生存助け合いのネットワーク(生存組合)

貧困は自己責任じゃない。貧乏人は悪くないぞ!
助け合いのための寄り合い、ここにあります。

瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態― ・後半部分 (JANJANの記事)

2007年12月18日 | 新聞報道
(この記事は、下記の記事の後半部分です)

瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態― 2007/12/18 (インターネット新聞JANJAN記事)
http://www.news.janjan.jp/living/0712/0712167324/1.php

「反貧困」を訴えるデモ隊 (0分31秒 )

これらのお話のあと、基調講演として、湯浅誠さんの話がありました。

「すべり台社会」 壊れてしまっているセーフティネットと見えない貧困

 私たちの社会には、3つのセーフティネットが存在するといわれています。

・雇用のセーフティネット
・社会保険のセーフティネット
・公的扶助のセーフティネット、です。

 ですが、実際には、雇用のセーフティネットは、非正規雇用の拡大によって、機能が麻痺しています。社会保険のセーフティネットも、保険料を納めないと機能しません。公的扶助の
セーフティネットは、生保の「水際作戦」などにみられるように、あまり機能していません。

 つまり、就職でつまづけば、すべての面でつまづいてゆくことになります。雇用、社会保険、公的扶助とあるはずのセーフティネットは、ほとんど機能しておらず、ずっと底までおっ
こちてゆきます。

 そんななか「第4のセーフティネット」があるという人もいます。それは「刑務所」です。刑務所に入った人たちの、かなりの数の人達が再犯で、また刑務所に戻ってゆきます。65
歳以上の人の約7割が出所後に罪を犯して再入所しています。

 この人たちは、そんなに「手クセ」の悪い人たちなのでしょうか? 違います。多くの人たちは、刑務所を出ても、生活できないからです。ほかに生活の手段がないので、また犯罪を
犯して刑務所に戻ってゆくのです。

 それでも、犯罪を犯すのはいけない。そのとおりです。ではどうしたら、そのような人たちの問題は解決するのか? 刑務所を出ても、普通に食べてゆける社会を作ることです。

 貧困の問題は隠されています。児童虐待、多重債務、犯罪の背後には、貧困の問題があります。壊れてしまっているセーフティネットの修繕屋に、私たちはならなくてはならないので
す。

 いまの私達の社会は「すべり台社会」です。少しつまづくと、底まで一直線で下ってしまう社会です。ほんとうは、底までいきつく間に、多くの歯止めがあるべきなのです。家族、会
社、公的制度……。誰もが、どこかで引っかかって、底まで落ちないで済むようになるのが、本当の社会なのです。

 でも、わたしたちの社会は、つるつるの社会になってしまった。生保の問題が死活問題なのは、この「つるつるの社会」に問題があります。他で受け止められることがないので、生保
が、ほぼ唯一の命綱になっている。

 でも、その生保も実際には、あまり機能していません。本当は、生活保護を受けても当然の状態の人たちが、とれだけ実際に生保を受けられているか、これを「捕捉率」といいます。
この捕捉率は、日本では、15-20%といわれています。

 福祉事務所による被害の推計をしてみましょう。生活保護の捕捉率は20%だとすると、現在の生活保護の受給者は150万人ですから、ほんらい、生保を受けても当然な状態の人
は、全体で750万人いるということになります。そのなかから生保をすでに受けている150万人を引くと600万人。600万人の人たちが、生活保護を受けられるけど受けていな
い状態にいる人たちです。

 この600万人のうち、仮に、1/10の人たちが福祉の窓口に、生保の相談にいったとします。それでも60万の人が福祉の窓口に来ることになります。この人達のうち、受け止め
てもらえる人は何人いるのでしょうか? 

 日弁連の調査では、申請拒否の66%に違法性があると言われています。66%は2/3です。そうすると、60万人中、40万人の人が、生保を受ける資格があるのに、福祉事務所
によって、違法に追い返されていることになります。

 ここで考えほしい。

 (北朝鮮による)拉致被害者の家族、何世帯居ますか? 交通事故で死亡する人は、何人いますか? 交通事故の死亡者数1万人で「交通戦争」とまで言われている世の中で、40万
人の人たちが、最後の生きるか死ぬかの状態で追い返されて、社会問題にならない。とても不思議な気がします。

 この数字は、少し前の数字を元に、とても控えめに計算しています。今はもっと増えているでしょう。こんなに深刻で大きな問題が、なぜ問題にならないのか? それは、貧困の問題
が隠されているからです。隠されているから、ほんとうは沢山そのような人たちがいるのに、見えなくされているのです。


