ミュージシャン白書

ミュージシャンの立場からライヴ、レコーディングを通じてミュージシャンの社会生活を紹介する

街角の角部屋

2010年02月28日 21時31分16秒 | Weblog
 職場にて。

東池袋に立った超高階層マンション。いや便利だね。サンシャインまで徒歩一分。最近サンシャインシティーの1階にはセレブなスーパー『成城石井』が出来、西友とあわせて買い物も楽々。

 いいね。じゃあ、2・3戸戴こうかしら。とお金持ちごっこがてら、お値段を拝見すると。

3LDK 97平米 89000000円。 まぁ……お安いわぁ……ほほほ……。

 眺めは最高。共用部分にはホテルのロビーさながらのグランドエントランスホールがあり、常駐の有人警備室あり。選ばれし者の住処です。

 しかし、そう思うと100000000円ってすごい金額なんだよね。と、思う。

 例えば、100000000円持ってて、89000000円のマンションを買ったとすると、残りは11000000円。ほとんど残ってない気がする。が。

11000000円というと、月収300000円の人が、一年で3600000円としてざっと三年分。 

 マンションを手に入れた後に、3年も無職でいられるだけの大金が残る訳で……しかし、89000000円のマンションで300000円の暮らしをするのはなんとも不思議な感覚でしょうな。まあ。

ゼロをいっぱい書いてみたかっただけで、書くこともあんまりないんですわ。今日は。

しかし、ペルーの地震と津波は凄い騒ぎでした。同じ環太平洋山地帯に住む我々としてはまったく他人事ではありません。


嗚呼憧れの……。

2010年02月26日 21時49分42秒 | Weblog
 雨もよい。誰も彼も『もしや・・・・・・?』と思い、傘を携えている。

ところが小生は傘を携えてない。つまり、雨が強くなって苦労する小生を周り中が出し抜いているという事。嗚呼くやしけり。しかしやわらかな出来事。いい。こんなのはいい。

 今日は個人リハをとって、みっちりやってきました。アコギの練習。

「貴方は甘い人間です」と言われた事は幸いないが、要するに自分で思うという事は恐らくその何層倍も周りは思っているはず。さあ、どうしましょうか?しかし小生は何も否定しません。

「嗚呼、そうですか。その通りかもしれません」と思う。小生はそれでいい。でもどうか。じゃあどうだ?たとえば貴方は人を毒づけ得るほどにそんなに他人に出来ない事ばかり出来るのか?

 いや、ギターとか、剣道とか、そういう細かい事でありません。忠告はすなわち責任だと何故わからぬかこのヌケサクどもが!しかも軽々に開き直るんじゃない。

 冗談だろうが、なかろうが、小生は無駄に人を毒づく人間が、過去自分が思っていた以上に嫌いだということに気が付いた。

 嗚呼、どうでもいいことをまあ飽かず駄等駄等と……。正直、世にあって触れる事柄ほとんどどうでもいい事と言えばその通り。だからどうでもいい事の中で、取捨選択する必要がある。ここまでは小生納得。嗚呼、得心がいった!! だがしかし。

 その中にありながら尚、己の位置みたいなものを漠然と守るため、漠然と周りを見回し、何でも欠点のみを抽出して憚らず、みつけりゃうれしそうな顔して憚らず、何故だか?どうしてだか?と、聊かも勘ぐらず、さらに飛び切りバカは何なら少し安心したような顔で人を毒づく。 こんなバカな姿が人間に許されているなんて事なら、小生は全ての正義を否定する。

 これが無邪気ないい人であったりするから厄介だが、『知らずバカ』が多い中忠告しづらいが、バカの勤めの第一はバカを辞める事。

 くそったれめ・・・・・・と思う人の身になって欲しい。という小生だって確かに人の話は聞かず、人の輪に入るのも苦手で、なのになまじいしゃべくりが達者な分、軽蔑しつつも仲良さげにする愚な知を駆使し、仲間多げに自分を錯覚させたりして、誤魔化しゃ寝息も高かろう。気にすりゃ枕も冷たかろう。ああこりゃこりゃ・・・・・・なんて、やりたい放題にするような無骨漢な亜種な阿呆なのだが、くそったれめ・・・・・・なんて、小生ごときに思われては、何処に出ても何も出来ない阿呆の中の阿呆、あ……。

