生存助け合いのネットワーク(生存組合)

貧困は自己責任じゃない。貧乏人は悪くないぞ!
助け合いのための寄り合い、ここにあります。

生存のための注目情報

第42回名古屋越冬
日時:12/28-1/4
会場:外堀テニスコート西(中区三の丸2-7 大津橋小公園)
今年は名駅近くのオケラ公園ではなく外堀です。
名古屋城の南端の外堀沿い。東西に走る高速道路のある通り。
地下鉄では市役所と丸の内の中間あたりです。

090-1729-3160(越冬期間中のみ)


●カンパなど募集
毛布
男性物衣類
使いきりカイロ
食料品
*布団と残材はうけつけていません。
受付期間2016/12/28-2017/1/2 9-17
中区三の丸2-7 大津橋小公園 名古屋越冬実行委員会宛て
郵便振替口座00840-9-11541 名古屋越冬実行委員会

●スケジュール
12/28(水) 9時~拠点設営 17時半~越冬突入集会
1/1(日) 昼前後 もちつき大会、カラオケ大会
1/2(月) 公園11時 現地13時~ 船見寮(無料宿泊所) 面会・交流
1/4(水)朝 拠点撤収
1/16(月)18時~ 越冬総括集会(若宮高架下ゲートボール場)

瀕死の「生活保護制度」を救え!(2)各地からの報告(JANJAN記事)

2007年12月24日 | 新聞報道
瀕死の「生活保護制度」を救え!(2)各地からの報告
Esaman2007/12/24

http://www.news.janjan.jp/area/0712/0712170416/1.php

東京の取り組みと、名古屋での取り組みは、設立の経緯は若干違うのですが、目指している方向性は似通っている部分があるのだと思います。いろいろな立場の人達に声をかけて、当事者も取り組んで楽しめる運動を展開してゆくことも大切なのだと再確認した思いです。

前回記事
瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態―

◇ ◇ ◇

 休憩中に、この日の催し物に向けて発売された本が2冊あるとのことでしたので、それを見に行きました。「市民の力で貧困を絶つ」「生活保護、ヤミの北九州方式を糾す」の2冊です。

 「ヤミの北九州」の著者の方からメッセージをいただいたので掲載します。



この集会にあわせて発行された「生活保護、ヤミの北九州方式を糾す」。北九州市で行われている非道な福祉の実態について迫る力作。
■「ヤミの北九州」の著者、藤藪貴治さん
 悪名高い北九州の福祉ですが、生保の申請を受け付けさせないためのフローチャートをつくったのもここでした。このフローチャートは、1967年、厚生省の天下り役人が北九州に来て、40年かけて作りあげたものです。そして、この北九州方式は、全国に広がっていきました。現在の、窓口にいっても生保を申請させない、通っても辞退させる、申請にきた人を貶める方式は、北九州でつくられたものでした。また、マスコミで取り上げられた餓死をした人の話は、たまたま取り上げられたから有名になっただけで、北九州では日常的に起こっていることでした。

 たとえば、北九州では、ひとつの福祉事務所で、わかっているだけで、申請拒否によって年間5人の餓死者・自殺者が出ています。単純に計算すると、そのような餓死者・自殺者は、年間30人出ていることになります。餓死した場合は、わかりやすいこともあってクローズアップされますが、自殺の場合は取り上げられにくいのです。自殺した人達も調査してゆけば、申請拒否や強制辞退による死者は、もっと沢山いると思います。この本を出すことで、北九州の実態を知ってほしいです。またそのような問題が、巧妙に見えなくされているだけで、北九州だけの話ではないことを多くの人に知ってほしいです。

■愛知生活と健康を守る会連合の小山健一さん
 現在、生保だけでなく、いろいろな福祉の予算が削られようとしています。はじめに削る話があって、そこからどこから削るか、という話になります。生保の世帯には高齢者が多いので、そこから削るという話になります。削ることをきめてから、削る理由がでてくる。高齢者の次に多いのは母子加算と障害者加算です。愛知の場合は、8630世帯中、4068世帯が高齢者の世帯で、半数近いです。私は長く団地で民生委員をやっていました。いまはもう辞めていますが、いまでも、いろいろと相談をされることがあります。

 たとえば、団地に80歳のおばあさんが住んでいます。共用区画の掃除などがあるわけですが、それに出ないと、いまは罰金として1000円3000円とられるわけです。高齢加算がなくなったので、1000円を出すのが大変だからと組長にいうと、ならばゴミをすてるんじゃないよと言われた、と相談されるわけです。組長も他の人への説明がつかないので言っていることで、意地悪ではない。おばあさんも本当にことを言っているだけで怠けているわけではない。

 そこに何が残るか? お互いの不信感が残っていきます。あるご老人は、高齢加算がなくなると、友人のお葬式に香典が出せない。安いものではないからです。香典をもってゆけないので葬式に顔を出さずにいたら、あとから他の友人に「なんだ生きとったのか、死んだと思った」といわれるわけです。そうして、友達づきあいができなくなってゆく。ご老人にとって友人とのつきあいはとても大切なものです。そういう大切なものにヒビが入ってゆく。高齢加算がなくなると、10万のものが万になります。みんな、毎日のコーヒーをやめたり、おさしみをやめる、などした節約して対応している。

 ご老人の多くには医療費が高いです。医療費が高いなら生保をとるかと薦めても、取らない人が多い。「生保をとる」ということへの、強い偏見があります。役所も相当に悪いです。たとえば、福祉の現場を管理する上司には、出向でやってきた福祉の担当ではない人が沢山いる。そういう人は現場がわかっていないし、現場のいうことも聞かない。上からの支持をそのまま実行する。そして水際作戦のようなことが起こる。愛知ではこういう問題もあります。

 障害年金の2級と、厚生年金で3級の両方をもっている人がいます。この場合、厚生年金のほうが優先されて、金額が減ります。ですが愛知県では、そういう人でも障害者加算が適用されていた。一部ではいまでもそうです。これは役所の側の法律の読み違えかなにかで、受給者側の問題ではありません。これにたいして、たとえば50万円の過払いを返せと突然言い出す。そんなの払えませんし、これは役所側のミスなんです。払えないとなると、ご丁寧にも月1万ずつ払って何年で返せという書類を作ってきたりする。こんな仕事をするのは間違っています。



「市民の力で貧困を絶つ」この本も集会にあわせて発行されたもの。
■笹島診療所の藤井さん
 32年前、オイルショックの後、笹島・名古屋駅周辺で、日雇いの人達十数人が餓死・凍死をしていると報道されました。背景は失業です。私達は、「日雇労働者を見殺しにするな!」というスローガンを掲げて、炊き出しを行いました。そして野宿を強いられる日雇労働者の実情を知り、それに応じて色々な活動をはじめました。そして1985年に笹島診療所を設立しました。行政による調査を見ても、野宿を強いられている人達の最長職、野宿にはいる直前職を調べると、非常に不安定な雇用形態が増えていることがわかります。非正規雇用が4割を超えている。

 野宿の最大の原因は、失業・失職です。就労の場所や社会からの排除、使い捨て、そして産業構造の変化で社会全体に非正規が増えていることなどがあります。最後のセーフティネットである生保は、働く能力のある人でも、努力しても職が見つからない場合は受けることができます。若い人でも仕事がみつからない場合は受けることができます。これは憲法にも保障されている、当たり前のことなのですが、それを裁判で明らかにしたのが私がかかわった林訴訟でした。体調が悪くて入院して生保を開始、退院後スグに廃止になる例が多いですが、これも間違っています。退院しても安定した生活がおくれて将来の見通しが出てくるまで、保護を継続する必要があります。ホームレスの場合、行政はなぜか施設にいれたがります。これもおかしい。大阪などでも取り組みがありましたが、原則は居宅保護なのに、なにかと理由をつけて施設にいれたがるのはおかしいです。

