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とりとめのない考察

最近は政治関係の発言が多めです。

教師の事務の外部委託。

2007-05-27 09:50:42 | 教育。
政府の教育再生会議は第2次報告案に、教師の事務作業の外部委託や報告書類の簡素化を盛り込むことが26日、分かった。
教師の負担を軽減し、学習指導や生活指導など「本来業務」に専念してもらうのが狙いで、他にも授業時間10%増加のため土曜授業の実施や長期休暇の短縮や「モンスターペアレント」(問題保護者)への対応策として「学校問題解決支援チーム」の設置などが盛り込まれることになった反面、家庭教育に踏み込むとして批判があった「親学」「子育て提言」については触れず、「親の学びと子育てを応援する社会」の形成を求めるにとどまった。
教師の事務作業の分量が過去と比べてどれだけ増加したか、また個々の教師の能力でそれがカバーできなくなってきているのかどうかは不明であるが、しかし過去と違うのは保護者が教育に要求してくる幅が増大してきたことによって教師の本来業務に支障をきたしてきているということは、この第2次報告案で問題保護者に対応策に踏み込んでいることからも想像できることで、個人的にはそこにも何らかの対策をすべきであると思っているのだが、回避された事は残念で仕方ない。
最低でも保護者に対して、学校は学費に応じて生徒にサービスを提供する場所ではなく、本来は生徒が自ら学ぼうとする場所であり、同時に生徒がひとつの社会に接する場所であるわけで、保護者が我が子可愛さでくだらないことを言ってきても「学校は個人を満足させる場所ではなく全体に学問を身につけさせる場所である。無理解に立ち入るな」と突っぱねることのできる環境を整えることも必要となろう。
ただ、中には教師としての能力に乏しく、本来ならば1時間で終わる事務作業が2時間かかるとか、本来業務である学習指導の準備を整えるのに時間をとられすぎるという問題もないとは言えないだろうし、一概に外部委託が必要であるともいえないのではないかとも思うが、それでも学校が本来の役割に立ち返るためのきっかけとなるのならばそれに越したことはない。


保護者の学校が必要な時代になってきている。

2007-04-17 22:36:02 | 教育。
政府の教育再生会議は17日午後、都内で規範意識などに関する分科会を開き、乳幼児のいる両親や初めての出産を控えた女性やその夫が育児について学ぶ「親学」の充実が必要との認識で一致、4月中にも緊急アピールとして取りまとめる方針だ。
実際今の親は、子供に対してどういったしつけを行えばいいのかを理解していないのではないかと疑いたくなるような事件などを多く耳にするようになり、全体数はともかくとして、質の面を考慮すれば親に対して子供にどういったことを躾けなければならないかを教える「保護者の学校」が必要なのではないかと感じたりしていたが、教育再生会議が本格的にそちら方面に乗り出すようで、一つの転機を迎えるのではないかと思う。
昔と比べると、親子関係は保護者と被保護者という関係からまるで友人関係に変化しているとよく言われるが、最近では子供は親にとって所有物であり、例えば名前一つとっても、子供につけた名前が子供の人生においてどれくらい重要になるか理解もせずに、ただ親同士の話題性のためだけに珍妙な名前をつけるという事例が見られるようになっている。
そういった名前を取り扱ったサイトから一例を挙げると、光宙(ぴかちゅう)、亜菜瑠(あなる)、遊女(ゆめ)、王子様(おうじさま)、ポチ男(ぽちお)など、本当に子供に対してつけた名前であるかと疑うしかないような名前が見受けられ、しかもすでにそういった名前の子供が存在しているというのが現実である。
子供に人気のアニメに出てくる怪物(モンスター)の名前やら、尻の穴を意味する英語やら、一般的な読み方をすれば遊郭や宿場で男性に性的サービスをした売春婦で、「客を遊ばせる女」と言う意味を持つ言葉の読み方を変えただけの名前であったり、身分をあらわす名詞に敬称をつけて名前にしたり、一般的に犬につけるような名前にしたり、とにかく子供に対してつける名前がおそらく一部であると思うのだが、常軌を逸し始めていることにも注意をしなければならない。
しかもこれがほんの一例で、さらにひどい名前をつけられている子供も存在しているのだというのだから、そういった親に対して子供に名前をつける意味から教えてやることを含めた親学の充実は必要不可欠である。