 毒づくやつを嫌いながら、このままでは小生が無駄に毒づいてしまう。遺憾遺憾。

 つまり、小生は今日個人リハに入って、楽曲を練ってまあまあいい結果を得られて大満足して、嗚呼、明日も仕事か……と思うぐらいのもので。

 音楽が万人に素晴らしいなんて何にも全く言ってないですし言わないですし、それは明らかに虚偽ですが、こういう感覚が例えば数日に一日でもあれば『知らずバカ』たちもバカ同志そのバカの価値観をそのニセ肝胆に照らし合わせ汚い目線で世の中を小さくネメ回する事もなかろうと思うわけです。

 嗚呼、まったく、自己弁護のための悪口は全く聞くに堪えません。本当にそのものが嫌いなら、もっとバリエーション豊かな悪口を毎日キラキラと言えばいいのに、その努力すら怠り、大したネタもないくせに、愚堕倶駄と聞かされるのは公害以外ナニモノでもない。

 小生はそんなもんに絶対迎合しませんよ。それら『知らずバカ』にとってどんなに愚物に成り果てようともね。

 しかしロックは強い。今日もスタジオで救われた。気持ちに染み付いた下衆な滓を綺麗サッパリ振るい落としてくれます。


 偏屈で理屈屋で思慮浅薄視野狭窄で何にも順応性がない小生のような阿呆も、家族とロックには満身の感謝をする。これがないと生きていけない。そう言うものがあって漸く小生は安心するのです。




不真面目とは真面目の反対。

2010年02月24日 22時32分52秒 | Weblog
 ふと思えば、あぁ畜生、もう朝だ。寝ても寝なくても、これじゃあ関係ないじゃないか。朝が来れば明日が来る。明日が来れば、ぼんやりしていたはずの未来の事がはっきりする。

畢竟毎日とは、むなしく外れくじを一枚一枚引っぺがすに似たり。

どうせ、昨日も一昨日も明日と明後日と変わりゃしない。いっつも昨日と明日は、土星の輪の様に、あたかもステキそうな色して、ぼんやりと、或いはバカにしたように小生の周りを取り巻くばかりでいつまで経っても触りゃしない。

嗚呼、やめたやめた。もうやめた。と、富士の樹海や東尋坊に赴き、やれやれやっと終わる。なんて思ったところ、そこの露店のたこ焼きやの匂いに誘われ、生煮えのたこ焼きを一粒食らえば、やや美味い……。

そのやや美味さに、急に死ぬのが惜しくなり、踵を返すが、せっかく来たんだからせめてお土産にたこ焼きを買って帰ろうと、「おじさん、8個を3つ!」なんて頼んだが、帰りの電車でふと我に返り「なんでたこ焼き持って電車に乗ってるんだろう」と思い、自宅に着く頃には、すっかり夜が更け

「嗚呼、昨日の今頃もここでこうしていたなぁ。結局死にぞこのうたなぁ」と空しく、冷えたたこ焼きを喰らう……。

ばかばかしいストーリーだ。しかし。

 ここで、この人の不真面目なところはどこか?と思ったら、自殺しなかったところ。と、なるんではないだろうか。

自殺していれば真面目だった人が、たこ焼き持って帰ってきたから不真面目な人に成り果てたのか?しかし、些細な事で死ぬるのは良くない事に決まっている。この際、不真面目が正解だ。

つまり。

 真面目に、一徹にと、わき目も振らず頑張っても、結果それはそれで不真面目で、その都度ふらふらと考えが揺らぐ不真面目やヤツがほんとは真面目だという場合もあるということ。

