ミュージシャン白書

ミュージシャンの立場からライヴ、レコーディングを通じてミュージシャンの社会生活を紹介する

足らん物即ち

2010年02月11日 21時31分21秒 | Weblog
(遺憾遺憾……迂闊迂闊……)ただそう繰り返し山手線・西武線と乗り継ぎ、漸く最寄の駅舎より外に出て見上げて思う昨夜雨夜。

シャブ濡れで帰宅すれば息子の寝顔、小生に問うて曰く

「我、眠る事これ我が幼齢に酔うが如し。今宵汝もまた酔う。此即ち、我と同じからん哉?」

昨夜の、小生が勝手につけた飲み会の会の名前『唄うギターリストの会』が新宿のいつもの台湾料理屋で開かれた。

毎度3人の悩める唄うギターリストが、己の近況の報告を兼ね、うだうだと己の音楽観などを堂々巡りしながら語り続けるという全く排他的な飲み会としては完全にNGトピックス。

 バンドも辞め、個人リハも週一がやっと、ライヴハウスからのお誘いを待ちながら自分からは何もせず、ヨチヨチと小説を書きつつ、夜中の2時3時に寝て、そして4~5時間後に起きて、出勤する毎日で。

 どんどん現実から一歩引いたような中途半端な所で小さく纏まりつつも『己頑張ってる感』を常に確認していないと、落ち着かないという、弱腰。

 いかにも、小生は年々、日々、時々、弱気な生ぬるさに岡惚れ、ねぇ、ねぇ、どうしよ?これから、どうしよ? なんてだらしなく駄々歩く日常の袖にまとわりつく、だらしのない毎日を過ごしているんだということを痛感した。

 どの会話の中のどの部分にそう思ったか、なんてことは元より覚えてはいない。しかし、小生も含め、もう決して若くないミュージシャン達が、日々個々様々な不安を抱えながら、その状況で今、何を考え、何をやろうとしているか、ということを自分の場合と比べた場合、小生はいかにも、考えも、実践もいかにも脆弱でオコチャマらしいのだ。

 現状、小生には時間は余りない。それはそうだろう。だから何も出来ない。これはどうだろう。

 昔、ピンクレディーのミーちゃんが、「時間が欲しけりゃ寝なきゃいい」と言ったと言う。これは確かに極論だろうが、要するに、『時間がない』かどうか、自己検分しているあいだに目的を成せ!!という事なんだろう。

 小生は目的を成す力が弱かった。しかし、もともと弱い訳ではない。 なまじい弁が立つゆえ、あれやこれやと、本物らしい言い訳が次から次へと浮かび、自分を納得させ続けてきたのだろうが、もうそうはいかない。

 やってるやつに言い訳はない。やらないやつにこそ言い訳があるのだという事を、知りつつも遠まわしに警戒し続けて来た毎日よさようなら。 

今日も飯の後、すっかり寝てしまいこの時間。しかし、一行一句でもその日に何か成す。これが本物の日常というものであって、仕事を終えたからといって、その日の何かを成し遂げたというような、言い訳は金輪際いらんのであります。

さ、そろそろ執筆に入ります。明日は関東地方は雪だそうです。







休日特訓

2010年02月09日 23時56分48秒 | Weblog
今日は職場の休日。まあ狙い澄ました様に小春日和。というか、もう実際春なんですけどね。

そう言う訳で、息子と妻を連れ立って、光が丘まで行ってきました。

 光が丘とは、都営大江戸線の終点で、新興住宅地と言っていいんじゃあなかろうか、新しいマンションや、IMAショッピングモールなどが、デンと構える割には生活感の薄い町で、大きな公園があるのは魅力だが、いかんせん交通の便が悪い場所で、大江戸線の光が丘駅以外、最寄の駅がない、2Dk借家暮らしの我々で言うと46インチのハイビジョンテレビの様な、微妙な魅力と持て余し感を醸す町である。

 昨日の夜、突然歩き出した息子の歩行訓練も兼ねて、やってきた光が丘の公園には、お散歩を楽しむ老人や、ひたみちに走り回るスケボー男が、好天に身を任せ思い思いの時間を費やしている。

