南風おじさんの4畳半生活

世人悉く春南風を歓ぶ。肖りたく号すが及ぶや否やを知らず。茅屋より世を管見すること60有余、腹膨るる思い止み難く…

神保光太郎

2006年05月03日 | Weblog
別所沼を愛した詩人といえば、神保光太郎に指を屈するだろう。近くに住み、毎日のように別所沼の周囲を散策し、一帯を詠んだ詩を作っている。

もちろん碑もある(写真)。

「沼のほとりをめぐりながら 神をおもふ
 水面に映るひとひらの雲 羊の孤独」(「冬日断抄」より)

沼からやや離れた西側の木陰にあるので、見つけにくいかも知れないが、立派な碑である。

光太郎は山形市生まれ、京都大じだいから詩人として認められ、昭和10年30歳の時にこの地に移住、保田与重郎、亀井勝一郎らと別所沼近くを散歩しながら「日本浪漫派」結成の相談をし、浪漫主義文学運動を起こした。

浪漫派というのは、当時のファシズムの嵐やプロレタリア文学の勃興に対して、日本精神の振興を唱えた運動で、一時は太宰治や壇一雄ら約50人もの勢力になり、一世を風靡した。

また、多彩な季節感のある詩を作り、「四季派」とも呼ばれた。自宅にはバラをたくさん植えて、ガチョウや小鳥なども飼っていた。沼のほとりを散歩する姿は孤独な雰囲気を漂わせていたそうである。

光太郎の墓は新座の平林寺にある。

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