つまりつまり。

 この人に何が欠けていたかと言うと、『嗚呼、やめたやめた』と、生きる事そのものを辞めようとしたという愚を冒したというところ。

 やめるのはいい。それはふがいない自分をちょっと辞めれば事が足りる訳で、それ以外の、自分の多様性、多面性に全く気が付かないという愚を冒している訳で……。

つまりつまりつまり。

「この車、クラクションの音が気に入らないから廃車しよう」というようなもので、その車が走っている時は、クラクションが走っている訳じゃなく、タイヤもエンジンもボデーもシートもガソリンタンクも一緒くたに走っている訳で……。

 嗚呼めんどくさい。まあいいや。先日、京極夏彦の小説をブックオフで買いました。

池袋60階通りにあったHMVがなくなりブックオフになって、小生的には大歓迎。CDもいっぱいあるし。

 しかし、もう3月ですわ。


庭には二羽鶏の他にいろいろいた。

2010年02月21日 21時58分32秒 | Weblog
今日は日曜。天気もよく仕事も休み。

朝やや遅めに起きたら、息子と一緒に、フジパン『富士的懐古ism 黒コッペ』を喰いながら、貧乏ながらもここは譲れない、豆から挽くバンドドリップコーヒーを飲みながら、

「はてさて・・・・・・。天気がいいと、息子とやるのは凧揚げかキャッチボールと決まっている。しかし最近の世の中というのは人に厳しく自分に無関心。ええのか?これで。例えばこうだ。公園でキャッチボール禁止だそうだ。投げたボールが誰かに当たって怪我でもしたらどうするんだ??誰が責任取るんだ?ということなのかもしれないが、公園でやるのがキャッチボールだろ!!?駅のホームや図書館でキャッチボールやれってか。」なんだろう。このもやもやは。

近所に、こう・・・・・・。広大な公園はないものか。

 唯々だだっ広い公園。そこには家族連れや親子連れがあまた集い、キャッチボールやサッカーに興じているような、そんな理想的な公園。

そしたらあった。

最寄の駅から所要時間わずか20分足らずでこ~だいな公園。その名は。

新宿御苑。

知らなかった。副都心線ってステキ。便利。そういう訳で今日は新宿御苑に家族で出かけました。

 桜はまだでも梅は咲いているであろうその公園で思いっきり発泡酒を飲んでみたい。しかし。

 いざ行ってみると、なんと酒の持ち込み禁止。

 仕方がない。小生は酒を飲みに来た訳ではない。今日は純粋に早春の景色を楽しもう。そう思ってうろうろしていたのですが。まあ、みんな酒飲んでる事飲んでる事。

 ああいうのは、良くないね。駄目だと言っているんだからやめないと。

 そのてん小生は偉い。酒買ったのに飲まなかったもの。まあ持ち込んではいるんだけどね。 ほら、知らないで買っちゃったからさ。そういう事。

 いい公園だね。新宿御苑。また来よう。




ムービーが近づく日

2010年02月19日 22時45分31秒 | Weblog
『風の谷のナウシカ』を観ています。

 もう何回、いや十何回、いや下手すると何十回観た事か。おかげで『独りナウシカ』が出来るほどになりました。

「また一つ村が死んだ……」というユパ様のせりふで始まるこの映画。当時、『オタク』という言葉もない頃、確かにアニオタであった友人が教えてくれたのが初めてだったと記憶する。

 元々映画をあまり見ない小生がこれほど同じ映画を見たのは恐らくナウシカが初めてだろう。

さすがに25年も前の映画だけに絵の古さは否めないが、ストーリーの良さ、今も変わらぬ宮崎アニメの動きの妙。十分鑑賞に堪える作品であります。

 ちなみにこの映画と同い年の日本映画で小生が観た覚えのある作品といえば・・・。

お!あった!『男はつらいよ。夜霧にむせぶ寅次郎』へぇ~。これがナウシカと同い年か。

 その他には、小生は見たことないが、吉川晃司主演『すかんぴんウォーク』。吉川晃司のデビュー作で、確か九州から東京まで泳いでくるという衝撃的なオープニングだったような。

『パンツの穴』菊池桃子のデビュー作。知らんわぁ……。

『湯殿山麓呪い村』聞いたことはあるな。しかし知らんわぁ……。

『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』これはちょっと知ってる。リンミンメイという中国系のアイドル歌手の歌が凄い事なるやつやろ。でも、知らんわぁ……。