これを教育改革の足がかりに。

2007-03-30 22:35:19 | 教育。
文部科学省は30日、06年度の教科書検定結果を公表し、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって「日本軍に強いられた」との記述に修正を求める検定意見が初めてつき、今回もイラク戦争や靖国参拝などについて、政府見解に沿う記載を求める傾向が続いた。
しかしそもそも事実に基づいているという確証を持たずに教科書に記載していた内容に対して、その真偽性に疑いがあるということを言い出したとしても本当にいまさらという感じがしなくもないのだが、だが日本には近隣諸国条項とかいう主権国家の根本を揺るがすようなものが存在しているために、自国が不利になるような記述を行わなくてはならない状況に甘んじてきたのがこれまでの日本であり、そういった内容に対して検定意見としてそれを歴史的事実として押し付けなくなるということに対しては、教育改革の成果の一端が見て取れる。
当然これに対して、中国や韓国が厳しく避難した上でこれまでどおり捏造した歴史を押し付けてこようとするのは目に見えているのだが、まずは真実を真実として追求していくという姿勢を貫くことを近隣諸国条項見直しの第一歩としてもらいたい。
実際には、軍命令による沖縄集団自決や大規模な南京大虐殺や軍による強制従軍慰安婦問題などの事実がないことを明白にした上で、日本人が自国の歴史に誇りを持てるような教育方針を採用すべきであるというのが本心ではあるのだが、国内に政治家や在日に加担する多くの売国奴を抱えている日本としては、これが今できる精一杯の行動なのかもしれない。
しかしそれでも改革のための第一歩を踏み出すことができるという意味は極めて大きく、くだらない政治的駆け引きなどによって歩みが止まらないように期待したいものである。


徳育は実行されるべき。

2007-03-29 22:28:08 | 教育。
政府の教育再生会議は首相官邸で29日午後、総会と分会を開き、道徳教育(徳育)の充実が必要との認識で一致、小中学校の正式な教科としての「徳育」新設を、5月に予定する第2次報告で提言することを決めた。
子どもらの規範意識を高めるほか「いじめ問題の解決にも結び付ける」のが狙いで、成績評価については「心の在り方を点数化できるのか」など疑問視する意見もあり、今後、慎重に議論するとのことである。
しかし生徒に道徳を教えることに対して成績評価が本当に必要であるかどうかがまず争点になるべきで、もしも道徳に点数化を導入できないからという理由で徳育が廃止になるようなことがあってはならない。
実際ゆとり教育の影響か、保護者のモラルの低下によるものか、子供たちの道徳レベルが低下していることだけは間違いがなく、それを新世代の常識と片付けるには目に余るものがあるという現状において、次世代の子供たちが正しい道徳を見につけて社会に出てこれるように今から準備を整えて行くための教育環境を整えることができれば、日本の未来に少しだけ期待が持てる。
予想されることとして、戦後個人の権利を主張してきた勢力が徳育によって子供たちに個よりも公を尊重する風潮がはぐくまれることを危惧して、何らかの工作を行ってくることがありえるとも思うのだが、教育を立て直すためにもそういった勢力に負けないで提言を通してもらいたいと願う。
現在の教育を立て直すために必要な項目は多岐にわたるとは思うのだが、しかし道徳心をはぐくむというのは本当に基礎としてあるべきもので、これは学校教育として行う以上に家庭教育として行うべき事柄でもあり、教育再生会議の提言として学校と家庭両面による道徳教育に踏み込んでもらいたいとも思う。


