ミュージシャン白書

ミュージシャンの立場からライヴ、レコーディングを通じてミュージシャンの社会生活を紹介する

嗚呼憧れの……。

2010年02月26日 21時49分42秒 | Weblog
 雨もよい。誰も彼も『もしや・・・・・・?』と思い、傘を携えている。

ところが小生は傘を携えてない。つまり、雨が強くなって苦労する小生を周り中が出し抜いているという事。嗚呼くやしけり。しかしやわらかな出来事。いい。こんなのはいい。

 今日は個人リハをとって、みっちりやってきました。アコギの練習。

「貴方は甘い人間です」と言われた事は幸いないが、要するに自分で思うという事は恐らくその何層倍も周りは思っているはず。さあ、どうしましょうか?しかし小生は何も否定しません。

「嗚呼、そうですか。その通りかもしれません」と思う。小生はそれでいい。でもどうか。じゃあどうだ?たとえば貴方は人を毒づけ得るほどにそんなに他人に出来ない事ばかり出来るのか?

 いや、ギターとか、剣道とか、そういう細かい事でありません。忠告はすなわち責任だと何故わからぬかこのヌケサクどもが!しかも軽々に開き直るんじゃない。

 冗談だろうが、なかろうが、小生は無駄に人を毒づく人間が、過去自分が思っていた以上に嫌いだということに気が付いた。

 嗚呼、どうでもいいことをまあ飽かず駄等駄等と……。正直、世にあって触れる事柄ほとんどどうでもいい事と言えばその通り。だからどうでもいい事の中で、取捨選択する必要がある。ここまでは小生納得。嗚呼、得心がいった!! だがしかし。

 その中にありながら尚、己の位置みたいなものを漠然と守るため、漠然と周りを見回し、何でも欠点のみを抽出して憚らず、みつけりゃうれしそうな顔して憚らず、何故だか?どうしてだか?と、聊かも勘ぐらず、さらに飛び切りバカは何なら少し安心したような顔で人を毒づく。 こんなバカな姿が人間に許されているなんて事なら、小生は全ての正義を否定する。

 これが無邪気ないい人であったりするから厄介だが、『知らずバカ』が多い中忠告しづらいが、バカの勤めの第一はバカを辞める事。

 くそったれめ・・・・・・と思う人の身になって欲しい。という小生だって確かに人の話は聞かず、人の輪に入るのも苦手で、なのになまじいしゃべくりが達者な分、軽蔑しつつも仲良さげにする愚な知を駆使し、仲間多げに自分を錯覚させたりして、誤魔化しゃ寝息も高かろう。気にすりゃ枕も冷たかろう。ああこりゃこりゃ・・・・・・なんて、やりたい放題にするような無骨漢な亜種な阿呆なのだが、くそったれめ・・・・・・なんて、小生ごときに思われては、何処に出ても何も出来ない阿呆の中の阿呆、あ……。

 毒づくやつを嫌いながら、このままでは小生が無駄に毒づいてしまう。遺憾遺憾。

 つまり、小生は今日個人リハに入って、楽曲を練ってまあまあいい結果を得られて大満足して、嗚呼、明日も仕事か……と思うぐらいのもので。

 音楽が万人に素晴らしいなんて何にも全く言ってないですし言わないですし、それは明らかに虚偽ですが、こういう感覚が例えば数日に一日でもあれば『知らずバカ』たちもバカ同志そのバカの価値観をそのニセ肝胆に照らし合わせ汚い目線で世の中を小さくネメ回する事もなかろうと思うわけです。

 嗚呼、まったく、自己弁護のための悪口は全く聞くに堪えません。本当にそのものが嫌いなら、もっとバリエーション豊かな悪口を毎日キラキラと言えばいいのに、その努力すら怠り、大したネタもないくせに、愚堕倶駄と聞かされるのは公害以外ナニモノでもない。

 小生はそんなもんに絶対迎合しませんよ。それら『知らずバカ』にとってどんなに愚物に成り果てようともね。

 しかしロックは強い。今日もスタジオで救われた。気持ちに染み付いた下衆な滓を綺麗サッパリ振るい落としてくれます。


 偏屈で理屈屋で思慮浅薄視野狭窄で何にも順応性がない小生のような阿呆も、家族とロックには満身の感謝をする。これがないと生きていけない。そう言うものがあって漸く小生は安心するのです。