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新々「日本武道 対 中国武術」(その19:達人の師の理合)

2024年03月13日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第19弾は、達人の師の理合について

述べた書籍対決。

 

 

「透明な力 不世出の武術家

 佐川幸義

 木村達雄 著(講談社)

     VS

「生きること、闘うこと

 太気拳の教え

 体格、環境、年齢を超越し、

 いまある肉体を最高に活かす」

 岩間統正 著(BABジャパン)

 

 

木村達雄師範は、1947年、東京

生まれ。

東京大学理学部数学科卒、同大学院

修士課程修了。理学博士。

名古屋大学助手、プリンストン高等

学術研究所研究員、グルノーブル

大学(フランス)、ジョンズ・

ホプキンス大学(アメリカ)各客員

助教授などを経て筑波大学数学系

教授に至る。

中学生の頃から、武術に興味を持ち、

海外でも合気道を教えたが、

限界と疑問を感じ、松田隆智老師

「秘伝日本柔術」で見た大東流

合気武術佐川幸義宗範を訪ね、

入門。

第十元直伝講習修了

佐川宗範から最も親しく教えを

受けた門人の一人。

 

岩間統正老師は、1945年生まれ。

中央大学法学部卒。

幼少より武道に親しみ、大学時代

から太気拳創始者・澤井健一宗師

に師事。

実生活では、長年、お茶と健康食品

販売会社(駿河園)を経営。

澤井宗師より、最高位十段範士

許され、数々の他流試合をこなし

ながら、後進の指導にあたる。

少林流空手最高師範。囲碁八段。

 

透明な力」は、佐川師範の

略歴や語録を収録したもの。

著者は、合気こそが武術の本質と

つくづく思い、この合気を深く

わかっている佐川師範の教えや

考え方を知ることは、武術を志す

者はもちろん、他の何事でも深い

ものを成し遂げようと思う者

には、必ず益することがあると

信じ、

佐川師範の言葉や教えをまとめた

この本が多くの人々に力を与える

ことを望んで執筆された。

 

「太気拳の教え」は、澤井老師との

出会いに始まり、澤井老師が創始

した太気拳の戦略と技術から、

心法、技を磨き、体を創ること等々

について、

著者の経験談などを踏まえながら

解説する。

何でも長所と欠点は裏腹なのだから、

いまある肉体を最高に活かすには

どういうふうにしたらいいかという

発想を持って取り組んでいくことに

太気拳の根本的な考えはあるとする。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その18:弟子が書いた達人の師)

2024年03月13日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第18弾は、弟子が書いた達人の師

 

 

佐川幸義先生伝 大東流合気の

 真実」

 高橋賢 著(福昌堂)

      VS

「拳聖 澤井健一先生」

 佐藤嘉道 著(気天舎)

 

 

佐川幸義師範(1902年~1998年)は、

大東流合気柔術中興の祖・武田惣角

の直弟子。

合気系武道の中で最高の達人と

言われる。

澤井健一老師(1903年~1988年)は、

1931年、中国に渡り、王薌齋老師に

入門。帰国後、太氣至誠拳法を創始。

多くの格闘家、武道家に影響を与え

拳聖と賞された。

 

佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」

は、前半が佐川師範の演武写真集、

後半が佐川師範の合気に関する解説

となっている。

達人佐川師範と膨大な佐川伝大東流

合気武術の全貌の、その真実を

伝えることを目的として本書を書いた

とのこと。

「拳聖 澤井健一先生」は、澤井

老師の本来の姿、闘いを通しての

人間性、言い換えれば「無我の境地」

で立ち会っている澤井師範の姿そのもの

を顕現することを目的として書かれた。

他の技術書との相違点は、技を高度

に発達させる技術とか基本的諸動作

とかいうものを極力避けて、実際の

立ち会いにおける気、気魄、気力を

重点的に述べたところと。

 

高橋賢師範は、昭和22年、東京都

八王子市に生まれる。

早稲田大学文学部卒。

竹内流など古流柔術を初めとして

日本古武道を修行し、

佐川師範に入門。小平市の本部

である大東流佐川道場の指導の

ほか、佐川伝大東流合気武術相模原

支部を開設し指導する。

佐藤嘉道老師は、昭和20年、茨城県

筑西市に生まれる。

極真会大山道場に入門し、米軍キャンプ

などで空手指導を行う。

その後、澤井健一老師の弟子となり、

太気至誠拳法(太気拳)を修行。

立教大学卒後、欧州各地で太気拳

指導。

帰国後、高校の英語教諭となり、空手

剣道、ボクシング部などの顧問も

務めた。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その17:達人の師について伝記と技術書の両方を書いた弟子の対決)