本当に必要なのは教員用ではなく保護者用。

2007-03-18 18:58:47 | 教育。
児童生徒の自殺予防に向けた取り組みを協議している文部科学省の検討会は16日、自殺予防対策の一環として教員に正確な知識を習得させる研修の実施を求める第1次報告案をまとめた。
文科省では来年度から具体的な調査研究を開始し、全小中高への配布を視野に、教員研修で用いる自殺予防マニュアルを作成するということである。
第1次報告案は、緊急の対策として、教員を対象とした自殺予防教育プログラムの実施を要請、自殺予防マニュアルを作成し、初任者研修や管理職研修などで習得させ、また文科省のホームページに「Q&A」サイトを掲載し、自殺のサインや対応の原則、医療機関情報などを一般にも周知させるよう提言した。
中長期的な対策としてはスクールカウンセラー配置の充実、精神科医の校医への採用、生命の尊厳を高める教育導入などの態勢づくりを求める一方、相次ぐいじめ自殺を受けて、「いじめは自殺の危険因子となる」と指摘。いじめ対策との連携の必要性を強調した。
この記事を目にして最初に感じたのが、子供の自殺を学校教員の責任に仕立てようとでもしているのかと言うことだ。
子供に対して最も目を向ける時間と余裕があるのは、当然ながらその子供の保護者や兄弟といった家族であるのは疑いようがなく、この報告案で求めているカウンセラー配置や生命の尊厳を高める教育導入などは本来保護者が担うべき役割である。
もしかすると保護者はともに働いていて子供に構う余裕がないから、学費を支払っていることを理由として、学校側にその役割を押し付けようという意見が組み込まれたことによる教員への責任転嫁に関する報告案であるようにも思えてしまうが、ここまで過剰に生徒を守ろうとすることが逆に生徒の自主性や成長を妨げる要因となる可能性はかなり高い。
もちろん学校でのいじめによる自殺が発生すれば、保護者は子供に対する躾や家庭での関係が適切だったかどうかを一切無視して学校が何もしなかったからだと強弁する可能性は過去の事例からも多いと見て間違いなく、そういった文句に対して学校側は充分に対策を行っていたということを客観的に証明するための手段という側面はあるだろう。
しかし学校側が対策を取ろうという流れを理由に、保護者は余計に学校側に子供に対するケアを押し付けてくることも考えられ、ますます親の子育て離れが加速する要因になるのではないかと危惧する。
こういったものを作るなら、同時に親が子供に対して行うべき躾や道徳教育に対するマニュアルを簡素なものであって構わないので作成し、家庭から環境を変えていく方向性を導入していかなくてはならないと個人的には強く思う。


極めて興味深い試み。

2007-02-23 20:17:13 | 教育。
大阪府教委が、教員免許をもっていない社会人に教員採用試験の受験を認める方向で検討を始め、合格者には「特別免許状」を授与し、教員として採用するという試みを、早ければ平成20年度にも実施するという記事を、産経新聞ウェブサイトで見かけた。
団塊世代の大量退職が始まることから、優秀な人材の確保が急務となっており、教員免許がなくても高い専門性をもつ社会人に門戸を開くことにしたということであるが、大学で学んで教員免許を取得するのではなく、能力の高さをもって教員としての資格ありとする制度が作られるきっかけになるのであれば、現在の教育社会そのものが大きく変化するその始まりになるかもしれない。
現在のところ、終身有効であるがゆえに、教育者としての資質が欠けていようとも問題を起こさなければ教員であり続けることのできる現行制度に対し、10年ごとの更新制度とし、指導力不足であると判断されれば免許の更新がなされないという内容の教員免許法の改正案が国会に提出される見込みである。
しかしこれは教員となったものに対して一定期間ごとに気を引き締めさせる程度の制度になるのではないかという危惧があり、もちろんそれはそれで重要なことではあるのだが、そもそも大学での単位の取得の仕方が上手であれば教員になれる根本部分のシステムを見直す必要があるのではないかと個人的には感じている。
小学校の時に本当に尊敬できる先生にめぐり合えたから、同じような教師になりたいという志を持った学生がいるとして、家庭や金銭的な事情で大学に進むことができなければその望みはかなえられることはなく、逆に解雇のない安定性のある仕事のひとつとして教師という道を選択する学生がいるとして、どちらが教師としての資質が高いと判断できるだろうか。
この場合、大学に進めなかった学生の資質を判断する場所がないために、比較基準をあげることができないということになるのだが、もしもそういった者に対して、高いレベルでの教員としての能力や専門的な知識を示せば教員への道が開けるのだとしたら、教員免許に安穏としているかもしれない現在の教育界に大きな変革の波が押し寄せることになるだろう。
免許更新制度に対しては、どこまで教員それぞれの資質を見極めるシステムを構築できるかが制度成功の鍵を握っていると言えるが、判断基準のあいまいさや判断をする側を選定する作業や、そこに少しでも不純なシステムが紛れ込めば、あっという間に本来目指した制度の目的を逸してしまう。
だからこそ、現在の教員免許を取得するシステムの見直しと同時に、専門的な能力を持っていたり指導者としての資質を持っていたり、そういった実力のある人間に対しても教員への道を開くことで、よりよい教員の資質向上を見込めるのではないかと感じる。