水際作戦には「第三者の目」を

 生活保護の受給者を増やさない方法として、行政によって、主に2つの方法が行われていました。1つは、もうみなさんご存知でしょう、「水際作戦」というもので、申請をさせな
い、受け取らないものです。もう1つは、自分たちの仲間が「イオウジマ作戦」と呼んでいるのですが、あの手この手で、生活保護の辞退届けを出させるものです。水際で防ぎきれな
かったものは、懐に誘い込んで撃破するのです。

 北九州市はヒドイといわれています。事実とてもヒドイ。長く市の福祉予算を一定額に決め、それを超えないように抑えつけて管理してきた。その方法が全国に広がって、いまは全国
区で福祉予算の拡大が抑え込まれています。

 北九州では、3年連続で餓死者が出ました。全国では、11年間で867人の餓死者が出ています。これは「餓死者」と認められている人だけの数です。潜在的にはもっと多いだろう
し、北九州の事例は病死扱いで入っていません。カウントされていないだけ、北九州市のように事件化されていないだけで、この何倍もの数の餓死や病死があると僕は思っています。

 今日手元にお配りした資料の中に、こういうものがあります。この行政の出した通達には「○月○日までに就労を開始すること」と書いてあります。これは、間違っています。「就労
活動を開始すること」ならばともかく、就労できるかどうかは、相手のあることなので無理な話です。

 この通達が来た2ヵ月後、この方の生保が廃止されました。自分たちは問題化しようとしましたが、本人は、「2度とあの役所には行きたくない」と言って、他のところに行きまし
た。役所の人に、よほどひどい事をいわれたのでしょう。このように、痛めつけられて、声をあげられなくなっている人が、沢山いるのです。

 北九州では、事件にもなったし、いろいろな活動も成果をあげていて、市はいままでの方針は間違っていたと謝った。でも、違法性まではまだ認められたわけではない。方針について
間違っていた、でも違法ではなかった、ということではいけません。行政側が、方針について間違っていたことを認めたのは画期的なことですが、まだ油断してはいけない。

 大阪で、生保の申請をしにきた人に対して「そんなことをしてもムダ」と言い放った役人がいた。それをコッソリ録音させた悪い弁護士がいました(会場に笑いが起こる)。後でその
発言をめぐって大問題になりました。証拠があがっているので、謝らざるをえなくなったのです。

 「水際作戦」とは、つまり相談室の密室の中での問題です。密室なので、圧倒的に有利な行政側に、力ずくで追い返される。その密室に、第3者の目をいれてゆくことが大切です。第
3者の目があれば、役人も、密室で言いたい放題に無茶をしなくなります。ここで無茶なことを言ったら、弁護士やマスコミにバレて謝罪しなければいけなくなるかもしれない。そう考
えるようになれば、水際作戦もなくなってゆきます。

 このように、緊張感を面接室に持ち込むことが有効だと思います。面接室に第3者の目をいれるということは、面接室に人間の尊厳を持ち込むことなのです。


いま生保に起こっていること

 このように、生活保護の水際作戦の実態が暴かれていくと、行政は今度は生活保護水準の切り下げを始めました。

 ここで、みなさんに質問をします。最低賃金を知っている方は、どれだけいますか?(まばらに手があがる) 最低生活費を知っている方は? (チラホラとしか手があがる

 京都の労組で講演したときは、最低賃金は、4割ほどの方が知っていました。ですが、最低生活費については、知っている人は1人か2人でした。多くの場所がそうです。

 なぜ、みなさん最低賃金のことに興味があるのでしょうか? 大きな労組もしっかりと取り組んでいますね。でも実際には、多くの人が最低賃金で生活しているわけではないでしょ
う。それなのに、こんなに関心があるのはなぜか? それは、最低賃金が下がれば、給与全体が下がってゆくことを、みんな知っているからです。

 なぜ、最低生活費やそれとつながる生保の話には、みんな関心がないのか? これは、最低生活費や生保の話は、生保をとっている人だけの話だと思っている人が多い事が原因です。
ですが、賃金は労働による給料だけですが、最低生活費とは、賃金だけではなく、生活全般にかかわる包括的なものです。

 この最低生活費の水準が下げられるというのは、家の問題ではなくて、土台の問題です。家を少しよくしても、その土台が沈んでいってしまったら、なんにもなりません。私たちは
もっと最低生活費について知って、騒がないといけません。最低生活費についてよく知って、具体的にこの数字で生活できるかどうかの話をしないといけない。そうでないと、イメージ
の話しかできなくなります。それでは足元をすくわれてしまいます。

 この間、いろいろな活動が成果をあげて「生保の切り下げ見送り」も言われだしました。
・12月13日「毎日」 生活保護費下げ見送り
(http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2007/12/13/20071213ddm002010073000c.html)