2024年03月13日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第17弾は、達人である師に関して

伝記と技術書の両方を書いた弟子

の対決。

 

松宮康生 VS 河野義勝

 

師の伝記

 

 

「ケンカ十段と呼ばれた男

 芦原英幸

 松宮康生 著(日貿出版社)

      VS

「自強不息 柔派拳法大人

 「王樹金老師」至高の教え」

 河野義勝 著(現代書林)

 

技術書

 

 

芦原英幸 サバキの真髄

 天才空手家が遺した ” 打たせず

 打つ ” 術理」

 松宮康生 著(BABジャパン)

      VS

王樹金老師 太極拳真伝」

王樹金老師 形意拳真伝」

 河野義勝 著(東邦出版)

 

 

芦原英幸師範(1944年~1995年)は、

広島県佐伯郡能美町(現 江田島市)

出身。

新国際空手道連盟芦原会館創始者。

空手のほか、手裏剣トンファー

武器術についても達人の域に達し、

その位取りの技法は「サバキ」

して有名。

王樹金老師(1905年~1981年)は、

中国河北省天津出身。

日本で公式に中国武術の本格的指導

を行ったパイオニア的武術家で、

主に太極拳形意拳八卦掌を指導。

中華民国政府の台湾移転に伴い、台湾

に移住し、台中市に「誠明国術館」

設立。

 

松宮康生師範は、実業家、武道家。

伝統派空手空手指導員となる。

その後、芦原英幸師範と出会い、

極真会館芦原道場に入門。

のち、芦原師範が立ち上げた

芦原会館に参加。芦原師範の逝去

に伴い退会。

以後、元養神館合気道二代目館長

井上強一師範に合気道を学び、

海外で警察、軍関係者に空手を指導。

松宮塾を開塾し、武術、語学を指導。

「ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸

は、著者の体験と多くの取材に基づいて

芦原師範の生い立ちから亡くなるまで

更に亡くなった後のことについて

記述する。

「芦原英幸 サバキの真髄」は、

著者が芦原師範から学んだ「サバキ」

という術理について解説したもの。

最初の2つの章で、手裏剣打ち

ついて詳細に記述されており、

この点でも非常に貴重な書。

 

河野義勝老師は、1958年生まれ。

18歳のときから足掛け6年、柔派

拳法大人王樹金老師に師事。

内弟子として王樹金老師が逝去

するまで、武道及び宗教の指導を

受ける。

1977年、台湾で拝師の儀式を受け、

正式に入門し、八卦掌第四代と

なる。

王樹金老師の遺言を守り、事業に

打ち込むかたわら武術稽古に励む。

「自強不息」は、著者が王樹金老師

の言葉や考えの一端を少しでも

伝えたいとの思いから執筆し、

王樹金老師のことを少しでも伝える

ことができたら、人生の指針を何か

つかんでもらえたら、この上ない

喜びとしている。

王樹金老師 太極拳真伝」

王樹金老師 形意拳真伝」は、

王樹金老師が伝えた技を連続写真を

用いて解説したもので、DVDが

付属している。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その16:歴史書・概説書)

2024年03月12日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第16弾は、歴史書・概説書

 

 

「日本剣道の歴史」酒井俊信 著

(剣道日本)

       VS

「中国拳法正傳」佐藤金兵衛 著

(講談社)

 

 

酒井利信師範は、昭和39年生まれ。

剣道教士七段

筑波大学大学院人間総合科学研究科

体育科学専攻准教授として武道文化論、

武道思想史を専門とし、教鞭をとる

かたわら、剣道部副部長として後進の

指導にあたった。

全日本剣道連盟総務・資料小委員会

委員、日本武道学会剣道専門分科会

幹事、身体運動文化学会副理事長、

武道文化フォーラム(NPO)理事。

 

佐藤金兵衛老師については、先に、

新々「日本武道 対 中国武術」

(その6:著名師範晩年の自伝的著書)

にて紹介済み。

 

「日本剣道の歴史」は、古代から

現代に到る、の歴史、剣術の歴史、

剣道の歴史が概ね編年的に語られて

いる。

英語での対訳付きで、英訳は、

アレック・ベネット師範(1970年、

ニュージーランド生まれ。京都大学

大学院人間環境学科博士課程修了。

関西大学准教授。剣道錬士六段

居合道五段なぎなた四段

国際なぎなた連盟副会長、全日本

剣道連盟参与)による。

 

「中国拳法正傳」は、史書・古典に

見られる拳法から始まり、近代の

中国拳法に至る歴史と各門派に

ついての概説が述べられている。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その15:身体の操法対決)

