こんばんは!
ご無沙汰しました。久しぶりの更新です。
どうしたわけか、私が常用しているMacbook airからこのブログにログイン出来なくなり、更新したくても出来ない状況が続いています。
ですので今日はマルセル君のパソコンからはログインして書いています。
更新していないのに毎日皆さんが訪問して下さって・・なんかすごーく嬉しいです。
ところで9月の終わりから急に涼しくなり、これで本格的な秋に向かうのかな・・と思っていたら、今週からまた暑さがぶり返してますね。
秋だというのにノースリーブで過ごしています。
・・私は日々スピリチュアル哲学を活かして生活していますが、ここ数週間は深い学びと気付きの連続でした。
気付きが起きると急に波動が上がり、身体の方がすぐについて行けなくてキツいですね。・・私の場合は食生活に関係なく内臓の調子が崩れます。
ここ数年はこの繰り返しですのでもう慣れましたが、「病気じゃない」と分かっていても不調感があるときは積極的な思考や行動が出来ません。
こういうときは「静にじっとしていなさい」というメッセージと受け止めて、出来るだけゆったりと過ごすようにしています。
まあ・・震災以降はかなりペースダウンしてゆとり生活をしていますが、たまに「忙しい人たち」と食事をする機会があると、テンポ感の違いから影響を受けてしまい「焦ったり」「落ち込んだり」することがあります。
以前の私だったらそのような気持ちになると「何とかしなくちゃ!」とか「気持ちを切り替えよう!」としていましたが、今はそういう気持ちを何とかしないでそのままにしておくことが出来るようになりました。
「焦ったり」「落ち込んだり」はネガティヴな感情ですが、「ネガティヴな感情は良くない」と頭で考え「焦らない!」とか「落ち込まない!」と自分に言い聞かせることは、自分の感情を抑えてしまうことになります。
感情を抑えるとその感情は未消化のまま身体の奥底に溜まっていきます。
だからどんな感情でも沸き上がってくるのを押さえない方がいいんです。
ただ感情を人にぶつけたり、人に対して表現するのとは違います。
どんな感情でも「自分から出てくる感情」をしっかり観ることが大切なんですね。
例えば腹が立ったときは「私は今腹が立っている」と認識することです。それは誰かに対してのものかもしれませんが、「自分の感情」ですからはっきり言って人には関係ありません。
親しい間柄なら「私はあなたに腹を立てている」と伝えることが可能ですが、そうでないときは一応ポーカーフェースを装い、一人でになったときに感情を放出しておきましょう。
どんな感情でもそれをそのまま観ると、不思議なことにサーッとひいていきます。
そして自分の奥に潜む小さな子供がだだをこねているだけだと気付きます。自分の中のちっちゃい子供が「寂しいよー!」「私を分かって!」「負けたくないよ-!」と叫んでいるんです。・・「人の気も知らないで何よ!プンプン
」は「私を分かってくれなくて寂しい~」と翻訳できますものね。
・・「怒り」の正体は大抵こんなもの・・どうして腹が立ったのだろう?と胸に手を当てて聞いてみるとその根っこの気持ちは案外単純です。
嬉しい・楽しい・好き・嫌い・やりたい・やりたくないなどの感情も、自分の中から出てきたら素直に味わい、自分の感情に判断を加えず観ていくと「自分に本当に必要なこと」が自然に分かるようになります。
感情をそのまま観てその根っこを辿ると、時には「自分の中のぞっとするようなおぞましい本音」に行き着くことがあるかもしれませんが、そういう本音だって認めちゃいましょう。
だれでも見たくない本音はあるものです。それを見つけたら「私はちっちゃい人間だ!」と笑い飛ばすとすごーく楽になります。
私もこの数週間は「私ってちっちゃい
」と何度も笑い飛ばしました
自分がちっちゃいと知っていれば見栄を張る必要もないし、自然体でいればいいんですものね。
ちなみに「焦り」と「落ち込み」を翻訳すると「負けたくない」でした。へへ
私ってちっちゃーい
では皆さんお休みなさい


