NO 貧困~名古屋行動集会(5)女性が見た移民、非正規雇用、在日の女性苦しめる貧困の背景
Esaman 2008/03/29
http://www.news.janjan.jp/area/0803/0803223309/1.php
前回記事:
NO 貧困~名古屋行動集会(4)「貧困は自己責任じゃない」と街頭で訴え
名古屋市で3月初め、「反貧困」を掲げる市民団体が「貧困と女性・移民」問題の講演集会を開いた。講師は3人の女性。フランスの郊外で6年間、フィールドワークを行って移民への差別の実態を調べた森千香子氏。非正規雇用の女性問題にも取り組み、東海地域の外国人、特に女性の問題を研究している菊地夏野氏。在日朝鮮人1世の老いた女性を支える施設の管理者、朴美順氏だ。3氏は、それぞれの体験、研究をバックに、様々な女性を苦しめる貧困の背景を語った。会場の参加者も、力の入った講演に熱心に聞き入り、活発な質疑応答を繰り広げた。
目次
1.階級社会フランスで見た移民労働者への差別
2.男性こそが「女性を考える」主役だ
3.在日1世のハルモニたちの生活を見つめて
4.真剣で活発な参加者の質問受け止めた講師たち
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名古屋市の中心部にある「伏見ライフプラザ」で3月1日、「貧困と女性・移民を考える講演集会」が開催されました。主催は、名古屋で貧困問題に対抗するアクションを起こしている反貧困名古屋ネットワークです。
会場に入ってしばらくすると、少し暗くして映像が流されました。白いベールをかぶった年配の女性、昔の苦労を話す人たち、落書きのある壁の前で遊ぶ子供たちなどが映し出されます。移民として移住したアフリカ系の人たちの映像のようでした。
「よい暮らしができると思っていたのに、とても安い賃金で働かされてきたことを後悔した。(女性は)言葉もわからず、家庭から出ることができなかった」などが話されました。いつもの反貧困活動や市民運動の集まりとは、少し趣の違った演出に驚きました。短い映像の上映のあと、まず初めに主催者の挨拶として、同ネットワークの長谷川市郎さんが、次のように挨拶されました。
「現在、貧困問題が拡大していますが、これは日本だけの現象ではなく、ほかの国や地域でも似たような問題が起こっています。また、貧困問題は社会のいろいろな人たちを襲っていますが、とくに女性や移民労働者の現実に、とても厳しいものとして出てきていると思います。私たちは、このような国際的な貧困を生み出しているシステムを解明して、立場の違う人たちも手を取り合って、反貧困の運動をつくっていくことができるようにこの集会を設定しました」。
この挨拶のあと、パネラーの方が、ご自身の活動分野や体験ついて、順に話をされました。以下に概略を紹介します。
階級社会フランスで見た移民労働者への差別~森千香子さん(南山大学講師)
貧困の問題は、一国(だけ)では考えられません。日本と同じ構造の問題が、フランスをはじめ、いろいろな土地で起こってきています。これは、経済の南北格差の問題ともいえる問題です。今日は、比較の対象としてフランスの問題をお話したいと思います。
●社会システムの中心になってきた「貧困」問題
私は6年間、フランスの郊外でフィールドワークをしました。3年前に暴動で起きたことで有名になった地域です。このフィールドワークを通して、貧困の問題や移民、民族的マイノリティの排除の問題が、特定の地域に隔離されてゆき、都市空間の中で新しい構造的問題が作られてゆく問題に関心をもっています。
何年か前に愛知県に住むようになってからは、外国人が多く住む公営団地などでフィールドワークもしています。まず大きな問題としては、冷戦体制が崩壊してから、貧困の問題も構造が変化している、と思います。日本では、フランスのような暴動は、突発的に起きた事件として扱われていたようですが、これは実は違います。
過去にも、若者と警察の衝突は、何度となく起きています。具体的な数字を挙げますと、90年代だけでも341回の暴動が発生しています。フランスだけではなくて、ほかの国でも程度の差こそあれ、同じような暴動は発生しています。
都市空間における警察と若者の衝突は、世界各国で見られる問題で、大きな問題構造の上流に貧困問題があり、その下流で暴動が発生していると考えてよいと思います。それは、もちろん労働市場の問題や、福祉国家から夜警国家への変化も大きな問題としてあると思いますが、より重要なものとして居住空間の問題もあると思います。
居住空間の問題とは、フランスの郊外、あるいはアメリカのハーレムのように、貧困の集中するゲットーのような地域が生産されることがありますが、それだけでなく、たとえば野宿生活をするという「居住の状態」が、安定した就労機会へのアクセスを難しくする、というようなことも含まれると思います。