2024年03月12日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第15弾は、身体の操法対決。

 

 

「古武術「仙骨操法」のススメ」

 赤羽根龍夫 著(BABジャパン)

      VS

「太極拳に学ぶ身体操作の知恵」

 笠尾楊柳 著(BABジャパン)

 

 

赤羽根師範については、既に

新々「日本武道 対 中国武術」

(その11:秘伝書対決)

にて紹介済み。

 

笠尾楊柳という名称は、新々「日本武道

対 中国武術」(その12:極意書対決)

にて紹介した笠尾恭二老師の武号。

 

「古武術「仙骨操法」のススメ」は、

身体の使い方を間違えない正解は、

全身を繫げて使うことであるとし、

全身を繫げて使うことに最も成功している

のは武術であるから、

古武術に伝えられる、全身を繫げて使う

ための仙骨を中心にした身体操法を

あらゆるジャンルの方々に応用して

いただくことを目的として著された書。

腰や膝などの痛みと病いの主な原因は

歪んだ不良姿勢にあり、正しい姿勢

維持することは、それだけで最高の

運動であると述べる。

 

「太極拳に学ぶ身体操作の知恵」は、

中国内功武術の立場から先人の極意

の言葉を借り、それが武術はもとより

人生と日常生活にどのように益する

のかを著者なりに解きほぐした書と。

具体的には、「太極拳十訣」を入門

の柱とし、そこから広く極意の世界

を探ることにしたとしている。

日本で初めて、独立した書として

「十訣」すべてを系統的、総合的に

紹介する。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その14:柔 VS 拳 ②)

2024年03月11日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第14弾は、「柔 VS 拳」のその2。

 

 

「拳聖上野貴大八世宗家に捧ぐ

 日本傳神道天心古流拳法」

 上野義明日森定雄 監修

 滝口洋一空岡康雄 編集

 ・文責(元就出版社)

       VS

「中国拳法北派少林拳

 十路潭腿・連歩拳・功力拳」

 汪調源 著(日東書院)

 

 

神道天心古流拳法は、上野貴師範が

大倉伝浅山一伝流を基にして

空手柔術諸流を学び再編成して

完成した流派で、

戦前は、神道天心流と称し、戦後は、

天心古流と称することが多いようで

ある。

 

「拳聖上野貴大八世宗家に捧ぐ

日本傳神道天心古流拳法」に当流の

全容が図解されており、それによると、

空手術逆手体術(柔・骨法)

拳法(当身・打拳)棒術古武術

双節棍サイ双鎌寸鉄角手

十手手裏剣)、活法術神法

正に総合武術の様を呈している。

本書は、上野師範の高弟たちによって

師範が継承された家伝の武道を後世に

伝えてゆくため企画され、出版された。

 

北派少林拳の基本拳法には、①十路潭腿

連歩拳、③功力拳、④太祖拳、⑤埋伏

一路拳、⑥埋伏二路拳、⑦砲拳、⑧査拳

四路奔打、⑩十字堂の10種類があり、

「中国拳法北派少林拳 十路潭腿・

連歩拳・功力拳」は、このうちの3つ

について、連続写真に基づいて解説した

もの。

 

汪調源老師は、中学時代から中国拳法

に親しみ、国立台湾大学国術会(台湾

大学中国拳法研究社)の創設に参加。

台湾大学在学中、北派少林拳韓慶堂

老師に師事。台湾大学国術会で李寿籛

老師から楊家太極拳羅邦楨老師から

鄭子太極拳を学ぶ。

大卒後、米国留学を経て、明治大学

大学院に留学。

帰国後、高義盛老師の弟子・山東張峻峰

老師について八卦掌郝家太極拳

数年間修行。

中国拳法の研究と教授を唯一の楽しみ

としていると。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その13:柔 VS 拳 ①)

2024年03月11日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第13弾は、「柔 VS 拳」のその1。

 

 

「天神真楊流柔術極意教授図解」

 吉田千春磯又右衛門 著

 (八幡書店)

      VS

「南派少林拳正宗秘拳白鶴門食鶴拳」

 劉銀山 著(成美堂出版)

 

天神真楊流柔術は、磯又右衛門(初代)

柳関斎正足が江戸時代に開いた柔術流派。

「天神真楊流柔術極意教授図解」は、

もともとは、明治26年に出版された

もので、天神真楊流のほとんど全て

の技法を詳説したものとして当時は

画期的なものであった。

ただし、図は連続図ではなく、

各技(形)に一つ、二つの図があるだけ

であり、文章は明治時代の文章であるため

現代人にはかなり読みづらい面がある。

八幡書店版より前に発行された壮神社

版には、島津謙二・平上信行両師範に

よる解説書が付いており、手に入るのなら

こちらの方が良いかもしれない。

 

