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無教会全国集会2011

無教会全国集会2011の6つの分科会の「お話しあい継続ブログ」です。

聖書講義 「もう一つの現実」  ルカ福音書二四:13-35 (その1)

2012年04月07日 | 聖書講義

                                                  内坂 晃

 七月頃の朝日新聞だったと思いますが、東大の政治学者藤原帰一氏が「大国の条件」ということで、日本は世界から見れば押しも押されもせぬ大国であり、その自覚に立って、国内のことだけではなく、国際問題についても、それなりに関心と取り組と役割を果すべきだとの意見を載せておられました。それは具体的にはソマリア難民のことであり、当時国連や主要先進国の関心も、東日本大震災よりもソマリア難民のことに向かっていました。むろん当時日本でも
B.Sの「ワールド・ウェイブ・トゥナイト」などの番組では取りあげられていましたが、一般のニュースでは、NHKでも民放でもほとんど報じられていなかったように思います。さすがに八月半ばには、時々取りあげられるようにはなりましたが、一般の関心がそれほど高いとは言えないでしょう。欧米も今はユーロ危機の問題で手一杯といった感じで、ソマリアのことは以前ほど報じられていないようですが・・・。

 今、ソマリアでは370万人が生命の危機的状況にあると言われ、その内100万人を超える子供達が極度の栄養失調で、深刻な状況にあるとのことです。

 

このようになった主な原因は主として三つあり、その第一はこの地域の旱魃です。旱魃は地球温暖化の影響で、この地域だけではなく、例えばアフガニスタンなどでも起きていることは中村哲医師のペシャワール会の会報などでも報じられていることは多くの方々が御存知でありましょう。

 

次に旱魃に伴う食料の高騰があります。この一年間でこの地域の穀物の値段は実に5倍になったと報じられています。そこに投機マネーの関与も加わって、危機を一層深めています。中東の民主化デモの背景にも食料の高騰があるといわれています。

 

そして内戦。今もイスラム原理主義組織アル・シャバブやその他のイスラム過激派組織の争いが続いていて、人道援助の介入もままならないような状況が続いています。先日もお腹をすかした幼児が、異教徒から食べ物をもらったからとの理由で射殺され、激しく嘆く母親の姿が報じられていました。さらに1028日にはケニア軍がソマリアに侵攻するといったことも起こっています。

 

このような中でも国連は、ケニアの(9万人収容の)キャンプに逃れてきた40万人もの難民に、なんとか手をさしのべるべく、「国境なき医師団」などのNGOと協力して世界に訴えています。

 

日本で東日本大震災ばかりが主たる公的関心事となる中で、私達日本人に突きつけられている「もうひとつの現実」がここにあり、私達日本人キリスト者の祈りを合わせるべき課題があります。

 

さて、三・一一の大震災の後、これを私たちの信仰の問題としては、どのように受けとめるべきか、殊に聖書を講ずる者としては、その問いにまともに向き会わざるをえなかったわけですが、その折、私は礼拝でまず次のように述べました。

 

こうした時、私達が陥りやすいあやまちは、何とか神の弁護人の役割を果たさねばと考えてしまうことである。しかし私達は決して神の弁護人になろうとしてはならない。

 

弁護人は被告のことがよくわかっていないと、適切な弁護はできない。では私たちは神様のことがよくわかっているか、といえばそうではないであろう。それなのに神の弁護人を演じようとすれば、いきおいそれは、自分の抱いている神についての教義を神の座にすえて論じることになる。それは被災された方々への、当たり前の人間としての共感をおおう危険をもたらすであろう。ヨブの友人達の陥った誤りは、まさにそういうものであった。友人たちの賞罰応報主義への信仰が、ヨブへの友情の目を曇らせたのである。

 

ヨブの友人達、彼らは最初ヨブのあまりもの悲惨な姿への変わりように、七日七夜ヨブとともにすわって、話しかけることもできなかった。それほどの深い同情をヨブに寄せた。その彼らをやがてヨブへの冷酷な批判者に変えていったもの、それは彼らの信仰への熱心であった。彼らが「これが信仰」と考えるものへの熱心であった。今回のことで私達は、ヨブの如く神に対して、いきどうり、嘆き、訴えてもいい。しかしヨブの友人達のように、神の弁護人になろうとしてはならない。そのように申しました。

 