 私達が他にも頭を悩ましているのは、生保をうけられる状態の人が、それ以外の方法で誤魔化されてしまうことが多いことです。緊急宿泊施設や一時保護所にいれることもそのひとつ。ひとつの部屋に2-3人で泊まるところもありますし、現金は一切でないところもあります。一時保護所は不服審査請求をしてやっと1日に230円出るようになったのです。病院を退院して、収入がないなら生活保護を継続することは法律で決まっています。ですが、こうした所にいれられることもあり(その際生保を辞退させられる)、これが最低限度の生活を持たしているか疑問です。福祉事務所の都合で、こうした法外援護にしたり、生活保護にしたりする運用をされると、生活保護制度が何であるかがわからなくなってしまいます。

 同じ状態の人が、役所の都合で生保になったり、ならなかったりする。これでは生活保護とはなんなのかが、まったく理解されなくて当たり前です。ホームレスの人をあつめてアパートなどに住ませて、生保を申請して、お金を取る貧困ビジネスも問題です。お金の大半をとられてしまいます。このようなことを起こさせないために、行政がしっかりと指導して、アパートにいれる必要があります。私は本来、生活保護という制度は「あったかい」ものだと思っています。生活保護が制定されたときの厚生省保護課長の小山さんの解説書を読んでそう思います。そういった生活保護の本来の精神を、運用の面でもっと反映してほしいと思います。運動をしていくなかで、名古屋もすこしずつマシになってきています。運動をしていくなかで不服審査請求は有効です。多くの法律家に福祉事務所にいって現場の現実を理解してほしいと思います。また不服審査請求をもっと活用してください。生保に関しては、誤った解釈がまかりとおっています。このような現状を、みなでかえていきましょう。

■滋賀県野州市消費生活相談員の生水裕美さん
 私は役所で契約社員として働いています。契約社員ですので、出世のはなしもありませんがしがらみもありませんので、いろいろな所と連携して活動ができます。生活保護の申請や、債務の整理をしていくには、根気強さと時には強引さも必要だと思います。相談者の債務の情報をキャッチしたら、いろいろな部署で連携して対処をする必要があります。大丈夫そうにみえても、相談者が自殺してしまうこともあるので、時には強引に対応することが必要です。自分の親も生保をとることには偏見をもっていました。この偏見をなくしてゆくのは、行政の責任だと思っています。

■中村社会福祉事務所の小池直人さん
 「水際作戦」というと、誰かかどこかで指揮をしているという気がするので、実態は少し違うかもれません。でも現実にはやっていることです。たとえば家賃。いまの生保の家賃は3万5800円までなのですが、それよりも少しでも高いと、住む家をかわってから来いと言う。そんなの無理ですよね。ですが、役所も予算も人員もないなかでやらされているので「自粛」せざるをえなくなっているところがあります。作戦というよりは、それぞれの現場で生活保護制度を歪曲しているのだと思います。これは「作戦」よりも悪質です。作戦なら誰か司令官がいるので、その人を通さなければならなくなりますが、それぞれ個別に現場でやっていることだとすると、なかなかなくなりません。中村区役所も、むかしは生保の申請書を出すこともできなかった、いまでは申請を出してもらえるようになりました。

 生保の相談でくる方の半数くらいは多重債務者です。私が相談されたケースでもそうでしたので、サラ金から借りる前に何故こなかったのですかと聞いて、まえに中村に来たが断られたと聞いて絶句したことがあります。無料法律相談を紹介しても、30分では説明できずにうまくいかない人もいます。ある日訪問してみると、いなくなってしまっていて、ポストには請求書や督促状が沢山ある、ということになることもあります。生保の実際としては、多重債務の相談も同時にしてゆく必要があるので、中村では昨年11月から司法書士と連携して対応しています。福祉事務所がすべて悪いわけではありません。しかし、いまでも「水際作戦」をやっているところはあります。自治体によって法律が違うと言う人もいますが、そんなことはありません。生活保護に関する法律はひとつしかありません。すべて同じものです。「水際作戦」のようなことをしている所も、していないところも、根拠となる法律の条文はすべて同じものなのです。

 生活保護法律家ネットワークの人達が壇上に並んで、それぞれの地域での取り組みや今度の計画など話してくれました。いくつかを簡単に報告します。

「住所がないので申請できずに追い返された人の相談に乗り、申請を認めさせました」
「あの北九州で申請から13日で認められました」
「胸を張って生活保護で助かったといえる社会を目指したい」
「東海生活保護利用ネットワークを作ろうと思っています。来年1月をめどに開始したいと思っていますが、準備段階ですでに相談が入ってきています」



壇上で挨拶をする生活保護法律家ネットワークの人達。全国規模でいろいろな活動を展開している。
■集会の最後に、反貧困ネットワーク代表の弁護士、宇都宮健児さんが話をしました。
 私達の反貧困ネットワークは、3月にこの問題に取り組んでいる個人が集まって集会をして、7月に貧困に取り組まない政治家はいらないという集会を開いたことが結成の10月に正式に発足して、11月に院内集会を開きました。いろいろな人達の合流によって、運動は拡大しています。来年の3月には、大きな企画として「反貧困まつり」のようなものを、地域の中学を借りて開催したいと計画しています。みなさんの参加をよろしくお願いします。

 貧困の問題は、みえにくくなっています。格差社会については、その良し悪しには議論があるわけですが、貧困問題にたいしては誰も文句がいえない。まず貧困の実態を告発して実体化することが大切です。そのためには、当事者の話をもっと聞くことが大切です。私達の反貧困ネットワークは、個人参加で運営されています。一緒に活動することの少ない、連合や全労連のひとたちも一緒に活動してくれています。貧困に反対することに違いはありません。また、会議でいろいろと話し合いをしていくなかで、互いの理解が深まってゆくという効果もあります。反貧困の運動を、みなさん一緒に盛り上げてゆきましょう。

 東京の反貧困ネットワークの人達の話を聞いて、反貧困の運動を、多くの人が参加できるようなものにしていこうという姿勢は、広がりのもてそうな、なかなか面白いものだと思いました。名古屋での反貧困ネットワークの活動も、野宿の仲間達や関係者に「お祭りのようで楽しいのがよい」という声がありました。東京の取り組みと、名古屋での取り組みは、設立の経緯は若干違うのですが、目指している方向性は似通っている部分があるのだと思います。いろいろな立場の人達に声をかけて、当事者も取り組んで楽しめる運動を展開してゆくことも大切なのだと再確認した思いです。

瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態― ・後半部分 (JANJANの記事)

2007年12月18日 | 新聞報道
(この記事は、下記の記事の後半部分です)

瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態― 2007/12/18 (インターネット新聞JANJAN記事)
http://www.news.janjan.jp/living/0712/0712167324/1.php

「反貧困」を訴えるデモ隊 (0分31秒 )

これらのお話のあと、基調講演として、湯浅誠さんの話がありました。

「すべり台社会」 壊れてしまっているセーフティネットと見えない貧困

 私たちの社会には、3つのセーフティネットが存在するといわれています。

・雇用のセーフティネット
・社会保険のセーフティネット
・公的扶助のセーフティネット、です。

 ですが、実際には、雇用のセーフティネットは、非正規雇用の拡大によって、機能が麻痺しています。社会保険のセーフティネットも、保険料を納めないと機能しません。公的扶助の
セーフティネットは、生保の「水際作戦」などにみられるように、あまり機能していません。

 つまり、就職でつまづけば、すべての面でつまづいてゆくことになります。雇用、社会保険、公的扶助とあるはずのセーフティネットは、ほとんど機能しておらず、ずっと底までおっ
こちてゆきます。

 そんななか「第4のセーフティネット」があるという人もいます。それは「刑務所」です。刑務所に入った人たちの、かなりの数の人達が再犯で、また刑務所に戻ってゆきます。65
歳以上の人の約7割が出所後に罪を犯して再入所しています。

 この人たちは、そんなに「手クセ」の悪い人たちなのでしょうか? 違います。多くの人たちは、刑務所を出ても、生活できないからです。ほかに生活の手段がないので、また犯罪を
犯して刑務所に戻ってゆくのです。