また、今日の「貧困」の新しさは、いくら景気が上向いても貧困は解決しないだろうという点にあると考えています。いままでは、景気がよくなれば貧困の問題は減少したり解決すると思われてきました。
それが、ここ30年くらいで変わってきたと感じるのは、もはや貧困問題が「社会から取り残されることの問題」ではなく、貧困が社会システムの中心に位置して、システムをアクティブに機能させる役割を果たしている、ということです。いま私たちが生きている社会では、かつてのように貧困が社会の周辺の問題ではなくなってきています。むしろ、社会の最先端に「貧困」が存在している社会になってきている、と思います。
●都市の郊外に集中するマイノリティ
フランスの都市の郊外には貧困と移民が集中しています。そして失業率が大変高い。フランス全国では10%前後なのですが、郊外では20%から、高いところでは50%にもなります。
そして外国人、移民、民族的マイノリティが集中しています。移民とは、冒頭で上映していた映像にあった、出稼ぎでフランスに渡ってきた人たちで、旧植民地出身の人たち、つまり北アフリカから来た人たちです。日本でも高度経済成長期であった70年代前半までに、大量の出稼ぎ労働者がやって来て、貧困層を形成しました。
フランス郊外では、つい2週間前にも暴動がありました。郊外と言うと、暴動という側面に目がいってしまいがちで、貧困層は男性ばかりだと思ってしまいますが、実際には、女性と子供が大変多い地域です。住民の3割が20歳未満で、母子家庭の世帯も多く存在します。
このように、郊外には女性は多いのですが、一方で、政治やメディアのなかでは、郊外に住む人たちの中の、女性については語られてきませんでした。移民の第1世代には、確かに単身の男性が多かったので、そのイメージが強い。ところが、実際には第1世代が定住したあとに、家族を連れて来たりして女性も多数住んでいるのですが、男性が外で働き、女性が家庭内で働いていて、姿が見えなかったのです。
そうやって、女性は外に出ないので、言葉が分からない。言葉が分からないので家に閉じこもってしまう。このような証言が、冒頭で流して映像でも出ていましたが、その証言をした人に限定されるような個人的問題ではなくて、郊外にある移民の家庭では、かなり一般的に発生している問題です。
●労働運動、女性運動からも取り残されてきた移民女性
フランスは全人口の10%が移民です。フランス国籍を取得している人も多いので、実際の数は、もっと多いと思います。移民の人たちはみな底辺の労働者だったので、70年代までは移民の問題は労働運動のカテゴリーで取り組まれていました。
ですが、移民の女性は家庭内労働をしていたのですが、当時の労働運動の規定する「労働者」ではない人が多く、労働運動でその課題が扱われることはありませんでした。また、フランスはフェミニズム運動が強い国であるにも係わらず、移民女性の問題は長い間、無視されてきました。
それは、移民女性の生活が、フランスのほかの女性たちの生活条件とかけ離れていたために、議論の対象にもならなかったことが原因です。同時に、移民女性の少なくない部分が、フランス語ができずに社会参加の機会が奪われていたという問題も、大きく影響しています。
男性は外で働いているうちにある程度フランス語ができるようになるわけですが、女性にはそのような機会はまれです。のような原因で、社会から「見えない」存在になっていたとしても、移民女性が問題を抱えていなかった訳ではありません。
●移民に立ちはだかる就職差別の実態
資料に用意した表は、フランスの企業における履歴書差別の実態です。これは、フランス名、アラブ系名、などのいろいろなカテゴリーごとに、企業への就職活動のために履歴書を送って、実際に面接に呼ばれる確率を表にしたものです。
白人男性、フランス名、パリ在住の人の場合、面接に呼ばれる確立は258人中75人です。
白人男性、フランス名、パリ近郊在住の人、258人中69人、
白人男性、フランス名、「ゲットー化した」郊外在住の人では、258人中45人と なります。
この差だけでも大きな違いですが、これが
アラブ系男性、アラブ系の名、パリ在住の人になると、258人中14人まで下がり ます。
75/258 白人男性、フランス名、パリ在住
69/258 白人男性、フランス名、パリ近郊在住
45/258 白人男性、フランス名、「ゲットー化した」郊外在住、
33/258 白人男性、フランス名、パリ在住、乱れた身なりの写真
20/258 白人男性、フランス名、パリ在住、50代
14/258 アラブ系男性、アラブ系の名、パリ在住
5/258 白人男性、フランス名、パリ近郊在住、障害者
この調査では、年齢による差別や障害による差別も調べられている一方で、移民女性については、まったく調べられていません。差別を議論する場でも、移民女性は忘れられた存在となっています。
●フランスの移民女性を苦しめる差別
