YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ナン以外の食事が出来た~シルクロードの旅その3(パキスタンの列車の旅)

2022-01-24 09:32:37 | 「YOSHIの果てしない旅」 第9章 イラン・パキスタンの旅
・昭和44年1月26日(日)晴れ(偽学生証で学割切符を購入)
 我々(アメリカ人のロン、フランス人のジェーン、カップルのミシェルとカトリーヌ、ザーヘダーンの郊外から乗って来た竹谷そして私の6人)は、ラホールまでの3等車の切符を買いに駅へ行った。運賃は大人25ルピー、学生12.6ルピー(約958円)であった。私は学生証を持っていたので、学割運賃で切符を買った。
「Yoshiは学生でないのに、如何して学生割引で買えたのか。」と言うと、私はアテネのユースに滞在していた時、「これからインド方面に旅をする場合、学生証を持っていると何かと便利である。」とあるアメリカ人に言われ、その彼から2ドルで偽の学生証を作って貰った。多少後ろめたさがあったが、今日その偽学生証を提示したら学割切符が買えた。確かに偽学生証で切符を買うのは、良い事でないが、『これもHow to trip(旅の仕方)の1つである』と思っていた。従って大それた悪事という認識は、無かった。   
 その後、我々はレストランも経営している別のドミトリー(安ホテル)に引っ越した。このドミトリーはシャワーがあり、部屋も昨日より奇麗で1泊3.5ルピー(273円)であった。私は10日振りに身体を洗い、砂漠の埃を落とす事が出来た。又この様な時は、靴下や下着を洗うチャンスでもあった。 
  我々は久し振りにここのレストランで、主食のナンと副食物を添えた食事をすることが出来た。しかも夕食はご飯も食べられた。久し振りのご飯と副食物で美味しかった。人間は食べる為に生きるのではなく、生きる為に食べるのだ。しかしナンだけでは、我々日本人や欧米人は生きて行けない。クエッタではたいして美味しい食べ物は無いが、砂漠を旅した後は、「ナン以外の食べ物が食べたい」と言う、食べ物に対するそんな欲望が湧いたのも事実であった。人間の欲望を満たしてくれたクエッタは、砂漠の終着駅、まさに大オアシスであった。
 所で、ナンはイラン、パキスタンの主食(インドでは「チャパティChapati」)と言う)で、小麦粉を発酵させずに水で練り、薄く伸ばして焼いた食べ物です。