「スコアラーとの出会い」
2周ALLした後も、あの緊張感に病みつきとなり、ゲーセンでやりこんで、その後も何回かALLすることができました。
このころになるとゲーメストのハイスコアのページが気になっていました。
1945-2はどの機体も300万点以上のスコアがでていて、すごい人達がいるものだなと思いました。
そこで地元から一番近い仙台のハイスコア集計店にいってみました。
1945-2をやっている人がいましたが、金塊をとるのが非常に上手で、一見してスコアを目指している人であることがわかりました。
そして1周目の6面ボスで体当たりをしてパワーダウンする雑魚稼ぎをしていて、非常に衝撃を受けました。
1945-2では敵に体当たりするとパワーダウンすることは知っていましたが、まさかそのことを利用して稼ぐとは思ってもみませんでした。
どの機体でやっていたかは忘れてしまいましたが、とても印象に残りました。
それから、東京に出かけたとき新大久保の集計店ケンタゴンに行ってみました。
こちらでも1945-2のスコアを目指している人がいました。
今から思うとあれが中野龍三さんだったと思うのですが、当時はそんなことも知らず、震電で上手な方がいるなと後ろで離れたところから眺めていました。
1面街面で173,600点をきっちりとっているのが印象に残りました。
このときに中野さんと話でもしていれば、ハイスコアの世界への入りかたが、また違ったものになっていたかもしれません。
ハイスコアの世界を知らなかったこのころは、こうした人達からゲームに集中して取り組んでいる姿勢のようなものが感じられ、近づき難かった気がします。
それからは、1周目では金塊を少し意識してとったり、なるべく多くの敵を壊すようしたりにして稼ぎのまねごとなどを始めてみるようになりました。
またこのころに、彩京のガンバード2が新しく入荷しました。こちらもまた1945-2以上に難しく、やりがいがありました。
1周目からさらに難しくて、なかなか1周もできませんでした。
しかし、残念なことに仕事の都合で、この場所から引越することになってしまいました。
ガンバード2を1周できたころ、また別の地方の田舎に住むことになり、しばらくゲーセンから遠ざかってしまうことになりました。
1945-2を気軽にできる環境ではなくなってしまいましたが、どうしてもまだこのゲームを続けたくて、ついに1945-2の基板を購入してしまいました。(コントロールBOXと業務用モニターも)
買ってから、しばらくは家でゲームが遊べる環境を喜んでいましたが、ゲーセンでコインを入れてプレイする緊張感が忘れらなくて、しばしば遠くのゲーセンに車ででかけて、ゲームをするようになりました。
名古屋や松本のゲーセンに月に何回か遊びにいくようになり、そこでスコアを目指している人と知り合うようになりました。
このころは、ガンバード2の2周ALLを目指していて、このゲームもまた約半年かけてクリアできました。
初めてクリアできたのが、今は亡きプレイシティキャロット松本で、今でもよく覚えています。
ガンバード2をクリアできたあと、もう一度1945-2をやってみたくなり、家で練習したり、他の人からアドバイスをいただいたりしながら、疾風で290万点ぐらいまではなんとか出せるようになっていました。
つづく
2周ALLした後も、あの緊張感に病みつきとなり、ゲーセンでやりこんで、その後も何回かALLすることができました。
このころになるとゲーメストのハイスコアのページが気になっていました。
1945-2はどの機体も300万点以上のスコアがでていて、すごい人達がいるものだなと思いました。
そこで地元から一番近い仙台のハイスコア集計店にいってみました。
1945-2をやっている人がいましたが、金塊をとるのが非常に上手で、一見してスコアを目指している人であることがわかりました。
そして1周目の6面ボスで体当たりをしてパワーダウンする雑魚稼ぎをしていて、非常に衝撃を受けました。
1945-2では敵に体当たりするとパワーダウンすることは知っていましたが、まさかそのことを利用して稼ぐとは思ってもみませんでした。
どの機体でやっていたかは忘れてしまいましたが、とても印象に残りました。
それから、東京に出かけたとき新大久保の集計店ケンタゴンに行ってみました。
こちらでも1945-2のスコアを目指している人がいました。
今から思うとあれが中野龍三さんだったと思うのですが、当時はそんなことも知らず、震電で上手な方がいるなと後ろで離れたところから眺めていました。
1面街面で173,600点をきっちりとっているのが印象に残りました。
このときに中野さんと話でもしていれば、ハイスコアの世界への入りかたが、また違ったものになっていたかもしれません。
ハイスコアの世界を知らなかったこのころは、こうした人達からゲームに集中して取り組んでいる姿勢のようなものが感じられ、近づき難かった気がします。
それからは、1周目では金塊を少し意識してとったり、なるべく多くの敵を壊すようしたりにして稼ぎのまねごとなどを始めてみるようになりました。
またこのころに、彩京のガンバード2が新しく入荷しました。こちらもまた1945-2以上に難しく、やりがいがありました。
1周目からさらに難しくて、なかなか1周もできませんでした。
しかし、残念なことに仕事の都合で、この場所から引越することになってしまいました。
ガンバード2を1周できたころ、また別の地方の田舎に住むことになり、しばらくゲーセンから遠ざかってしまうことになりました。
1945-2を気軽にできる環境ではなくなってしまいましたが、どうしてもまだこのゲームを続けたくて、ついに1945-2の基板を購入してしまいました。(コントロールBOXと業務用モニターも)
買ってから、しばらくは家でゲームが遊べる環境を喜んでいましたが、ゲーセンでコインを入れてプレイする緊張感が忘れらなくて、しばしば遠くのゲーセンに車ででかけて、ゲームをするようになりました。
名古屋や松本のゲーセンに月に何回か遊びにいくようになり、そこでスコアを目指している人と知り合うようになりました。
このころは、ガンバード2の2周ALLを目指していて、このゲームもまた約半年かけてクリアできました。
初めてクリアできたのが、今は亡きプレイシティキャロット松本で、今でもよく覚えています。
ガンバード2をクリアできたあと、もう一度1945-2をやってみたくなり、家で練習したり、他の人からアドバイスをいただいたりしながら、疾風で290万点ぐらいまではなんとか出せるようになっていました。
つづく