左:「天神真揚流柔術極意教授図解」

  (壮神社)

右:左の壮神社版に付属している

  「天神真揚流柔術極意教授図解

   -解説-」

   島津兼治・平上信行 著

(なお、真楊流の「楊」が、手偏の「揚」

 になっているが、「解説」では、これは

 原書の誤植ではないかと指摘している。)

 

吉田千春師範は、天神真楊流柔術

三代目家元磯又右衛門正智の高弟で

あったと言われる。

磯又右衛門師範は、五代目正幸師範

である。

 

鶴拳は、日本では、白鶴拳と呼ばれ、

約400年ほど前に中国福建省の女性に

よって、白鶴門として創立された拳法。

白鶴門には、宿鶴拳(宗鶴)鳴鶴拳

飛鶴拳食鶴拳(朝鶴)に分かれ、

台湾では、飛鶴拳を中心に、劉家の

食鶴拳がある。

「南派少林拳正宗秘拳白鶴門食鶴拳」

は、連続写真によって、白鶴門食鶴拳

を解説する。

 

劉銀山老師は、劉家の二男として

生まれ、7歳から食鶴拳を研究。

16歳から中国医術にも興味を持ち、

食鶴拳とともに研究し、24歳で、

自分の道場を開く。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その12:極意書対決)

2024年03月11日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第12弾は、極意書対決。

 

兵法家伝書 VS 拳意述真

 

 

「兵法家伝書に学ぶ」

 加藤純一 著(日本武道館)

     VS

「きみはもう「拳意述真」を読んだか」

 笠尾恭二 著(BABジャパン)

 

 

加藤純一師範は、昭和37年、埼玉県

出身。

埼玉大学教育学部卒。

筑波大学大学院修士課程体育研究科

修了。

筑波大学博士(体育科学)。

目白大学保健医療学部教授を経て、

文教大学教育学部教授。

全日本剣道連盟国際委員会幹事、

全日本剣道連盟総務資料東日本

小委員会委員、日本家庭教育

学会常任理事。

剣道教士七段(出版当時)。

 

「兵法家伝書」は、江戸柳生の祖

である柳生宗矩公が著した新陰流

の兵法思想書。

「兵法家伝書に学ぶ」は、この

兵法家伝書を著者の経験と学習の

中から読み解いていこうする試み

を著した書。

執筆にあたっては、当時、新陰流

の宗家であった柳生延春師範から

各種資料の提供を受けたらしい。

巻末には、兵法家伝書の全文が

原文にて、掲載されている。

 

笠尾恭二老師は、1937年生まれ。

早大(空手部)卒後、青少年に

空手指導のかたわら中国武術を研究。

初め楊名時老師に簡化太極拳の指導

を受け、のち柔派拳法の大家王樹金

老師に師事。太極拳形意拳

八卦掌を学ぶ。

香港留学中、林章松老師から南・北

少林拳を学ぶ。

中国内功武術楊柳会会長、日本空手道

流水会顧問、笠尾整体院院長、行動学

博士。

 

「拳意述真」は、孫派太極拳の開祖である

孫禄堂老師が、あとに続く新しい世代に、

そのあるべき進路を示すため、

自己の修行時代に影響を受けた名人達人

たちの伝記と、それぞれが語った拳理とを

一冊にまとめたもの。

 

「きみはもう「拳意述真」を読んだか」

は、この拳意述真を対談形式の文章で

解説したもの。

巻末には、拳意述真の全文が原文にて

掲載されている。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その11:秘伝書対決)

2024年03月10日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第11弾は、秘伝書対決。

 

「『五輪書』の原典から読み解く

 武蔵 ” 無敗 ” の技法」

 赤羽根龍夫 著(BABジャパン)

       VS

「内家拳 秘伝口訣」

 佐藤金兵衛 著(創栄出版)

 

 

 

赤羽根龍夫師範は、名古屋・春風館

にて柳生新陰流円明流尾張貫流

槍術を学ぶ。

春風館関東支部長として

鎌倉、横須賀、藤沢、横浜で

「新陰流・円明流稽古会」を主宰。

平成27年12月、春風館加藤伊三男館長

から、「厳周伝新陰流尾張円明流

正しく継承している」証を受ける。

 

