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よく勘違いしやすいことなんで、確認の意味を込めて何度でも・・・。
___
ある日記事の中で、(´自ω我) というキャラクターが喋りだし始めました。
ノリノリで書いてたんで、気づいたら居たという感じですが。
そんな自我さんに喋らせたり、説明したりするのはとても分かりすいんですが、一つ問題があります。
自我をキャラクターにしてしまった弊害とでも言いますか・・・
実は何度も書いていることなんですが、自我というのは自分そのものなんです。
あなたという感覚のその全てが自我なんです。
当たり前のようで、これって案外忘れがちです。
特にスピ系にはまると、「本当の自分」とかいう意味分からんものがあって、その中に自分の「自我」というパーツがあるように思ってしまいます。
しかし、はっきり言ってしまうと本当の自分なんてもんは、ありません。
もちろん悟りに気づいた自分を、本当の自分ですよ。と言ってしまう事も出来るかもしれません。
そう言い切るのは分かりやすいんで、そう説明したこともあったかもしれません。
しかし、ここまで読んで頂いた方なら、こう説明しても、もう大丈夫でしょう。
そもそも自分という感覚に、本当も嘘もないんです。
どこからどこまでが本当の自分で、どこからがそうでない自分なんでしょうか。
それを決めているのは・・・?
そう、それもまた自分です(笑)
自我とは、あなたの一部ではありません。
自我とはあなたの全てです。
その名の通り、自らであり、我である訳です(?)
それを観察しようが、認めようが、手放そうが、愛そうが、いたわろうが、いじめようが・・・・
あなたは、どこまでも自分という感覚の中にあります。
逆に言えば、どんな時も自分という感覚がある、ということだけははっきりしています。
それはどこまでもシンプルに、ただあるだけです。
ゆえに、こんな簡単なことに気づけないんです。
意味が分からない?もっと分かりやすく?
そう思ったり、求めたりしているのは誰でしょう。
それは、どこまでも自分。
そう、自分という自我ありきのものです。
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呉 「混乱してきたら、どこまでもシンプルに。」
(´自ω我) 「オレ思うゆえにオレありっす!」
よく勘違いしやすいことなんで、確認の意味を込めて何度でも・・・。
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ある日記事の中で、(´自ω我) というキャラクターが喋りだし始めました。
ノリノリで書いてたんで、気づいたら居たという感じですが。
そんな自我さんに喋らせたり、説明したりするのはとても分かりすいんですが、一つ問題があります。
自我をキャラクターにしてしまった弊害とでも言いますか・・・
実は何度も書いていることなんですが、自我というのは自分そのものなんです。
あなたという感覚のその全てが自我なんです。
当たり前のようで、これって案外忘れがちです。
特にスピ系にはまると、「本当の自分」とかいう
しかし、はっきり言ってしまうと本当の自分なんてもんは、ありません。
もちろん悟りに気づいた自分を、本当の自分ですよ。と言ってしまう事も出来るかもしれません。
そう言い切るのは分かりやすいんで、そう説明したこともあったかもしれません。
しかし、ここまで読んで頂いた方なら、こう説明しても、もう大丈夫でしょう。
そもそも自分という感覚に、本当も嘘もないんです。
どこからどこまでが本当の自分で、どこからがそうでない自分なんでしょうか。
それを決めているのは・・・?
そう、それもまた自分です(笑)
自我とは、あなたの一部ではありません。
自我とはあなたの全てです。
その名の通り、自らであり、我である訳です(?)
それを観察しようが、認めようが、手放そうが、愛そうが、いたわろうが、いじめようが・・・・
あなたは、どこまでも自分という感覚の中にあります。
逆に言えば、どんな時も自分という感覚がある、ということだけははっきりしています。
それはどこまでもシンプルに、ただあるだけです。
ゆえに、こんな簡単なことに気づけないんです。
意味が分からない?もっと分かりやすく?