しかし。

『晴れ、ときどき殺人』『湯殿山麓呪い村』『いつか誰かが殺される』『天国にいちばん近い島』『Wの悲劇 』と、角川ムービーの花盛りの時代だったんだね。

 しかし、やっぱり、小生は映画知らんわぁ~。





育児日記 その1

2010年02月18日 22時27分52秒 | Weblog
恐らく3センチぐらいは積もったんではないだろうか今朝までの東京の雪。

 雪が森々と降り積もる中、出勤いたしましたが案の定、店は暇暇でした。しかし……。

 もう少し激しく雪が降れば電車が止まり、臨時休業になったかもしれない。臨時休業?つまり有給休日。と、少し期待した小生は仕事が嫌いなのでしょうか? なのでしょう。

 しかしまあ、暇は暇でやることはたんとあり、冷蔵庫の中の掃除や、いつもより入念に鍋を洗ったりしているうちに、仕事を引ける時間になった訳です。 そう、これが生活。小生はこんな事をして生活しています。これが生活のほとんどです。

 明日は個人リハをとりました。2/20に高田馬場のアメリカンバー『クロスロード』で二ヶ月ぶりのライヴがあるためで、久々の酔いどれライヴが楽しみです。

 今は、上記の生活ゆえ、こういう時間がないと生きた心地すらしません。唯一の寛げる時間です。 寛ぐ?


★寛ぐ・・・・・・ (1)ゆったりとした気分になる。心身が休まる。

そうか。心身が休まるかどうかはわかりませんが、ゆったりとした心地と言うのは間違いありません。息子と遊んでいる時間。これは確かに有意義で、心休まりますが、先の定義では『寛ぐ』とはちょっと違う気がします。 これは『知育』であり『道徳教育』であると、小生は自覚しております。 道徳教育。

 今日練馬区で、2歳になる長男を虐待死させたとしてその両親に判決が下った。

残忍極まりない。

 唯、両親だけを無垢に信頼して小さな裸一貫で何も知らない世界に必死で生まれてくる我が子をいじめ殺す。

懲役12年。

『今は後悔しかありません』とは父親の証言。後悔だと?

 何を後悔していると言うのか? 何もちゃんと考えずに自己保身からか随分いい加減な事を言うじゃないか!

★後悔・・・・・・後になって悔やむ事。 

悔やむ?

★悔やむ・・・・・・(1)失敗したり、うまくゆかなかったりしたことについて、別の処理をしておけばよかった、とあとになって残念に思う。くやしく思う。(ウィキペディアより)

 後悔していると言うのなら、その時自分がどういう判断をしていれば、息子は死なずにすんで、しかもその判断をその時の自分なら出来たと言う確信があって言うのか? ようもいけしゃあしゃあと、そんな手前味噌な自惚れた事が裁きの場所で言えたものだ! 後悔するには大変な自己分析が必要で、単純に『あの時カッとならなかったら』みたいな事であっさり後悔されてはたまらない。そんなんじゃあ何度だって同じ事を繰り返すに決まっている。

 その時カッとなったか自分の性格の傾向やらその時自分が置かれていた状況を自己弁護なしに分析しきって初めて、こうすればよかったという具体的な方法が思い浮かび、それをするにはどうすればよかったのか、また出来なかった事は何が原因かを突き止めてはじめて後悔できるんじゃないのか。 それに忘れてもらっちゃあ困るが……。

懲役は12年かもしれないが、この両親には一生「何故だ、何故だ、」と繰り返し、罪の意識を持ち続けてもらわなければならない。12年というのは、刑法上、わかり易く世の中に紹介するために設けられただけの事ということを忘れてもらっては、困る。

 子供に対してついカッとなって、思わず手が出そうになったという話は友人のみならず、妻からも聞くことがある。そうして自己嫌悪から育児ノイローゼになったりするケースも少なくない。それだけ育児は体力面、精神面、親だって命がけだという事だ。