体罰の規定。

2007-02-04 07:33:30 | 教育。
学校教育法で禁じられている「体罰」の基準について文部科学省は2日、「居残り指導や授業中に起立を命じるなど、肉体的苦痛を与えない行為は体罰ではない」といった見解を現場への通知に盛り込む方針を明らかにした。
何を体罰とするかの文科省見解は初で、「教師が体罰の範囲を誤解して萎縮することがないようにしたい」としている。
しかし、体罰とは生徒が起こす問題のある行動に対して教師が行うアクションであり、体罰という行動を規定するというのは矛盾があるのではないかと考える。
もちろんそこにいかなる体罰も厳禁とする現行の教育現場に、教師が指導のための手段として取ることの出来るアクションを増やすことで、風潮を変えていくきっかけとする目的があるのはわかるのだが、規定で定められていることしか行うことのできないのでは、突発的な状況への対処に不備があると思う。
例えば校内で集団でのいじめの現場を教師が目撃したとして、現状では声を荒げて注意することさえ問題と取られかねないらしいのだが、それに対して全員を居残りさせて当たり障りのない言葉で何かを伝えようとするのとその場で注意するのでは、どう考えても後者の方が効果があるのではないのだろうか。
関係のない場所で注意することで効果が得られるのならば、毎週やってはいけないことをプリントに箇条書きして生徒に読ませれば問題が発生しないという理屈になる。
逆に、最近は教師も生徒同士のいじめに加担していると報道が伝えることがあるが、許容される体罰を規定するとそれをいじめの手段として活用する危険性もある。
要するに、自らを律し生徒の問題行為に対して適切な対処を行うことのできる教師を増やすために、こういった体罰の規定を行うということなのであろうが、そんなものを規定するために議論するならば、同時に保護者や生徒からなめられない学校・教師を構築したり、モノを教える資質を考慮した教師の選定方法の模索とか、やるべき事はたくさんある。
少なくとも、文部科学省が体罰の範囲を規定することで問題が解決していくのだと勘違いしていないことと、同時に教育再生会議でさらなる議論と提言が行われることを期待したい。


いじめ禁止の校則化には疑問。

2007-01-19 17:19:07 | 教育。
政府の教育再生会議は19日昼、首相官邸で合同分科会を開催し、授業時間数の1割増などゆとり教育の見直しや、いじめ対策を盛り込んだ第1次報告を大筋了承、取り扱いを野依座長に一任した。
24日の総会で安倍晋三首相に正式に報告、決定する予定で、首相は報告を受け、25日召集の通常国会に教育再生のための関連法案を提出する方針だ。
第1次報告は「社会総がかりで教育再生を」と題し、ゆとり教育の見直しなど「7つの提言」と、いじめへの対応や教員免許更新制度の導入など「4つの緊急対応」で構成されていて、その中に「いじめと校内暴力を絶対に許さない学校を目指す」とうたい、「校則に『いじめ・校内暴力の禁止』を盛り込み、厳しく対処する」という部分がある。
しかし正直、いじめというのは学校が規則として禁止するような性質のものではなく、それ以前に常識としてわきまえていなければならない程度のものである。
今年に入ってからは、ほかに話題があるせいかほとんど報道が取り扱わなくなった感のあるいじめ問題であるが、その解決策として教育再生会議が短期的に表面上の成果だけを期待できるような提言を行っていることが残念で仕方ない。
強者が弱者に対して優位に立とうとするのは自然の摂理で、いつの世であっても決してなくなる性質のものではなく、それを抑えるのは家庭環境や社会環境などの民度の高さであって、規則で縛ることではない。
刑法が存在していても犯罪がなくならないのと同様に、規則として定めたからといっていじめ問題が解決されるわけではなく、逆に規則があるからいじめはいけないと勘違いした生徒が、規則の適用されない校外で堂々といじめ行為を行うことを助長する可能性もある。
本当に根付かせる必要があるのは、規則だからいじめを行わないということではなく、規則があろうがなかろうが常識として相手を傷つけるようなことをしてはならないという常識を身につけさせることであり、被害を受ける側も規則で守られることをよしとするのではなく、自ら何ができるのかを考え、ただ過ぎ去るのを待つのではなく行動で示すことを教えなければならない。
そして教育再生会議がいじめ問題の解決の一つとして提言すべきは、いじめられる側が自らを救うために取る行動を何らかの手段で保護できるように状況を整えることではないのか。
授業時間を10%増やし、教科書の改善や学習指導要領の早期改定を求め、学校や教員の指導力の向上を図るため、学力・指導力に欠けた不適格教員を排除することを目的とする教員免許更新制度を導入し、能力があれば民間人でも教員採用するといった、教育再生のために必要なの提言の中で、いじめ問題に対する提言には少し問題を感じた。