「『五輪書』の原典から読み解く

 武蔵 ” 無敗 ” の技法」は、

宮本武蔵五輪書の前身となる

「兵道鏡」「円明三十五ヶ条」

には、武蔵が無敵であった理由

書かれており、武蔵の戦い方

知るためには、これらを無視して

はならないと考え、

武蔵を知るには、五輪書だけでは

済まないとして、

兵道鏡に記された多くの詳細な

技術描写

円明三十五ヶ条に記された

技のさまざまな留意事項・内実

に基づき、

より実際的な理解を目指して、

実技事例を多く挿入し、

武蔵が伝えたかったことを解説する。

 

佐藤金兵衛老師については、先に、

新々「日本武道 対 中国武術」(その

6:著名師範晩年の自伝的著書)にて

紹介した。

 

「内家拳 秘伝口訣」は、太極拳

形意拳八卦掌内家三拳拳経(極意

を記したもの)を紹介している。

特に、八卦掌については、佐藤老師が

八卦掌三世伝人李子鳴老師から、九華山

岳伝董海川先師の伝書の大冊を四世伝人

として伝授され、老師より「これは

極めてすぐれた武術の秘伝書であるから

吟味して訳して、日本の武術界に供せ」

と言われたものである。

「発刊に寄せて」に寄稿している

種村匠刀師範によれば、佐藤老師に

対して「この内容は秘伝書そのもの

あり、師範以上に与えられるべきもの

ですから一般公開には反対です」と

意見を述べたほどの内容であるが、

佐藤老師が、この極意書を世に出す

のは、李子鳴老師の遺言であり、自分

も世のため、人のために真実は何か、

本物は何かということを残し、

中国武術のますますの発展に寄与

したいと述べられたため、

真に武道を愛する武人の姿と心意気

に感じ入り、今度は、心から一般

公開に賛同したとのことである。

佐藤老師は、「種村さん、最初から

偽物の金を見せられて育った者には、

本物の金を見せてもそれが本物の

金だとは判らないが、最初から

本物の金を見せられている者には

直ぐに本物と贋物との判別がつくもの

ですよ」と語られていたらしい。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その10:忍法 VS 武術気功)

2024年03月10日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第10弾は、特殊分野(?)対決。

 

戸隠流忍法(武神館)

    VS 武当派太和門

 

すなわち、

 

「戦国忍法図鑑」樋口清之 監修

 初見良昭 著(新人物往来社)

       VS

「硬気功入門 天罡桶子功」

 範克平 著、武井克己 訳

「武術気功入門 金剛鉄板功」

 範克平 著、金井虹子 訳

 

 

初見良昭師範については、先の

新々「日本武道 対 中国武術」(そ

 の6:著名師範晩年の自伝的著書)

にて紹介した。

 

「戦国忍法図鑑」は、最初に、

監修者である樋口先生(著書「梅干し

と日本刀」が有名)による、

「戦国と忍法」の解説が3ページほど

あり、

あとは全て初見師範の執筆だ。

「Ⅰ 忍びの武器」、「Ⅱ 体術」、

「Ⅲ 忍技」と大きくは三部構成に

なっていて、それぞれに豊富な写真に

基づいた説明がされている。説明文

の部分よりも、写真の部分の方が多い

くらいで、見応えがある。

 

範克平老師は、1955年、中国生まれ。

南京暁荘師範専科学校卒。

13歳から武術を学び17歳で中国武当派

太和門に入る。

太和門嫡伝第十二代掌門人李松如老師

に拝師。

内家気功を専門に修行すること10年。

中国道家武当太和門研究学会理事長、

中国東方気功研究所副所長兼研究員、

北京僑聯東方気功武術館副館長兼

教練、南京師範大学武術気功客員教授

などを歴任し、執筆した気功武術

専門書は約40冊。

 

天罡桶子功金剛鉄板功は、武当派

太和門に伝わる気功法であり、

「硬気功入門 天罡桶子功」「武術

気功入門 金剛鉄板功」は、この2つ

の気功法を写真付きで紹介したもの。

「武術気功入門 金剛鉄板功」には、

金剛鉄板功による単刀取りの写真など

武術気功の対人技法の写真なども

いくつか掲載されており、いわゆる

単独動作の鍛錬的気功法のみならず、

総合武術的な要素も有しているらしい。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その9:健康法・健身法対決)

2024年03月09日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第9弾は、健康法・健身法対決。

 

真向法 VS 郭林気功

 

 

「3分でできる健康体操 真向法」

「家庭・職場の健康づくり 真向法

 補導体操」

 真向法体操普及会 著(朝日ソノラマ)

            VS

「郭林気功と鶴飛ショウ」(ショウは

 木偏に庄)余鳳翔 著・李徳鳳 示範

 

 