 まして小生のような低所得者は金銭面などでいろいろ心配事もあるし、そう言う意味でも息子の健康がどれぐらい親の助けになっているか知れない。

 大声を出して泣くとか、夜、遊びたがってなかなか寝ない。そんな健康な子供が、実はどれぐらい親の支えになってくれているのか知れない。 

 小生は仕事嫌いな上、低所得にも拘らず、音楽などの現を抜かし、金にもならないライヴで夜な夜な家を開ける、決して自覚のある父親とはいえない事は明らかだが、最後にいい訳臭くなってまことにみっともないが敢えて言うと、今自分を支えているものが子供が元気に生きていると言う事実である事だけは、どんなに泥酔しても、錯乱しても、しっかりと頭の中心に据えておきたいと願っている。   

 実際妻は、毎日息子と一緒にいる分、小生のような綺麗事は言ってられない場合も多々ある様だ。それは小生の責任として、是非引き受けていきたい。それが出来なければ、何が音楽だ! 何が小説だ! と、激しく思っている。




両方はさて。

2010年02月17日 21時30分29秒 | Weblog
 やたらサブい……。

 今夜から明け方まで雪が降るらしい。今日、妻と息子を連れ立って練馬まで散歩してみたのだが、サブい、サブい。果たしてこの散歩は息子にとって楽しかったのかどうだか。無理やり連れ回したの感が強い。それこそ風邪でもひかせたら大変だ。

 先日、TSUTAYAから手紙が届き、『会員証の更新の時期が近づいています!更新をしたら、DVD一本ただです!』と文面で言われ散歩のついでに行ってみのだが、新作はその限りにあらず、らしく、とはいえ特に借りたいモノもないのでそのまま帰ってきました。もともと小生は映画を観ないタイプなのでそれも然り。
 
 しかし、新作なら借りたいものもなくもなかった。まあ金さえ払えば何ぼでも借りられるけど、それでも、金払ってまでは……。それは。

松本人志の『しんぼる』。

 新作なのでもう全部借りられてるかと思っていたらそこのTSUTAYAでは何本もある。余り借りられてない様子。

 元々ダウンタウン好きの小生は、ともすれば『ダウンタウンありき』みたいな見方をしてしまいがちなところもあり、松ちゃんが言うから面白い、みたいな事もありなん、なので、それはなしにして、果たしてどうだろうか?という興味もあるがゆえの借りたさ加減。まあ、あまり熱のこもった事ではない。

 前作『大日本人』は、カンヌでは散々だった様ですが、小生はなかなか楽しめた。しかしこれは先に述べた『松ちゃんありき』の贔屓目ではなく、『大日本人』に遡る事十数年、いや、二十年近く前、ダウンタウンのビデオで『to-zu』というムービーがあり、そこにある、あの時代では全く受け入れられないだろうコアな笑いのセンスに激しく同鳴した小生はそれ以来、あの独特の切なさや、やるせなさ、やる気なさ、絶望の釜にこベリついたおこげの美味さに、自分の面白アンテナの針をマックスにさせる要素があると確信していたためであり、その要素が『大日本人』には確かに有ったからである。

 今作、松本人志氏曰く「本当のコメディー映画を作った」とは、一体どういうことなんだろうか?生粋のコメディアンが敢えてコメディーを意識して何かを作るとは? 

「たけし氏が映画監督として大成功した事を意識しない訳にはいかない」とも言っていた。一体コメディアンというものは映画にお笑いの究理を求めるものなのだろうか。

 しかし、たけし氏は映画で成功して以来、お笑いは二の次になっているし、役者に転身したお笑いさんも、二の次になってしまう。 

 そういうわけで小生は、この映画がもし映画として非常に良く出来ていたり、コメディー映画として世界的に好評を博してしまう出来栄えであることを暗に憂慮している。




 

 

いつか、エエ事。

2010年02月16日 00時35分10秒 | Weblog
二月も半分が過ぎ、なかなかどうして事態は思うように進まない。しかしこれ毎年の事。

 今年中にアコースティックイベントを一回、乃至二回企画したいなぁと、思っているわけですが、それについても全く進展を見ぬまま、今春みすみすまた過ぐ……。

 春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、最近眠くて眠くてしょうがない。春だからなのか?そういえば、スギ花粉もちらほら飛んでいる様子。今年も大丈夫そうなのでひとまず安心。