そう思ったり、求めたりしているのは誰でしょう。
それは、どこまでも自分。
そう、自分という自我ありきのものです。
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呉 「混乱してきたら、どこまでもシンプルに。」
(´自ω我) 「オレ思うゆえにオレありっす!」
私はずっと、気づいているのが「本当の自分」とどこかで思い込んでいたかもしれません。
自分という感覚がある限り、それが自分であり自我なのですね。
呉さんの説明はシンプルでわかりやすいので、いつか呉さんの本が出版されないかな~と秘かに願ってます^m^
自我は幻。
ゆえに、自分の存在も幻。
という三段論法はわかりますが、、。
その先がイマイチ掴めずにいます。
分かった感覚が来た時もあるんですけどねぇ。(; ̄ェ ̄)
ところで呉さんは、ダグラス ハーディングという人知ってますか?
呉さんの見解お伺いしたいんですが。。
自分を指差しても、指が見えるだけですが??って感じなんです。
あと、話変わりますが、最近、苦手だった職場の人が
苦手じゃなくなりました。(*^_^*)
明らかに相手が変わりましたよ。
そんな出来事がおこると、パラレルワールドという概念を
引っ張り出して来たくなる気持ちが分かります。
呉さんまた記事楽しみにしてます。
ドグマグ(と、高校の時に司書の先生が言ってた、(笑。)懐かしいです。
意味わからなんなりに、当時頑張って読んでましたがまた読み返したく
なりました。^_^
うまくかけるかわかららないんですが、
ブッダの動画で繰り返しでてくるキーワードが
「むさぼるな」
で
雲さんの本に書いてあった本で印象的な話が
「この世の人はアル中みたいなものだ」
で
どこで見たかわからないんですが、陰陽みたいに(?)いいことと悪いことは必ずセットである、例えば恋人ができた幸せを得ると、それを失う恐れを抱く。恋人でなくても得るということは失う恐怖を得るわけで。
で
多分みんなの興味は悟りを開くことではなく、恐怖をなくしたいんだと思うんですよね。そのために何かを得ようとしているんだけど、すべての事が幸福と不幸を兼ね備えているとしたら、求める事が恐怖を作り出すことで、何かを得たら幸せに違いないと思う心が思い込みなのかと。
酒飲みが、お酒を飲んだらいい気分になるに違いないと思うように、何かを食べれば幸せだとおもってむさぼるように。得ようとする行為が苦を生み出す。だから釈迦は清貧を推奨した。それは清貧が素晴らしいのではなく得ようとする心を止めようとしたのかなと。
僕はそれを思ってから悩みがずいぶん減りましたし、これからもそれを忘れずに心がけ実生活に実践したらきっと減っていくんだと思います。僕が悟りがほしいと願った理由、恐怖にたいする対処はできそうなので、これで大体OKなんです。
最後にこれは興味なんですが、おそらく悟りは理屈や理解の積み重ねではなく体感なんだと思うんですよね。色んな所に書かれている、最近ではYahoo知恵袋にも書いてある。(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1365862643)
呉さんに最後に聞きたいには体感を得るにはどうしたらいいと思いますかということなんですが。どうでしょう?