 それでも、犯罪を犯すのはいけない。そのとおりです。ではどうしたら、そのような人たちの問題は解決するのか? 刑務所を出ても、普通に食べてゆける社会を作ることです。

 貧困の問題は隠されています。児童虐待、多重債務、犯罪の背後には、貧困の問題があります。壊れてしまっているセーフティネットの修繕屋に、私たちはならなくてはならないので
す。

 いまの私達の社会は「すべり台社会」です。少しつまづくと、底まで一直線で下ってしまう社会です。ほんとうは、底までいきつく間に、多くの歯止めがあるべきなのです。家族、会
社、公的制度……。誰もが、どこかで引っかかって、底まで落ちないで済むようになるのが、本当の社会なのです。

 でも、わたしたちの社会は、つるつるの社会になってしまった。生保の問題が死活問題なのは、この「つるつるの社会」に問題があります。他で受け止められることがないので、生保
が、ほぼ唯一の命綱になっている。

 でも、その生保も実際には、あまり機能していません。本当は、生活保護を受けても当然の状態の人たちが、とれだけ実際に生保を受けられているか、これを「捕捉率」といいます。
この捕捉率は、日本では、15-20%といわれています。

 福祉事務所による被害の推計をしてみましょう。生活保護の捕捉率は20%だとすると、現在の生活保護の受給者は150万人ですから、ほんらい、生保を受けても当然な状態の人
は、全体で750万人いるということになります。そのなかから生保をすでに受けている150万人を引くと600万人。600万人の人たちが、生活保護を受けられるけど受けていな
い状態にいる人たちです。

 この600万人のうち、仮に、1/10の人たちが福祉の窓口に、生保の相談にいったとします。それでも60万の人が福祉の窓口に来ることになります。この人達のうち、受け止め
てもらえる人は何人いるのでしょうか? 

 日弁連の調査では、申請拒否の66%に違法性があると言われています。66%は2/3です。そうすると、60万人中、40万人の人が、生保を受ける資格があるのに、福祉事務所
によって、違法に追い返されていることになります。

 ここで考えほしい。

 (北朝鮮による)拉致被害者の家族、何世帯居ますか? 交通事故で死亡する人は、何人いますか? 交通事故の死亡者数1万人で「交通戦争」とまで言われている世の中で、40万
人の人たちが、最後の生きるか死ぬかの状態で追い返されて、社会問題にならない。とても不思議な気がします。

 この数字は、少し前の数字を元に、とても控えめに計算しています。今はもっと増えているでしょう。こんなに深刻で大きな問題が、なぜ問題にならないのか? それは、貧困の問題
が隠されているからです。隠されているから、ほんとうは沢山そのような人たちがいるのに、見えなくされているのです。


水際作戦には「第三者の目」を

 生活保護の受給者を増やさない方法として、行政によって、主に2つの方法が行われていました。1つは、もうみなさんご存知でしょう、「水際作戦」というもので、申請をさせな
い、受け取らないものです。もう1つは、自分たちの仲間が「イオウジマ作戦」と呼んでいるのですが、あの手この手で、生活保護の辞退届けを出させるものです。水際で防ぎきれな
かったものは、懐に誘い込んで撃破するのです。

 北九州市はヒドイといわれています。事実とてもヒドイ。長く市の福祉予算を一定額に決め、それを超えないように抑えつけて管理してきた。その方法が全国に広がって、いまは全国
区で福祉予算の拡大が抑え込まれています。

 北九州では、3年連続で餓死者が出ました。全国では、11年間で867人の餓死者が出ています。これは「餓死者」と認められている人だけの数です。潜在的にはもっと多いだろう
し、北九州の事例は病死扱いで入っていません。カウントされていないだけ、北九州市のように事件化されていないだけで、この何倍もの数の餓死や病死があると僕は思っています。

 今日手元にお配りした資料の中に、こういうものがあります。この行政の出した通達には「○月○日までに就労を開始すること」と書いてあります。これは、間違っています。「就労
活動を開始すること」ならばともかく、就労できるかどうかは、相手のあることなので無理な話です。

 この通達が来た2ヵ月後、この方の生保が廃止されました。自分たちは問題化しようとしましたが、本人は、「2度とあの役所には行きたくない」と言って、他のところに行きまし
た。役所の人に、よほどひどい事をいわれたのでしょう。このように、痛めつけられて、声をあげられなくなっている人が、沢山いるのです。

 北九州では、事件にもなったし、いろいろな活動も成果をあげていて、市はいままでの方針は間違っていたと謝った。でも、違法性まではまだ認められたわけではない。方針について
間違っていた、でも違法ではなかった、ということではいけません。行政側が、方針について間違っていたことを認めたのは画期的なことですが、まだ油断してはいけない。

 大阪で、生保の申請をしにきた人に対して「そんなことをしてもムダ」と言い放った役人がいた。それをコッソリ録音させた悪い弁護士がいました(会場に笑いが起こる)。後でその
発言をめぐって大問題になりました。証拠があがっているので、謝らざるをえなくなったのです。

 「水際作戦」とは、つまり相談室の密室の中での問題です。密室なので、圧倒的に有利な行政側に、力ずくで追い返される。その密室に、第3者の目をいれてゆくことが大切です。第
3者の目があれば、役人も、密室で言いたい放題に無茶をしなくなります。ここで無茶なことを言ったら、弁護士やマスコミにバレて謝罪しなければいけなくなるかもしれない。そう考
えるようになれば、水際作戦もなくなってゆきます。

 このように、緊張感を面接室に持ち込むことが有効だと思います。面接室に第3者の目をいれるということは、面接室に人間の尊厳を持ち込むことなのです。


いま生保に起こっていること

 このように、生活保護の水際作戦の実態が暴かれていくと、行政は今度は生活保護水準の切り下げを始めました。

 ここで、みなさんに質問をします。最低賃金を知っている方は、どれだけいますか?(まばらに手があがる) 最低生活費を知っている方は? (チラホラとしか手があがる

 京都の労組で講演したときは、最低賃金は、4割ほどの方が知っていました。ですが、最低生活費については、知っている人は1人か2人でした。多くの場所がそうです。

 なぜ、みなさん最低賃金のことに興味があるのでしょうか? 大きな労組もしっかりと取り組んでいますね。でも実際には、多くの人が最低賃金で生活しているわけではないでしょ
う。それなのに、こんなに関心があるのはなぜか? それは、最低賃金が下がれば、給与全体が下がってゆくことを、みんな知っているからです。

 なぜ、最低生活費やそれとつながる生保の話には、みんな関心がないのか? これは、最低生活費や生保の話は、生保をとっている人だけの話だと思っている人が多い事が原因です。
ですが、賃金は労働による給料だけですが、最低生活費とは、賃金だけではなく、生活全般にかかわる包括的なものです。

 この最低生活費の水準が下げられるというのは、家の問題ではなくて、土台の問題です。家を少しよくしても、その土台が沈んでいってしまったら、なんにもなりません。私たちは
もっと最低生活費について知って、騒がないといけません。最低生活費についてよく知って、具体的にこの数字で生活できるかどうかの話をしないといけない。そうでないと、イメージ
の話しかできなくなります。それでは足元をすくわれてしまいます。

 この間、いろいろな活動が成果をあげて「生保の切り下げ見送り」も言われだしました。
・12月13日「毎日」 生活保護費下げ見送り
(http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2007/12/13/20071213ddm002010073000c.html)

 ですが、この新聞記事をよく読んでください。「級地の見直し」「地方間の格差の縮小」はやりたいと厚労省はいっている。厚労省は、まだ切り下げをあきらめたわけではありませ
ん。これはつまり「都市部の切り下げ」をしようという意味です。生保の受給者は、都市部にかなりの数が集中しています。都市部を下げて地方を上げれば、実質の効果は切り下げと同
じものになります。注意して動向をみてゆく必要があります。