 ですが、この新聞記事をよく読んでください。「級地の見直し」「地方間の格差の縮小」はやりたいと厚労省はいっている。厚労省は、まだ切り下げをあきらめたわけではありませ
ん。これはつまり「都市部の切り下げ」をしようという意味です。生保の受給者は、都市部にかなりの数が集中しています。都市部を下げて地方を上げれば、実質の効果は切り下げと同
じものになります。注意して動向をみてゆく必要があります。

 こうして新聞記事をみていると、1年前とは隔世の感を受けます。かつては、まったく注目されていなかった貧困や最低生活の問題に、多くの注目が集まっています。悲惨な状況から
は少し前進しているのがわかります。

 多重債務や、病気や、就職難、さまざまな理由で、どうしようもなくなって福祉事務所に行くと、「水際作戦」で人間の尊厳を傷つけられる被害を受ける。そして、そのことに対して
声を上げると、また自己責任だと袋叩きにされる。いままでは、そのことの繰り返しでした。そうして貧困は見えなくなっていった。

 もっと社会の関心を強めてゆけば、「話してよかった」と思ってくれる人が出てきてくれます。そうすれば、貧困に対する理解も深まってゆきます。そうして、いいサイクルが始まっ
てゆく。

 いまはまだ、そのサイクルは、始まっていません。せめぎ合いをしている最中です。貧困問題に対する世の中の偏見をなくして、貧困の問題を話せる社会に、訴えられる社会にしてゆ
くことが大切です。反貧困の活動には、おおくの人が集まってきてくれていますが、まだまだだと思います。来年は、この反貧困の活動を横や上に広げてゆくことが大切です。団体の枠
を超えて、政党の枠を超えて広がってほしい。上にも広げてほしい。生保を受けるとはケシカラン、ではなくて、働いて生活できる社会を作る必要があります。

 最低生活費の話も理解を広げてほしいです。
最低賃金を上げても、最低生活費を下げれば整合性が取れる、官僚は、そう考えているのではないかと、僕は思います。事実、そのような戦略に出てきていると思います。最低賃金につ
いて戦っても、最低生活費の部分についてはノーガードでは、勝てません。

 貧困をなくす運動は、2つの大きな意味があります。まず、この運動は、国の形を問うものです。そして、貧困の問題は、右から左まで一致して取り組むことのできる課題です。貧困
をなくす運動に、立場の違いなどありません。格差については議論が分かれる人たちでも、貧困があってよいという人はいません。格差ではなく貧困をなくす運動が大切です。

 反貧困ネットワークのシンボルマークの「ヒンキー」は、幽霊のマークです。ヒンキーは、みなさんが関心をもたずにいると、どんどん増えてしまいます。皆が関心をもってくれる
と、成仏してくれるのです。貧困は、実際にあるものだけれど、ないと言われています。幽霊とたいへん似ています。ヒンキーは、かわいいマークですが、成仏させなくてはいけませ
ん。貧困がなくなる日にむけて、がんばってゆきましょう。

◇◇

 湯浅さんの話が終わったところで、いったん休憩になりました。

 「水際作戦」を実際に味わった方は、話の途中から声が震えて、涙ながらに話をされていました。被差別体験の話をするときの人と、その声の調子はとてもよく似ていたと思います。
現在、自分でいろいろと努力をして、もうどうにもならなくなってから、すがるような思いで、生保の申請のために福祉の窓口に向かう方が、ほとんどなんじゃないか思います。

 そのようなときに、申請書類を渡さない、本当に野垂れ死んでしまうかもしれないと言うと、窓口の職員に、せせら笑うように対応をされる……。それは、どれほど屈辱的な経験で
しょうか。私たちの多くは「生保は取るものではない」という偏見をもっていますが、これは憲法に明確に保障された権利です。憲法にある当たり前な権利なのだから、生保を取っても
「嫁が来なくなる」ことなどないはずだと思ったから取った、という内河さんの話は、できるようでできないことです。心に留めておく必要があります

 実際に生保をとって生活された方の話も、心にしみるものがありました。この方が、そんなに特別な人だとは思いません。誰の身にも起こりうる話です。この方が、サラ金に手を出す
前に、生保を一時的にでも利用することができていれば、こんな苦労はせずにすんだのではないか……とも思います。こんなささやかな生活さえ保障されていないというのは「健康で文
化的な生活」を保障している憲法違反だと思います。

 また湯浅さんの話の「第3者の目を入れて、面接室に人間の尊厳を持ち込むこと」の大切さは、ほんとうにそのとおりだと思いました。面接室で行われていることは、密室での不当な
捜査となんら変わりありません。いまの状態では、生保の申請時には、人間性を破壊するような侮辱から身を守るために、録音できるものを携行していったほうがよさそうです。

(つづく)
(Esaman)


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