歌う狸ブログ

街角狸マニアがあらゆるマニアについて歌う「マニアソングス」誕生秘話

ジャズソングと狸(後編)

2020-04-14 22:07:49 | 自己紹介
信楽狸のブレイク

前回は信楽狸が生まれた頃の話を書きました。この信楽狸が全国的に知られるようになったきっかけはもちろん皆様ご存知のことと思いますが、1951年の昭和天皇信楽行幸です。この時沿道に日の丸の旗を持たせた信楽狸を並べて歓迎したのですが、それをご覧になった昭和天皇がいたく感激され、次のような歌を詠まれたことが新聞で報じられました。「をさなきとき あつめしからに 懐かしも 信楽焼の たぬきを見れば」つまり、昭和天皇が狸コレクターだったということが全国的に報じられたのですが、これにより信楽狸が一躍有名になったのでした。また、翌年1952年には石田豪澄和尚が伝承をもとに「信楽狸の八相縁起」を考案し、信楽狸の特徴(徳利や通帳、笠など)に縁起を当てはめて宣伝したことで、ますます信楽狸が有名になっていきました。

戦後のジャズソング

信楽狸がブレイクしていた頃、ジャズソングは姿を変え、失われたジャンルになっていきました。戦後、進駐軍と共にカントリーなどの多様なアメリカ音楽が日本に入ってきたことと、スイングジャズ自体が下火になっていったこともありますが、ジャズから流行歌へと姿を変えていきました。笠置シズ子さんが歌う東京ブギウギのようにジャズをもとにした大ヒットもあり、ジャズソングがさらに発展していったという見方もできるかもしれませんが、やはり戦前のようなジャズソングは完全に途絶えてしまったように思います。

ジャズソングと狸

大人気となった信楽狸はさらに時代のニーズに合わせて様々に形を変えていきます。最初は野生的な表情でシュッとした細長い姿だったのが、より太い腹に、よりデフォルメされた可愛らしい姿に変わっていきます。それは売れるための努力で、時代ごとに変わっていく様は非常に興味深いのですが、やはり古い狸に出会うととても興奮してしまいます。歴史的にも骨董品としても貴重な物ですので当然と言えば当然ですが、古いジャズソングのように手探りで道を模索しているような心意気に惹かれているのかもしれません。最近このような狸ファンの声を受けてか分かりませんが、古い狸の型を再現した復刻狸が製造され始めているようで、早く実際に見てみたいと思っています。

信楽狸が大ブレイクするところを書いたのになんだか湿っぽくなってしまいました。東京ブギウギでも演奏しているところを紹介したかったのですが、終戦直後に歌われた「港が見える丘」という曲を歌いましたのでお聴きいただけたら幸いです。なんだか今年は桜もよく見ないうちに散ってしまいましたね。



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