 こうして新聞記事をみていると、1年前とは隔世の感を受けます。かつては、まったく注目されていなかった貧困や最低生活の問題に、多くの注目が集まっています。悲惨な状況から
は少し前進しているのがわかります。

 多重債務や、病気や、就職難、さまざまな理由で、どうしようもなくなって福祉事務所に行くと、「水際作戦」で人間の尊厳を傷つけられる被害を受ける。そして、そのことに対して
声を上げると、また自己責任だと袋叩きにされる。いままでは、そのことの繰り返しでした。そうして貧困は見えなくなっていった。

 もっと社会の関心を強めてゆけば、「話してよかった」と思ってくれる人が出てきてくれます。そうすれば、貧困に対する理解も深まってゆきます。そうして、いいサイクルが始まっ
てゆく。

 いまはまだ、そのサイクルは、始まっていません。せめぎ合いをしている最中です。貧困問題に対する世の中の偏見をなくして、貧困の問題を話せる社会に、訴えられる社会にしてゆ
くことが大切です。反貧困の活動には、おおくの人が集まってきてくれていますが、まだまだだと思います。来年は、この反貧困の活動を横や上に広げてゆくことが大切です。団体の枠
を超えて、政党の枠を超えて広がってほしい。上にも広げてほしい。生保を受けるとはケシカラン、ではなくて、働いて生活できる社会を作る必要があります。

 最低生活費の話も理解を広げてほしいです。
最低賃金を上げても、最低生活費を下げれば整合性が取れる、官僚は、そう考えているのではないかと、僕は思います。事実、そのような戦略に出てきていると思います。最低賃金につ
いて戦っても、最低生活費の部分についてはノーガードでは、勝てません。

 貧困をなくす運動は、2つの大きな意味があります。まず、この運動は、国の形を問うものです。そして、貧困の問題は、右から左まで一致して取り組むことのできる課題です。貧困
をなくす運動に、立場の違いなどありません。格差については議論が分かれる人たちでも、貧困があってよいという人はいません。格差ではなく貧困をなくす運動が大切です。

 反貧困ネットワークのシンボルマークの「ヒンキー」は、幽霊のマークです。ヒンキーは、みなさんが関心をもたずにいると、どんどん増えてしまいます。皆が関心をもってくれる
と、成仏してくれるのです。貧困は、実際にあるものだけれど、ないと言われています。幽霊とたいへん似ています。ヒンキーは、かわいいマークですが、成仏させなくてはいけませ
ん。貧困がなくなる日にむけて、がんばってゆきましょう。

◇◇

 湯浅さんの話が終わったところで、いったん休憩になりました。

 「水際作戦」を実際に味わった方は、話の途中から声が震えて、涙ながらに話をされていました。被差別体験の話をするときの人と、その声の調子はとてもよく似ていたと思います。
現在、自分でいろいろと努力をして、もうどうにもならなくなってから、すがるような思いで、生保の申請のために福祉の窓口に向かう方が、ほとんどなんじゃないか思います。

 そのようなときに、申請書類を渡さない、本当に野垂れ死んでしまうかもしれないと言うと、窓口の職員に、せせら笑うように対応をされる……。それは、どれほど屈辱的な経験で
しょうか。私たちの多くは「生保は取るものではない」という偏見をもっていますが、これは憲法に明確に保障された権利です。憲法にある当たり前な権利なのだから、生保を取っても
「嫁が来なくなる」ことなどないはずだと思ったから取った、という内河さんの話は、できるようでできないことです。心に留めておく必要があります

 実際に生保をとって生活された方の話も、心にしみるものがありました。この方が、そんなに特別な人だとは思いません。誰の身にも起こりうる話です。この方が、サラ金に手を出す
前に、生保を一時的にでも利用することができていれば、こんな苦労はせずにすんだのではないか……とも思います。こんなささやかな生活さえ保障されていないというのは「健康で文
化的な生活」を保障している憲法違反だと思います。

 また湯浅さんの話の「第3者の目を入れて、面接室に人間の尊厳を持ち込むこと」の大切さは、ほんとうにそのとおりだと思いました。面接室で行われていることは、密室での不当な
捜査となんら変わりありません。いまの状態では、生保の申請時には、人間性を破壊するような侮辱から身を守るために、録音できるものを携行していったほうがよさそうです。

(つづく)
(Esaman)

瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態― ・前半部分 (JANJANの記事)

2007年12月18日 | 新聞報道
瀕死の生活保護制度を救え! (1) ―「水際作戦」窓口の実態― 2007/12/18 (インターネット新聞JANJAN記事)http://www.news.janjan.jp/living/0712/0712167324/1.php

「反貧困」を訴えるデモ隊 (0分31秒 )

 『生活保護問題対策全国会議名古屋集会 市民の力で貧困を絶つ!~瀕死の「生活保護制度」を救え!』が12月15日、名古屋市中村区役所で開かれました。中村区役所は、名古屋
駅の西側、ドヤ街のあるササシマ地区にある建物です。

 会場の大ホールには、主催者の当初の予定の300人をはるかに越える人たちが集まりました。400人を超えたのではないかと思います。集会は、大阪から来た塚本正治さんの『生
活保護の唄』ではじまりました。

 『税金、年金納め続けても、ささやかな生活はありません』。『生活保護をとろう。生活保護をとろう。命までとられる前に、生活保護をとろう』という塚本さんの歌声が会場に響き
ます。

 会場に張られた反貧困ネットワークのシンボル『ヒンキー』の前で、名古屋の反貧困ネットワークの人達も一緒に歌い、踊っていました。名古屋での反貧困ネットワークは、東京で発
足した反貧困ネットワークとは、設立の経緯も時期も違いますが、扱う課題が同じなので、協調してやっているようです。

 次に、弁護士で「法テラス(href="http://www.houterasu.or.jp/">http://www.houterasu.or.jp/
)」愛知地方事務所所長の内河惠一さんの開会挨拶がありました。

 ――20代のころ、私も生活保護を受けていました。母は生保を受けると嫁が来ないかもしれないと言っていました。ですが私は、日本には憲法があるから大丈夫だと思っていまし
た。その当時の自分は、いまほど憲法に詳しかったわけではありませんが、戦後の憲法とは、多くの人にとって、そのような頼もしいものとして頭にあったと思います。

 その当時、私は1日100円の予算でなんとか食いつないでいました。コッペパンを買って食べていたのですが、1個10円のマーガリンは金がなくて買えない。だから、そのマーガ
リンを3日とかもたすわけですが、冷蔵庫も何もないので溶けてくる。その溶けたマーガリンを必死になってパンに塗った覚えがある。

 いまの繁栄した日本で、私の若いころのような苦労をする人があってはなりません。憲法25条の健康で文化的な生活の保障は絶対的なものです。働いている人より生保の金額が高い
ので切り下げるのは間違っています。働いても給料がそんなに少ないことを問題にすべきです――。

 開会挨拶の話のあと、生活保護の実態についてのTV特集の録画のDVDが流されました。

 働けないのに働けといわれた北九州市の男性の話、札幌で月に13万円の生活保護で暮らしていた男性が、月3万のバイトが見つかったら生保の辞退をさせられた話などが流れまし
た。内河さんの話では、NHKは文句をいわれることの多い放送局ですが、この番組を放送したときは、褒める声があがって担当者も喜んでいたそうです。

 はじめに、「尾張東部生活と健康を守る会」の中上幸恵さんが、自身が経験した「水際作戦」の話をされました。

 自分が経験した役所でのひどい対応の話をしたいと思います。私は、最初は普通に働いていましたが、体を壊して徐々に仕事ができなくなりました。しばらくは蓄えでなんとかしてい
ましたが、貯金がなくなり、家賃を滞納して、そのうち、アパートを追い出されてしまいました。