ゆとり教育は転換できるか。

2007-01-03 14:21:46 | 教育。
相次ぐ学力低下の批判を受けて始まった学習指導要領の見直しをめぐり、週5日制を維持しつつ総授業時数を増やすため、政府が夏休みの短縮や土曜補習を進める方向で検討していることが2日、分かった。
「ゆとり教育」が導入される前の平成元年改定の教育課程水準に戻し、基礎学力を回復させる狙いがあるということであり、夏休みの短縮や土曜日の補習のほか、平日の放課後の補習、一日あたりの授業時間の増加などによって対応させる考えだ。
個人的には、とりあえずゆとり教育に対する風潮を改めるための一歩と捉えようとは思うのだが、正直なところ授業時間を増加させることでゆとり教育が改められるというものではないと考えている。
現在行われている授業の内容で、例えば数学の授業で一つの公式を教えるために一時間丸ごと使用して、それで授業が終わってしまうということがあるそうだが、数をこなして公式の扱いを習得していくべき授業でそれを行わず、公式を念入りに教えてそれで終わりという授業内容を維持したままではゆとり教育は改められない。
ゆとり教育最大の敵は授業内容の希薄化にあり、塾に通わなければ学力を身につけることができなくなってしまった現状の打破こそが望まれる。
前にどこかの有識者が、塾が学校の授業の補填を行う環境を作るべきだとかいう妄言を吐いていたが、ゆとり教育の打破のために必要なのは、学力を低下させないために学校での授業の内容が充実することであり、学校以外の機関にそれをゆだねることではない。
だからもしもこの見直しというものが、単純に授業時間を増やすだけで終わってしまえば、結局のところゆとり教育の本質的な問題部分を残した上でのごまかしの改善策にとどまることになり、望むような学力回復には繋がることはないだろう。
授業を重視した上で学力を積み重ねていくためには、短期的に全体の学力が上昇の兆しを見せただけで成果とするのではなく、学校教育全体の改善を含めた長期的な視点で事を進めていかなければならない。
安倍首相は所信表明演説で「必要な授業時数を十分に確保する」とするのにとどめていたが、授業時間の見直しだけにとどまらず、内容の見直しも行っていってくれることを期待したい。


児童虐待の増加止まらず。

2006-12-30 15:30:31 | 教育。
警察庁によると、児童虐待防止法が施行された平成12年、94件だった児童虐待事件の検挙件数(上半期)は、15年まで減少した後、16年から3年連続で増加、今年は120件となり、虐待され続けた子供が死に至るケースも26件に上り、いずれの数値も12年以後、最悪ペースで推移した。
「なつかない」「夜泣きがひどい」「しつけのため」「子育てに自信をなくした」…。虐待で逮捕された親の口から漏れる動機には、親として必要な“何か”が決定的に不足していることがうかがえるということである。
こういった虐待の原因が、親が親としての役割を理解していないということが大きいというのは、「なつかない」とか「しつけのため」というような上記の親の身勝手な理由を見れば一目瞭然であることは間違いないが、その他にも親が育った環境も大きいのではないかと推測する。
例えば親が子供の頃から、一人っ子であるがゆえに周囲から甘やかされに甘やかされ、客観的に子供が持つ甘えから来るわがままを理解する能力が欠如しているのではないかということだ。
もしも下の兄弟がいれば、幼い頃からの体験として子供に対する接し方の一端を実につけることが出来たであろうし、上の兄弟がいれば自分の振る舞いを聞かされることでそれを理解することもあると思うのだが、一人っ子でありなおかつ厳しくする人間が周囲にいなかったという状態が、連鎖に繋がっているのではないだろうか。
児童虐待の連鎖として、親も虐待を受けていたからという理由もあり、それはもっともなことではあるのだが、しかしそれでは上記にあるような親の身勝手な理由には結びつかないこともまた事実で、結論として親が虐待によって子供の受けるダメージを理解していないか、もしくは意図的に無視しているかの違いとなるように感じる。
警察庁は9月から児童虐待が疑われる家庭に対する警察の立ち入りを積極化し、厚生労働省との連携を強め、都道府県警や警察署レベルでも自治体、児童相談所との情報交換を緊密にするよう通達を出したということであるが、児童虐待は周りが注意を強化すれば防げる性質のものではないし、あまり周りが親に厳しくするとそれが逆に見えないところで子供に跳ね返ってしまう危険性もあるだろう。
正直なところ、児童虐待に対する効果的な対策など思いつきもしないが、少なくとも周囲からの監視というやり方ではなく親が子供に接する方法を教えたり、周囲の子育ての経験者のネットワークを構築して相談しやすい環境を作ったり、親に対する子育ての教育をメインに据えるべきであると思う。
児童虐待の実態に詳しいという才村帝塚山大学心理福祉学部教授は「現代社会の根深い病理」としているのだが、個人的には方向性として甘やかされて育った子供が親となった時に育児にどれだけの不備が生じるかのデータを集め、問題となる部分を提示することも必要ではないかと考える。