デンカの宝刀(一男二女の父、元政府系金融機関職員の資格八冠王)

特定分野の記事を集中的に読まれる場合は、「カテゴリー」を御利用ください。

著名武道家の対比(その11:広島県出身で規格外の強さの2人)

2022年12月21日 | 武道・武術

広島県出身で規格外の強さの2人。

 

羽賀凖一 VS 芦原英幸

 

「最後の剣聖 羽賀凖一」

  近藤典彦 著(同時代社)

「ケンカ十段と呼ばれた男

  芦原英幸」

  松宮康生 著(日貿出版社)

 

羽賀師範(1908年9月11日~

1966年12月11日)は、広島県比婆郡

東城町(現 庄原市)出身。

上京し、中山博道師範の有信館

入門した。

中倉清師範、中島五郎蔵師範と共に

有信館三羽烏と呼ばれた。

かつて、大野操一郎範士九段は、

雑誌「剣道日本」の中で、

「わたしがこれまでに出会った剣道家

 の中で、森寅雄羽賀凖一の強さは

 天才とでも呼ぶべきものだった」

と書いている。

また、松原輝幸範士八段は、

著書「最強の剣道」の中で、

「全日本学生剣道大会で優勝した

 ことで、

 いろいろな剣道家の先生に稽古を

 つけてもらう機会が増えた。

 その中で最も強烈な印象を受けた

 のが羽賀凖一先生である。

 先生の稽古が始まった瞬間から

 目を疑うような光景が次から次

 へと繰り広げられた。」

と書いている。

正に規格外の強さだった。

 

芦原師範(1944年12月4日~

1995年4月24日)は、広島県佐伯郡

能美町(現 江田島市)出身。

上京し、極真会館の前身である

大山道場に入門。

その後、芦原会館を発足させ、

「サバキ(捌き)」と呼ばれる技術を

体系化した。

空手家としての強さが無類であった

だけでなく、手裏剣術、投げ鎌術など

投擲技術も超一流であった。

また、各種武器を自分で作成したり、

道場を開設する際に、道場の図面を

自分で引いたりと、まるで、宮本武蔵

がそうであったように、あらゆることに

万能であった。

病気のために早逝されたことは極めて

残念なことだった。

 

 

 

この記事についてブログを書く
« 著名武道家の対比(その10:... | トップ | 著名武道家の対比(その12:... »