 友人宅に世話になりましたが、体調がよくならず、何度か入退院を繰り返して、3つの病院で、130万円の未払い金ができてしまいました。友人の家にも長く世話になっていて、
「出て行ってほしい」といわれ始めました。どうやっても自分でやりくりできなくなって、生保の申請のために、瀬戸市の福祉にいきましたが、あれほどの屈辱を味あわされるとは、
思っても見ませんでした。

 ケースワーカーは、私の話を聞いて、「病気が慢性腎不全と心不全ですか、大変ですね。しかし、お友達の所帯の一部になっているのですから、その友人に扶養してもらってくださ
い。病院の支払いや診察については、ウチではなく病院のケースワーカーに言ってください。もっと若い人も働いていますから、もっと働いてください。市営住宅のパンフレットは上の
階にあるから自分で取りに行ってください。またなにかあったら話は聞きますから」といって、生保の申請はさせてくれませんでした。
 その時の私は、所持金は136円しかなく、薬も2週間前になくなっていました。私は、自分ではもうどうすることもできなくなって、友人にも世話になることができなくなっている
ので、申請にやってきたのに、生保の申請はさせてくれないのです。福祉の窓口で申請ができず、「このままでは橋の下で生活するしかなくなってしまう」と言ったら、その職員は口元
に薄ら笑いを浮かべて、「そうなったら住所不定で生保は申請できなくなりますよ、職安に行くように」といいました。

 その帰り道、私は悔しくて涙が止まりませんでした。

 「生活と健康を守る会」の人たちの協力で、なんとか申請を通すことができました。本当に助かりました。役所の人は、1人で行っても全く相手にしてくれませんが、何人かで行った
り詳しい人がくると、態度をコロっと変えます。本当にひどい話です。

 私は病気も軽くはないので、あの役人にだまされたままでいたら、いまこうしてお話できていたかどうかわかりません。困ったときにいつでも申請できる生保であってほしいと思いま
す。

 次に、「尾張東部生活と健康を守る会」会長の鈴木ひさ子さんが、ご自身が関わった相談事例から、いくつか話をしてくれました。

【ケース1】
 男性61歳、1人でマンション住まい。ローンが残っていて、リフォーム詐欺にあって借金があった。腰痛がひどい。年金が少しあったので、生保の申請が通らなかった。手足も痛く
なり通院することが困難になって入院。入院してから相談の電話があった。

 入院時には4日ほど何も食べていなかったが、本人がそのことを病院で言わなかったために、病院では検査だけをして退院。住むところやお金ではなくて、自分の体を助けてくれる場
所がほしいと本人は言っていた。

 5月4日、部屋の中で亡くなっていた。食べるものがなくなると、弟さんに連絡をとって送ってもらっていました。このときも連絡があって、弟さんは届いたと思っていたのですが、
配達会社から荷物が返ってきて、見に行ったら死んでいた。役所にこのことを話すと「聞いております」との、どことなくほっとしたような返答が返ってきた。

【ケース2】
 体調がすぐれない夫をもつ夫婦が申請した例。福祉に何度か生保の申請にいくも、話だけでなにもしてくれなかった。私たちの会が一緒に行くと、すぐに態度が変わって申請ができた
が、申請を通ってしばらくしたら、ガンで亡くなってしまった。福祉の窓口が「水際作戦」などとらずに、もうすこし早く申請を通していたら、あるいはもう少し長生きできたかもしれ
ないと悔やまれる。

 これらのケースのほかにも、いろいろな問題があります。例えば、生保を申請する以前の医療費や保険料の滞納額が結構な額になっている人は、多いです。滞納金は未払いのまま放置
すると、5年で取り戻せなくなってしまいます。だから1,000円でも2,000円でも支払わせて、5年間の未払い期間をつくらないように「つないで」いると思われる事例がいくつ
もあります。役所の人はそんなことはしていないといいますが、現実にはたくさんあります。

 みんなで一緒に行くと申請が通ることが多いです。1人で行っても申請用紙すら渡してくれないのですが、みんなでいくと、申請用紙が机の上に用意してあったりします。このような
卑怯な手で、生保を申請する権利が奪われているのは問題です。その陰では、何人もの人が病死や餓死、自殺に追いやられたりしていると思います。


 次には、実際に生活保護を受けて暮らしている名古屋市の男性Mさんの話がありました。Mさんは匿名です。

 私は64歳になります。現在夫婦で生保を受けて生活しています。生保という制度があって、ほんとうによかったと思います。

 三重で生まれて中学卒業後、鋳物工場で10年働きました。そのあと家業を5、6年間手伝い、その間に結婚してアパートで暮らしました。女の子が2人生まれました。じきに家業が
傾きだしたので、また鋳物工場で働きました。40代になって家内が入院しました。 腎臓が悪かったのです。入院の費用などで生活が苦しくなりました。

 そんなときに、知り合いがサラ金から金を借りたいが、自分は保険証をもっていないので借りてくれというので、自分の名前で借りました。それから自分たちの生活も非常に苦しくな
り、サラ金で簡単に金を借りることを知って借りました。7、8ヶ所の会社から、それぞれ10-30万円借りました。

 サラ金のこともあって夫婦で人材会社に就職し、会社の寮に移って、子供は親に預けました。ですが、王子製紙で働いていたときに派遣社員全員がクビになり、土建会社で働くことに
なります。会社の寮に入って働きましたが、すぐに仕事が少なくなり、やめることになりました。寮を出るときには、いろいろと引かれて、少しのお金しかありませんでした。

 こうして平成17年の7月頃、夫婦で名古屋に来て仕事を探しましたが、夫婦住み込みのところがなく、 名古屋駅周辺で野宿となりました。初めての事でいろいろと困りました。と
くに夜中に家内ができるトイレがなくて困りました。トイレは中村警察署でよく借りました。寄せ場笹島で仕事を探しましたが、なかなか見つかりません。

 土建や船積みの仕事がある時期には、週2回くらい1万くらいの仕事はあったので、ビジネスホテルに話をして、1人の部屋に2人で泊めてもらうことがありましたが、それも長くは
続きません。お金がないときは、野宿の仲間が出し合って食べさせてくれました。とても助かりました。

 夜回りの人に熱いお茶をもらったのも、ほんとうにありがたかったです。そうしていると、オケラ公園(西柳公園の通称)に行ったら相談に乗ってくれると聞いたので12月29日に
行きました。

 そこでは、越冬のためにみんながテントを建てていて、そこで笹島診療所の人に相談しました。役所の申請にも一緒についてきてくれ、家内は診察をしてもらえることになり、本当に
助かりました。そして宿所提供施設「熱田荘」にはいりました。家内は診察の結果、入院することになりました。また、自分もヘルニアで入院しました。

 その後、診療所に協力してもらってアパート探しをし、アパートに入りました。アパートでは病気の人が多いので、お互いに声をかけあうことにしています。

 そうしていると、サラ金から督促状がきました。栄の法律センターで相談して、破産宣告をすることにしました。弁護士費用は月5,000円づつ返済しました。サラ金の問題が解決
して安心しました。家内の顔色もよくなりました。

 いまは、アパートに入った者たちでつくっている親睦の会に入っていて、月初めに1,000円づつためて、みんなで時々バスツアーに行ったりしています。毎年とても楽しみにして
います。
娘から会いたいと連絡があって、20年ぶりに会いました。私はいままでのことを謝りました。いまは時々娘も会いにきてくれます。孫も一緒にきてくれます。このことを福祉事務所
の職員に話したら、とてもいいことだと一緒に喜んでくれました。

 年金はたった3万円しかありません。これではやっていけませんので、生保をうけています。家内はインスリンの注射もしていて、時々入院しています。自分も前立腺が悪くて通院し
ています。生保という制度がなければ、自分はこんな生活はできなかったと思います。診療所の人に会えてよかったです。生保という制度があってよかったです。

◇◇

(文字数がおおいので、後半に続く)

トヨタ社員過労死裁判についての新聞報道

2007年12月15日 | 新聞報道
トヨタ社員の過労死確定へ 国、控訴断念
2007年12月15日08時59分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1215/NGY200712140009.html

