勤務先で社長に在日韓国人であることを公表され、日本での通名ではなく本名を使うように繰り返し強要されたため、精神的苦痛を受けたとして、静岡県中部に住む40代の男性が、社長に慰謝料300万円を求める訴訟を静岡地裁に起こしたことがわかった。
男性は韓国籍で日本で生まれ育ち、通名を使用。
訴状によると、男性社長から昨年11月と今年1月、勤務先の事務所で「朝鮮名で名乗ったらどうだ」と言われ、「このままで結構です」と拒否。2月にも「これからの時代は朝鮮名で生きた方がいい」といったことを言われ、4月には多くの社員の前で「この人は在日韓国人だ」と明かされた。さらに5月、「朝鮮名で名乗るなら呼んでやるぞ」と言われたという。男性は再三、本名を名乗るよう強要され、屈辱と精神的苦痛を味わったと訴えている。(朝日新聞より)
常識的に考えて、極めて意味不明な訴訟である。日本に帰化するのが嫌で在日韓国人をやっているであろう人間が、自らの本名を名乗るのが屈辱で苦痛であると訴えているのである。通名といえば在日韓国人が犯罪を犯したときに、さも日本人が犯罪を犯したと思わせるために名乗るものであるという印象しかないのだが、どうして通名を使いたがっているのだろうか?もしや自分が日本人ではないことがそんなに嫌なのだろうか?それとも在日韓国人であること自体が苦痛であるとでも思っているのだろうか?
少なくとも雇用先の会社は、この人物が日本人ではなく在日韓国人であることをわかっていたのだし、わざわざ在日韓国人が忌み嫌うであろうはずの「日本人」としての扱いをされていないだけ、十分に受け入れられていると思われるのだが、それは屈辱的なことなのだろうか?普通に考えて「本名を名乗れ」といわれて屈辱であると思う人間は皆無であるし、本名ではない名前を名乗らされるほうが屈辱であると思うのだが、どうにも在日韓国人の思考というのは理解できない。
そして何より気になるのは。この訴訟の焦点である。
「本名を名乗らされることが屈辱的である」という判断はされないとして、それならば、「在日韓国人であるとばらされるのは屈辱的である」という判断がなされるのだろうか?もしもこの在日韓国人が自らが在日韓国人であることを誇りに思っているならば、訴えることで自らの立場が極めて恥ずかしいものであると公言するようなものである。「日本人として扱われないこと」が恥ずかしく、「在日韓国人として扱われないこと」を望んでいたということなのだから。この人物はそのあたりの矛盾とどのように向き合っているのだろうか?
在日韓国人が在日韓国人であることを明確にすることは人権侵害であるとでも判決が出れば、もはや笑い話にもならない。そんな矛盾の中で生きるならば、いっそ「誇りある」祖国に帰って堂々と本名を名乗ることのできる生活を手に入れてもらいたいものだ。こんな訴訟で日本側が負けることこそ、日本人にとって屈辱なのだから。

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男性は韓国籍で日本で生まれ育ち、通名を使用。
訴状によると、男性社長から昨年11月と今年1月、勤務先の事務所で「朝鮮名で名乗ったらどうだ」と言われ、「このままで結構です」と拒否。2月にも「これからの時代は朝鮮名で生きた方がいい」といったことを言われ、4月には多くの社員の前で「この人は在日韓国人だ」と明かされた。さらに5月、「朝鮮名で名乗るなら呼んでやるぞ」と言われたという。男性は再三、本名を名乗るよう強要され、屈辱と精神的苦痛を味わったと訴えている。(朝日新聞より)
常識的に考えて、極めて意味不明な訴訟である。日本に帰化するのが嫌で在日韓国人をやっているであろう人間が、自らの本名を名乗るのが屈辱で苦痛であると訴えているのである。通名といえば在日韓国人が犯罪を犯したときに、さも日本人が犯罪を犯したと思わせるために名乗るものであるという印象しかないのだが、どうして通名を使いたがっているのだろうか?もしや自分が日本人ではないことがそんなに嫌なのだろうか?それとも在日韓国人であること自体が苦痛であるとでも思っているのだろうか?
少なくとも雇用先の会社は、この人物が日本人ではなく在日韓国人であることをわかっていたのだし、わざわざ在日韓国人が忌み嫌うであろうはずの「日本人」としての扱いをされていないだけ、十分に受け入れられていると思われるのだが、それは屈辱的なことなのだろうか?普通に考えて「本名を名乗れ」といわれて屈辱であると思う人間は皆無であるし、本名ではない名前を名乗らされるほうが屈辱であると思うのだが、どうにも在日韓国人の思考というのは理解できない。
そして何より気になるのは。この訴訟の焦点である。
「本名を名乗らされることが屈辱的である」という判断はされないとして、それならば、「在日韓国人であるとばらされるのは屈辱的である」という判断がなされるのだろうか?もしもこの在日韓国人が自らが在日韓国人であることを誇りに思っているならば、訴えることで自らの立場が極めて恥ずかしいものであると公言するようなものである。「日本人として扱われないこと」が恥ずかしく、「在日韓国人として扱われないこと」を望んでいたということなのだから。この人物はそのあたりの矛盾とどのように向き合っているのだろうか?
在日韓国人が在日韓国人であることを明確にすることは人権侵害であるとでも判決が出れば、もはや笑い話にもならない。そんな矛盾の中で生きるならば、いっそ「誇りある」祖国に帰って堂々と本名を名乗ることのできる生活を手に入れてもらいたいものだ。こんな訴訟で日本側が負けることこそ、日本人にとって屈辱なのだから。

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