、軍、特警が武装して包囲していた。

そしてその日、レストランにチベット人の警察が私服で覆面調査に来た。
この調査は2008年以降、チベット地域では反政府的な思想のチベット人がいないか、レストランや喫茶店に警察が客を偽って調査しに来るようになった様子。ラサなんかでは、チベットの歴史について話しただけで捕まるくらい厳しいらしい。
10月にもこのレストランに私がいるとき警官が調査に来て、色々詮索されたことがある。

それで、私服警官はレストランに居座っている私を怪しんで「どこからきたの?なにしてるの?ここの家の人とどういう関係?電話番号教えて。一緒に遊びに行こうぜ」とか色々きいてきたため、「西寧のチベット人学生」とか適当に嘘をついた。まあ私の片言のチベット語でうそってばればれだったと思うけど。
チベット人警察のほうも、「メワ(紅原)出身でセルタに遊びに来た」とか大嘘をついていた。どっちもどっちだ。

その夜、他の友達が予想以上に緊迫している様子を見て「ゾンにいると危ないから明日は村へ逃げたほうがいい。」と言ってきた。
私はデモが見たかったが、もう警察に目を付けられているし、泊まらせてもらってるチベット人に迷惑がかかるとおもい、ついでに彼らも村へ行くというので一緒に逃げた。

そして、結局24日に大規模なデモが起き、セルタでは一人が亡くなったらしい。
24日は中心地以外はセルタでも電話がつながったため、人々は携帯でずっと情報交換をしていた。
はじめ、私が調査していた村の隣のオンザ村の牧民も死亡した、とかフーター村の牧民も死にそうだ、と噂していたが、一命をとりとめたらしい。
チベット人たちは「死んだほうが幸せだった。助かってしまったら捕まってどんな拷問をうけるかわからない」と口々にいっていた。
そのほか、軍がデモ隊に無差別で発砲し、20名近くが負傷。
その中に二週間泊まらせてもらいお世話になった友人も銃で撃たれ、けがをした。彼らは病院に行っても捕まるだけだとラルンガルに薬をもらいに行った。友人はそれから傷を負ったままどこかへ逃げたらしい。どこへ逃げたかは今も一部の人しか知らないが、無事は確かだと。

セルタ以外でもデモが多発し、25日からは各地で携帯とネットといった情報手段が切断された。
二月に入ってもまだ携帯はつながらず、村に滞在していると「明日この村に警察が調査しにくるらしいから逃げたほうがいい」と友達に言われ、さらに奥にある村へ逃げることに。
だれかが「〇○村(私がいたところ)に外国人がたくさんいる」と当局に報告したらしい。たくさんって誰だよって感じだが、少なくとも私のことはばれていたと思われる。
そんなわけでガンゼの手前にある村へ4時間くらいかけて移動。
そこに一週間滞在し、2月6日に中心地へ戻った。携帯がつながるようになったのは8日あたり。

私がセルタを去る時、「これを日本にもっていってチベットの現状を伝えてくれ」とチベット人が命がけでとったデモの映像をもらったのに、USBにウイルスがあり開けれず。かなりショック。
録音した音源は開けたが、変換がうまくできない!
変換できたらアップします。

私はチベットが好きだが、中身をよくしらずにfree tibetを安易に掲げて中国への不満解消に利用するようなやり方はしたくないと思う。
現に共産党の恩恵をうけて生活しているチベット人は多く、共産党と漢族がいなければ生活できないチベット人もいる。
2008年のデモ以降、取り締まりが厳しくなりさらに自由がなくなったことに関し、ンガワ(アバ)の牧民の友達は「もちろん共産党のやり方には自分も反対だが、デモなどのせいでンガワの身分証をもっているだけで厄介扱いされ、自由に移動さえできないときがある。デモなどがおこると生活に支障がでる」と、デモなどを起こさないでほしいという様子だった。
このように、チベット人の中にもさまざまな考えの人がいるわけだが、ほとんどに共通しているのは、ダライラマの帰還を願うということ。
はやくチベットに自由が訪れるように、私には何ができるだろう、たいしたことはできないなぁと考えさせられた。