トヨタ自動車の堤工場(愛知県豊田市)の元従業員が急死したのは過労死だったと認
め、遺族補償年金などを不支給とした豊田労働基準監督署の処分を取り消した11月
30日の名古屋地裁判決について、国は控訴期限にあたる14日、控訴の断念を決
め、判決が確定した。これを受けて、豊田労基署は遺族補償年金などの支給手続きに
入るが、その際、サービス残業代の算定が焦点になる。原告側がトヨタに対し、労災
補償の上積みを申し入れることも予想される。

 判決は、02年に急死した内野健一さん(当時30)の死亡直前1カ月の時間外労
働時間を106時間45分と認定。52時間50分と算定した労基署側の主張を退
け、「量的、質的に過重な業務に従事して疲労を蓄積させた」として労災にあたると
の判断を示した。

 労基署側が「業務外」と主張した「創意くふう提案」「QCサークル活動」など品
質や職場の改善にかかわる活動について、判決は「事業活動に直接役立つ性質のもの
で、使用者の支配下における業務と判断するのが相当」と指摘した。

 国は「新たな事実が判決で認められた結果、判決が認定した時間外労働時間は現行
基準に適合していると認めざるを得ない」(厚労省幹部)と判断。控訴審で判決を覆
すのは困難とみて控訴を断念した。

 従業員の自主的参加と位置づけ、一部を除いて残業代を支給してこなかった活動
を、企業の業績向上を支える「業務」とみなす法的判断が定着すれば、トヨタの労使
が社員の働き方の再検討を迫られるのは必至だ。こうした活動に広く人件費がかかる
ようになれば、労務コストの増大は避けられず、好業績のブレーキになるおそれもあ
る。

 「QCサークル」をはじめ、現場の従業員自身によるカイゼン活動は大手製造業を
中心に日本の産業界に幅広く定着しており、影響はトヨタだけにとどまらない。「自
主的参加」を理由に「サービス残業」を強いるような働き方に警鐘を鳴らしたともい
える判決が確定したことで、時間外労働の定義の見直しにつながる可能性もある。

 QC活動などを時間外労働時間に認定した判決が確定したことへの対応について、
トヨタ広報部は「今後、判決内容を詳細に検討していきたい」とコメントした。


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<トヨタ>「社員死亡は労災」国控訴せず認定判決が確定
12月15日3時15分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071215-00000014-mai-soci


愛知県豊田市のトヨタ自動車工場の男性社員が深夜勤務後に不整脈で倒れて死亡した
のは労災だとして、妻が豊田労働基準監督署長を相手取り、労災不認定処分の取り消
しを求めた裁判で、国側は14日、国側敗訴とした1審・名古屋地裁判決について控
訴しない方針を明らかにした。不支給処分の取り消しを国に命じた1審判決が確定す
る。

 1審判決によると、同社堤工場の社員、内野健一さん(当時30歳)は02年2月
9日午前4時20分ごろ、残業中に不整脈で倒れて死亡した。妻博子さん(37)=
同県安城市=が同年3月、豊田労基署長に遺族補償年金などを申請したが、同署長は
03年、不支給処分とした。

 1審判決は「心停止は過重労働が原因」と因果関係を認め、労災に当たると認定。
職場の能率向上を図るトヨタの生産方式「カイゼン」に絡み、内野さんが関わった業
務の改善策などを記入する「創意くふう提案」や、職場改善の目標に取り組む「QC
サークル」などについて「運営に必要な準備を社内で行っており、業務と同様」と判
断した。

【石原聖】

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トヨタ過労死訴訟 国側が控訴断念
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/071215_3.htm

トヨタ自動車(愛知県豊田市)に勤務中に、工場内で倒れて死亡した内野健一さん
(当時30歳)の妻博子さん(37)(同県安城市)が、国を相手取り、労災と認め
ず、遺族補償給付金を不支給とした決定の取り消しを求めた訴訟で、国側は控訴期限
の14日、控訴を断念した。このため、労災を認定し、不支給決定を取り消した名古
屋地裁判決が確定する。

 判決確定の知らせを受けた博子さんは、「夫のようにサービス残業で大変な思いを
している人がまだたくさんいるので、会社は、この判決をしっかりと受け止めてほし
い」と話した。

 内野さんは同社堤工場(豊田市)に勤務していたが、2002年2月9日午前4時
20分ごろ、工場内で倒れて致死性不整脈で死亡した。判決は、内野さんのサービス
残業も業務と認め、「長時間労働は継続的で、業務と死亡の関連性は強い」と認定し
た。

(2007年12月15日 読売新聞)


笹島市民フォーラム2007、雨宮処凛さん(JANJANの記事)

2007年12月11日 | 新聞報道
笹島市民フォーラム2007、雨宮処凛さん(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/area/0712/0712016520/1.php

 笹島診療所の市民フォーラム2007・雨宮処凛さんトークライブ『生きさせろ! 貧困社会を生き抜く』が、11月25日、名古屋伏見にある伏見ライフプラザの12階で開催されました。130人が定員の会場には、130人をやや越す人たちが集まり、席が少し足りなくなりそうになりました。主催は笹島診療所(http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/)です。

 はじめに、笹島診療所の山田壮志郎さんが挨拶をされました。

山田:この市民フォーラムは、笹島診療所の活動を紹介して、みなさんに参加をしていただくために開催したものです。診療所の活動と雨宮さんの活動は、貧困の問題という点では通じている部分があると思います。雨宮さんが現在のような活動に至るきっかけはなんだっのでしょうか?

雨宮:私は『生き辛さ』を追いかけています。中学の時にイジメがあり、その対策が学校では十分にされていなかった。また、イジメられている人が相談をすると、かえってイジメがひどくなっていくというのを見てきました。高校になるとイジメはなくなったのですが、そうすると今までの事に怒りを感じはじめました。学校で友人をもつと、またイジメられたときに失うので距離を持つようになりました。リストカットをはじめたのも、この頃です。

 この時期、親が自分を怒るときに『中学の時はマジメだった』と言っていましたが、中学の頃は、せめて親には認められようと、必死になって勉強をしていました。たいへん苦しく『狂っていた』状態だったと思います。その自分に戻れということは『死ね』という意味です。当時はバブル全盛の頃でしたが、バンドの追っかけなどをして、路上で寝泊りしたこともありました。野宿といっても北海道ですから、マイナス何度ですから、死ぬかもしれない。行く場所も金もない。帰る場所はあるけど戻れない。この経験がホームレスの取材をしている原点です。そして東京に出て美大を受けようとしましたが諦めます。するとバブルが崩壊。フリーターとして暮らすようになりました。それまで、なにをするにも『将来のため』といわれながら、気が狂いそうなほどがんばって来たのですが、その『将来』が、すべてなくなってしまったのです。

 そして大震災と地下鉄サリン事件が起こりました。自分と同世代の人達がおこした事件に大きな衝撃を受けました。あの人たちを否定できなかったのです。自分は、戦後の日本に『ウソをつかれてきた』と思いました。オウムの人たちがうらやましかった。そして、ほんの一時期ですが『戦後のまちがった教育』がマスコミなどで騒がれました。このときに、日本について、戦争について、考えました。自分は高校にはあまり行っていないので、歴史や戦争などについて知りません。戦争について知るには、右翼か左翼に聞くしかないと思った。知り合いの左翼作家に話したら、左翼と右翼の両方の集会に連れて行ってくれました。左翼の集会にいくと、何を言っているのかがさっぱりわかりませんでした。言葉が難しかった。右翼の集会にいくと、言葉がとてもわかりやすかった。生き辛いのは時代のせいだ。アメリカと戦後民主主義のせいだ。そして右翼の活動にはいり、バンド活動などもしました。自分は、今は右翼はどうかなと思います。でも、右翼活動に入ったとたんに、リストカットはなくなったので『右翼療法』も、短期的には効果があるのかもしれません。

 そうしていると「帰ってきた」オウムの人たちがフリーターなどをはじめます。でも、みんな死んだ魚のような目をしている。そして、今度は右翼に入ってきたりする。この頃は、自分と同じ世代で、中学・高校しか出ていない人たちがたくさんいて、そういう人たちが身近で手に取れる雑誌はSPAくらいしかなくて、連載されていたゴーマニズム宣などが影響力があったのかもしれません。そして自分は「風邪をひくと失業」していました。風邪をひいてバイトに出られないと、もう来なくていいと言われる。1週間寝込んでから仕事を始めても、もうその月の家賃は払えないわけですよ。とても払えない。そういうとき、自分は親に泣きついていました。

 ふと気づきました。このまま40代50代になっても、仕事は変わらずにいるとしたら?親が死んだらホームレスになってしまうと思った。そして10年後のいま、本当に同世代でホームレスになる人たちが出てきました。

山田:本に「イジメられてよかった」と書いてありまずか、これはどういう意味ですか?

