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YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

満天の星空下、砂塵を巻き上げマイクロは砂漠を行く~ シルクロードの旅その2(パキスタンバスの旅)

2022-01-21 08:38:52 | 「YOSHIの果てしない旅」 第9章 イラン・パキスタンの旅
△満天の星空の下、大海原の様な砂漠の中を小舟が行く-Painted by M.Yoshida
「星の砂漠を♪♪遥々と♪♪オンボロのバスで♪♪行きました♪♪――ナンとチャイとの♪♪食事だけで♪♪腹を空かして♪♪行きました♪♪」
                      (童謡「月の砂漠」の替え歌)

・昭和44年1月24日(金)晴れ( 満天の星空下、砂塵を巻き上げマイクロは砂漠を行く)
 昨夜、家の中とは言え直に地面で寝たので、ぐっすり寝られたとは言えなかった。そしてここ3日間、余り寝ていないので旅の疲れも溜まって来た感じであった。
 朝食は例の不味いナンとチャイであった。我々が食事をしている前で、子供や大人達が動物のウンコを手で拾って集めているのを見た。何に使うのであろうか。肥料にするには村の周辺は見渡す限りの砂漠で、畑など見当たらなかった。それでは乾かして燃料にするのか。この時点、はっきり分らなかった。
 ノク・クンディの国境のこの地域(村なのか、それとも部落なのか?)の人家は、30軒程であった。彼等の暮らし振りを何て表現してよいのか、とにかく家の中を覗いて見て、家具類は勿論、家庭・生活用品類等、何にも見当たらなかった。
 クエッタ行きのマイクロバスは、夕方の発車であった。午前中、バラック造りの出入国管理事務所で入国手続きを済ませた。我々は昨日の昼頃、既に入国していたが、特に問題無く正式にパキスタンに入国した。今日は春の様にぽかぽか陽気であった。贅沢して目玉焼き2枚、ナン2枚、それとチャイで昼食を取った。食事代は2.5ルピー、国境の辺鄙な所だから高いと感じた。ここもチャイは砂糖湯で紅茶の味は全くなかった、彼等が出せる食べ物はこんな物しか無かった。
 夕方5時頃、我々6人、現地人5人、そして運転手と助手を乗せ、昨日と同じバス(ノク・クンディ~クエッタ間、運賃15ルピー(1,140円)は出発した。砂漠は相変わらず続いた。バスが走った後ろは、もうもうと砂塵が舞い上げっていた。昨日もそうであったが、バスの中は勿論、我々も砂埃で真っ白になった。そして、砂漠の旅は既にうんざりし、嫌になって来た。そんな感じであるから皆、無口で我慢するだけ、早く砂漠地帯を脱出するのを願っていた。
 バスは真っ暗な、ある砂漠の中で停まった。警察官2名がバスの中に入って来た。『何事か』と思った。彼等は我々の旅券の提示を求め、そしてバスの中も調べた。私は何の目的であったのか分らなかったし、誰も聞きもしなかった。つまらない事に関わらない方が良い、そんな感じであった。要するに、こちらの警察官はヨーロッパと比べてスマートさが無いどころか、横暴さが感じられた。
 警察官が立ち去った後、運転手が「(中は埃っぽいので)バスの屋根に乗っても良い」と言ったので、私とロンはバスの屋根に昇った。バスは再び発車した。風は冷たいどころか、心地が良く、屋根に寝転んだ。夜空は、満天の星空であった。星座群がこんなにもくっきりと、そして手で掴めそうな、そんな近くで煌いていた。こんなにも素晴らしい星空を見た事がなかったので、とても感激であった。
 午後の10時過ぎ頃、ノク・クンディとクエッタの中間地点の民家が3~4軒ある所で今日のバスの旅は終った。遅い夕食は例のナンとチャイであった。横になる様なスペースもないマイクロバスの車内で、我々は夜を明かさなければならなかった。