≪2021/8/14≫
「いつだって震えている」ロッテ田村龍弘は”信頼”をどう積み重ねてきたのか? キャッチャーという過酷な仕事のウラ側
捕手は難しいポジションだ。グラウンドの司令塔として投手をリードし、それはチームの勝敗に直結する。ゆえに受けるプレッシャーは並大抵のものではない。肉体的にも精神的にも辛く過酷である。
千葉ロッテマリーンズの田村龍弘捕手は言う。
「独特の緊張感。痺れるし、震える。それは開幕戦でもシーズン中のどの1試合でも同じ。いつだって震えている。本当に難しいです」
2021年、マリーンズは開幕早々2戦目と3戦目に2試合連続サヨナラ負けを喫した。いずれも絶対的守護神・益田直也が打たれての痛い敗戦だった。
「終盤に逆転されて負ける試合は悔しいし、ダメージも大きい。ただ捕手としては引きずるのではなくて、反省をしたら次に切り替えていかないといけない。長いペナントレースは常に切り替え。捕手がいつまでも引きずっているようだとやられる。
もちろん、そういう試合の次の日はいつも以上に緊張するし難しいけど、捕手以上に打たれた投手はもっとそういう気持ちでいるはず。だからこそ、こちらはどっしりと構えていないといけないと思う。でも、本音はやっぱり、やられた次のゲームが一番緊張するし、震える」
太々しい外見からすると緊張など、どこ吹く風のごとく振舞っているように見えるが内面は繊細な若者だ。
マスクを被ると誰よりも緊張し、負ければ1人で責任を背負い込み、悩み落ち込む。サヨナラ負けをしてベンチで人目はばかることなく、涙を流したこともあった。
そんな日々が積み重なり、今の捕手・田村を作っている。
大事にしていることがある。投手とのコミュニケーションだ。
理想はすべての投手とリードをする指で会話を成立させること。そのために大事なのは日ごろから考えを理解し合うことだ。「ただ、話をすればいいというわけではない」と田村は強調する。
「単にストレートを打たれたから変化球がよかったねという話ではなくて、その1球にどう思ったのか。自分がストレートのサインを出した時になにを思ったのか。打者の雰囲気をどう感じていたのか。もし(投手が)変化球がいいと思っていたのなら、それはなぜで、なぜその時は首を振って変化球を投げたいという意思を表明することはなかったのか。そのすべてを把握することで次につながると思っている。
そしてこちらも同じ。なぜあのカウントであのボールを投げて欲しかったのか。意図を分かってもらいたいと思っている」
理想はジェスチャーなし
捕手にはリードと同時にジェスチャーで指示を行うことがある。
「低め、低め」
「広く、広く」
「インコース厳しく、甘くはなるな」
「ワンバウンドでもいいから、思いっきり低めに」
よく見る光景だ。一番の理想はこのジェスチャーをすることもなく、お互いが次のボールをどのように投げればいいか分かっている状態となる関係性を作りあげることだ。
最近は投手から「きょうは田村のリードに任せる」と言われることが増えてきた。それは阿吽の呼吸が出来ている証である。「めちゃくちゃ嬉しいけど、めちゃくちゃ緊張する」と田村は笑う。
田村は投手以外にも実に多くの人とコミュニケーションをとる姿をみかける。
投手コーチやスコアラー、野手。幅広く会話を交わすことでヒントを探す。試合中もイニングの合間などにブルペンに向かい、リリーフ陣と出番が来た時に備えて意見を交わすこともある。いつ何時も幅広くアンテナを張り巡らし判断材料を増やしている。
「捕手目線で打者に感じる調子や狙いなど。そして投手がマウンドから感じる事。コーチなどがベンチから見える事。そしてグラウンドコンディションによってリードも変わる。今日は風の影響でライト方向に伸びるなと思ったら当然、リードの仕方も変わるし、逆に今日、レフトは戻されるぞと分かったらそれを頭に入れて大胆にリードできる部分はある。そこには当然、ミーティングでのデータもある。感性も入ってくる。色々な材料と沢山の人の意見や気づきを集めて判断をしたいと思っている」
自身が感じたことはなるべく投手に伝え、共有したい。だからこそ、試合中でも田村は何度もブルペンに足を運び、リリーフ陣に考えを伝える。
「入り方だけ考えてリードをする人もいるけど、益田さんとか唐川(侑己)さんとか(佐々木)千隼など終盤の投手をリードする時には特に最初からある程度、先々までイメージしてリードをするようにしているし、なるべく、こういう風にリードをするつもりですという意図を伝えるようにしたいと思っている」
ペナントレースはオリンピック中断期間を経て後半戦に突入した。パ・リーグは混戦。前半戦以上の重圧が捕手にはのしかかる。捕手陣は球場入りしてミーティング。全体練習後にバッテリーミーティングと野手ミーティング。試合後にミーティングとどのポジションよりもタイトなスケジュールの中で戦う。
「大変だけど、やりがいがある。勝った時、捕手は誰よりも充実感を感じられるし嬉しい」と田村は痺れながらもマスクを被り続ける。
19歳で一軍デビューし、今や27歳。気が付けば自分より若い投手も増えた。後輩たちのデビュー戦でリードを任されることも多い。そういう時は不敵な笑みを浮かべながら話しかける。
「緊張してマウンドで顔面蒼白なピッチャーもいる。強がってでも、こっちは『大丈夫や』と自信満々に言う。内心はボクも緊張しているけど、こっちも一緒になって顔を真っ青にしていたらダメだし、投手も不安になるのでね」
ベテラン陣が自分自身のリードを信じて投げて勝つ試合も嬉しいが、若い投手たちをリードして彼らが飛躍のキッカケを掴んでくれることの充実感にも、やりがいを感じる。捕手は難しい。しかし日々のすべてが刺激的で充実している。
「益田さんに突っ込んでいきます」
苦難を乗り越えた先に見える光景はもちろんリーグ優勝だ。マリーンズは1974年以来、パ1位でのリーグ優勝から遠ざかっている。これまで何度となく目の前で胴上げを見てきた悔しい想いがある。そしていつかは自分自身が胴上げの輪の中心で喜べることを信じて努力を続けてきた。
「その瞬間、右手を突き上げます。そしてマウンドにいる抑えの益田さんのところに突っ込んでいきます」と目を輝かせる。田村を信頼する益田も「腰が砕けるぐらい田村に飛びつきます」と笑う。
143試合の激闘の先にある最高の瞬間を夢見て捕手は日々、重圧と向き合い努力を重ねている。
梶原紀章(千葉ロッテ広報)
(Number)
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≪2021/8/14≫
「チーム」と「事業」は球団の両輪
ロッテ河合球団社長の描くビジョン
「千葉ロッテマリーンズ 理念」を発表し、それを基に策定されたチームの中長期的なビジョンやメッセージをまとめた「Team Voice」を表明した2021年のロッテ。井口監督に続き、今回は河合克美オーナー代行兼球団社長に球団が描くビジョンを伺った。1974年以来、リーグ1位から遠ざかっているチームを、河合氏はどのようにして「常勝軍団」へ導いていくのだろうか。
「強み」を生かして、「弱み」を減らす
――千葉ロッテマリーンズは現在、中長期的な展望の下、チーム改革を進めています。また、井口資仁監督は「マリーンズに黄金時代をもたらす」と発言しています。そのためには現場とフロントとの連携がとても重要になりますね。
河合 プロ球団というのは「チーム」と「事業」の両輪が噛み合って初めてビジネスとなります。チームが強くなって人気が出て、結果としてお客さんが球場にやってきて、チケットやグッズが売れていく。この両輪がうまく回らなければいけません。いくら事業だけに力を入れても、チームが弱ければお客さんは来てくれませんから。
――河合さんがオーナー代行に就任したのが、2018(平成30)年のことで、翌19(令和元)年オフからは、球団社長も兼務しています。それまではロッテ本社のマーケティング戦略の要職を担っていたと伺いました。オーナー代行就任時に感じたマリーンズの強みや弱みを教えてください。
河合 オーナー代行に就任して細かい個別のレポートを見ているうちに、このチームにはどこにチャンスがあるのか、どこに課題があるのかが少しずつ見えてきました。強みというのは「生のスポーツコンテンツの面白さ」です。世の中のデジタル化が急速に進んだことで、人々は逆に、「リアルな面白さ」に気づき始めたのではないか? デジタルを通過した人たちが、改めてスポーツコンテンツの価値に気づき始めたのではないか? そこに強みがあるのではないかということは強く感じました。
――では、「マリーンズの弱み」はいかがですか?