今、世界に広まりつつあり、憂慮に耐えないものは原理主義と呼ばれるものです。神だけが神であり、人間は人間でしかない。人間は神ではないということは、人間は誤る者であるということです。これが聖書の信仰の基本的立場だと言ってよいでしょう。ですから本当は、神を信じる信仰は、人を謙虚にするはずのものだと思うのですが、かえって人は信仰によって自己を絶対化する。人間は誤りを犯す者であるということは、信仰においても人は間違いを犯す可能性を持っているということになるはずですが、人間は、自分や自分達の信仰に関してだけは、容易に自己を絶対化します。それは教義論争に鎬を削ってきたキリスト教の歴史を見れば明らかです。内村鑑三は、そうした流れに対して、信仰の人格的理解(例えば「所感十年」の中にある「キリスト教はキリストである」などの言葉)に徹するという仕方において、宗教改革的貢献を果たしたと言えるでありましょう。しかし信仰による自己絶対化は、教義や教理においてだけでなく自己の信仰体験、特に「神の声を聞いた」とか「キリストの御姿を見た」とかいう神秘体験や奇跡的医しの体験や自己の苦難の経験によってもなされます。そういうものが一番の自分の信仰の根拠になってしまう。聖書の御言葉以上に。そしてそういう自分の信仰体験を根拠に、時に他の人々に対して「彼らは未だ信仰の奥義がわかっていない」とばかり他を裁く。傲慢になる。

 

以前高橋三郎先生が、藤井武の「聖書より見たる日本」の中の「聖霊米国を去る」との項目の表題に対して、「人間の分を過ぎた物言い」だとして批判されたのを私は聞いたことがあります。藤井武批判として、それが当を得ているかどうかは別として、私はその時、先生の真理感覚の鋭さに心打たれたことを今でもはっきり思い出すことが出来ます。多くの人が悔い改めを表明し、神を賛美する時、私達はそこに聖霊の働きを見出し感謝する、それはそれでいいのです。しかし、それが、そのような光景のみられない集会、老齢化が進み、早晩解散するしかないと見えるような集会、そういう集会は、聖霊の働きがないという批判につながるのであれば、それはやはり、人間の分を過ぎたる物言いと言わざるを得ないでしょう。私達があやまりを犯しうる人間である限り、神とか神の子とか聖霊とかという言葉に対しては、私達ももっと慎みをもって接しなければならないのではないか。原理主義が横行する現代にあってはなおさらであります。

 

私が中学2年生の時の教会学校(C.S)の教師に小林融弘(こばやしみちひろ:当時大学1年生)という人がいました。彼は物理学者として2年前に68歳で亡くなったのですが、C.S中高科の、教師生徒合わせて10名足らずの礼拝のために5年間にわたって黙々と週報を作られました。そこに式次第と共に毎週御自分の短文を載せられました。その内の1つに次のようなものがあります。

 

“横浜の事故と三池の爆発事故のせいで先週(19631110日)の日曜は朝から暗たんたる心持であった。どうしてこんなにいたましい事故がおこるのであろうか。聞くところによると三池ではどのひつぎにも主人を失い息子を失った家族達があきらめようとしてあきらめきれず、かきむしった爪のあとがいたいたしく刻されていたという。あまりにも悲さんな出来事が平気で起こりすぎる世界である。

 

こういう出来事はぼくらと無縁なものとは考えられない。・・・このように非情な出来事は、つまる所、愛なる神の世界支配という信仰への挑戦だとぼくには思われるのである。どうしてあの人達があゝいう目に合わなければならなかったのだろうという押さえられぬ問がわれ知れずこみあげてくる。運が悪かったのだとしか言い様がない。だが、たとえつもりつもった因果関係のせいにしてもやりきれない気持ちにかわりはない。犠牲が大きすぎる。・・・

 

日曜日のことだったが、礼拝で讃美歌を唱っても説教を聞いても例の問いが、「信仰とはいったい何か」という問いが、ぼくを執念深く追いかけた。とうてい、主観的な信仰心の満足にひたっていることはできなかった。信仰とはこの悩み多き世界を、たくましく、よろこびをもって生きぬくための方便なのであろうか。主観の切りかえを言うのであろうか。だがいくら心の持ち方をかえたとしても現実は依然として残る。いくらぼくの心がよろこびにあふれ感動にみちあふれたとしてもあのいたましい出来事はみじんも変化しない。夜に日本橋の集会に出たが、「信仰は勝利」という勇ましい歌がガンガン響く中で、遠い地にくりひろげられている悲しみを想うといたたまれない気がしてならなかった。

 