雨宮:新潟で「こわれ者の祭典(http://koware.moo.jp/)」というものがあります。リストカッターや障害者、アルコール依存症やニートなどの、いろいろな負のステータスをもった人たちが、それを逆に自慢するパフォーマスを行う祭典です。ここの月乃光司さんという方が「本当によかったとは思っていないが、皆で言っていると、そう思えてくる」と言っています。自分もそれは良いと思ったからです。

山田:「生き辛さ」から「貧困」に移っていったいきさつは?

雨宮:ずっと「生き辛さ」について書いてきましたが、この10年、友人や知人、ちょっとした知り合いも含めると、数十人の人が死んでいます。自殺とわかる人もいれば、よくわからない人もいます。「うつ」になる人も多い。あまりにも多いので、これは構造の問題ではないかと考えました。いままでの取材ノートを調べなおすと、いつも、自分のせいだと言われ続けて追い詰められていったり、将来が不安でおかしくなってゆく人が、とても多いことが、改めてわかりました。「生き辛さ」の問題と「貧困」の問題は、とても密接につながっています。

 自分の弟が契約社員になって、翌年、正社員になりました。みんな喜びました。でも正社員になったとたんに、管理職になって労組に入れなくなりました。1日17時間や18時間労働させられました。休憩は昼の30分のみ。飯すら食えない。このようなことがあって、フリーターだけでなくて、正社員も行き辛いことがわかりました。この労働条件は、まるでアウシュビッツのような状態です。

 バブルが崩壊して企業も苦しくなって、しわ寄せが正社員にも及んでいます。10年前と違い、正社員にもフリーターにも過労死する人が居ます。派遣会社は派遣社員を商品として管理しています。管理しているのは商品管理部門。商品ですから、派遣した社員を大切にするのではなく、どんどんコキ使ってくれといいます。仕事のできる人は無理に働かされます。そうやって無理やり働かせて、最後には首を吊って死んでしまう人もいます。私が知っている例では、自殺してしまった男性が死んでしまっていることを、派遣会社も派遣された会社も知らなくて、親が電話して見に行かせて、やっとで発覚したというものがありました。発見されたときには腐り始めてしまっている。そうやって人が死んでも、派遣会社も派遣先の会社も見舞いにはいきません。相手の側が行っているだろうといって行かない。責任の所在が曖昧です。こうやって、頑張りすぎてなくなる人もいるし、ホームレスになる人もいます。

 たとえば、派遣会社は東北・北海道・沖縄・九州などに営業所をたくさんもっています。失業率が高いところで、たいへん良い条件を出して人を釣ります。でも、実際に働いてみると、そんな条件では給料は出ない。30万などとうたわれていても、実際には寮費、ふとんや家具のレンタル料、クリーニング代などといって、いろいろと引かれて、手元には十万ちょっとしか残らないものが多いです。こうやって、絶対に稼がせないシステムが仕組まれています。そして、何かがあるとすぐに解雇されます。地方から出てきた人が、あと3日で寮を出ろと言われて何ができるでしょうか?

 こうして、出稼ぎに出て、行く場所のなくなった人たちがネットカフェで寝泊りするようになります。ネットカフェ以外でも、デパートのトイレの個室、昼間のパチンコ屋、電車、ATMなどでも寝ています。

山田:貧困が拡大していますが、その背景はなんだとお考えですか?

雨宮:労働者派遣法の改悪が原因でしょう。現在、製造派遣と従来の飯場との区別がつかなくなってきています。携帯で呼び出されて仕事をする人たちや、ネットカフェで寝泊りする人たちは、従来の寄せ場とは違い、情報交換ができないので、対抗するためのさまざまな運動が展開できなくなっています。これも原因だと思います。

山田:行政の支援策などはどう思いますか? 小泉政権は再チャレンジなどと言っていましたが。

雨宮:安倍は特権階級なので、貧乏人の気持ちはわからないでしょう。親の財力不足によってフリーターになった人も多いです。行政の支援対策は、時間とお金に余裕のある人しか使えないようなものです。余裕のない人が、1週間仕事を休んで職業訓練校に通うと、家賃が払えなくなります。生活保障がないかぎり、職業訓練を受けることはできません。

山田:選挙で政権が変わりました。今後の予測はどうですか?

雨宮:どこまで押せるかが大切です。いまはひっくり返せる時だと思います。貧困層の多くは、選挙難民でもあります。とくに地方から出てきている人たちは、帰郷するのはたいへん難しいです。一時期、若者が連帯すると練炭心中したりしていましたが、状況が悪くなってから、反撃が始まりました。誰かが声を上げると、人が押し寄せてきます。運動も成果を挙げています。フリーターでもいろいろなことができます。みんな、生きているというだけで当事者です。だから、どんどん関わってほしいです。トークライブが終わったあと、自由と生存のメーデー(http://mayday2007.nobody.jp/)の映像が上映されました。大音量の音楽のなか、踊りながら行進する若者たち「危険なのでデモ隊の中に入らないでください」という警察のアナウンス、ブルーシートを皆で広げてささげ持つ「連帯の行進」の光景などがながれました。

「危ないのでデモ隊に入らないでください」という警察の呼びかけに、会場から笑いが漏れていた。


会場からの質問:選挙に利用されている感じも受けます。大きな労組は貧困問題にどう取り組んでいるのでしょうか?

雨宮:とにかく、派遣労働を以前の状態に戻せ、ということをすべての政党に言っていくしかないでしょう。また、大きな労組は、何もしてくれないのがわかっているので、動きは知りません。自分たちは小さなインディーズ系労組でがんばっています。

会場からの質問:雨宮さんのお話で「右翼の言葉がわかりすやかった」というのは本当にそうなんだろうと思います。運動を展開していくにあたり、現在の状況について、もっとわかりやすくて簡潔な言葉はないでしょうか?

雨宮:言葉がないことについては、自分も大変困っています。大切なのは、マスコミが宣伝しているイメージに乗らないことでしょう。貧乏で困っているので助けてくれ、ではなくて、貧乏だからこういったことができる、という方向性が大切です。デモで行った“ブルーシートで連帯アクション”も、そのひとつです。文化運動として戦うのが有効だと思います。

会場からの質問:名古屋は、トヨタなどの大手企業もあり、仕事も多く、問題も多いです。ですが運動の層が厚くありません。とくに若者がおりません。みんな雨宮さんと一緒に活動したいと東京に行ってしまう。

雨宮:もっといろいろな運動があると良いと思います。東京には、クリスマス粉砕鍋闘争などをやった人たちもいるのですが、名古屋の人たちとの連携を深めて、こういった様々な運動のノウハウを、もっと輸出できたらと思います。いろいろな運動ができると、参加する人も増えて、運動も広がるし、楽になると思います。

会場からの質問:労働組合で活動しています。自分の問題が解決してしまうと、運動に関わらなくなってしまう人がおおいのですが、どうすればよいでしょうか?

