M.T氏日記

アーケードに限らず、最近の出来事等色々

ストライカーズ1945-2のスコアをやり始めたきっかけについて 第3回

2004-12-18 01:43:44 | Weblog
 苦労がつづきましたが、何度か2-6(2周目6面)に突入できるようになりました。

 しかし大抵の場合、残機もなくボムも少ない状態で突入するため、ボスに到達する前にゲームオーバーとなってしまいました。
 2-6道中は、茶色の中型機がたくさんでてくるところ、道中終わりのダム砲台のところと難しい箇所がありなかなかパターン化できませんでした。
 ここまで辿りついてボムを4発、5発と持っている状況は、今の時点では考えにくいので、がんばって道中1ボムのパターンをなんとか作りました。

 たまにボスに到達できても、ボスが第1形態(潜水艦)と第2形態(ロボット)共に、とても避けにくい攻撃をしてくるので、非常に苦労しました。
 2-8でボムがどうしても1発必要なので、2-6ボスでボムを使いきるわけにはいきませんでした。

 しかし、2-6ボスの最終形態は雑魚がわらわらと湧いてきますし、ボスの攻撃もボムを突き抜けてきたりするので、何回も死んでよりよい方法を模索しました。
 「疾風」という機体はボムが無敵ではないので、ボムを撃ったにもかかわらず死亡するボム死にを何回も経験しました。

 このころは雑魚の周期調整などということも知らず、実際に1コインでつながっているときプレイでは、結局ボムごり押しになってしまいました。

 2-6ボスさえ越えればあとは1ボムでクリアできる自信も少しずつでてきました。

 その後、なんとか2-6ボスを倒すことができるようになりましたが、2-7に突入すると緊張のあまり死んでしまうということが、何回かありました。

 このころは、2-6までいったらとにかくコンティニューして、2周目の最後までやって、緊張しても動じないための経験値を積みました。

 2周目のラスボスも各形態をパターン化して、万全の準備をしました。

 それでも初めてラスボスに到達したときは、緊張のあまりあえなく死んでしまいました。

 しかし、この緊張感がゲームの楽しさでもあり、ますます病みつきになっていきました。

 ラスボスに2度目に到達したときは、最終形態破壊のあと1秒というところで死んでしまいました。やはり簡単にはクリアさせてもらえませんでした。

 そして、ゲームを始めてから約半年、ついに2周ALLできました。
 ちょうどその時、ゲーセンの店長が後ろで見ていて、拍手をしてくださいました。
 少し恥ずかしい気もしましたが、うれしかったです。

 点数は約260万点、残機0、残ボム1でした。このころ1周目は137万点前後だったと思います。

 今では、古いゲームや新しいゲームでもっと難しいゲームがあることを知っていますが、当時は難しいゲームをクリアできたということで、自分の中ではとても満足できました。

 つづく