そうは言うものの、ぼくはもう一つの現実を忘れてしまったのではない。あのイエスが他人の悲しみと苦しみとを背負って歩まれたという事、「あきらめよ」とは語らず「起きて歩め」と語られたという事、誰からも見離されて十字架につけられたという事、徹底した孤独の中で死と直面しながらなおも人々にゆるしを宣言されたという事、これらもやはり現実である。そして不思議にもこの現実こそあの現実と相互に通いあうことができるのだ。さらに不思議なことは信仰の陶酔と逃避および自己満足はこれら二つの現実のいずれとも何の関係ももたぬという事実である。“

 

主イエスが悲しみとやみの現実の中にある者に向かって「起きて歩め」と語られる、その御言葉が私達にとって、どうして深い慰めと力になるのか。それはそう語られるイエスが十字架の悲惨の中からよみがえらされた方であり、今も私達と共にいてくださる方であるからという、復活とインマヌエルの信仰あってのことであります。先の小林融弘兄の短文の背後には、この復活とインマヌエルの信仰が息づいているということであります。

 

マタイは、福音書の終わりを次の言葉でしめくくりました。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)」この「世の終わりまで」私達一人一人と共にいてくださる主は、実は他ならぬあの十字架で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なんぞ我をみすてたまいし)」と叫ばれたイエスその人であります。

 

私達は十字架による処刑というこの闇の深さ、そのリアリティーをしっかりと受けとめるところから出発しなければなりません。すぐに贖罪信仰という教理から出発してはならない。十字架の死の暗さ、絶望の深さをしっかりと受けとめることなしには復活の出来事の衝撃はわからない。

 

ある牧師が次のように記しています。「イースターの喜びは、決してあの十字架の暗さを解消し、あの苦悶の叫びを中和させるものではありません。いや、むしろそれは、イエスの死を新しく確認し、それを肯定する喜びなのです」。

 

復活の出来事なくしては、イエスの死は、単に敗北と絶望の死としてしか受けとめられませんでした。それは、たとえば暗い顔をしてエマオへと向かう旅人の、次の言葉からも明らかであります。

 

イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。(ルカ24:17-21a)

 

イエスの死が敗北と絶望の死ではなく、実にわれらの罪のあがないの死であり、主はわれらの絶望のどん底にまで身を置いて、とりなしをしてくださる方であることをしめすものであったということは、このことは復活を通して、十字架の死をみる時にはじめて明らかにされたことであります。繰り返して申しますがこの意味で復活は、十字架の死を否定するものではなく、それを肯定する喜びなのであります。

 

十字架刑という、文字通り残虐極まりない闇の現実がある。しかし、それが思いもかけぬ救いの道へと変えられる。十字架が神の救いの御業の場と変えられた。しかし、それはまた人々の罪が罪として、はっきりと白日の下にさらけ出されるということでもありました。祭司長や律法学者が、神を汚す者としてイエスを断罪することによって、彼らが神の御前に如何に根本的な倒錯の中にあるかが明らかにされた場所、それは復活の光にてらされた十字架の場面であります。そして罪の中にあるのは、むろん祭司長、律法学者だけではありません。それはまた私達自身の姿でもある。この告白を抜きにして、私達のキリスト信仰というものはありません。

 

十字架刑という形ではないけれど、私達の囲りには、人間的な闇の現実というものが一杯あります。私達はそれを恐れ、しばしばその前に身を固くして身構え、戦々恐々とした余裕のない態度に陥ってしまいます。しかし目の前の闇の現実が、それだけが決して全てではなく、それをひっくり返すもう一つの現実、神の現実というものがあることを知っている者は、目前の闇の現実に対して、もっと余裕をもった態度で応じることが可能となります。

 

ユダヤ人はジョークの天才だと言われます。それは彼らが、キリスト教徒とは違った根拠においてであれ、目前の現実以外に、もうひとつの現実、神の現実というものがあることを知っていて、そこから生まれた余裕が生み出したものといえるのではないかと思います。このことを抜きにして、あの半世紀にわたるバビロン捕囚期をユダヤ人としてしぶとく生き抜くことは出来なかったでありましょう。また一六00年にわたるキリスト教徒による迫害下を、ユダヤ教徒として生き抜くことは出来なかったでありましょう。この辺のことを宮田光雄先生が、次のように述べておられます。

 


聖書講義 「もう一つの現実」  ルカ福音書二四:13-35 (その2)

