内坂 晃
七月頃の朝日新聞だったと思いますが、東大の政治学者藤原帰一氏が「大国の条件」ということで、日本は世界から見れば押しも押されもせぬ大国であり、その自覚に立って、国内のことだけではなく、国際問題についても、それなりに関心と取り組と役割を果すべきだとの意見を載せておられました。それは具体的にはソマリア難民のことであり、当時国連や主要先進国の関心も、東日本大震災よりもソマリア難民のことに向かっていました。むろん当時日本でもB.Sの「ワールド・ウェイブ・トゥナイト」などの番組では取りあげられていましたが、一般のニュースでは、NHKでも民放でもほとんど報じられていなかったように思います。さすがに八月半ばには、時々取りあげられるようにはなりましたが、一般の関心がそれほど高いとは言えないでしょう。欧米も今はユーロ危機の問題で手一杯といった感じで、ソマリアのことは以前ほど報じられていないようですが・・・。
今、ソマリアでは370万人が生命の危機的状況にあると言われ、その内100万人を超える子供達が極度の栄養失調で、深刻な状況にあるとのことです。
このようになった主な原因は主として三つあり、その第一はこの地域の旱魃です。旱魃は地球温暖化の影響で、この地域だけではなく、例えばアフガニスタンなどでも起きていることは中村哲医師のペシャワール会の会報などでも報じられていることは多くの方々が御存知でありましょう。
次に旱魃に伴う食料の高騰があります。この一年間でこの地域の穀物の値段は実に5倍になったと報じられています。そこに投機マネーの関与も加わって、危機を一層深めています。中東の民主化デモの背景にも食料の高騰があるといわれています。
そして内戦。今もイスラム原理主義組織アル・シャバブやその他のイスラム過激派組織の争いが続いていて、人道援助の介入もままならないような状況が続いています。先日もお腹をすかした幼児が、異教徒から食べ物をもらったからとの理由で射殺され、激しく嘆く母親の姿が報じられていました。さらに10月28日にはケニア軍がソマリアに侵攻するといったことも起こっています。
このような中でも国連は、ケニアの(9万人収容の)キャンプに逃れてきた40万人もの難民に、なんとか手をさしのべるべく、「国境なき医師団」などのNGOと協力して世界に訴えています。
日本で東日本大震災ばかりが主たる公的関心事となる中で、私達日本人に突きつけられている「もうひとつの現実」がここにあり、私達日本人キリスト者の祈りを合わせるべき課題があります。
さて、三・一一の大震災の後、これを私たちの信仰の問題としては、どのように受けとめるべきか、殊に聖書を講ずる者としては、その問いにまともに向き会わざるをえなかったわけですが、その折、私は礼拝でまず次のように述べました。
こうした時、私達が陥りやすいあやまちは、何とか神の弁護人の役割を果たさねばと考えてしまうことである。しかし私達は決して神の弁護人になろうとしてはならない。
弁護人は被告のことがよくわかっていないと、適切な弁護はできない。では私たちは神様のことがよくわかっているか、といえばそうではないであろう。それなのに神の弁護人を演じようとすれば、いきおいそれは、自分の抱いている神についての教義を神の座にすえて論じることになる。それは被災された方々への、当たり前の人間としての共感をおおう危険をもたらすであろう。ヨブの友人達の陥った誤りは、まさにそういうものであった。友人たちの賞罰応報主義への信仰が、ヨブへの友情の目を曇らせたのである。
ヨブの友人達、彼らは最初ヨブのあまりもの悲惨な姿への変わりように、七日七夜ヨブとともにすわって、話しかけることもできなかった。それほどの深い同情をヨブに寄せた。その彼らをやがてヨブへの冷酷な批判者に変えていったもの、それは彼らの信仰への熱心であった。彼らが「これが信仰」と考えるものへの熱心であった。今回のことで私達は、ヨブの如く神に対して、いきどうり、嘆き、訴えてもいい。しかしヨブの友人達のように、神の弁護人になろうとしてはならない。そのように申しました。
今、世界に広まりつつあり、憂慮に耐えないものは原理主義と呼ばれるものです。神だけが神であり、人間は人間でしかない。人間は神ではないということは、人間は誤る者であるということです。これが聖書の信仰の基本的立場だと言ってよいでしょう。ですから本当は、神を信じる信仰は、人を謙虚にするはずのものだと思うのですが、かえって人は信仰によって自己を絶対化する。人間は誤りを犯す者であるということは、信仰においても人は間違いを犯す可能性を持っているということになるはずですが、人間は、自分や自分達の信仰に関してだけは、容易に自己を絶対化します。それは教義論争に鎬を削ってきたキリスト教の歴史を見れば明らかです。内村鑑三は、そうした流れに対して、信仰の人格的理解(例えば「所感十年」の中にある「キリスト教はキリストである」などの言葉)に徹するという仕方において、宗教改革的貢献を果たしたと言えるでありましょう。しかし信仰による自己絶対化は、教義や教理においてだけでなく自己の信仰体験、特に「神の声を聞いた」とか「キリストの御姿を見た」とかいう神秘体験や奇跡的医しの体験や自己の苦難の経験によってもなされます。そういうものが一番の自分の信仰の根拠になってしまう。聖書の御言葉以上に。そしてそういう自分の信仰体験を根拠に、時に他の人々に対して「彼らは未だ信仰の奥義がわかっていない」とばかり他を裁く。傲慢になる。