河合 先ほど申し上げた「両輪」がうまく回っていないことです。「チーム」と「事業」が、それぞれ別々に展開している。明快なビジョンや理念があるわけではなく、単に「黒字化しよう」ということだけが大命題になっていました。私はそれまで、ロッテグループ全体のマーケティング戦略を担当してきました。その際には必ず自分たちの事業の足元を見つめ直す作業をしていました。
――当然、千葉ロッテマリーンズの足元も見直されたわけですね。
河合 はい。足元を見つめ直して、どの部門が稼いでいて、どの分野が課題で、どこに集中していけば、継続的な成長戦略が描けるのか? それを実現するためにはきっちりとしたデータ分析をして、短期的、中期的、長期的にやるべきことを考えなければならない。教科書的な言い方になってしまいますが、「選択と集中」が必要だと考えました。球団の勝機はどこにあるのか? そこをきちんと分析すれば勝機も見えるはず。それは、お菓子の事業も野球の事業も変わらないんです。
――足元を見つめ直すためには、しっかりとしたデータ収集と分析が重要になります。井口監督の就任2年目となる19年にはデータ収集と分析を行うチーム戦略部が創設され、翌20年には球団にマーケティング戦略本部が設立されました。いずれも、河合さんが球団に関わるようになって以降のことですね。
河合 球団にマーケティング部自体がありませんでしたので、経営戦略に直結するマーケティング戦略本部はどうしても必要でした。同じことはチームにも言えることで、きちんとデータ分析をする必要がありました。データをベースにして全体の戦略を練ること。他球団の選手層とうちの選手層をデータで比較して、「明らかに弱いのはここだよね」という点を整理していきました。
――その分析の成果としてドラフト戦略も明らかに変わったそうですね。
河合 当時、マリーンズ投手のストレートの平均球速はパ・リーグ最下位でした。150キロ以上のストレートの割合も、ソフトバンクが30パーセント以上なのに対して、マリーンズは約3パーセントほどでした。100球投げて3球しか150キロが来ない。単純に考えると、そんな状態で戦っても勝てるはずがないのでは、となる。ならば、ドラフト戦略として速い球を投げる選手を獲ればいい。他球団から速い球を投げる投手を狙っていけばとなる。
「常勝軍団」を目指すための理念作り
――そこで、19年ドラフトではあえて競合覚悟で、高校時代に163キロを計測した佐々木朗希投手の指名に踏み切ったわけですね。
河合 ドラフト前のミーティングでは全員一致で「佐々木朗希でいこう」となりました。ただ、面白いのは「もしも抽選で外したら、誰を指名するか?」という話題になると、「大卒の技巧派で○○という選手が……」とか、「横手投げの即戦力で○○が……」となるんです。うちのチームに足りないものは「150キロ以上を投げる投手だ」とわかっていても、つい、その視点が抜け落ちてしまうんです。
――指名方針に揺らぎが生じてしまったということですね。
河合 どんな事業でもそうですけど、理屈はわかっていても「いざ」となるとコロッと変わってしまうことはしばしばあります。そのためにも、誰もが共有できる理念やビジョン作りが重要なんです。でも、往々にして理念というのは絵に描いた餅となり、どうしても自分事になりにくい。だから、時間はかかるけれども、球団の理念作りにおいて立候補制にしました。今の20代、30代の社員にとっての「20年後、30年後のあるべき姿」を自分たちの手で考えてもらおうと考えたのです。
――その結果誕生したのが、「千葉ロッテマリーンズ理念」ですね。「勝つための三カ条」として「勝利への挑戦、勝利の熱狂、勝利の結束」を掲げています。
河合 これらは「マリーンズらしさ」が結実している言葉であり、未来永劫続く理念です。その理念を持った上で「では3年後、5年後にはどうすべきか?」というもので、中長期的なビジョン、メッセージを共有することを目的に「Team Voice」を策定しました。うちみたいな成長過程にあるチームが3年後、5年後、10年後をめざすときに、その時々で言っていることがコロコロ変わっていてはダメなんです。
現場とフロントの理念は完全に一致している
――この「理念」では、「マリーンズの使命」として、「千葉ロッテマリーンズは、勝利と頂点を目指す集団であり、関わる全ての人々の誇りであり続ける」と高らかに謳われています。
河合 そうです。我々の使命は「勝ち続けること」を通じて、世の中の人たちに誇りを持っていただく。そんな球団になること、あり続けることなんです。そのためには当然、きちんと分析をして補強をしなければいけない。それができれば、必ずお客さんは来てくれる。ワクワク、ドキドキする試合を見せられればお客さんは来てくれると信じています。
――ますます、現場を預かる井口監督との密なるコミュニケーションが重要となりますね。
河合 従来までは「勘と経験」で勝負するというのが常識でした。しかし、メジャー経験のある井口監督は、データを基に戦略を立てていくということをきちんと理解されている監督です。経営上の課題をすべて監督に理解していただく必要はないけれど、「強いチームを作る」という理念は完全に一致しています。そこには何のズレもありません。
――中長期的なビジョンを持ちつつ、同時に目の前の今季の戦いも続いていきます。この辺りのバランスをどうとるのか、難しい課題だと思います。
河合 今までならば「5割を目指せばいい」とか「3位以内に入ってクライマックスシリーズを目指そう」と考えがちでした。でも、今年のキャンプインの最初に言ったのは「そんな考え方は一切捨ててくれ」ということでした。選手一人一人が厳しく自らを律していく。ファンの人たちの期待に応えられないようなプレーではダメなんです。
――オーナー代行兼球団社長と監督。そして、球団スタッフとファン。それぞれが共有できる理念を持つことで、「常勝軍団を作る」という目的がより近づく。そんな考えであることはよく理解できました。
河合 現在、社員と共有するためのブランドブックを作っています。理念を作った際の社員の声を入れ込むことで、改めて自分たちのリマインドになって、「他人事」ではなく「自分事」化していくためです。ブランドブックは社員、選手に渡して、家に持って帰ってもらって、家族に誇らしく見せられるようなものを目指して作っています。
河合克美(かわい・かつみ)
1952年5月27日生まれ。慶應義塾大を卒業後、75年に鐘紡に入社。博報堂を経て、2004年にロッテ・アドに入社し、統括部長としてロッテ商品の広報・宣伝などを担当。08年にロッテの取締役に就任。13年からはロッテホールディングスの取締役とロッテの常務取締役CMOを兼任し、マーケティング戦略を担う。15年に専務取締役CMO、16年に取締役副社長CMOを歴任。18年に千葉ロッテマリーンズの代表取締役オーナー代行に就任し、19年12月からは球団社長兼任となり現在に至る。
(スポーツナビ)
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≪2021/8/15≫