チベット牧民生活

2011年11月17日 | チベット
私、タイにいます。バンコク。
すでに極寒?のチベットからきたので暑くてフラフラ。タイは4回目だけど、いつもタイを通過してほかの国へいくってだけだったし、都会嫌いな私はバンコク興味なかった。
しかし!!数か月チベットの牧地で暮らしていたら、さすがにいろんな食べ物が食べたくなってきたし、労働で体中痛いし、お風呂はいりたいし・・・と色々欲求がでてきて。ちょうどそんな時期にバンコクへいくことになったもんで、まじでうれしかった!
しかもとまってるところは安宿じゃない!きれい!
バンコクついて、速攻スパでアユールベーダのマッサージやボディスクラブやってもらった。激しいプリンだった髪もそめたし買い物もしたし、もうすぐまつエクしにいくよ。共同購入サイトのクーポンで、1500円。めっちゃやすくない?
洪水の影響で観光客も少ないし、最高。
あと、牧地にいるとき、毎日ツァンパ食べてたまにお米っていう生活だったから、洋食とかイタリアンが食べたくて仕方なかった。食べた過ぎてピザ食べてる夢とかみたし。で、ここで念願のピザ!高かったけどめっちゃおいしかったー。あとハーゲンダッツとか食べれて幸せ。
しかも、日本人いっぱいおるで古本屋に日本の本いっぱい。うれしー!!
いままで日本からタイに行くことがほとんどだったし、バンコクに長期滞在する旅行者の気持ちがわからんかったけど、今回わかったきがする。
まぁそんな感じで私はバンコクを満喫しとるよ。

で、チベットではなにしてたかっていうと、四川省のセルタってとこにいたよ。標高4000m弱。ここの人たちは青海と比べてチベット服の着こなしがイケてる!
セルタではいろんな人のうちに泊まらせてもらってたんだけど、牧地にいるときは主に22歳夫と17歳妻と3か月の赤ちゃんのいるテントに滞在してた。
チベットのほかの地域はだいたい10月くらいには冬地にある家に移動するんだけど、ここの村はまだテント。私は持ってる服をすべて着て寝袋入って毛布4枚かけて完全防備のはずなのに、11月になると夜寒くて寝れんかったし。朝起きたら毛布は一面霜・・・。
いやーまじで寒かった。こんな着込んで寝てる私に対して彼らは半袖に毛布2枚で寝てるからびびるわー

牧地では仕事をいろいろ手伝わせてもらってた。
はじめは私も毎朝ヤクの乳搾りをしてたんだけど、だんだん寒すぎて起きれんくなった上、時期的にミルクが少なくなったもんで私はヤクのフン集め専門に。ヤクのほかほかのフンを素手で集めて一か所にほおり投げる仕事。乳搾りみたいに難しくないし、かなり楽しい。しかし10月にもなると、フンもそっこー凍っちゃって、手が冷たくて冷たくて。そのうえ乾燥してるし、ひび割れて血が出て痛かったー。
ヤクの放牧はたいてい旦那のほうが後ろの山に行くんだけど、あれはまさに山登りだ!雨が降っても雪が降っても行かないといけないし、まじで重労働だよなーと思う。私は体力ないうえ標高が高すぎてついてけないので、基本テントでミルクの攪拌、子守、見張りをしてる。赤ちゃんおむつはほぼしてないから、私の服はおしっこまみれで臭かった。
それから旦那さんは山へ放牧へ、奥さんは川へ洗濯へ。ということで私も奥さんと川で洗濯、そして水汲み。重くていつも死にそうだったけど、腕がひきしまったよ。

私の仕事はこんな感じ。まじで自分のへなちょこ加減にショックだよー。体力なさすぎ。一人でハーハーいって恥ずかしい。高地だで仕方ないか、と自分に言い聞かせてるけど。
牧民の生活は過酷だと改めて実感。
彼らの夜の生活についてはまた書くよー





ついにキレた私・机の占い(卓卓神)

2011年07月07日 | チベット
こないだついに例の子の前で私の怒りが爆発!!
その日は彼女がホテルで酒のんでて、「来週実家に帰ったら当分会えなくなるで、お願いだから今夜は帰らないで」と泣きついて離れなくて。

その前からいろいろイラつくことが溜まってて、今回ばかりはまじでキレる5秒前ってかんじになり。
しかしそれでも冷静な私がいて、一応心の中で
「ここでキレてあそこにおいてある私の荷物を忘れずにとってから部屋をでよう」
と荷物に目を配って確認。
そしてもう我慢できんと思って爆発!
日本語でどなりまくって彼女の手をふりはらい、逃げるように帰った。

頭に血が上りすぎて酸素が足りなくなり、手がしびれて帰りのバスでも怒り(興奮?)がおさまらず。
こんなに怒ったの、中学の反抗期に両親に怒った時以来だし。
あのときの感覚と一緒。急に昔を思い出した。

まあそんなこんなで私も両親以外の他人に怒ることがあるんだなとわかったよ。
爆発したらすっきりするかと思いきや、疲労が半端ないし、気持ちが切り替わらんし、あまりすっきりはしなかった・・・


で、もやもやした気持ちがおさまらんから翌日一人で甘粛省の天祝チベット族自治県へ。
天祝に「卓卓神」ってゆう神様が占いしてくれる人のいる村があるときいたもんで、急に思い立って行ってみた。
バスとタクシーをのりつぎ、6時間くらいで村についたものの、村、人いなさすぎ。
適当にあるいていると、たまたま門からでてきた女の人が。
「卓卓神に占いをしてもらいに来た」っていったら、
「あー、それならうちの旦那ができるからうち来なさい」
って家に案内してもらった。