2012年04月07日 | 聖書講義

ユダヤ人は二○○○年にわたってメシアを待望しつづけてきた伝統を持つ人たちである。つまり、現実にまったく埋没してしまったら、ジョークやユーモアは成り立たない。しかし、彼らのメシア待望は、現実を超えて未来を見る視点を可能にしてきたことを意味する。ユダヤ人は、つねに現実が、唯一の現実ではないことを知っていた。未来を待望していたからこそ、彼らは現実に一定の距離をおいて、それを批判的に眺めることができた。そこに彼らの辛辣なジョークを生み出す精神の根があると思われる。 

  

ではどんなものがあるか。ユダヤ人のジョークのいくつかを御紹介させていただきます。

 

ナチ親衛隊の隊長がユダヤ人をつかまえて言った。

「本官のどちらの目が義眼であるか言い当てたら、今日のところは逃がしてやろう」。

ユダヤ人はじっとそのSS将校の顔をみつめて答えた。

「左の目にちがいありません」。

「フン、うまく言い当てたな。しかし、どうして分かったんだ」。

「ハア、実は左の目の方が人間らしく見えたものですから」。

(ラントマン編『ユダヤ・ジョーク集』実業之日本社)

 

スターリンが死んだときに、クレムリンの鐘が鳴った。クレムリンに電話がかかって、どうして鐘が鳴っているのかと問い合わせが来た。クレムリンの当直者は、スターリンが死んだからだと答えた。しばらくすると、また同じ声で同じ問い合わせがあった。当直者は、親切にスターリンが死んだからですと返事をした。その後も同じ声の主が、ひっきりなしに電話をしてきて、同じ質問をくり返した。親切に答えていた当直者も、ついに怒って問い返した。「もう二回も同じ質問に答えている。スターリンは死んだんだ。一体、どういうつもりで同じ質問をくり返すのだ」と。電話の主は言った。「何遍聞いてもいいものですから」。

 

ソ連のブレジネフ時代のジョークです。

 

世界の三大指導者が全能の神と会見した。まず、フランスのジスカールデスタン大統領が神に尋ねた。フランス国民はいったいいつになったら、みんな幸福な暮らしができるでしょうか。神は答えた。あと一○○年後に。ジスカールデスタンは泣き出した。私はとてもそれまで生きてはいられないだろう。次に、アメリカのカーター大統領が尋ねた。アメリカ国民はいったいいつになったら、みんな百万長者の暮らしができるでしょうか。神は答えた。あと五年後に。カーターは泣き出した。私はとてもそれまで生きてはいられないだろう。最後に、我がソビエトのブレジネフ書記長が尋ねた。ソビエト人民はいったいいつになったら、人間らしい暮らしができるでしょうか。今度は神が泣き出した。私はとてもそれまで生きてはいられないだろう。

 

ところでキリスト者においては、こうしたユダヤ人的ジョークではなく、ユーモアがその信仰の本質をよく示すものだといわねばならぬでありましょう。ジョークとユーモアの違いは、ユーモアは相手への愛を含むものであるといえるでしょう。神のユーモアということを盛んに言った人物は、作家の椎名麟三でありました。

椎名麟三は、イエスの復活について、そこに神のユーモアがあると申します。椎名麟三はルカによる福音書二四章4142節の復活のイエスが焼魚を食べられたという箇所について次のように記しています。

 

全く、あの復活したイエスが、生きている事実を信じさせようとして、真剣な顔で焼魚をムシャムシャ食べて見せている姿は、実に滑稽である。だがその私にとっては、そのイエスにイエスの深い愛を感ずると同時に、神のユーモアを感ぜずにはおられなかったのである。・・・そしてイエスの誕生もその十字架もその復活も神のユーモアにほかならなかったように思われるのである。(「私の聖書物語」)

 

椎名麟三が人生に絶望し疲れ果てていた時友人に誘われ、初めて教会の門をくぐったのが、イースター礼拝の日でありました。そして初めて聞く説教の箇所が、復活したイエスが焼魚を食べて見せるというところで、友人は「しまった。こんな話の時に連れてくるんじゃなかった」と思ったそうです。しかし椎名麟三自身は、その時全く別のことを感じていました。それは、十字架上で確かにイエスは無残な死を遂げたという、まぎれもない人間の現実が一方にありしかし他方それをひっくり返すもう一つの現実、復活したイエスが焼魚をむしゃむしゃたべているという神の現実があるということを聖書が語っているということに彼は感激していたのでした。即ち人間の現実だけを唯一絶対とすることから自由にされる根拠を、彼はイエスの復活に見出したのであります。

 

