MZの手下の日記

なんということもなく、このたび、日記を開設しました。昔の文章のいくつかも、すこし手を入れて移しています。

金メダル!

2022-02-11 12:20:00 | 徒然なるままに
なかなか劇的だった。おめでとうございます。


風疹の抗体検査

2022-02-05 18:13:26 | 徒然なるままに
私は、昭和の生まれなので、風疹の予防接種を受けていない世代に当たる。職場で、ふと、周りを見回してみると、気づかないうちに同僚にずいぶんと若い人が増えたと感じた。

子供のころ、風疹に罹った記憶がなく、もちろん、風疹で学校を休んだ記憶もない。大人になってから罹ると症状が重いと聞く。

自分自身はさておいて、自分から若い周囲の人々に感染を広げることになっては目覚めが悪いと思い、ごそごそと、市から送られてきた風疹クーポンを探し、かかりつけ医に出かけた。コロナといい、風疹といい、なんでもクーポンである。

もっとも、花粉症の抗アレルギーの薬をもらう、ついででもある。主治医に毎年の薬をもらい、風疹の抗体検査をクーポンで受けたいというと、採血をされた。

一週間ほどで結果が出て、結果は十分な抗体価があり、ワクチンは必要ないそうである。どうも知らないうちに罹っていたらしい。いつ罹ったのだろうと思いながら、掛かりつけのクリニックを後にしたのである。

風しんから未来の「いのち」を守るために



箱根・仙石原のオーベルジュ漣

2021-12-31 11:00:00 | 旅の記憶
箱根仙石原のオーベルジュ漣を再訪した。昨年の暮れ以来の気がする。露天風呂付きの部屋に宿泊、なかなか快適である。ただし粉雪がちらつくような寒い天候で、露天風呂のあるデッキは少し寒い。なかは落ち着いたしつらえで、静かだが、穏やかな雰囲気で、お気に入りの宿のひとつである。この宿は仙石原を右手に見ながら、県道75号を抜けた先の、ちょうどガラスの森美術館の裏手にある。 







大浴場の内湯は、大涌谷から引かれた硫黄泉の濁り湯で、かけ流しである。この濁り湯につかると、体の芯からホカホカとあったまる気がする。大浴場の外側にある露天風呂と、部屋付きの露天風呂は、裏手の温泉病院を源泉としてひかれており、こちらは加水された循環式のようだ。少し前の大涌谷の噴火以来、箱根の温泉宿のいくつかは営業を閉じてしまったが、こうして何も変わらず、このオーベルジュがあると少しほっとする。





夕食のフレンチは、メインディッシュに「蝦夷鹿と富士の国ポーク、フォアグラのパイ包み焼き」を選んだ。蝦夷鹿を洗いミンチにした富士の国ポークとフォアグラで包み、さらにそれをパイ包みにして焼きあげた一品である。これにソムリエに選んでもらったシラーの赤ワインを飲んだ。このほかにラングドックとブルゴーニュの白ワインと常陸野ネストのホワイトエールを飲み、超ご機嫌である。 



前菜には、池澤シェフのスペシャリテ「あしたか牛のコンソメジュレをのせた海の幸の贅沢なカクテル」を頼んだ。駿河湾で採れたアワビ、オマール海老、タコ、ホタテなどが入り、温泉卵とキャビアが添えてある。これをよく混ぜて食べるのである。たいへんに美味しい。漣に来ると必ず頼んでしまう一品である。魚料理は、甘鯛のポワレ、松笠焼のようにパリパリになった鱗が美味しい。ソースにはイカ墨が使われていてコクがある。 




朝ごはんは、スープと温野菜、自家製のハムとソーセージ、デミグラスソースのオムレツにした。地元で採れた野菜が美味しい。こうして、一晩で、温泉に3回入り、ご機嫌なフレンチを食べ、ワインを飲み、素敵な朝食をとり。、今年は最後に贅沢をしたと思いながら年の瀬の一日を過ごしたのである。今年はいろいろあったが、終わりよければすべてよしだと思う。





山中城址と箱根旧街道

2021-12-30 15:00:00 | 旅の記憶


12月のある日、山中城址を訪ねた。山中城は、小田原北条氏の城跡で、秀吉の小田原攻めの際に4万もの大軍に攻められ、半日で落城したと言われている。戦国時代後期に築城されお城である。北条側の守備の兵力は4千と伝わっているから、およそ10倍もの圧倒的な兵力差に敗れたわけである。

城は、旧東海道を包み込むように築かれており、三島から旧東海道を攻め上ってくる敵をくい止める重要な防衛拠点だったそうだ。上の写真は岱崎出丸 (だいさきでまる)から三島方向を眺めたもので、ちょうどこの方向から、400年前に豊臣の大軍が攻め寄せてきたことになる。

土塁と曲輪がよく残されており、戦国時代の終わりの城の遺構がそのまま残されている貴重な城跡だそうである。




写真のような畝堀や障子堀、土塁がよく残されており、北条氏の築城術がよくわかる貴重なものだそうである。合戦があったときは、秀吉との合戦に備えて、堀や岱崎出丸の整備が進められている段階で、まだ完成前に合戦となったようである。激戦とはいえ半日で落城した理由でもあるのかもしれない。

今回は様々な時間の制約で岱崎出丸 を中心に見学し、三島方向に旧東海道を少し歩いてみた。箱根八里の何やら碑らしいものもあって、こういうところを昔の旅人も歩いていたのだと思うと少し不思議な気持ちになった。





いが栗の前菜と松茸の土瓶蒸し

2021-09-26 20:00:00 | お気に入りの店
佐久平の「お料理いけだ」へ再訪した。佐久平の国道141号沿いにあるこの店は、最近、なかなかお気に入りの日本料理の店である。もう少し訪れたいところではあるが、コロナの蔓延による自粛によって、東信に帰れなくなり、しばらくぶりの訪問である。浅間山を愛する主の料理は、たいへん美味しくて、軽井沢へ戻ると、必ず足を延ばして訪れている。 



前菜は、いが栗の前菜で、焼き栗の周りをじゃが芋で包み、揚げそうめんで、いが栗を模している。見た目も凝っているが、栗とじゃが芋と、揚げたそうめんが、なかなか美味しい。秋が、もう来たのだなぁと感じる。そろそろ、走りの松茸がでているらしく、松茸と鱧の土瓶蒸しをいただいた。今年の初物である。夏に行けなかったので、今年は鱧を食べられないかと思ったが、何とか食べることができた。




そう言えば、亡くなった米朝師のまくらで「骨へんに豊と書いてはもと呼んだひとがいる」というのがあったが、よく骨切りされているので骨が触ることもない。お造りは鯛と本まぐろと穴子、焼き物はかますの塩焼きである。鮪も鯛もよいが、穴子がよい。かますの焼き物が、とても 味いのだが、付け合わせのさつま芋も美味しい。こういうところにも季節を感じる。生ビールの後、佐久の地酒「佐久の花」を一合いただいた。





いくらの飯蒸し、うざくと続いた。家人はいくらが大好物なので、飯蒸しを見るとうれしそうな顔をした。秋を感じさせる季節になったとはいえ、まだまだ、残暑が厳しいので、さっぱりと、鰻をうざくで食べるのもいいものだと思う。炊き合わせの後、最後に土鍋で炊いたきのこの炊き込みご飯と、赤だしで食事になった。







前にも書いたことがあるが、私はここの出汁の味がたいへん好きで、炊き合わせなどは本当に好みだと思う。デザートにナガノパープルの大福を食べて、また、もう少し秋が深まったら来たいものだと思ったのである。