・昭和44年4月30日(水)(滞在期間延長しに移民局へ)
滞在期間を延長して貰う為、仕事を休んで移民局へ行った。朝、バスに入りサッパリして、私の全ての所持金、ならびに岡本から前もって借りた見せ金の100ドルを持参し、背広を着て出掛けた。Gパンにジャンバースタイルでは心証を損なうと思い、背広も岡本から借りたのであった。今まで服装には構わず、Gパンやジャンバースタイルでやって来たが、ここに来て如何してと思うが、やはり今回の滞在期間延長は、『非常に大事である』と捉えていた。因みに私の背広はダーウィン滞在中、実家へ送ってしまったのだ。
移民局係官は滞在期間延長申請の際、オーストラリアから出国する為の航空券又は乗船券の所持を重要視していた。この国から一番近い外国は、ポルトガル領チモールであった。そんな訳で取り敢えずダーウィン・チモール間の航空券を買って、それを出国用航空券にして滞在期間延長をお願いする事にした。そして期間延長が出来たら、その航空券を払い戻しすれば良いと考えた。
良い方法だと思い、早速TAA(トランス・オーストラリア航空会社)の営業所へその区間の航空券を買い求めに行った。そうしたらそこのスタッフは、「ダーウィン~チモール間の航空券を買う為には、前もってシドニー・ダーウィン間の航空券かバス乗車券、インドネシアから出国する為のチケット、ポルトガルの査証(チモールはポルトガル領の為)、そしてインドネシアの査証が必要です。」と言われた。要するにダーウィン~チモール間のみの航空券だけでは、発売出来ないとの事であった。私は現在の手持ち金や、手続きの煩わしさを考え、その区間の航空券の購入を諦めた。
私は本当に困ってしまった。滞在期間延長してもらうのに何か良い方法はないものか考えたが、良い方法は思い浮かばなかった。『もうこうなったら仕方ない、あたって砕けろ』の心境で、その足で移民局へ行った。
案の定、係官は私に滞在費と出国用の航空券又は乗船券の提示を求めた。滞在費については岡本から見せ金として借りた100米ドル、昨日貨物駅から貰った給料70ドル、トラベルチェック100米ドル、そして日本円の聖徳太子3枚を見せた。しかし、出国用のチケットは正直に、「持っていない。」と言った。係官が何だかんだと言うので私は、「航空チケットは父が近日中に日本から送ってくる手筈になっています。」と嘘も方便で言った。
暫らくして係官は、「検討して滞在延長を許可したら、木曜日か金曜日辺りに大家のミセズ・ジャクソン宅に電話する。」と言った。雰囲気として1ヶ月間は延長してくれる様なので、私はホット一安心した。
しかし、実際は明日の木曜日、明後日の金曜日になっても電話連絡が無く、ダーウィンの移民局で許可された滞在期間の5月7日を迎えるのでした。