 余りに天気がいいため、IMAでパンと発泡酒を買って、妻と息子と外飯と洒落込み、一通り食ったら早速息子の歩行訓練へ移った。

 その愛らしい姿を録画すべく携帯したビデオでよちよち歩きを撮影。何かすげー休日のファミリーな事してる!と、ふと我に返る。 これでいいのだ。と思う。

 息子は至極上機嫌で、歩行訓練を、「やろう、やろう」と催促してくる。「やろう、やろう」とは言わないが、そう言う意思表示をする。ポジティヴだ。

さんざん歩いた後、子供らしく、バクスイ。明日も仕事がんばろう。

あ、明日は仕事の後、ミュージシャン達と男呑みだ。雨降んかなあ。

健康でありゃいいのに。

2010年02月08日 21時46分58秒 | Weblog
あいも変わらず、チクチクと……。

昨日のブログはありゃあ、確かに途中でした。その証拠に天気がない。

そうなんですよ。なんですかね、決心の弱さというか。その決心の弱さについて書きたかったようなんですが、その途中でこの体たらく……。

結局、昨日のオチはなんだったかというと、フレーズ。気に入ったフレーズ。それを、鮮度を保ったまま保存するには、メロディーだけじゃなく、その時に思いついた言葉を何でも良いから歌詞にして、一緒に記録する事。何ならその時刻、その時の心のポジネガ度、なども記録しておくといい。そのためには、気持ちをサラにして、その時の自分を見る必要がある。これは大きな決心だ。云々。

この『ポジネガ度』というのは、意識するかしないかで皆さん容易の想像できるはずです。そう。そのポジネガ度です。

と、まあここら辺で、昨日思いついたフレーズはこうこう……。 故に小生はこうこう……。として、さあさ、そうと決まればさっさと寝ましょう、的なオチのつもりだったんです。

しかし、こうなると今回はこの『ポジネガ度』について、小生なりに言及して皆さんの賛同を得ようと思います。しかしながら、今日も『風呂の湯を見とけ!』と妻に厳命され、戦々恐々とブログしておる次第でありまして、あるいは中途半端に終わるかもしれませんが、悪しからず……。

以前、以前勤めていた職場の常連さんに、「肝臓が悪いと気持ちが寂しく感じるんだよ。」といわれた。それがウソが真かは調べてもいないのだが、その根拠というのが、肝臓には痛感神経がないから、体が何とか異常を訴えようとそんな事をするのだ。という事だった。

なるほど、と思いました。まあこれはウソでも結構なんですが、要するに、気持ちが落ち込むのは、外的な要因ばかりではない、という可能性を示唆された訳で、それは面白い。つまり、喜怒哀楽は内的要因でも十分変化させ得るものだ、というテーゼ。

これは、例えば、パンツのゴムが理想より少しゆるいという事で発生する不快感、乃至、不安感が無意識的に気持ちを落ち込ませるとか、或いはは、その時かいだ匂いから連想される過去の嫌な記憶と今の平常心との正反合の副産物として生成されると予想される記憶の滓のようなものであったりする可能性をも示唆するもので、判断が付かない事に対する不安か、それとも不安と断定している比較的安定した不安か、その差異は明確だが、外的要因が引き金になった場合、それが原因の全てである様に勘違いしてしまい、なかなか顕在的に認識する事は困難であったりするのではなかろうか。という事。

たとえば

「その服、派手だね」と、自分の服について職場女性社員(男性社員)に言われたとする。その人は若くて美人(男前)だったとする。

この時、貴方はその異性の真意を探るか、それとも探らないか。他人の服が派手か派手でないかなんて事ほど、どうでもいいことはなく、言わなくていい事であるにも拘らず、なぜこの人は自分にそういってきたのか。

たとえば

その前日、あなたは深酒をして風呂に入らなかったとする。朝、酷くむくんだ顔に酒臭い息を意識しつつ、二日目のパンツを履いて出勤していたとする。 そんな状況だと、きっと頭も痒いしパンツも気色悪い。そこで「その服、派手だね」と言われたら、少なくとも褒められている気はしないはずだ。つまり「その服、派手だね」の一言がネガティヴな解釈の引き金になっているのは明確だが、その根本的な要因は汚いパンツと、フケだらけの頭と、アセトアルデヒドが抜けきらない脳みそのバッドコンディションにあるといわなければならない。