ロッテ荻野の「七転び八起き」プロ野球人生 “怪我まみれ”も不屈の闘志で克服
1年目から毎年のように怪我も10年目にベストナイン&GG賞を受賞
ロッテの切り込み隊長として活躍する荻野貴司外野手。2009年秋のドラフト会議で1位指名され、ルーキーイヤーの2010年は「12球団で最も速い」とも評された俊足を武器に旋風を巻き起こした。今季はリーグ4位の打率.305をマークするなど、プロ12年目にしてますます存在感を高める魅力に改めて迫りたい。
荻野を語る時につきまとうのが怪我。2010年は開幕から46試合で25盗塁と驚異の脚力を見せたが、右膝の半月板損傷で戦線離脱。ロッテはその年、リーグ3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズを制覇したが、胴上げの場に荻野はいなかった。
その後も、肉離れ、ハムストリング損傷、脱臼と毎年のように怪我に苦しんだ。2017年のオフシーズンには「怪我をゼロに」という願いも込めて背番号を「4」から「0」に変更する。しかし、2018年には初のオールスター出場目前で右手を骨折し出場辞退する不運にも見舞われた。
しかし、荻野は決して屈しない。特に“らしさ”を発揮したのは右手骨折から復帰した2019年だった。プロ10年目にして初の規定打席に到達し、西武・森友哉捕手、オリックス・吉田正尚外野手に続くリーグ3位の打率.315をマークした。さらに盗塁も自己最多の28個を記録し、ベストナインとゴールデングラブ賞も受賞。まさに「七転び八起き」を体現した。
今季は球団初の12年連続2桁盗塁、前半戦はリーグ3位の打率.307
荻野といえば俊足が注目されることが多いが、打撃面も光る。前半戦終了時で339打数(リーグ2位)、104安打(同2位)、打率.307(同3位)、56得点(同2位)。バットを短く持ち、腰をくるっと回して打つスタイルで、快音を響かせる。
身長は172センチ。野球選手としては小柄ながらパンチ力も備え、今季は3本の先頭打者弾を含む6本塁打を放っている。佐々木朗希投手が初先発した5月16日の西武戦では初回にレオネス・マーティン外野手とアベック弾を放ち、恐怖の1、2番コンビの存在感を知らしめた。
35歳の荻野はチームメートへのアドバイスも欠かさない。5月22日の楽天戦では新外国人のアデイニー・エチェバリア内野手に打撃のアドバイス。エチェバリアはその直後の打席で二塁打を放った。
6月22日には球団史上初の12年連続2桁盗塁を記録。プロ野球でも史上4人目の偉業だった。打撃に加えて走力も衰えを知らず、ますます輝きを放つ荻野が悲願のリーグ制覇に向けチームを先導できるか。スピードスターにさらなる期待が募る。
(「パ・リーグ インサイト」下村琴葉)
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≪2021/8/16≫
【千葉魂】田村優勝の瞬間夢見る 故障離脱中、益田に日々連絡
悔しい戦線離脱だった。田村龍弘捕手は4月27日、左足を痛め途中交代をした。三回に二塁からホームまでイッキに駆け抜けた際に痛めた。懸命の走りで先制点こそもぎとったが、代償は大きかった。立川市内の病院での診断の結果、左大腿(だいたい)二頭筋肉離れと診断された。開幕こそ5連敗スタートとなったが4月は大きく巻き返し14勝8敗4分け。チームが勢いに乗っている中で姿を消した。
「落ち込みましたね。今年は全試合出場をしたいと思っていて、オフの間にメチャクチャ下半身を鍛えてきたつもりだった。体力も付いてきたと自信があった中でのけがですから。けがだから、どうしようもない部分もあったけど、チームの調子も良くて、さあ、これからという時だったので悔しかったです」
田村はその時の心境を今も悔しそうに話す。ただ、どんな時も前を向き、向上心を忘れないのがこの若者の特徴だ。田村は戦線離脱している中、毎試合の中継をテレビでしっかり観戦した。そして思いついたこと、感じたことをメモに書き込んだ。チームが勝利した時は喜び、チームメートに連絡を入れた。
□ ■ □
選手会長で抑えを任されている益田直也投手は笑って振り返る。「毎日のように電話が来ましたよ」。野球のこと、トレーニングのこと、現状、たわいもない話。日々、想(おも)ったことを田村は先輩の益田に毎日のように電話をして語り合った。決まって最後は「優勝をしたい」という話になる。田村は言う。「優勝が決まった瞬間はマウンドにいる益田さんのところに突っ込んでいきますから」。益田も優しく返す。「オレも腰が砕けるぐらいタム(田村)に飛びつくよ」
不思議と優勝の瞬間を想像していると、野球ができないつらい日々を我慢することができた。「本当に毎日、電話で話し相手になってもらって励ましてもらって、益田さんには助けてもらいました」と田村は感謝をする。それだけに優勝が決まる試合で最後のマウンドに立つ益田とバッテリーを組み、その瞬間を味わいたいという想いは強い。
「こんなにいつも夢見ていても、いざその瞬間、自分がマスクをかぶっていなかったらどうしようもないですから。そのために頑張りたいし、もう二度とけがをしたくはない」
□ ■ □
田村は我慢の日々を乗り越えて6月23日のホークス戦(ZOZOマリンスタジアム)で1軍復帰を果たした。実に41試合ぶりの出場だった。正捕手が戻ってきたチームは再び勢いづいた。6月は7勝11敗4分けと苦戦をしていたが、7月は5連勝を含む6勝2敗1分け。首位に肉薄した。そして8月13日、プロ野球の後半戦が始まった。
残り試合はすでに60試合を切っている。混戦パ・リーグ。優勝の行方はまったく見えていない。この状況下、田村は1974年以来となるリーグ1位でのリーグ優勝に貢献すべく全身全霊のプレーを日々、続けている。季節は夏。暑く肉体的にも精神的にも過酷な時だ。今は汗を流しながら、がむしゃらに苦労と努力を重ねていく。季節は移り替わる。その先には最高の瞬間は待っているはずだ。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)
(千葉日報)
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≪2021/8/20≫
「脱力」でキレを増しリリーフで安定感抜群 ロッテ佐々木千隼が覚醒した理由
大卒5年目、本格的に中継ぎに転向しフル回転
「このままでは終われない」と意気込んだシーズン。5年目を迎えたロッテの佐々木千隼投手は32試合に登板し4勝0敗13ホールド、防御率1.03(8月17日現在)の成績を残し、初の球宴にも出場するなど、絶対的なリリーフとしてチームからの信頼を掴み取った。「離脱することもなく、非常に充実したシーズンを送れているかなと思います」。時間をかけ、言葉を選びながら、飛躍の前半戦を振り返った。
2016年のドラフト会議で、1位の再指名としては史上初となる5球団競合。1年目は開幕ローテ入りを果たし、15試合登板で4勝を挙げたが、その後は怪我に苦しみ、結果を残せなかった。ドラ1の肩書を背負い、周囲からの期待を受けるのにも苦労。自身も想像していなかった度重なる怪我に苦しみながら、4年間もがいてきた。