 近所にある喫茶店が、半分イベントホールと化している。10年ほど前、ちょくちょく行っていた喫茶店なのだが、久々に行ってみる事にする。

 出来ればそこで小生もイベントをやってみたいと思っている。誰を誘うか、到底小生だけでは、イベントなど成り立たない。 そうやって目標を立てて、スタジオに入り、楽曲を練る。なんにせよ。

 スムースにやりたいものです。スムースさ。これはいかにも快適なものだろうなぁと、思う訳です。

 スムースか?と聞かれたら、何かとスムースでない事に、否応なく気が付かされる。そう思えば今まで生きてきてスムースだった事など果たしてあるのだろうか。スムースとは小生にとってただの理想郷に過ぎないのか?

 いっぺん……。

 スッ!とフレーズが閃いて、ササッ!と前途のメロが出来、あれよあれよという間に非の打ち所のない歌詞が浮かび、唄ってみるとこれがピッチもバッチリで、それにぴったり合うコード進行が瞬間で完成し、全て終わってまだ夜の9時。なんて日が訪れはしないかと、期待している。まさにスムースの局地。

 明後日、仕事休みの日。何か足掛かりになりそうな何事かをこなそうと思っている。天気は悪そうだ。妙にさぶいなぁ、と思っていると、明日の夜からまた関東地方は雪が降るらしい。

 


  

あっさり始まったオリンピック。

2010年02月14日 22時42分17秒 | Weblog
 時差の関係が意外と苦にならない時間帯でモーグルが見れた。

上村愛子4位。しかし、なかなか難しい競技というか……採点競技ってなかなか難しい。

人生賭けてやるわけだからなかなか、難しい。採点するほうも難しい。

エア、ターン、タイム、と複雑でなかなか難しい。小生など素人目からすると、エアが凄い方が面白いと思うんだが、フィギュアスケートもそうだけど、『これがいいとしよう』と合議の末決められた様に、実際演技をするアーティストが合わせなければならないというのはどうか。どうも。折伏しかねる。

ギターリストで言うと『今年は速引きは得点が低くてチョーキングが良いにしよう』と言われると世界中のギターリストはこぞってチョーキングの練習をしなければならない。それこそイングウェイマルムスティーンはお手上げだ。


 そう思えば得点には結びつかないイナバウアーを敢えてやり、颯爽と金メダルを獲得した荒川静香はカッコいい。だがしかし。

 得点に結びつかない事を、自己表現としてやっちまう。つまり、成績よりも自分のこだわりを前面に出して表現する、というのは国の代表としては間違った態度なんだろうか。

国母。

 「貴方の服装はいかがなものか?」ときかれ、小声で「うるせぇな……」と言った後、「反省してま~す」「競技に影響ありません」と言って、えらい叩かれている。

小生的に。

ちょっとオーソドックス過ぎたかな……。あぁいう態度は、真正面過ぎて確かに遺憾よ。  
例えばあれが、眉毛全ゾリで、両手に『愛』『憎』とかかれた提灯持って、一輪車に乗ってヴァンクーヴァーに現れたとしたら? 叩かれるは叩かれるかもしれないけど、なんていうか、微笑ましいというか。少なくともそんなやつがいたら、小生は少し痛快な気分になるかもしれない。

つまり、国母君は余りにカテゴライズされた自己主張ゆえ、わかりやすく、容易に嫌悪感を与えてしまい、誤解の余地を与えなかったというのが拙かったのではないでしょうか。

おそらく、日本国民の、国母君に持った嫌悪感と国母君本人の反体制的な主張は凹凸ぴったりと合致するものではないか。しかし、アーティストはそんな盆百な感性では困るのである。況や、日本代表としての資質おや?である。