結局自分という感覚に気づくのも疑うのも自我で、どこまでいっても自我の演技な気がしてきました。
とすると、悟るために私ができることは何もないような。最近になり、何も出来ないんじゃね?と薄々勘づいてはいたんですが…
諦めたくない自分(悟って至福を感じたいという自分)と、もうスピ知識は捨てたい自分とがいます。
返信していただいてありがとうございました。
コレでいいのか?な
それは、気づき。。。悟りの一瞥で全て解決します。
それがなければ解決しないとも言えるかと私は、思います。
今を生きる、もがいても、苦しくても。
それだけです。
わかっちゃった人たち
この本、面白いです。普通の人が悟った実話。
いまここにさとりを選択する生きかた
やまがみてるおさんの本
この人のワーク、いいかもです。
まるは、毎日、変化してます。
お金の問題も急に好転してきました。
呉さん、ありがとう。
コメントの皆さんありがとう。
まるさんが言うように結局悟らなければ理解出来ない事もあると思います。
今悟れず、色々な事がわからない人も悟れば理解出来るんでしょう。
しかしいつ悟れるなんてわかりませんから今は今を生きるしかないんですね。
悟る前の今はとりあえずこういうように生きればいいよ。と何かアドバイスありましたら教えて下さい(^人^)
スピ探求やめられず、このところもう訳わからん(発狂しそう(笑)
で色々読んでいくうちに、『あ~これ今の私』 ニヤニヤして見ている私!
必死でもがいてた自分に笑っちゃいました(^^)
また埋没するんでしょうが(笑)
とにかく面白いブログありがとうございます♪これからも楽しみにしてます(感謝)
>>みんとさん
そうですね、そしてそれが全てでもあります。
分かりやすすぎて、どうしても難解に受け止めたくなりますが、シンプルで全然いいんです。
たぶん同じことの連発すぎて本には出来そうにないですね(笑)ブログだからこそ、こんな風に繰り返せるのかなぁと思ってます。
>>にゃー。さん
浮いては沈む、その繰り返しですね、僕も未だに繰り返してます(笑)
絶対変わらないと思ってたことが簡単に変わるから世の中面白いですね。
今日試してみたんですが、あの感覚をいきなり取り戻そうとするのではなく、思考をひとつずつ止めていくイメージでやるといいかもしれません。もしくは、楽しいことの想像を上塗りしていく感じ。
調子が出てきたら、勝手に実感が沸いてきました(あくまで僕の場合ですが・・)
ダグラス・ハーディングさん知りませんでした(笑)
今ちょっとネットで調べて情報だけを見た感じだと、要は自分という存在を突き詰めて追及していった結果、全ては自分という主観から始まっていることに気づいたということ・・・なのかな。
思考や感情からではなく、自分の視界、視点という確かなものから、認識とはどこまでも主観であることを見つけたってことだと思います。
私達は、鏡のようなもの無しには一生自分の顔を直接見ることは出来ない、つまり頭とは主観から見ると存在していないも同じである。なぜならそれを認識するものが無いからだ。
ね、要は全ては自分から始まっているってことです(ムリヤリ)
ドグマグは、きっと今読み返すとすごくスピリチュアルな本に見えると思いますよー。
恐怖を無くしたいという言葉にとても気づかされました。
そうですね、それが全ての原因なのかもしれません。
恐怖から、不安から逃れる為に得ようとする。得ることで解決出来ると思い込む。しかし、得るとは失うこと。失う恐怖から逃げるためにまた得ようとする。その繰り返しこそが生きる事・・・・と人は思い込んでいるんですもんね。
得ようとすることを止めるための教え、確かにその通りだと思います。
ただもう一段階踏み込むとすると、得るのも失うのも、恐怖するのも安心するのも、全て自分という存在があるから。
そもそもの恐怖を形作っているのが自分自身だと気づくと、得ることも失うことも、不安も安心も、全てがフラットになります。そうなると、どうなるか。
恐怖はもはや恐怖であって、恐怖でなくなります。
得ることも失うことも、へっちゃらです。
あと、体感の話ですが、僕の場合は
理解→実践→体感→混乱→理解→実践→体感→混乱(以下続く・・・
とこんな感じでした。僕は体感はプロセスの一つかなぁと思っています。体感するのだって「自分」ですからね。
ですが、体感無しにはモチベーション上がらないですもんね(笑)
なので、実践をするといいと思います。
それは、これまでの理解を信じることであり、もう理解を求めようとしないことです。ただ理解したことをとことん信じて、答え探しを止めてみることです。
もう説明書を読む段階は終わりです。