昨季から投球時の「脱力」に取り組んできた。昨年春に肩を痛めたのをきっかけに、力を抜いて投げ始めると肩が動くようになったという。プロ入団時から比べると、テークバックまでの時間をかなり大きく取るようになった。投球時にはグラブでタイミングを取り、足をゆったりと上げる。よく脱力のイメージを「ゼロから100」と表現する投手もいるが、佐々木千は“ずっとゼロ”のイメージを持っている。
「できるだけ腕を振らないようにというか、リリースの時もゼロの方が、(フォームとボールの)ギャップが大きくなると思います」。平均球速こそ例年とほとんど変化していないが、今季は、スピンのかかった直球で打者を差し込めていると感じていた。直球のキレが増し、カーブのような独特の遅いスライダーで奥行きを使って投球することができるようになった。
初めて中継ぎとしてシーズンを過ごし、感じた「難しさ」
昨年10月6日にチーム内で新型コロナウイルス感染者が判明し、選手の大幅入れ替えに伴って1軍昇格した。中継ぎで5試合に登板し、4回1/3を投げ4失点。3週間で登録を抹消された。チャンスを掴み取れなかった悔しさもあったが、新たな思いも芽生えていた。
「中継ぎの大変さだったり、経験できたのはよかったかなと思いますし、先発だけじゃなくて、なんでもできる役割になりたいなって思うような経験でした」
先発でも中継ぎでも、投げられるところで精一杯やりたい――。そんな思いを胸に、今年の1軍キャンプを過ごした。今季はここまで全てリリーフで登板。初めて中継ぎ投手としてシーズンを過ごし、結果は残せているが、難しさも感じている。
「先発と中継ぎというのは全く別物なので。1球で後悔することも中継ぎの方が多いです。準備の仕方も違いますし、初めてなので、やっと流れが分かってきたという感じです。1球で試合をひっくり返されてしまったりするのが中継ぎなので、1球の重みというのを改めて感じました」
先発と違い、任されるのは終盤の短いイニング。接戦の場面では1つの失点がチームの勝敗に影響する。6月3日の中日戦(バンテリン)では1点リードの7回に登板。先頭のビシエドに浮いたスライダーを左翼線二塁打され、その後スクイズで同点に追いつかれた。
7月10日の日本ハム戦(ZOZOマリン)では3-3の同点の場面で登板。2死から清水優心に真ん中に入ったスライダーを左翼席へ運ばれた。その後チームが同点に追いつき勝ち負けはつかなかったものの、“1球の重み”を感じた2試合だった。
3月には「充実した1年だったなと、振り返って思えればいいかなと思います」と語っていた。自分の成績には、まだまだ満足はしていない。「これまで戦力になっていなかったので、まずは1年間やり切りたい。そしてチームに貢献できるようにしたいなと。それだけです」。苦しみぬいてようやく覚醒の時を迎えた右腕は、更なる高みを目指す。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)
(フルカウント)
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≪2021/8/20≫
「僕のヒットゾーンはセンターから右方向」ロッテ・加藤匠馬が移籍後初安打
移籍後初安打
ロッテの加藤匠馬が中日時代から継続して取り組んできた“反対方向”への打撃で、移籍後8打席目で初安打を放った。
『9番・捕手』で2試合連続でスタメンマスクを被った加藤は、0-0の3回無死走者なしの第1打席、西武の先発・本田圭佑が1ボール2ストライクから投じた4球目の外角のストレートを、逆らわずに右中間を破る二塁打。これが加藤にとって、マリーンズのユニホームで嬉しい移籍後初安打となった。
逆方向への意識
6月15日に加藤翔平とのトレードで中日から加入した加藤は移籍後、二軍戦で6本の安打を放っているが、実に5本がライト方向に放ったものだ。特に7月21日の日本ハムとの二軍戦で、左の河野竜生から放った右中間を破る二塁打は素晴らしかった。
8月上旬に行ったオンライン取材で加藤は、「僕のヒットゾーンはセンターから右方向。自分の生きる道ではないですけど、ホームランを打つタイプではない。プロ野球界で生きていくうえで必要なバッティングというのは、あの形なのかなと思ってやっています」と右方向に安打が多い理由について説明した。
反対方向の打撃は「ドラゴンズのときからやっていました。ちょっと(安打が)出た時に引っ張りにいって凡打とかがあったので、今は徹底的にセンターから逆方向を意識してやっています」、と中日時代から磨いてきた技術だ。センターから反対方向に打つ理由については「右手をレフト方向にこねてしまう。どちらかというとセンターの方向にもっていくイメージと、あまり右手に力を入れないことをやっています」と明かした。
もちろん、試合前の打撃練習からセンターから逆方向を意識しているが、「たまには引っ張れないとダメだと思うので、引っ張ることも何球かはやっています」とのこと。
中日時代から取り組んできた“反対方向”の打撃で、移籍後初安打となった加藤匠馬。前半戦はスタメン出場がなかったが、後半戦に入ってから6試合中3試合でスタメンマスクを被る。課題は打撃。19日の西武戦では移籍後初安打を放ったが、0-3の4回二死一、二塁の好機に打順が回ってきたところで、角中勝也に代打を送られた。守備面だけでなく、打撃面でもチームに貢献していきたいところだ。
取材・文=岩下雄太
(ベースボールキング)
「いつだって震えている」ロッテ田村龍弘は”信頼”をどう積み重ねてきたのか? キャッチャーという過酷な仕事のウラ側
捕手は難しいポジションだ。グラウンドの司令塔として投手をリードし、それはチームの勝敗に直結する。ゆえに受けるプレッシャーは並大抵のものではない。肉体的にも精神的にも辛く過酷である。
千葉ロッテマリーンズの田村龍弘捕手は言う。
「独特の緊張感。痺れるし、震える。それは開幕戦でもシーズン中のどの1試合でも同じ。いつだって震えている。本当に難しいです」
2021年、マリーンズは開幕早々2戦目と3戦目に2試合連続サヨナラ負けを喫した。いずれも絶対的守護神・益田直也が打たれての痛い敗戦だった。
「終盤に逆転されて負ける試合は悔しいし、ダメージも大きい。ただ捕手としては引きずるのではなくて、反省をしたら次に切り替えていかないといけない。長いペナントレースは常に切り替え。捕手がいつまでも引きずっているようだとやられる。
もちろん、そういう試合の次の日はいつも以上に緊張するし難しいけど、捕手以上に打たれた投手はもっとそういう気持ちでいるはず。だからこそ、こちらはどっしりと構えていないといけないと思う。でも、本音はやっぱり、やられた次のゲームが一番緊張するし、震える」
太々しい外見からすると緊張など、どこ吹く風のごとく振舞っているように見えるが内面は繊細な若者だ。
マスクを被ると誰よりも緊張し、負ければ1人で責任を背負い込み、悩み落ち込む。サヨナラ負けをしてベンチで人目はばかることなく、涙を流したこともあった。