そういった事は日常生活で多く見受けられ、一つの不安が解消する前にもう一つの不安がのしかかったりして、どんどん複雑化していき、気持ちの『ネガ度』が上がっていくのである。

それと同じように『ポジ度』も変化することは想像に難くなかろう。そうやってやじろべぇが揺れるように『ポジネガ度』はフラフラと、発想の傾向を動揺させ、そのとき独特のフレーズを思いつかせるのである。だから。

メロディーを記録する際には、その日自分が、何時に起きて、何を食って、電車の中でどんなやつを見て、どう思ったか、最低この辺りまで状況を踏まえて記録するべきだと、思うのであります。

思うのでありますが、そろそろ風呂に入ります。もう二日も入ってませんので。



運と才能の誤解と思しき性質。

2010年02月07日 21時51分33秒 | Weblog
昨夜遅く、微妙なフレーズが頭に浮かんだ。

頭に浮かんだフレーズは何かに記録しておかないときっと忘れる。さあ、このフレーズは忘れても良いか悪いか。

それは後々判断するにしても、とりあえず正確に記録しておかなければならない。おそらくオリジナル曲をやってるバンドの作曲担当者はみな、いろんな方法でこんなフレーズを記録している。 自宅の留守電に入れる何てやつもおれば、携帯に鼻歌を録音する。何てヤツもおる。

昨夜の小生は、妻も子も寝静まった丑三つ時。鼻歌を録音するのは或いは容易かもしれないが、どんな些細なフレーズでもフレーズには必ず雰囲気とか世界観が付随しており、それを記録しないとイマイチ意味がない。


go-go-ゴージャス

2010年02月07日 01時27分13秒 | Weblog
どうどうどどうど、どどうどどどう……。

と、こんがらしが吹く東京。今日はやたらとサブかった。

しかし何なんでしょうこの複雑なようで単純な生活の仕組み。もの凄く些細な事にもの凄く気を使ってるようでいて、その結果もの凄く単純な結果が出て、秒単位でがっかりし続けているような。ゆる~い絶望。

こう書くとなにやら心を病んでいるように聞こえるかもしれませんが、こうみえて小生は戦っている積りなんです。

先日同僚が「俺ジムで体動かすのは大好きなんだけど、行くまでがものすげぇ億劫なんだよなぁ。」と言っていた。

結局、万事これに然りではないかと、小生は考える。人は何故めんどくさいのか??

小生も楽しい事がわかっていてもそこに向かうまでの道すがらが妙にめんどくさいと思うことは日常少なくない。スタジオに入る日も然り。ライヴに向かう時も然り。

このゆる~い億劫さは、まこと強かなヤツで、どんなシチュエーションにも必ず顔を出してくるマメな一面を持ちながら、決して強要はせず、ただ一言「やめない?」と囁いてくる。

「え?やめる?」小生はその一言に必ず一度は振り向かされる。これが、いらいらするのである。 

だから、めんどくさい、と思った時は必ずやる。と心に決めているのである。しかし、この億劫さは、そう心に決める場面にも顔を出し、「やめない?」と言って来やがった!

だから憤慨して小生は、めちゃくちゃ眠いし、寒いし、コンタクトレンズはゴロゴロするのに、こんな深夜にこうして、なんら書くこともないのに、ブログを書いているわけです。

やめない? いや、やめない……。




だんだん不思議になっていく。

2010年02月06日 02時11分57秒 | Weblog
今日は久々の休みだった。

関東地方は朝から快晴で、こんないい天気の日には……。そうですね。

先日受けた健康診断の結果を聞きにいくのが一番。とそう決めて、病院に電話していたところ、妻の「あぶない!」の声が。

その直後、息子が火がついたように泣き始め、最近すっかり甘えん坊が定着して、やれ、靴が脱げないの、イモが上手に食えないの、お茶が少ないのと、そのたんびに号泣する息子のいつもの事だろうと思って見てみると、息子が目から出血している!!