ところで復活のイエスに神のユーモアを感ずるというのはまだわかるとしても、あの悲惨な十字架がどうして神のユーモアなどでありうるのかと問う方がおられるかもしれません。しかし、ユーモアとは「自己にとらわれない、自己防衛の心から解放されて、自由に自己を展開出来る姿」から生み出されるものだとすれば、十字架こそは、神が自己にとらわれず、自己防衛の心などかなぐりすて、限りなき愛の故に自由に自己をすてられた姿であったといわねばなりません。この十字架の主が、私達一人一人と共にいて下さる、これがインマヌエルの信仰であり、それを保障するものが復活なのであります。この復活の主に出会った時、暗い顔をしてエマオ途上の道を歩いていた弟子たちの心が燃えたとの同じ経験を私達もすることが出来る。

 

では如何なる仕方で、この弟子達は復活の主に出会ったのでしょうか。まずイエス御自身がこの弟子たちの方に近づいて来られたとあります。

 

ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。(24:1315

 

しかし彼らは、それがイエスだとはわからなかったとあります。

 

しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。24:16

 

 


聖書講義 「もう一つの現実」  ルカ福音書二四:13-35 (その3)

2012年04月07日 | 聖書講義

私達が信仰に導かれた道筋も、本質的にはこの弟子たちと同じでありました。たとえ自ら求めて求道し、信仰に入ったのだとしましても、事の本質においては、私達が主を選んだのではなく主の方が私達に近づき私達を選んでくださったのであります。しかも私達は最初は主がどのような方なのかを全く知りませんでした。では、この弟子達は、イエスのことがどうしてわかったのでしょうか。それはまず聖書のときあかしを受けてであります。

 

そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。24:27

 

私達においてもまた、イエスとの出会いをなさしめるものは、まず聖書に深く沈潜し学ぶことからであります。そして聖書のときあかしを受ける中で、この弟子達の心が燃え、その眼が開かれて、ハッとイエスのお姿を見るのは、イエスの祈りの姿を見たときでありました。

 

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。24:3032

 

私達もまた、祈りにおいてこそ、自己の思いにこり固まっていた自分から、徐々に解き放たれ、沈黙の時を通って、しだいに自分の思いではなく神の御旨をたずね求め、御旨に従う者とならしめ給えと祈る者とされるその時、イエスのとりなしの祈りに導かれている自己を、しかと感ずることが出来るのであります。

 

そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、 パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。24:3335

 

復活の主に出会った弟子たちはそのことを告げるべく、エルサレムへ戻って行きました。エルサレム、それはイエスをあざけり、イエスを十字架につけた人々がまだ一杯いた町であります。その現実の中へ、この弟子達は、復活というもうひとつの現実、神の現実をたずさえて戻っていったのであります。私達においても、事柄の本質は同じであります。あらゆる不条理と悲惨と不正がはびこり、力あるものが弱いものをふみにじり、そして不条理と死が絶対的な力をもって支配しているこの世の現実、私達自身が、この罪の身をもって、その中でキリキリ舞いさせられている闇の現実、その真只中に主イエスの復活というもうひとつの現実、神の現実をたずさえ、これを証言すべく私達も召されているのであります。この意味で、復活信仰とは、死後も天国があるという逃避的な来世信仰とは全く別のものでありまして、それは義と愛なる神の、この世の闇の力(虚無の霊)にたいする勝利を信じて生きるということであり、また私達一人一人の罪の現実に対する神の勝利の現実を信じて生きるということであります。従ってそれはこの世にあっては本質的に戦闘的な生涯たらざるをえませんが、それはまた、この世の闇の力を相対化させ、それにユーモアをもって対処しうる生き方となるのであります。

  

現実の私達の姿は自己が傷つけられることを恐れて、すぐに身を固くし、目の前の現実だけが唯一の現実のように思い込んで、それにふりまわされて余裕を失った態度になってしまいますが、私達には、主イエスの復活において、もうひとつの現実、神の勝利の現実が与えられていることを信じて、どうか余裕とユーモアをもって生きて行く事のできる者とされたい、そう願うのであります。

最後に賛美歌361番をうたいますが、これは亡くなられた小林融弘兄の愛唱賛美歌でありました。共に御唱和いただきたいと存じます。

 

1

主にありてぞ

われ主に、主われに

われは生くる

ありてやすし

 

2

主にありてぞ

主にある死こそは

われ死なばや

いのちなれば

 

3

生くるうれし

主にあるわが身の

死ぬるもよし

さちはひとし

 

4

われ主に、主は

天こそとこよの

われにありて

わが家となれ