そんな日々が積み重なり、今の捕手・田村を作っている。
大事にしていることがある。投手とのコミュニケーションだ。
理想はすべての投手とリードをする指で会話を成立させること。そのために大事なのは日ごろから考えを理解し合うことだ。「ただ、話をすればいいというわけではない」と田村は強調する。
「単にストレートを打たれたから変化球がよかったねという話ではなくて、その1球にどう思ったのか。自分がストレートのサインを出した時になにを思ったのか。打者の雰囲気をどう感じていたのか。もし(投手が)変化球がいいと思っていたのなら、それはなぜで、なぜその時は首を振って変化球を投げたいという意思を表明することはなかったのか。そのすべてを把握することで次につながると思っている。
そしてこちらも同じ。なぜあのカウントであのボールを投げて欲しかったのか。意図を分かってもらいたいと思っている」
理想はジェスチャーなし
捕手にはリードと同時にジェスチャーで指示を行うことがある。
「低め、低め」
「広く、広く」
「インコース厳しく、甘くはなるな」
「ワンバウンドでもいいから、思いっきり低めに」
よく見る光景だ。一番の理想はこのジェスチャーをすることもなく、お互いが次のボールをどのように投げればいいか分かっている状態となる関係性を作りあげることだ。
最近は投手から「きょうは田村のリードに任せる」と言われることが増えてきた。それは阿吽の呼吸が出来ている証である。「めちゃくちゃ嬉しいけど、めちゃくちゃ緊張する」と田村は笑う。
田村は投手以外にも実に多くの人とコミュニケーションをとる姿をみかける。
投手コーチやスコアラー、野手。幅広く会話を交わすことでヒントを探す。試合中もイニングの合間などにブルペンに向かい、リリーフ陣と出番が来た時に備えて意見を交わすこともある。いつ何時も幅広くアンテナを張り巡らし判断材料を増やしている。
「捕手目線で打者に感じる調子や狙いなど。そして投手がマウンドから感じる事。コーチなどがベンチから見える事。そしてグラウンドコンディションによってリードも変わる。今日は風の影響でライト方向に伸びるなと思ったら当然、リードの仕方も変わるし、逆に今日、レフトは戻されるぞと分かったらそれを頭に入れて大胆にリードできる部分はある。そこには当然、ミーティングでのデータもある。感性も入ってくる。色々な材料と沢山の人の意見や気づきを集めて判断をしたいと思っている」
自身が感じたことはなるべく投手に伝え、共有したい。だからこそ、試合中でも田村は何度もブルペンに足を運び、リリーフ陣に考えを伝える。
「入り方だけ考えてリードをする人もいるけど、益田さんとか唐川(侑己)さんとか(佐々木)千隼など終盤の投手をリードする時には特に最初からある程度、先々までイメージしてリードをするようにしているし、なるべく、こういう風にリードをするつもりですという意図を伝えるようにしたいと思っている」
ペナントレースはオリンピック中断期間を経て後半戦に突入した。パ・リーグは混戦。前半戦以上の重圧が捕手にはのしかかる。捕手陣は球場入りしてミーティング。全体練習後にバッテリーミーティングと野手ミーティング。試合後にミーティングとどのポジションよりもタイトなスケジュールの中で戦う。
「大変だけど、やりがいがある。勝った時、捕手は誰よりも充実感を感じられるし嬉しい」と田村は痺れながらもマスクを被り続ける。
19歳で一軍デビューし、今や27歳。気が付けば自分より若い投手も増えた。後輩たちのデビュー戦でリードを任されることも多い。そういう時は不敵な笑みを浮かべながら話しかける。
「緊張してマウンドで顔面蒼白なピッチャーもいる。強がってでも、こっちは『大丈夫や』と自信満々に言う。内心はボクも緊張しているけど、こっちも一緒になって顔を真っ青にしていたらダメだし、投手も不安になるのでね」
ベテラン陣が自分自身のリードを信じて投げて勝つ試合も嬉しいが、若い投手たちをリードして彼らが飛躍のキッカケを掴んでくれることの充実感にも、やりがいを感じる。捕手は難しい。しかし日々のすべてが刺激的で充実している。
「益田さんに突っ込んでいきます」
苦難を乗り越えた先に見える光景はもちろんリーグ優勝だ。マリーンズは1974年以来、パ1位でのリーグ優勝から遠ざかっている。これまで何度となく目の前で胴上げを見てきた悔しい想いがある。そしていつかは自分自身が胴上げの輪の中心で喜べることを信じて努力を続けてきた。
「その瞬間、右手を突き上げます。そしてマウンドにいる抑えの益田さんのところに突っ込んでいきます」と目を輝かせる。田村を信頼する益田も「腰が砕けるぐらい田村に飛びつきます」と笑う。
143試合の激闘の先にある最高の瞬間を夢見て捕手は日々、重圧と向き合い努力を重ねている。
梶原紀章(千葉ロッテ広報)
(Number)
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≪2021/8/14≫
「チーム」と「事業」は球団の両輪
ロッテ河合球団社長の描くビジョン
「千葉ロッテマリーンズ 理念」を発表し、それを基に策定されたチームの中長期的なビジョンやメッセージをまとめた「Team Voice」を表明した2021年のロッテ。井口監督に続き、今回は河合克美オーナー代行兼球団社長に球団が描くビジョンを伺った。1974年以来、リーグ1位から遠ざかっているチームを、河合氏はどのようにして「常勝軍団」へ導いていくのだろうか。
「強み」を生かして、「弱み」を減らす
――千葉ロッテマリーンズは現在、中長期的な展望の下、チーム改革を進めています。また、井口資仁監督は「マリーンズに黄金時代をもたらす」と発言しています。そのためには現場とフロントとの連携がとても重要になりますね。
河合 プロ球団というのは「チーム」と「事業」の両輪が噛み合って初めてビジネスとなります。チームが強くなって人気が出て、結果としてお客さんが球場にやってきて、チケットやグッズが売れていく。この両輪がうまく回らなければいけません。いくら事業だけに力を入れても、チームが弱ければお客さんは来てくれませんから。
――河合さんがオーナー代行に就任したのが、2018(平成30)年のことで、翌19(令和元)年オフからは、球団社長も兼務しています。それまではロッテ本社のマーケティング戦略の要職を担っていたと伺いました。オーナー代行就任時に感じたマリーンズの強みや弱みを教えてください。
河合 オーナー代行に就任して細かい個別のレポートを見ているうちに、このチームにはどこにチャンスがあるのか、どこに課題があるのかが少しずつ見えてきました。強みというのは「生のスポーツコンテンツの面白さ」です。世の中のデジタル化が急速に進んだことで、人々は逆に、「リアルな面白さ」に気づき始めたのではないか? デジタルを通過した人たちが、改めてスポーツコンテンツの価値に気づき始めたのではないか? そこに強みがあるのではないかということは強く感じました。
――では、「マリーンズの弱み」はいかがですか?