真向法は、勝鬘寺という浄土真宗のお寺

に生まれた長井津(わたる)師範(明治

22年~昭和38年)が勝鬘経頭面接足礼

五体投地礼にヒントを得て、

体が硬いとお経に書いてある正式な礼が

できないではないかと、

硬化しきった体の柔軟性を取り戻すため

開発した健康法・健身法。

1930年代はじめ頃に開発し、念仏体操

身心柔和法礼拝体操昭和体操

中正柔和法と名称が変遷し、

昭和21年真向法と命名された。

自彊術という健康法・健身法の中にも

真向法と同様な運動があるが、

どちらが先か論争みたいなのは起きて

いない。

真向法は、4つの柔軟体操を行うという

比較的誰にでもどこででも始めやすい

運動となっており、愛好者は意外と

存在し、

格闘家や武道家の中にも真向法を実践

している師範も多い。

 

郭林気功は、1980年代の中国で、ガン

の治療に役立つとして流行った。

また、鶴翔ショウ(ショウは木偏に庄)

も、郭林気功から少し遅れて、やはり

1980年代に流行りだした。

上の書によれば、この2つが中国で一番

流行している気功法と。

真向法のように、誰にも分かりやすい

簡単な運動ではなく、連続した動作を

行う運動であり、かつ、外見的な動き

だけではなく、呼吸法など体の内部に

関わる動作も重要なため、シロウトが

見よう見まねでやると、逆に健康を

害したりする場合もあるらしいので

注意が必要だ。

 

余鳳翔老師は、中国浙江省黄岩県生まれ。

台湾大学農業経済科卒。東京大学経済学

修士。

陳式太極拳、各種の中国伝統気功法・

健康法の研究・普及に努める。

李徳鳳老師は、余鳳翔老師の妻。

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その8:愛知県出身著名師範の自伝的修行記録)

2024年03月08日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第8弾は、愛知県出身著名師範

自伝的修行記録

 

 

「実戦武術物語」姉川勝義 著

 (壮神社)

      VS

「謎の拳法を求めて」松田隆智 著

 (日貿出版社)

 

姉川勝義師範は、1922年、愛知県

生まれ。

直心影流剣術八光流柔術不破流

柔術鹿島神流剣術剛柔流空手

玄制流空手少林寺拳法神道天心

流拳法などを修行し、武田大東流

小林大竜師範、サブミッションアーツ

麻生秀辰師範などとも技術交流。

八光流柔術師範天心古流拳法第11代

全日本合気道連盟八段

古武道振興会元特別会員

太気拳澤井健一老師が昭和21年に

訪ねてきたときの交流についても

書いている。

当初は、澤井老師の「拳でガラスを

割らずに穴をあけ、碁盤も下まで拳

を突き抜ける」などの話に対して、

大ボラ吹きと思い相手にしなかったが、

澤井老師が「口では何とでも言える

ものですから」と、

立禅や必殺の気合を見せた後、

拳先を柱に軽く押しつけただけで

拳の跡が付くのを見て、

これは本物だ、疑って悪かったと

思ったと。

「実戦武術物語」には、姉川師範の

幼少の頃からの武道・武術遍歴が

語られている。

 

「実戦古武道 やわら入門」

 姉川勝義 著(愛隆堂)

 

 

松田隆智老師は、1938年、愛知県

岡崎市生まれ。

中国武術研究科、真言宗東寺派僧侶。

高校で空手同好会(和道流)に入門

し、全三河大会団体戦で優勝。

名古屋の「松濤館空手道クラブ」、

大山道場大山倍達師範、極真空手

三段まで修行)、剛柔流空手山口

剛玄師範)、大東流合気柔術吉田

幸太郎師範、佐川幸義師範、佐川道場

三元まで修行)などに入門。

柳生新陰流兵法柳生厳長師範、

示現流剣術東郷重政師範、諸賞

高橋京三師範などとも交流。

柳生心眼流島津兼治師範、国際

松濤館空手金澤弘和師範とも

知己を得る。

八光流柔術皆伝師範の免状を得る。

31歳のとき、来日した洪懿祥老師

に出会い形意拳を学ぶ。

その後、台湾に渡り、蘇昱彰老師の

紹介により、劉雲樵老師に出会い

李書文伝八極拳燕青拳宮宝

田伝八卦掌を、徐紀老師より、

陳家太極拳を学ぶ。

その後も、何度も台湾や中国本土

を訪問し、各種中国拳法を学ぶ。

台湾武壇蘇昱彰老師、通備門

馬賢達老師に拝師した。

古武道と中国武術、特に中国武術

の伝達、普及に極めて大きな貢献

をした。

「謎の拳法を求めて」は、松田老師

の子供の頃からの武道・武術遍歴が

語られている。

 

「実戦中国拳法 秘門螳螂拳入門」

 松田隆智 著(日東書院)

