ユダヤ人は二○○○年にわたってメシアを待望しつづけてきた伝統を持つ人たちである。つまり、現実にまったく埋没してしまったら、ジョークやユーモアは成り立たない。しかし、彼らのメシア待望は、現実を超えて未来を見る視点を可能にしてきたことを意味する。ユダヤ人は、つねに現実が、唯一の現実ではないことを知っていた。未来を待望していたからこそ、彼らは現実に一定の距離をおいて、それを批判的に眺めることができた。そこに彼らの辛辣なジョークを生み出す精神の根があると思われる。
ではどんなものがあるか。ユダヤ人のジョークのいくつかを御紹介させていただきます。
ナチ親衛隊の隊長がユダヤ人をつかまえて言った。
「本官のどちらの目が義眼であるか言い当てたら、今日のところは逃がしてやろう」。
ユダヤ人はじっとそのSS将校の顔をみつめて答えた。
「左の目にちがいありません」。
「フン、うまく言い当てたな。しかし、どうして分かったんだ」。
「ハア、実は左の目の方が人間らしく見えたものですから」。
(ラントマン編『ユダヤ・ジョーク集』実業之日本社)
スターリンが死んだときに、クレムリンの鐘が鳴った。クレムリンに電話がかかって、どうして鐘が鳴っているのかと問い合わせが来た。クレムリンの当直者は、スターリンが死んだからだと答えた。しばらくすると、また同じ声で同じ問い合わせがあった。当直者は、親切にスターリンが死んだからですと返事をした。その後も同じ声の主が、ひっきりなしに電話をしてきて、同じ質問をくり返した。親切に答えていた当直者も、ついに怒って問い返した。「もう二○回も同じ質問に答えている。スターリンは死んだんだ。一体、どういうつもりで同じ質問をくり返すのだ」と。電話の主は言った。「何遍聞いてもいいものですから」。
ソ連のブレジネフ時代のジョークです。
世界の三大指導者が全能の神と会見した。まず、フランスのジスカールデスタン大統領が神に尋ねた。フランス国民はいったいいつになったら、みんな幸福な暮らしができるでしょうか。神は答えた。あと一○○年後に。ジスカールデスタンは泣き出した。私はとてもそれまで生きてはいられないだろう。次に、アメリカのカーター大統領が尋ねた。アメリカ国民はいったいいつになったら、みんな百万長者の暮らしができるでしょうか。神は答えた。あと五○年後に。カーターは泣き出した。私はとてもそれまで生きてはいられないだろう。最後に、我がソビエトのブレジネフ書記長が尋ねた。ソビエト人民はいったいいつになったら、人間らしい暮らしができるでしょうか。今度は神が泣き出した。私はとてもそれまで生きてはいられないだろう。
ところでキリスト者においては、こうしたユダヤ人的ジョークではなく、ユーモアがその信仰の本質をよく示すものだといわねばならぬでありましょう。ジョークとユーモアの違いは、ユーモアは相手への愛を含むものであるといえるでしょう。神のユーモアということを盛んに言った人物は、作家の椎名麟三でありました。
椎名麟三は、イエスの復活について、そこに神のユーモアがあると申します。椎名麟三はルカによる福音書二四章41~42節の復活のイエスが焼魚を食べられたという箇所について次のように記しています。
全く、あの復活したイエスが、生きている事実を信じさせようとして、真剣な顔で焼魚をムシャムシャ食べて見せている姿は、実に滑稽である。だがその私にとっては、そのイエスにイエスの深い愛を感ずると同時に、神のユーモアを感ぜずにはおられなかったのである。・・・そしてイエスの誕生もその十字架もその復活も神のユーモアにほかならなかったように思われるのである。(「私の聖書物語」)
椎名麟三が人生に絶望し疲れ果てていた時友人に誘われ、初めて教会の門をくぐったのが、イースター礼拝の日でありました。そして初めて聞く説教の箇所が、復活したイエスが焼魚を食べて見せるというところで、友人は「しまった。こんな話の時に連れてくるんじゃなかった」と思ったそうです。しかし椎名麟三自身は、その時全く別のことを感じていました。それは、十字架上で確かにイエスは無残な死を遂げたという、まぎれもない人間の現実が一方にありしかし他方それをひっくり返すもう一つの現実、復活したイエスが焼魚をむしゃむしゃたべているという神の現実があるということを聖書が語っているということに彼は感激していたのでした。即ち人間の現実だけを唯一絶対とすることから自由にされる根拠を、彼はイエスの復活に見出したのであります。
ところで復活のイエスに神のユーモアを感ずるというのはまだわかるとしても、あの悲惨な十字架がどうして神のユーモアなどでありうるのかと問う方がおられるかもしれません。しかし、ユーモアとは「自己にとらわれない、自己防衛の心から解放されて、自由に自己を展開出来る姿」から生み出されるものだとすれば、十字架こそは、神が自己にとらわれず、自己防衛の心などかなぐりすて、限りなき愛の故に自由に自己をすてられた姿であったといわねばなりません。この十字架の主が、私達一人一人と共にいて下さる、これがインマヌエルの信仰であり、それを保障するものが復活なのであります。この復活の主に出会った時、暗い顔をしてエマオ途上の道を歩いていた弟子たちの心が燃えたとの同じ経験を私達もすることが出来る。
では如何なる仕方で、この弟子達は復活の主に出会ったのでしょうか。まずイエス御自身がこの弟子たちの方に近づいて来られたとあります。
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。(24:13~15)
しかし彼らは、それがイエスだとはわからなかったとあります。
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。(24:16)