いままで見た来たとおり、フランス社会は移民社会に差別的で排他的です。そして、移民コミュニティ内部でも、女性に対する差別があります。外からの差別に対抗するために、コミュニティ内部での結束を強化するために、民族的伝統的規範が強まる傾向にあります。
そのような構造の中で、移民女性は2重に差別されてゆきます。この点については、日本における在日朝鮮人コミュニティでも、家父長制的な価値観が強化される、などの事例で、似た構造はみられたのではないかと思います。
また、パリ郊外では、家庭が崩壊してしまっているケースが多いのも、特徴です。失業、生活苦で夫が家庭を維持できなくなり、男が家族を捨てて出てゆく。パリ郊外の公営住宅では3分の1以上が母子世帯。片親世帯の95%が母子家庭です。母子世帯には25歳以下の若い母親の世帯が多い。
フランスでは1ヵ月あたり617ユーロ(10万円以下)が最低生活ラインなのですが、この貧困ライン以下の生活をしている家庭がとても多くなっています。このような困難が多いなか、政府は対策を講じるかというと、そうではなくて、ネオリベのタカ派、サルコジ大統領の就任以来「自己責任」が強調され、よりひどい差別を強いられています。
家庭の事情や差別などもあり、このような貧困家庭の子供には、学校をドロップアウトする子供もすくなくありません。このような子供をもつ家庭を支援するのではなく、子供を管理できない母親が悪いので、子供が不登校の場合には母子手当を減額するという法律の「改悪」なども行われています。
●問題スリ替える「良い移民」と「悪い移民」の宣伝
フランスの移民女性は、貧困問題のシワ寄せだけでなく、教育などの行政の機能不全のツケを支払わされている存在だと思います。政府は責任の所在を個人化することで、問題と責任の所在を隠しています。このような社会情勢で一方、新しい女性運動が移民女性の間で広まり、注目を集めています。その中でも代表的な運動が、「売女でもなく服従する女でもなく」という名前の運動です。
この運動は、2003年2月にパリ郊外の貧困地区で生まれました。郊外で移民女性への暴力や差別が深刻化していることに対して、地元の移民女性たちが声を上げ、その後、5週間にわたってフランス各地で郊外の移民女性の平等を求めてデモ行進をおこない、一気に注目を集めました。
しかしこの運動は、暴力をふるう地元の男性だけを批判するものではありませんでした。この運動は同時に、このような郊外の状況の背景として、深刻な貧困や社会における移民全般に対する根強い差別意識を原因と位置づけ、フランス社会全体が変わらなければ、コミュニティ内部の性差別も解決しないと主張する、広い射程をもっていたのです。
ところが、フランス社会、特に政府の反応がどうだったかというと、このようなフランス社会への根本的な批判には耳を傾けず、「フランスに同化したい移民女性が、イスラームの伝統的価値観にしがみつく移民男性のせいで、苦しんでいる」、と運動の問題意識を矮小化して、運動を手なずけようとしたのでした。草の根から出てきた運動を、政府が自分達の都合よく利用するという手法は、フランス政府がよくやる「手」といえると思います。
それは、移民女性に注目が集まるようになって言われるようになった、「貧しい移民にも、よい移民と悪い移民がいる」という言説にも現れています。
フランス社会、フランス的な世俗的な価値観に同化しようとしている人は「良い移民」として登用し、フランス的な価値観に染まらない人たちを「悪い移民」として排除してゆきます。この「売女でもなく服従する女でもなく」がメディアで注目されるようになった時にも、「フランスの価値観に同化しようとしている女性は『良い移民』、そうしようとせず、イスラームの伝統を女性に押し付けようとする男性は『悪い移民』」という図式が作られました。
このような表現がなぜ問題かというと、郊外にはひどい貧困があり、未解決の問題が山積みで、それらが性差別の背景に影響を及ぼしているのですが、先に述べた「いい移民vs悪い移民」の図式は、こうした郊外の問題の背景にある政府の政策の責任を棚に上げ、すべてを移民の持ち込んだ文化、つまりイスラームが問題であるという風に、問題がスリ替えられてしまうからです。
これは、社会経済的な問題を文化の問題にスリ替える詭弁ですが、原因を異なる文化に問題にスリ替える言説は、日本でもみられる問題ですから他人事ではありません。このような議論は、貧困という共通の課題をもって運動をしている人たちの間に、分断する力を働かせてしまいます。
フランスの内閣には移民出身の大臣が3人入っていますが、全て女性です。ここにもある意図がみられます。自分たちは差別をしていない、というアリバイとして採用している可能性が高いのです。
貧困の問題を文化問題とハキ違えたり、男女の問題にしてしまったりして、貧困の間問題をスリ替えてゆくような議論は、貧困問題に関わる人たちの連帯を阻む、大きな問題です。このようなスリ替えといかに対峙し、どう運動を作ってゆくかが、私達の課題であると思います。