 

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その7:礼法 VS 気功)

2024年03月07日 | 日本武道 VS 中国武術

新々「日本武道 対 中国武術」の

第7弾は、礼法 VS 気功

 

すなわち、

小笠原流第三十一世宗家

    VS

嵩山少林寺第34代最高師範

 

すなわち、

小笠原清忠 VS 秦西平

 

左:「小笠原流礼法入門」

   小笠原清忠 著

  (アシェット婦人画報社)

右:「少林寺気功理論」

   秦西平 著

  (春秋社)

 

左:「武道の礼法」

   小笠原清忠 著(日本武道館)

右:「これが気功と武術だ!」

   秦西平 著(三五館)

 

左:「小笠原流弓と礼のこころ」

   小笠原清忠 著(春秋社)

右:「少林寺気功のチカラ」

   秦西平 著(三五館) 

 

 

小笠原清忠師範は、1943年、東京

生まれ。

弓馬術礼法小笠原教場三十一世

三十世宗家小笠原清信師範の長男

で、鎌倉時代から続く小笠原流

宗家。

1992年に三十一世宗家を継承。

慶應義塾大学商学部卒。

医療金融公庫勤務後、慶應義塾大学

非常勤講師、東京都学生弓道連盟

会長、儀礼文化学会常務理事、日本

古武道振興会常任理事。

伊勢神宮熱田神宮鶴岡八幡宮

はじめ各地の神社で流鏑馬および

礼法歩射行事を奉納する一方で

NHKカルチャーセンター朝日

カルチャーセンターなど全国で、

礼法指導を続けている。

ロンドン、パリをはじめ諸外国

にて流鏑馬を披露している。

 

秦西平老師は、1958年、中国陝西省

西安生まれ。

東洋医学博士。西安体育大学客員

教授。少林寺法号は、釋延平

16歳のときに嵩山少林寺釋永開老師

と運命的に出会い、少林寺に入門。

武術気功両面に秀でた能力を発揮し、

22歳にして、第34代最高師範に推挙

された。

文化大革命が終わってすぐの大学入試

で、西安理工大学に合格。卒業後、

政府派遣研究員として来日。

東京大学でセラミックの研究に従事

しながら、少林寺武術気功のチカラ

を日本に伝えたい一心で、1994年、

全日本少林寺気功協会を設立。

2004年、NPO法人日本少林寺武術気功

連盟を設立し、理事長として日本のみ

ならず、世界に向けた少林寺気功による

健康促進法の普及に努めている。

 

  


新々「日本武道 対 中国武術」(その6:著名師範晩年の自伝的著書)

2024年03月06日 | 日本武道 VS 中国武術

著名な師範の晩年の自伝的著書

対決。

 

 

「忍者 初見良昭の教え

 人生無刀捕」初見良昭 著

(日貿出版社)

      VS

「柔と拳と道 わが生涯の武道

 を語る」佐藤金兵衛 著

(ベースボールマガジン社)

 

 

初見良昭師範は、1931年、千葉県

出身。

幼少の頃から、空手柔道古武道

ボクシング銃剣道などを修行する。

天心古流上野貴師範に師事し、

その後、上野師範の師でもあった

高松寿嗣師範に27歳で入門。

九つの流派(戸隠流忍術玉心流忍法

雲隠流忍法虎倒流骨法術玉虎流

骨指術高木楊心流柔体術九鬼神伝

流体術神伝不動流打拳体術義鑑流

骨法術)を継承し、

武神館武道を創設。

日本のみならず海外にも多数の弟子

が存在している。著書も多い。

 

「人生無刀流」は、初見師範が87歳

のときに発行。

編年的な自伝ではなく、人生論や

エッセイ風記事などが師範の経験した

ことを踏まえて述べられ、

その中で、師範の修行経験、体験談

が語られている。

俳優の藤岡弘、氏との対談もある。

 

佐藤金兵衛師範は、1925年、福島県

いわき市出身。

開業医(産婦人科)を営む傍らで、

日本武道と中国武術各派の修行を

積む。

幼少より、祖父から柔術の指導を

受け、中学卒業後に満州へ。

終戦後、帰国し、影山流剣術

八光流柔術合気道武田流合気

之術大東流合気柔術天神真楊流

柔術荒木新流柔術一天柳心冑介

流柔術柳生心眼流兵術浅山一伝

流体術神道天心流拳法卜伝流

柔術高木楊心流柔術九鬼神伝流

棒術義鑑流骨法術神道自然流空

などを学ぶ。

1958年以降、台湾の王樹金老師から

太極拳形意拳八卦掌を学び、

全日本中国拳法連盟を設立。

その後も、各種中国武術家を日本に

招聘して、拳法擒拿術を学び、八卦掌

では、三世伝人・李子鳴老師から四世

伝人を継承。

自らが修行した武道・武術を集大成して、

日本兵法大和道を創始。著書も多い。

1999年、逝去。

 