それに引き換え……

上村愛子はいいねぇ。もともと可愛いのに、あの一つ事を突き詰めてきた者としての凛とした眼差しは、誤解の余地を与えない。同じ誤解の余地を与えないにしても、国母君のそれとはまさに正反対なのである。

「競技に影響ありません」確かにそうだ!!ものすげーリザルト勝ち取って全員黙らせてやれ!!でも、そうなるためにはまず、上村愛子の眼差しを手に入れなければ、腰パンやピアスなどのミニマムな拘りすら上手く扱えないようだと、それは器じゃ無いと言わざるを得ないよ。








しゃらんらしゃらんらって……

2010年02月12日 21時30分47秒 | Weblog
 今日21時に個人リハを終え、今はチキンをつまみにMステを観てます。

まだまだ寝たくない……。一歳五ヶ月にして親父譲りの超夜型人間の息子が、隣の部屋から、寝たくない、寝たくない、のむずかりサウンドをさせています。

今丁度、バックストリートボーイズが唄い始めたところ。

しかし、こういうニーズがアメリカにもあるのか……と、思ったりして。微妙におっさんだし、唄も微妙……。まるでスマップだ。ということはさぞかしフリートークとかコントは面白いんだろうなぁ。 

しかし、腹立つシーシェパード。なんだあれ? 

 小生が一番いらつくタイプの時代遅れの活動家。あんな中途半端な連中が遊んでるだけで我が国の漁業が妨げられているなんて具合を見ながら、もっと腹立つのは日本政府の予定調和な対応。

『激しい怒りを感じております』だと? 多分原爆落とされても同じコメントだろう。

あぁ、なんか嫌になってきた。  

 シーシェパードは確かにアホみたいだし、というかアホだし、あんな事がまかり通るほど世界は甘くない。しかし……。

まかり通っちゃってるじゃないか!!!日本政府!

 日本政府があの白ヒゲのおっさん率いるチンピラどもをきっちり取っ捕まえて、きっちり弁償させるとは、まっっっったく思わない。

 日本国民であることが恥ずかしくなってくる瞬間だ。何故、こんなに歴史も文化もある国に幸運にも生まれついた我々が、一介の阿呆にも対処できない一介の無責任な者達のために恥ずかしい思いをしなければならないのか。

 イメージ力というのは、音楽を作るうえにも文章を書く上にも一番必要な感性だと思う。極端に言うと、現実からイメージするのではなく、イメージに現実を近づけるぐらいの凄まじいイメージ力があってはじめて国や文化を創る事が出来たといっても過言ではないだろう。

 それを維持するには、せめてその半分ぐらいのイメージ力がないとまかりならん。日本国は今、どうだ?どんな形で、大きさで、色で、柔らかいか?硬いか?柔らか過ぎか?硬過ぎか?グッと来てるか?パッとしてるか?

 それが今の政治屋ときたらどうだ。何のビジョンもないくせに荒唐無稽な耳障りのいい絵空事ばかり並べ立てて椅子取りゲームばかりに興じてやがる。アメリカのほったカラーボールをキャーキャーと奪い合ってるだけじゃないか。いろいろアメリカに楯突いた所で、所詮はトンキチ、チンペー、カンタ。ヨシコちゃんの「おやつあげないわよ~」の一言でシュンとしてしまう。

 日本にも政府が送り込んだスパイとかいるのかなぁ。諜報部員が世界中にいて、いろいろ情報を政府に上げてくる。その情報を元に、裏外交を進めたりしてるのかなぁ。そのための特別会計だったら大いに結構。

裏金使って裏取引せーよ!壮大なイメージで以って、これまでもちゃんといい裏取引さえ出来ていれば、あんなチンピラに因縁つけられなくて済んだんじゃあないか。

 今、オリンピックの日本代表がヴァンクーヴァーの地で日の丸を掲げんと勇んでいる。こんなに国民に民族意識を奮い立たせるのが二十歳そこそこの若者達で、先生!先生!と呼ばれる政治屋どもは、逆立ちしたってそんな偉業成し遂げられない。

 呆けるな、政治家。もっともっともっと頑張れ。あんたらの一生掛けて日本国を骨抜きにしたって本意なかろう。