さすがに慌てて、よく見てみると目頭の辺りが切れている。どうやら、朝ごはんを食べていて、調子に乗って躓き、赤ちゃん椅子の足の部分で顔面を強打したらしい。

先日も回転椅子に捕まろうとして顔面を強打し鼻血を出したばかり。どんだけどんくさいんやろ、と今は思えるが、とりあえず病院に連れて行った。なんせ怪我の場所が悪い。

病院に行って見てもらったところ、目に異常はなく、消毒しただけで帰ってきた。

しかし……。

 本当に、こんななんでもない日常に、もうちょっとのところで、息子に大怪我をさせてしまうところだったと、猛省する、必要が、あるのかないのか。

親なので、何の言い訳も出来ようはずはないんですが、赤ちゃん椅子がまさか凶器に変貌しようとは、これ夢にも思いませんでした。

こうなったら、部屋の中でいかにも温和そうな顔つきでいやがるスタッフどもに、もういっぺん、謀反の心はないか確認する必要がありそうだ。

まづ……、おい!お前!

「へい、あっしでやんすか?」
「そうだ、お前だ。洗濯バサミ!」
「何でがんしょ?」
「お前、そんなパステルカラーなお菓子のような色をして、まさかうちの息子にあわよくば食われてやろう、そしてのどに詰まってやろうなどと考えてはおるまいな?」
「めっそうとんでもございやせん。あっしらはパンツや靴下を挟むだけが能のしがないものでございやす。おぼっちゃまだってこんな老いぼれ、まさか飲みこみゃなさいません。」
「そうか、ならよし。じゃあお前!」
「へ、へい!」
「いかにも悪そうな面構えだな!針金ハンガー」
「いえ、それは誤解というもので……」
「やかましい! お前、何でそんなに全身ビニールに覆われていながら、フックの先っちょだけ針金が剥き出しなんだ??え? それでうちの息子に刺さってやろうとか考えてるんじゃないのか!!?正直に言え!」
「な、何ていう恐ろしい事を!我々は自分の先っちょの危険性はよーく熟知しております。だから常に坊ちゃまの手の届かないように鴨居にぶる下がっておるのでですよ。その心を汲んでくださらなければ、それはあまりに殺生でございます。」
「そうか、悪かった。これからもがんばってくれ」

こうしてまだまだ、我がアジトに潜む危険分子を見つけるべく、小生はこんな時間までブログを書いているわけです。

ていうか、明日も仕事なんだし、さっさと寝なさいよ。 はい。そうします。


再びと二度と。

2010年02月03日 22時53分55秒 | Weblog
民主党小沢幹事長が不起訴のようす。

最近すっかり世事に疎く、日常の繰り返しや、まわりとの些細な差異からくる不安に伴う憂鬱などに気分やられ、ぼんやりと不安に陥ったりしていて、嗚呼、何かやらな……と思いつつ、悶々と過ごしている間にいろんな事が起きていた。『うまくない』と言う自覚が、いろんな事を邪魔してくる。

先日、と言うか多分昨日。NHKで東京メトロに勤める『スジ屋』という職業の人が取り上げた番組をやっていた。『スジ屋』とは。

縦軸に停車駅、横軸に停車時間が書かれた、DTM(デスク トップ ミュージック)で言うところのシーケンスデータのようなグラフに「何駅で、何時何分に、何秒止まる。」というような小学生の屁理屈みたいなのを事細かに決めて書き込むと言う、小生には絶対不可能な仕事だ。

この人、仮にうしださん、としましょう。このうしださんは、子供の頃から鉄道が大好きで、将来の夢は電車の運転手という、筋金入りの『てっちゃん』な訳でして、その夢叶い、東京メトロで運転手として働いていた訳なんですが……。

自分の意見が届かない会社に次第に不審を抱き、同時に自分のアイデンティティー(存在意義)にも疑いを持ち、「自分はこの会社で役割を果たせているか、ではなく、そもそも、自分に役割など無いんじゃないか……」と思い悩み、会社を辞める寸前までいった時。

社内報に投稿してみないか、と言う話を貰い、半ばやけくそで、もし自分の意見が通らなかったら、不倶戴天の朝敵とみなし討ち死にする覚悟で……と、うしださんはそこまでは言ってないが、まあ、そんな感じで書いた投稿が上司の目に留まり、現場から内勤に移動になったらしい。