「柔と拳と道」は、佐藤師範が72歳

ときに発行。

自費出版した同名の書(創栄出版)

に比べると、他武道や他師範に対する

批判がかなり柔らかくなっている。

編年的な自伝ではなく、武道論や

エッセイ風記事などが師範の経験した

ことを踏まえて述べられ、

その中で、師範の修行経験、体験談

が語られている。

著者が撮影した王樹金老師の五行

連環拳の連続写真が公開されている。

 


新々「日本武道 対 中国武術」(その5:早世武道家・武術家の革新的な書)

2024年03月04日 | 日本武道 VS 中国武術

志半ばで早世した武道家・

武術家の革新的な書

 

「剣士に告ぐ

 日本剣道の未来のために」

 大塚忠義 著(窓社)

     VS

「【中国武術】実戦内家拳ファイル

 あくなき試行の記録」

 佐藤貴生 著(BABジャパン)

 

 

 

大塚忠義師範は、1945年、千葉県生まれ。

1964年、千葉県安房高校卒。

高校時代は、選手としてインターハイ

2度出場。

1971年、東京教育大学体育学研究科修了。

大学時代より、中野八十二師範、湯野正憲

師範などの指導を受ける。

高知大学教育学部教授に就任。

高知大学教員時代、高知県選手権大会にて

優勝経験あり。

全日本選手権出場時には、優勝した千葉仁

師範と一回戦で当たり敗北。

2004年10月22日逝去(59歳)。

 

「剣士に告ぐ」は、著者が、未来の剣士

と心ある指導者たちに捧げるつもりで

執筆したと。

現代剣道は、「稽古」においては、

「人間形成」すなわち「修養」が息苦しい

ほどに求められ、

「試合」に対しては、天に向かって唾する

かのような酷評をする一方で、夢を与える

チャンピオンであるともてはやし、

錯綜する本音と建前を使い分けながら

あくまでも「強い剣道を求め、

「審査」においては、極めて権威主義的な

「正しい剣道を押し付け、

感動や達観の鋳型が「伝統」の名において

ご都合主義的に強要されるとして、

はたして、立派さか、強さか、正しさか、

どの剣道が本当の剣道なのかがわからなく

なり、

剣道を知らない人に剣道がめざすところ

を説明しようにも、

あるときは試合用の剣道、場所が変われ

ば、審査用の剣道を都合よく説明すること

になるが、最終的には異なる二つあるいは

三つの基準が雑居しているものを無理矢理

一つの剣道として説明することになるので、

それはもはや安直なマジックのごとき

詭弁に終始するほかないことになるとする。

著者は、剣道の独自な技術構造世界の

人々が理解・納得しうる明瞭な打突の

評価基準や方法を提示し、長年考え続け

その基準や方法にもとづく「新しい試合

規則」を立案提示する。

 

佐藤貴生老師は、1951年、山梨県生まれ。

笠尾恭二(号:楊柳)老師が率いる

中国内功武術楊柳会

豊増松太郎老師が率いる豊松会等を

経ながら、内家拳の修行に励む。

套路偏重主義に疑問を呈し、数々の

実験によって、その実戦性の追究、

証明に尽力する。

独創的なアイディアは、武術界に

大きな波紋を呼んだ。

2004年、教職を辞し、日本スポーツ

太極拳研究所(JAST)を設立。

2006年7月6日、逝去(54歳)。

 

「実戦内家拳ファイルに寄せられた

笠尾楊柳老師の「序にかえて」によれば、

著者の言葉は、時に過激に走るところ

があり、たとえば、著者は、

内家拳太極拳形意拳八卦掌

 いわゆる柔派拳法)は効かない。

 武術的には価値がない」

との発言をしたこともあるが、

これは単純な流派的批判ではなく、

新たなものを生み出すための、

著者自身を含めた自己否定的な

言葉で、

実は、著者は、内家拳を愛し、

信じたのであるが、

その一方で、あるいは、だからこそ

内家拳にそれだけの価値が真実あるのか

どうか、確信を持ちたかったのだろうと。

著者は、内家拳に価値があるとすれば、

それは、誰もが納得し得るもの、

客観的な検証に耐え得るものでなければ

ならないと考え、

既成の内家武術論を一旦排除し、

視野の広い極めて未来志向的な内家拳

を目指し、その研究と試行の結果が

本書に写真入りで綴られている。