河合 先ほど申し上げた「両輪」がうまく回っていないことです。「チーム」と「事業」が、それぞれ別々に展開している。明快なビジョンや理念があるわけではなく、単に「黒字化しよう」ということだけが大命題になっていました。私はそれまで、ロッテグループ全体のマーケティング戦略を担当してきました。その際には必ず自分たちの事業の足元を見つめ直す作業をしていました。
――当然、千葉ロッテマリーンズの足元も見直されたわけですね。
河合 はい。足元を見つめ直して、どの部門が稼いでいて、どの分野が課題で、どこに集中していけば、継続的な成長戦略が描けるのか? それを実現するためにはきっちりとしたデータ分析をして、短期的、中期的、長期的にやるべきことを考えなければならない。教科書的な言い方になってしまいますが、「選択と集中」が必要だと考えました。球団の勝機はどこにあるのか? そこをきちんと分析すれば勝機も見えるはず。それは、お菓子の事業も野球の事業も変わらないんです。
――足元を見つめ直すためには、しっかりとしたデータ収集と分析が重要になります。井口監督の就任2年目となる19年にはデータ収集と分析を行うチーム戦略部が創設され、翌20年には球団にマーケティング戦略本部が設立されました。いずれも、河合さんが球団に関わるようになって以降のことですね。
河合 球団にマーケティング部自体がありませんでしたので、経営戦略に直結するマーケティング戦略本部はどうしても必要でした。同じことはチームにも言えることで、きちんとデータ分析をする必要がありました。データをベースにして全体の戦略を練ること。他球団の選手層とうちの選手層をデータで比較して、「明らかに弱いのはここだよね」という点を整理していきました。
――その分析の成果としてドラフト戦略も明らかに変わったそうですね。
河合 当時、マリーンズ投手のストレートの平均球速はパ・リーグ最下位でした。150キロ以上のストレートの割合も、ソフトバンクが30パーセント以上なのに対して、マリーンズは約3パーセントほどでした。100球投げて3球しか150キロが来ない。単純に考えると、そんな状態で戦っても勝てるはずがないのでは、となる。ならば、ドラフト戦略として速い球を投げる選手を獲ればいい。他球団から速い球を投げる投手を狙っていけばとなる。
「常勝軍団」を目指すための理念作り
――そこで、19年ドラフトではあえて競合覚悟で、高校時代に163キロを計測した佐々木朗希投手の指名に踏み切ったわけですね。
河合 ドラフト前のミーティングでは全員一致で「佐々木朗希でいこう」となりました。ただ、面白いのは「もしも抽選で外したら、誰を指名するか?」という話題になると、「大卒の技巧派で○○という選手が……」とか、「横手投げの即戦力で○○が……」となるんです。うちのチームに足りないものは「150キロ以上を投げる投手だ」とわかっていても、つい、その視点が抜け落ちてしまうんです。
――指名方針に揺らぎが生じてしまったということですね。
河合 どんな事業でもそうですけど、理屈はわかっていても「いざ」となるとコロッと変わってしまうことはしばしばあります。そのためにも、誰もが共有できる理念やビジョン作りが重要なんです。でも、往々にして理念というのは絵に描いた餅となり、どうしても自分事になりにくい。だから、時間はかかるけれども、球団の理念作りにおいて立候補制にしました。今の20代、30代の社員にとっての「20年後、30年後のあるべき姿」を自分たちの手で考えてもらおうと考えたのです。
――その結果誕生したのが、「千葉ロッテマリーンズ理念」ですね。「勝つための三カ条」として「勝利への挑戦、勝利の熱狂、勝利の結束」を掲げています。
河合 これらは「マリーンズらしさ」が結実している言葉であり、未来永劫続く理念です。その理念を持った上で「では3年後、5年後にはどうすべきか?」というもので、中長期的なビジョン、メッセージを共有することを目的に「Team Voice」を策定しました。うちみたいな成長過程にあるチームが3年後、5年後、10年後をめざすときに、その時々で言っていることがコロコロ変わっていてはダメなんです。
現場とフロントの理念は完全に一致している
――この「理念」では、「マリーンズの使命」として、「千葉ロッテマリーンズは、勝利と頂点を目指す集団であり、関わる全ての人々の誇りであり続ける」と高らかに謳われています。
河合 そうです。我々の使命は「勝ち続けること」を通じて、世の中の人たちに誇りを持っていただく。そんな球団になること、あり続けることなんです。そのためには当然、きちんと分析をして補強をしなければいけない。それができれば、必ずお客さんは来てくれる。ワクワク、ドキドキする試合を見せられればお客さんは来てくれると信じています。
――ますます、現場を預かる井口監督との密なるコミュニケーションが重要となりますね。
河合 従来までは「勘と経験」で勝負するというのが常識でした。しかし、メジャー経験のある井口監督は、データを基に戦略を立てていくということをきちんと理解されている監督です。経営上の課題をすべて監督に理解していただく必要はないけれど、「強いチームを作る」という理念は完全に一致しています。そこには何のズレもありません。
――中長期的なビジョンを持ちつつ、同時に目の前の今季の戦いも続いていきます。この辺りのバランスをどうとるのか、難しい課題だと思います。
河合 今までならば「5割を目指せばいい」とか「3位以内に入ってクライマックスシリーズを目指そう」と考えがちでした。でも、今年のキャンプインの最初に言ったのは「そんな考え方は一切捨ててくれ」ということでした。選手一人一人が厳しく自らを律していく。ファンの人たちの期待に応えられないようなプレーではダメなんです。
――オーナー代行兼球団社長と監督。そして、球団スタッフとファン。それぞれが共有できる理念を持つことで、「常勝軍団を作る」という目的がより近づく。そんな考えであることはよく理解できました。
河合 現在、社員と共有するためのブランドブックを作っています。理念を作った際の社員の声を入れ込むことで、改めて自分たちのリマインドになって、「他人事」ではなく「自分事」化していくためです。ブランドブックは社員、選手に渡して、家に持って帰ってもらって、家族に誇らしく見せられるようなものを目指して作っています。
河合克美(かわい・かつみ)