電車が大好きなうしださんは現場を離れる事になり、やれやれ……要らん事投稿して藪をつついて蛇を出したと思ったに違いない。そこでついたのがこの『スジ屋』らしい。

「やっぱり、この仕事は、私には向いてませんね。」と言ううしださんはそれでも最後にこう締めくくる。

サラリーマンならスジを通せ。いい加減な仕事をして、辛いのはけっきょくじぶんなのだから。

小生はこの締めくくりには別段感動しなかったのだが、鉄道が大好きで大好きで好き過ぎて、普通見逃してしまうような事に絶望し退職まで考えたという、うしださんに強いショックと少しの共感を覚えた。

何かが好き過ぎると、ほんの少しでも理想から離れた部分があると、そこから理想の中に噴入してくる、世の中に蔓延する手垢じみ無差別的な『迎合せよ』という毒ガスに気持ちをやられ、フラフラになる。これはほとんどアレルギー反応のようなもので、ほんの少しでも耐えられない。その事で、自分自身を落伍者と思ってしまうという、ダウナー状態に落ち込んでいく……。

一生懸命ゆえに続けられない。これは何としてもなくさなければならない。


小生の周りには、世の中の常識からすると馬鹿馬鹿しいような夢を持って、実現しようと本気でがんばっているヤツが、様々なジャンルでいっぱいいる。小生はそう言う奴らを助けたいと思っているし、そう言う奴らがそうやって真っ当に悩んでいる姿を励みに救われたいと思っている。

来週、そういう音楽仲間と新宿であつ~~い飲み会をする予定。


やたらさぶいです。

2010年02月02日 22時44分10秒 | Weblog
小生ら、関西系の人間には東京の冬は意地悪い。

関西の冬が、喧嘩っ早い昔風の暴れん坊番長だったとしたら、東京の冬は、サイバーテロを起こすインテリテロリストの様な、嫌らしさがある。

『比喩』とは、『例えば』とか、『まるで~のような』というような、何かに例えている事をカミングアウトしているのを『明喩』といい「ヤツの視線が俺を貫いた」見たいなのを『暗喩』というらしい。

先の小生の例えは、例えて逆に解りにくいか……。こういう比喩を『愚喩』というのか。

今日は弾き語りの個人リハに入った。まあ、こんな事でもやらないと、日常はどんどん壊死してしまう。

ご用心。


残雪とじいさん。

2010年02月02日 00時31分59秒 | Weblog
雪が降りました。

小生がアジトから見えるところの練馬区内は悉く綿帽子を被り、枯れ木残らず花が咲いております。街灯の下のところだけ、ほんのりと明るく浮かび上がる四つ角にはくっきりと轍が見えます。

恐らく息子が見る初めての雪の東京。不思議そうに見ておりました。

もうやんでいる様子。もしも明日まで降り続けば首都圏は麻痺状態に陥るのではないか、と思われます。本当に雪に弱い帝都・東京。

嗚呼……頭がボウとします。さっきまで寝てました。最近飯の後すぐ眠くなります。何だか疲れておる様子なのです。妻が寝入りしなに「あんたもう寝るの?それともまだまた書き物紛いな事でもしでかすの?どっちにせよ切りのエエところでさっさと寝なさい。」と言うような主旨の事を言い残し就寝しました。

小説の第二段の怪談は、少しずつ進んでおります。こういう雪の降る、もう止んでますが、深閑とした夜に書き物に耽るのは何だかステキな時間な気がします。

一旦、半ばまで進んだ小説を、セオリーに則り、見直しスリム化を図っているところです。基礎の勉強と言えば、さも勉強をしているようですが、何のリリックもなく淡々と進む文章を飽かずに読ませるのはそれはそれで大切なテクニック。

あ、サリンジャー氏が亡くなりました。91歳。

先ごろ解散した我がバンドA.A.A. の最初のマキシシングルのタイトルは『crusher in the rye (ライ麦畑のならず者)』と言うタイトルですが、これはもちろん同氏の小説のタイトルからいただいたもの。 ご冥福をお祈りします。