この漫画(という呼び方は語弊があるような気もしますが)を読んだ感想を言葉で表現するのは非常に難しい作業かもしれません。
この本の帯に記してある
「読後、まだ名前のついていない感情があなたの心の深い所を突き刺します。」
という言葉は間違いなく的を得ています。
この本の構成は3部作になっており、まず「夕凪の街」というわずか34ページの物語に端を発します。
舞台は昭和30年、原爆被害から復興しようとしている広島の街…。
一人の23歳の女性のごく普通の日常が描かれます。
そこには当たり前の生活があり、当たり前の人間関係があり、当たり前の恋があります。
かつての原爆の記憶は彼女の内省的な部分を突き動かす要素としては描写されますが、私たちが平和教育などで学んだような「悲惨だ悲惨だ戦争反対」というようなイデオロギー的な描写は一切ありません。
ただ一人の若い女性が肌身で感じたままが静かにほのぼのと、それでいて激しく描かれていきます。
そして彼女はひっそりと死んでいくのです。
第2部にあたる「桜の国(一)」は昭和62年の東京に舞台を移します。
主人公の女の子は小学校5年生、活発な明るい子です。
最初はこの子が一体どういう位置づけなのかよくわかりませんが、しだいにわかってきます。そういう意味では、この物語はかなりの洞察力(推理力?)が要求されるかもしれません。
この女の子と彼女の弟、そして隣の友達の女の子との触れ合いのようなものが描かれますが、注意深く読んでみると、そこに原爆という不気味な暴力の幻影が潜んでいるのです。
そして第3部「桜の国(二)」では、2004年つまり現代の東京が舞台。2部の女の子が28歳になり、かつての友達の女の子と再会するところから物語は始まります。
主人公が父親の行動を追ううちに次第に全ての謎?が明らかにされていきます。そういう意味では全体的に少しミステリータッチかもしれません。
ただ、やはりどこにでもある日常がほのぼのと描かれることに変わりはありません。
後は読んでみてくださいとしか言えません。全部でたった100ページの短い物語ですが、何度も読んでしまう本です。というか1回読むだけでは全てを理解することは困難でしょう。ざっと読んで「わかったわかった」と言える人は、おそらく紙面に記された情報のみを処理できたということであって、そこから生まれる感情を整理できたわけではないと思います。
私たちが知っている戦争や原爆の記憶は、いわばモノクロームの歴史という過去でしかありませんが、この物語は間違いなくそれをカラーの日常という現在(いま)まで引き上げたといえるでしょう。
勘違いしないでほしいんですが、この漫画には目を背けたくなるような刺激の強い原爆の写真のようなものはありませんので、平和資料館に行く勇気のない人も普通に読めるはずです。むしろ限りなく優しい絵柄で表現された美しい物語です。
私がこの本と出会ったのは、単なる偶然でしたが、出会えてよかったと思います。
出会えなければ、かつて少年の日にトラウマになってしまった平和教育的な悲惨さを単に気持ち悪い忌避すべきものという認識しか持てなかったかもしれないからです。
なおこの本は去年の秋に出版されたもので、もう1年くらい前の作品ですが、版の記載をみるとすでに第9刷目のようで、多くの人々が読んでるんだなあと感慨深いものがあります。
私の拙い表現力ではここらが限界でしょう。
最後にこの本でもっとも感動した主人公のモノローグを書いて終わりにします。
「母からいつか聞いたのかもしれない…けれど、こんな風景をわたしは知っていた
生まれる前…そう、あの時、わたしはふたりを見ていた
そして確かに、このふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」