雨宮:若い人たちの中には、組合が居場所になっている人もいます。そしてフリーターは一生組合をやめられません。たしかに自分の問題が解決してしまうと、やめてしまう人もいます。ですが、強制になってはいけません。いま自分が関わっている活動は、面白いので人が来ています。やっていて面白いとうまくいきます。これから労組活動以上のものをつくってゆけると思っています。

 質疑応答のあと、主催者でもある、笹島診療所の藤井さんから診療所の紹介、活動に参加した方のお話がありました。

藤井克彦:笹島診療所は、日雇労働者や野宿を強いられている仲間の生活相談をしたり、診察をしたり、さまざまな支援活動を行う、特定のバックを持たない組織です。炊き出しの場で生活医療相談を行ったり、福祉事務所で生活保護申請の支援をしたりしています。平日の火曜日と金曜日には、診療所で生活相談を行っています。その他にも、私たちの支援でアパートに入居した方の支援なども行っています。診療所は、全国の有志に支えられて活動しています。診療所という名前は、少しいかめしい名前ですが、法律の申請上の問題でつけているだけで、野宿を強いられている仲間の支援をする市民団体です。

清水悦子さん:健康の元である食を大切にしてほしい。安心して生活してほしいという思いで活動に参加しています。かつて役所で生活保護の仕事に関わっていたとき、生活保護を受給している人たちが、麺類のスープを全部飲んでしまう、外食ばかりで野菜はあまり食べない人がとても多いことを知りました。役所の予算がなかったので、社会福祉協議会に話をして費用を出してもらい、みんなで集まって、食事を作って食べることなどをしていました。ですが人事異動で関われなくなってしまいました。でも、やはりこうした活動に関わりたかったので、退職後、白川のシェルターで働きはじめました。入所者の多くが、長い野宿生活で高血圧や糖尿病になっているのがとても多いことを知りました。でも、シェルターで出される食事は夕食1回のみで、揚げ物も多い。食事を作って食べる集まりを、栄養士を頼んでやってもらいました。そうすると、味噌汁の作り方がわかった。アパート暮らしの自信がついたという人も増えて、反響がありました。その後、シェルターを出た人たちのその後が気になり、自主的な訪問などをしてみました。そうすると、みんな孤独で、溜まり場が必要だと思いました。そうした頃に、笹島診療所を知って、関わるようになりました。シェルターを出て、野宿生活に戻ってしまう人も多いです。なにかあったときに、SOSの言える関係を作っていくことが大切だと思って活動しています。みんなで集まって食事を作って食べる集まりを、笹島診療所は行っています。詳しくは、下記の笹島診療所までお問い合わせください。

 名古屋には、ここを基盤とする大企業もあり、労働関係や貧困にかかわる問題は多いのですが、運動の層がそれほど厚いわけではなく、いろいろな社会運動にも、そんなに大勢の人が集まることはありません。ですが、今回の集会は、いろいろなものが重なっていた日程であったにもかかわらず、満席になっていました。さすがは人気作家といったところでしょうか。普段はこういった活動に顔を出さない人たちも多数参加していました。また、雨宮さんと同年代のお子さんをもつ人たちの参加も多数見受けられました。何人かの方と話をしましたが、やはり自分達の子供とは、理解しあえない人が多いようでした。それは本質的な世代の差というよりは、雨宮さんのお話にあったように、いろいろな社会変化があり、経験している世界が違うからなのではないかと思いました。

 こうした「市民運動に縁の薄い人たち」が、このような催しを機会に、笹島診療所や、貧困にかかわる問題について、参加したり考えたりしてくれるとよいなと思います。また雨宮さんのお話にあった「労働運動以上の活動」が、いったいどんなものになっていくのか、またそれが名古屋での社会活動にどのような影響を与えてゆくのか、注目していきたいと思います。

笹島診療所(平日の火曜・金曜午後2時~5時)
〒453-0014 名古屋市中村区則武2-8-13 笹島労働者会館3階
TEL/FAX 052-451-4585
E-mail cl.4sima@fancy.ocn.ne.jp
http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/



オリーブの会のパンフレット(清水さんの取り組んでいる食事会)
http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/forum20061001/cl_sasashima.pdf

(Esaman)


「生活保護費削らないで 各種団体が抗議活動」(中日新聞2007年10月25日)

2007年10月25日 | 新聞報道
「生活保護費削らないで 各種団体が抗議活動」(中日新聞2007年10月25日)


 厚生労働省は、生活保護の基準額の見直しを話し合う有識者検討会を十九日にスタートさせた。財政再建に向けて社会保障費を抑える国の方針の一環だ。引き下げられれば、生活保護を受けている世帯の生活が苦しくなる。低所得者向けの施策の適用基準にも生活保護基準額が使われていることが多く、生活保護受給者以外にも影響は及ぶ。生活保護や貧困の問題に取り組んでいる団体は抗議活動を始めた。 (白井康彦)


 新たに設置されたのは、厚労省社会・援護局長の私的研究会「生活扶助基準に関する検討会」。初会合には報道陣のほか、弁護士、司法書士や生活保護問題に取り組む団体幹部など約三十人が傍聴。社民党の福島瑞穂党首も顔を見せた。


 生活保護費には、日常的な生活費に相当する「生活扶助」、家賃部分の「住宅扶助」、医療費負担をゼロにする「医療扶助」など八つの扶助がある。生活扶助の金額は、全国を六区分した「級地制度」(1級地-1~3級地-2)で地域ごとの物価の差を反映させている(表参照)。


 初会合で厚労省は「級地を含む生活扶助基準の見直しを検討する」と説明した。生活扶助に関しては二〇〇四年度以降、高齢世帯に対する上積みの「老齢加算」が廃止され、母子家庭が対象の「母子加算」も削減され始めている。今回は対象が限定されていないので、影響はより大きい。


 厚労省は全国消費実態調査のデータを提出。一般の低所得世帯の消費支出額と生活扶助基準額とを比べた表を示した。低所得世帯の消費水準を基に生活扶助の基準を決めていこうとする考え方だ。


 厚労省は検討スケジュールについては「来年度の予算編成を視野に入れて結論が得られるようにする」という方針を示した。国の来年度予算は年末までに政府案が出されるので、検討期間は短くなりそう。


 生活保護制度に関するこれまでの政府内の検討経過も説明。〇六年の「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」(骨太の方針)に生活扶助基準や級地の見直しが盛り込まれていることも示した。生活保護費の抑制のために周到に手を打っている国の姿勢が分かる。

 

    ◇



 検討会が開かれていた十九日夜、東京・霞が関の厚生労働省のビルには、「生活保護問題対策全国会議」や「反貧困ネットワーク」に所属する弁護士、司法書士、労働組合幹部らが集合。記者会見を開いたり、ビル前の路上でマイクで演説したりして、生活保護費削減の動きに抗議した。


 ネットワークの湯浅誠事務局長は「基準額の切り下げで生活保護受給者の生活が直撃を受けるというだけではない。国民生活全体に影響が出る」と強調。生活保護基準額が下がったときには▽地方税の非課税基準が下がる▽自治体によっては国民健康保険料や公立高校授業料の減免基準が下がる-といった影響が出ることを説明した。


 民主党の山井和則衆院議員が質問主意書で生活扶助基準の見直しについて尋ねたが、政府の十月二日付の答弁書は「具体的な検討の進め方については現時点では未定」とあいまいな表現。また、検討会の開催がホームページで公表されたのは、初会合からわずか二日前だった。
 そのため、「もっとオープンな形で審議してほしい」と弁護士らは強調している。



 <メモ>生活保護 世帯収入が国の定める最低生活費(生活保護基準)を下回るときに不足分が支給される。資産や働く能力などをすべて活用しても生活が成り立たない場合に限られる。財源は国が四分の三、自治体が四分の一を負担する。本年度予算では生活保護費は国と自治体合わせて約二兆六千億円。今年七月の受給者は全国で約百五十三万人。一九九五年の約八十八万人から増え続けている。現在は受給者の約半数が六十歳以上。