ここの人たちは自分たちの祖先は青海省のほうからきたチベット人だといっているけど、実際チベット語話せないから漢語使ってるし、名前も漢族と同じで、ほぼ漢族っていう印象。

んで聞くと農歴5月13日から9月中旬までは、卓卓神は夜にならないとでてきてくれないらしい。
私がついたのは昼だったで、夜まで待つことに。

暗くなると家に村の人たちがぞろぞろと集まってきて、サンを焚いたりバター灯をつけたりと卓卓神を招く準備が進んだ。
で、神様が降りる(ということになっている)、鈴などでデコレーションが施された小さな机が運ばれてきた。
村には山の神と竜の神がいて、どちらかの神様がその机に乗り移って勝手に動くという。
今回は竜の神だった。
というかほとんど登場するのは竜の神らしい。

占いの流れとしては、神様が降りた机はすごい勢いで動くもんで、机の脚を三人の男性が持って飛んでかないように抑える。
そして三人のうち一人が、机の脚と一緒に赤い墨のついた筆をもつと、机が紙の上に占いのお告げを字で表すらしい。
それが占いの結果になるのだとか。

私は言われたとおりに床に膝立ちして手のひらを差し出した。
そしたら三人に脚を持たれた机は私の頭の上をすごい勢いでかすめ、墨の付いた筆がデコの前髪の生え際に激突。
めっちゃくすぐったくて笑いそうになったが、笑う雰囲気ではなかったから我慢。
ほんとはそこで占ってほしいことを机に向かって言うらしい。
先ほどのデコへの衝撃できょどった私は、いつ言えばいいかタイミングがわからず、言い逃してしまった。

でもあらかじめ、机の脚をもつ人の一人に「日本に帰ってからいい仕事がみつかるかどうか占ってほしい」っていっといたで、大丈夫だったらしい。
机は私の渡しておいたカタ(細長い布)にお告げを書き出した。
何文字か書いてから、文字の部分を縛ってしまったので、何語で何が書いてあるのかわからず。
ほかにも村人5人くらいが同じように占ってもらい、終了。

私への神からのお告げは、「とてもいい仕事が見つかる」とのこと。

もっと厳かな雰囲気で行われるかと思いきや、途中で参加者の携帯が鳴ったり机を持つ三人が普通に会話してたりしてて、なんだか不思議な空間だった。
しかも実際机自身が動いてるというよりも、三人のうちだれかが操ってるようにしか見えんかった。
とはいってもいい結果に私は大喜び。単純。

結局終わったのは夜10時すぎ。
もう遅いから、と泊まらせてもらい、次の朝帰った。
村長さん夫婦だったんだけど、二人ともめっちゃおもしろくていい人たちだった。

で、「占いの結果の書いたカタは、帰国して仕事が見つかるまで清潔なところにおいておいて、仕事が見つかったらどう処理するか教えるから電話して。それまで汚いとこに置いたり縛ってあるのをほどいちゃだめ」とのこと。
帰国後が楽しみー!

そんなわけで、二日前の悶々とした感じも収まり、精神状態は良好に。
久々に一人で旅行っぽいことして、いい気晴らしになった。

彼女とはその後仲直りして、実家へ帰ってったよ。
まさに嵐のようだった・・・











アムドの民謡

2011年02月09日 | チベット
歌ネタのつづきでチベットの話。

アムド語の講座んとき、「ライー」っていう、男女でうたう恋愛の掛け歌みたいなやつがあるって教えてもらって。
ビデオみしてもらったら、あーこれだー私が好きなのは、とわかり。
ちなみにゆいちゃん、私が歌ったあのへっこぽな歌なんか比じゃないよ!!

で、先月アムド行ったときに、牧民出身のチベット人たちと遊んでたら、「トランプで負けたら歌を歌う」みたいなゲームになって、そしたら聞けたよーライー!!

なんか最近近所の人が亡くなったからこの時期はおおっぴらには歌えないってゆってたし、恥ずかしがってて本気ではなかったけど、そのなかの二人がちょーうまかったぁ!!
素人でしたっけ、とききたくなるほど。
チベット人はびっくりするほどみんな歌うまいけど(一回だけ友達の弟がコネでナンマ歌手でビューしたから見に行ったんだけど、彼は例外的にクソ下手だった)、それにしてもその村の人たちは特に声がいいってきいた。
水がいいせいだとかなんとかって。
あののどの使い方と高い声は、ひろい草原で育たないと出せないんじゃないかなぁ。
都会にいるとあんな声出すときないだろうし。

あんな声だせたらいいなぁ、無理だけど…
三月からアムド行ったら歌おしえてもらおっと。
チベット楽しみだなー唯一心配なのが、また太ってしまうんではないかということ。
あそこは頑なに断る意思を持たない限り、食べさせられてしまう!
そこと政府さえのりこえれば問題なし