1952年5月27日生まれ。慶應義塾大を卒業後、75年に鐘紡に入社。博報堂を経て、2004年にロッテ・アドに入社し、統括部長としてロッテ商品の広報・宣伝などを担当。08年にロッテの取締役に就任。13年からはロッテホールディングスの取締役とロッテの常務取締役CMOを兼任し、マーケティング戦略を担う。15年に専務取締役CMO、16年に取締役副社長CMOを歴任。18年に千葉ロッテマリーンズの代表取締役オーナー代行に就任し、19年12月からは球団社長兼任となり現在に至る。
(スポーツナビ)
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≪2021/8/15≫
ロッテ荻野の「七転び八起き」プロ野球人生 “怪我まみれ”も不屈の闘志で克服
1年目から毎年のように怪我も10年目にベストナイン&GG賞を受賞
ロッテの切り込み隊長として活躍する荻野貴司外野手。2009年秋のドラフト会議で1位指名され、ルーキーイヤーの2010年は「12球団で最も速い」とも評された俊足を武器に旋風を巻き起こした。今季はリーグ4位の打率.305をマークするなど、プロ12年目にしてますます存在感を高める魅力に改めて迫りたい。
荻野を語る時につきまとうのが怪我。2010年は開幕から46試合で25盗塁と驚異の脚力を見せたが、右膝の半月板損傷で戦線離脱。ロッテはその年、リーグ3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズを制覇したが、胴上げの場に荻野はいなかった。
その後も、肉離れ、ハムストリング損傷、脱臼と毎年のように怪我に苦しんだ。2017年のオフシーズンには「怪我をゼロに」という願いも込めて背番号を「4」から「0」に変更する。しかし、2018年には初のオールスター出場目前で右手を骨折し出場辞退する不運にも見舞われた。
しかし、荻野は決して屈しない。特に“らしさ”を発揮したのは右手骨折から復帰した2019年だった。プロ10年目にして初の規定打席に到達し、西武・森友哉捕手、オリックス・吉田正尚外野手に続くリーグ3位の打率.315をマークした。さらに盗塁も自己最多の28個を記録し、ベストナインとゴールデングラブ賞も受賞。まさに「七転び八起き」を体現した。
今季は球団初の12年連続2桁盗塁、前半戦はリーグ3位の打率.307
荻野といえば俊足が注目されることが多いが、打撃面も光る。前半戦終了時で339打数(リーグ2位)、104安打(同2位)、打率.307(同3位)、56得点(同2位)。バットを短く持ち、腰をくるっと回して打つスタイルで、快音を響かせる。
身長は172センチ。野球選手としては小柄ながらパンチ力も備え、今季は3本の先頭打者弾を含む6本塁打を放っている。佐々木朗希投手が初先発した5月16日の西武戦では初回にレオネス・マーティン外野手とアベック弾を放ち、恐怖の1、2番コンビの存在感を知らしめた。
35歳の荻野はチームメートへのアドバイスも欠かさない。5月22日の楽天戦では新外国人のアデイニー・エチェバリア内野手に打撃のアドバイス。エチェバリアはその直後の打席で二塁打を放った。
6月22日には球団史上初の12年連続2桁盗塁を記録。プロ野球でも史上4人目の偉業だった。打撃に加えて走力も衰えを知らず、ますます輝きを放つ荻野が悲願のリーグ制覇に向けチームを先導できるか。スピードスターにさらなる期待が募る。
(「パ・リーグ インサイト」下村琴葉)
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≪2021/8/16≫
【千葉魂】田村優勝の瞬間夢見る 故障離脱中、益田に日々連絡
悔しい戦線離脱だった。田村龍弘捕手は4月27日、左足を痛め途中交代をした。三回に二塁からホームまでイッキに駆け抜けた際に痛めた。懸命の走りで先制点こそもぎとったが、代償は大きかった。立川市内の病院での診断の結果、左大腿(だいたい)二頭筋肉離れと診断された。開幕こそ5連敗スタートとなったが4月は大きく巻き返し14勝8敗4分け。チームが勢いに乗っている中で姿を消した。
「落ち込みましたね。今年は全試合出場をしたいと思っていて、オフの間にメチャクチャ下半身を鍛えてきたつもりだった。体力も付いてきたと自信があった中でのけがですから。けがだから、どうしようもない部分もあったけど、チームの調子も良くて、さあ、これからという時だったので悔しかったです」
田村はその時の心境を今も悔しそうに話す。ただ、どんな時も前を向き、向上心を忘れないのがこの若者の特徴だ。田村は戦線離脱している中、毎試合の中継をテレビでしっかり観戦した。そして思いついたこと、感じたことをメモに書き込んだ。チームが勝利した時は喜び、チームメートに連絡を入れた。
□ ■ □
選手会長で抑えを任されている益田直也投手は笑って振り返る。「毎日のように電話が来ましたよ」。野球のこと、トレーニングのこと、現状、たわいもない話。日々、想(おも)ったことを田村は先輩の益田に毎日のように電話をして語り合った。決まって最後は「優勝をしたい」という話になる。田村は言う。「優勝が決まった瞬間はマウンドにいる益田さんのところに突っ込んでいきますから」。益田も優しく返す。「オレも腰が砕けるぐらいタム(田村)に飛びつくよ」
不思議と優勝の瞬間を想像していると、野球ができないつらい日々を我慢することができた。「本当に毎日、電話で話し相手になってもらって励ましてもらって、益田さんには助けてもらいました」と田村は感謝をする。それだけに優勝が決まる試合で最後のマウンドに立つ益田とバッテリーを組み、その瞬間を味わいたいという想いは強い。
「こんなにいつも夢見ていても、いざその瞬間、自分がマスクをかぶっていなかったらどうしようもないですから。そのために頑張りたいし、もう二度とけがをしたくはない」
□ ■ □
田村は我慢の日々を乗り越えて6月23日のホークス戦(ZOZOマリンスタジアム)で1軍復帰を果たした。実に41試合ぶりの出場だった。正捕手が戻ってきたチームは再び勢いづいた。6月は7勝11敗4分けと苦戦をしていたが、7月は5連勝を含む6勝2敗1分け。首位に肉薄した。そして8月13日、プロ野球の後半戦が始まった。
残り試合はすでに60試合を切っている。混戦パ・リーグ。優勝の行方はまったく見えていない。この状況下、田村は1974年以来となるリーグ1位でのリーグ優勝に貢献すべく全身全霊のプレーを日々、続けている。季節は夏。暑く肉体的にも精神的にも過酷な時だ。今は汗を流しながら、がむしゃらに苦労と努力を重ねていく。季節は移り替わる。その先には最高の瞬間は待っているはずだ。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)
(千葉日報)
