YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

空手の先生と出会う~シドニー滞在

2022-04-12 13:31:04 | 「YOSHIの果てしない旅」 第11章 オーストラリアの旅
・昭和44年5月14日(水)晴れ(空手の先生と出会う)
 貨物駅の仕事帰りは、ジョージストリートを横切るか、その通りを少し歩いてウィリアム・ストリートの交差点を右折して帰るのが、私の通常のルートでした。
 私がジョージストリートを歩いていたら、スポーツセンタージム(585 George St)があった。外からジムの様子を見していたら、4~5人の男性が色々な運動器具を使って身体を鍛えていた。又、ジムにはボクシングのリングもあった。
すると中から、「どうぞ中に入って見て下さい。」とオーナーらしき人が招いた。
ジムの中に入るとその彼が、「貴方は日本人ですか。」と聞いて来た。
「そうです。」
「こちらに来てコーヒーでも飲んで下さい。」と言って私を奥の応接室へ招いた。
「この辺りで働いているのですか。」
「そこの貨物駅で働いています。」
「帰りはいつもこの時間ですか。」
「そうです。」
そんな事を話している間、ここの20歳前後の若い、しかも美人の事務員がコーヒーを持って来てくれた。
「私はここのスポーツセンターのオーナーでAlfred Vella(アルフレッド・ヴェラ)です。空手3段で今年の9月頃、日本へ空手の練習に行くのです。それでもし宜しければ、貴方の仕事帰りに1時間程、私に日本語を教えてくれませんか。」と彼。
外人に日本語を教えた経験が無いので、戸惑いがあった。しかも私は英語が達者ではないので、はたたして上手く教えられるか、疑問であった。しかし日本語を教える事は英語を学ぶ事であり、これも何かの縁であった。叉、良い経験だと思い、「いいですよ。」と承諾した。
「それでは明日から平日のこの時間16時15分頃から、レッスン時間は1時間程と言う事で如何でしょうか。」と私。
「結構ですね。宜しくお願いします。」と彼。
そう言う事で話は纏まったが、私はレッスン料の事をあえて言わなかった。ヴェラさんもその事について、「幾ら払う。」とも言わなかった。私は無報酬でも構わなかった。
 家に帰って早々、ローマ字で『あ~ん』の50音、挨拶、簡単な日常会話をローマ字と英語で書いて、教える態勢を整えた。
 その後何日か、ヴェラさんの所に立ち寄って、50音等の日本語の発音、アクセント、あいさつ、本当に基礎的な日常会話を教えた。
しかし彼にとって日本語は難しい様であった。又、彼も忙しいのか、毎日その時間帯に居るとは限らなかった。無料で、しかも私も一応仕事の後で疲れているのに立ち寄って教えているのに、何日経っても『おはよう(ございます)。こんにちは』の一つ覚えてくれないので、こちらとしても張り合いがない様に感じて来た。ヴェラさんは気を使って缶詰、その他を私に持たせてくれる時もあった。彼が居ない時、美人事務員と話をちょっとして、引き上げて来る日もあった。申し訳ないが、彼女は少し頭がトロイので、ヴェラさんに注意されたり、文句を言われたりしていた。 
 5月23日(金)~今日、私は珍しく仕事を目いっぱいして来て、疲れていた。日本語を教えるのに毎日立ち寄り、何回教えても彼は挨拶一つ覚えてくれないし、やる気がない様にも受け取れた。私はそんな彼に腹ただしさを感じた。そんな訳で、私の日本語教師役は本日を以って終りにした。