追伸
自分のパソコンで更新出来ないと不便なので、もしかするとブログの引っ越しをするかもしれません。皆さんに事前にお知らせできるといいのですが・・もし更新が滞っていたらツイッターを覗いてみて下さい。そちらにインフォメーションを載せるようにします。
ご無沙汰しました。久しぶりの更新です。
どうしたわけか、私が常用しているMacbook airからこのブログにログイン出来なくなり、更新したくても出来ない状況が続いています。
ですので今日はマルセル君のパソコンからはログインして書いています。
更新していないのに毎日皆さんが訪問して下さって・・なんかすごーく嬉しいです。

ところで9月の終わりから急に涼しくなり、これで本格的な秋に向かうのかな・・と思っていたら、今週からまた暑さがぶり返してますね。
秋だというのにノースリーブで過ごしています。
・・私は日々スピリチュアル哲学を活かして生活していますが、ここ数週間は深い学びと気付きの連続でした。
気付きが起きると急に波動が上がり、身体の方がすぐについて行けなくてキツいですね。・・私の場合は食生活に関係なく内臓の調子が崩れます。
ここ数年はこの繰り返しですのでもう慣れましたが、「病気じゃない」と分かっていても不調感があるときは積極的な思考や行動が出来ません。
こういうときは「静にじっとしていなさい」というメッセージと受け止めて、出来るだけゆったりと過ごすようにしています。
まあ・・震災以降はかなりペースダウンしてゆとり生活をしていますが、たまに「忙しい人たち」と食事をする機会があると、テンポ感の違いから影響を受けてしまい「焦ったり」「落ち込んだり」することがあります。
以前の私だったらそのような気持ちになると「何とかしなくちゃ!」とか「気持ちを切り替えよう!」としていましたが、今はそういう気持ちを何とかしないでそのままにしておくことが出来るようになりました。
「焦ったり」「落ち込んだり」はネガティヴな感情ですが、「ネガティヴな感情は良くない」と頭で考え「焦らない!」とか「落ち込まない!」と自分に言い聞かせることは、自分の感情を抑えてしまうことになります。
感情を抑えるとその感情は未消化のまま身体の奥底に溜まっていきます。
だからどんな感情でも沸き上がってくるのを押さえない方がいいんです。
ただ感情を人にぶつけたり、人に対して表現するのとは違います。
どんな感情でも「自分から出てくる感情」をしっかり観ることが大切なんですね。
例えば腹が立ったときは「私は今腹が立っている」と認識することです。それは誰かに対してのものかもしれませんが、「自分の感情」ですからはっきり言って人には関係ありません。
親しい間柄なら「私はあなたに腹を立てている」と伝えることが可能ですが、そうでないときは一応ポーカーフェースを装い、一人でになったときに感情を放出しておきましょう。
どんな感情でもそれをそのまま観ると、不思議なことにサーッとひいていきます。
そして自分の奥に潜む小さな子供がだだをこねているだけだと気付きます。自分の中のちっちゃい子供が「寂しいよー!」「私を分かって!」「負けたくないよ-!」と叫んでいるんです。・・「人の気も知らないで何よ!プンプン

・・「怒り」の正体は大抵こんなもの・・どうして腹が立ったのだろう?と胸に手を当てて聞いてみるとその根っこの気持ちは案外単純です。
嬉しい・楽しい・好き・嫌い・やりたい・やりたくないなどの感情も、自分の中から出てきたら素直に味わい、自分の感情に判断を加えず観ていくと「自分に本当に必要なこと」が自然に分かるようになります。
感情をそのまま観てその根っこを辿ると、時には「自分の中のぞっとするようなおぞましい本音」に行き着くことがあるかもしれませんが、そういう本音だって認めちゃいましょう。
だれでも見たくない本音はあるものです。それを見つけたら「私はちっちゃい人間だ!」と笑い飛ばすとすごーく楽になります。
私もこの数週間は「私ってちっちゃい


自分がちっちゃいと知っていれば見栄を張る必要もないし、自然体でいればいいんですものね。
ちなみに「焦り」と「落ち込み」を翻訳すると「負けたくない」でした。へへ


では皆さんお休みなさい