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≪2021/8/20≫
「脱力」でキレを増しリリーフで安定感抜群 ロッテ佐々木千隼が覚醒した理由
大卒5年目、本格的に中継ぎに転向しフル回転
「このままでは終われない」と意気込んだシーズン。5年目を迎えたロッテの佐々木千隼投手は32試合に登板し4勝0敗13ホールド、防御率1.03(8月17日現在)の成績を残し、初の球宴にも出場するなど、絶対的なリリーフとしてチームからの信頼を掴み取った。「離脱することもなく、非常に充実したシーズンを送れているかなと思います」。時間をかけ、言葉を選びながら、飛躍の前半戦を振り返った。
2016年のドラフト会議で、1位の再指名としては史上初となる5球団競合。1年目は開幕ローテ入りを果たし、15試合登板で4勝を挙げたが、その後は怪我に苦しみ、結果を残せなかった。ドラ1の肩書を背負い、周囲からの期待を受けるのにも苦労。自身も想像していなかった度重なる怪我に苦しみながら、4年間もがいてきた。
昨季から投球時の「脱力」に取り組んできた。昨年春に肩を痛めたのをきっかけに、力を抜いて投げ始めると肩が動くようになったという。プロ入団時から比べると、テークバックまでの時間をかなり大きく取るようになった。投球時にはグラブでタイミングを取り、足をゆったりと上げる。よく脱力のイメージを「ゼロから100」と表現する投手もいるが、佐々木千は“ずっとゼロ”のイメージを持っている。
「できるだけ腕を振らないようにというか、リリースの時もゼロの方が、(フォームとボールの)ギャップが大きくなると思います」。平均球速こそ例年とほとんど変化していないが、今季は、スピンのかかった直球で打者を差し込めていると感じていた。直球のキレが増し、カーブのような独特の遅いスライダーで奥行きを使って投球することができるようになった。
初めて中継ぎとしてシーズンを過ごし、感じた「難しさ」
昨年10月6日にチーム内で新型コロナウイルス感染者が判明し、選手の大幅入れ替えに伴って1軍昇格した。中継ぎで5試合に登板し、4回1/3を投げ4失点。3週間で登録を抹消された。チャンスを掴み取れなかった悔しさもあったが、新たな思いも芽生えていた。
「中継ぎの大変さだったり、経験できたのはよかったかなと思いますし、先発だけじゃなくて、なんでもできる役割になりたいなって思うような経験でした」
先発でも中継ぎでも、投げられるところで精一杯やりたい――。そんな思いを胸に、今年の1軍キャンプを過ごした。今季はここまで全てリリーフで登板。初めて中継ぎ投手としてシーズンを過ごし、結果は残せているが、難しさも感じている。
「先発と中継ぎというのは全く別物なので。1球で後悔することも中継ぎの方が多いです。準備の仕方も違いますし、初めてなので、やっと流れが分かってきたという感じです。1球で試合をひっくり返されてしまったりするのが中継ぎなので、1球の重みというのを改めて感じました」
先発と違い、任されるのは終盤の短いイニング。接戦の場面では1つの失点がチームの勝敗に影響する。6月3日の中日戦(バンテリン)では1点リードの7回に登板。先頭のビシエドに浮いたスライダーを左翼線二塁打され、その後スクイズで同点に追いつかれた。
7月10日の日本ハム戦(ZOZOマリン)では3-3の同点の場面で登板。2死から清水優心に真ん中に入ったスライダーを左翼席へ運ばれた。その後チームが同点に追いつき勝ち負けはつかなかったものの、“1球の重み”を感じた2試合だった。
3月には「充実した1年だったなと、振り返って思えればいいかなと思います」と語っていた。自分の成績には、まだまだ満足はしていない。「これまで戦力になっていなかったので、まずは1年間やり切りたい。そしてチームに貢献できるようにしたいなと。それだけです」。苦しみぬいてようやく覚醒の時を迎えた右腕は、更なる高みを目指す。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)
(フルカウント)
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≪2021/8/20≫
「僕のヒットゾーンはセンターから右方向」ロッテ・加藤匠馬が移籍後初安打
移籍後初安打
ロッテの加藤匠馬が中日時代から継続して取り組んできた“反対方向”への打撃で、移籍後8打席目で初安打を放った。
『9番・捕手』で2試合連続でスタメンマスクを被った加藤は、0-0の3回無死走者なしの第1打席、西武の先発・本田圭佑が1ボール2ストライクから投じた4球目の外角のストレートを、逆らわずに右中間を破る二塁打。これが加藤にとって、マリーンズのユニホームで嬉しい移籍後初安打となった。
逆方向への意識
6月15日に加藤翔平とのトレードで中日から加入した加藤は移籍後、二軍戦で6本の安打を放っているが、実に5本がライト方向に放ったものだ。特に7月21日の日本ハムとの二軍戦で、左の河野竜生から放った右中間を破る二塁打は素晴らしかった。
8月上旬に行ったオンライン取材で加藤は、「僕のヒットゾーンはセンターから右方向。自分の生きる道ではないですけど、ホームランを打つタイプではない。プロ野球界で生きていくうえで必要なバッティングというのは、あの形なのかなと思ってやっています」と右方向に安打が多い理由について説明した。
反対方向の打撃は「ドラゴンズのときからやっていました。ちょっと(安打が)出た時に引っ張りにいって凡打とかがあったので、今は徹底的にセンターから逆方向を意識してやっています」、と中日時代から磨いてきた技術だ。センターから反対方向に打つ理由については「右手をレフト方向にこねてしまう。どちらかというとセンターの方向にもっていくイメージと、あまり右手に力を入れないことをやっています」と明かした。
もちろん、試合前の打撃練習からセンターから逆方向を意識しているが、「たまには引っ張れないとダメだと思うので、引っ張ることも何球かはやっています」とのこと。
中日時代から取り組んできた“反対方向”の打撃で、移籍後初安打となった加藤匠馬。前半戦はスタメン出場がなかったが、後半戦に入ってから6試合中3試合でスタメンマスクを被る。課題は打撃。19日の西武戦では移籍後初安打を放ったが、0-3の4回二死一、二塁の好機に打順が回ってきたところで、角中勝也に代打を送られた。守備面だけでなく、打撃面でもチームに貢献していきたいところだ。
取材・文=岩下雄太
(ベースボールキング)
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