以前高橋三郎先生が、藤井武の「聖書より見たる日本」の中の「聖霊米国を去る」との項目の表題に対して、「人間の分を過ぎた物言い」だとして批判されたのを私は聞いたことがあります。藤井武批判として、それが当を得ているかどうかは別として、私はその時、先生の真理感覚の鋭さに心打たれたことを今でもはっきり思い出すことが出来ます。多くの人が悔い改めを表明し、神を賛美する時、私達はそこに聖霊の働きを見出し感謝する、それはそれでいいのです。しかし、それが、そのような光景のみられない集会、老齢化が進み、早晩解散するしかないと見えるような集会、そういう集会は、聖霊の働きがないという批判につながるのであれば、それはやはり、人間の分を過ぎたる物言いと言わざるを得ないでしょう。私達があやまりを犯しうる人間である限り、神とか神の子とか聖霊とかという言葉に対しては、私達ももっと慎みをもって接しなければならないのではないか。原理主義が横行する現代にあってはなおさらであります。
私が中学2年生の時の教会学校(C.S)の教師に小林融弘(こばやしみちひろ:当時大学1年生)という人がいました。彼は物理学者として2年前に68歳で亡くなったのですが、C.S中高科の、教師生徒合わせて10名足らずの礼拝のために5年間にわたって黙々と週報を作られました。そこに式次第と共に毎週御自分の短文を載せられました。その内の1つに次のようなものがあります。
“横浜の事故と三池の爆発事故のせいで先週(1963年11月10日)の日曜は朝から暗たんたる心持であった。どうしてこんなにいたましい事故がおこるのであろうか。聞くところによると三池ではどのひつぎにも主人を失い息子を失った家族達があきらめようとしてあきらめきれず、かきむしった爪のあとがいたいたしく刻されていたという。あまりにも悲さんな出来事が平気で起こりすぎる世界である。
こういう出来事はぼくらと無縁なものとは考えられない。・・・このように非情な出来事は、つまる所、愛なる神の世界支配という信仰への挑戦だとぼくには思われるのである。どうしてあの人達があゝいう目に合わなければならなかったのだろうという押さえられぬ問がわれ知れずこみあげてくる。運が悪かったのだとしか言い様がない。だが、たとえつもりつもった因果関係のせいにしてもやりきれない気持ちにかわりはない。犠牲が大きすぎる。・・・
日曜日のことだったが、礼拝で讃美歌を唱っても説教を聞いても例の問いが、「信仰とはいったい何か」という問いが、ぼくを執念深く追いかけた。とうてい、主観的な信仰心の満足にひたっていることはできなかった。信仰とはこの悩み多き世界を、たくましく、よろこびをもって生きぬくための方便なのであろうか。主観の切りかえを言うのであろうか。だがいくら心の持ち方をかえたとしても現実は依然として残る。いくらぼくの心がよろこびにあふれ感動にみちあふれたとしてもあのいたましい出来事はみじんも変化しない。夜に日本橋の集会に出たが、「信仰は勝利」という勇ましい歌がガンガン響く中で、遠い地にくりひろげられている悲しみを想うといたたまれない気がしてならなかった。
そうは言うものの、ぼくはもう一つの現実を忘れてしまったのではない。あのイエスが他人の悲しみと苦しみとを背負って歩まれたという事、「あきらめよ」とは語らず「起きて歩め」と語られたという事、誰からも見離されて十字架につけられたという事、徹底した孤独の中で死と直面しながらなおも人々にゆるしを宣言されたという事、これらもやはり現実である。そして不思議にもこの現実こそあの現実と相互に通いあうことができるのだ。さらに不思議なことは信仰の陶酔と逃避および自己満足はこれら二つの現実のいずれとも何の関係ももたぬという事実である。“
主イエスが悲しみとやみの現実の中にある者に向かって「起きて歩め」と語られる、その御言葉が私達にとって、どうして深い慰めと力になるのか。それはそう語られるイエスが十字架の悲惨の中からよみがえらされた方であり、今も私達と共にいてくださる方であるからという、復活とインマヌエルの信仰あってのことであります。先の小林融弘兄の短文の背後には、この復活とインマヌエルの信仰が息づいているということであります。
マタイは、福音書の終わりを次の言葉でしめくくりました。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)」この「世の終わりまで」私達一人一人と共にいてくださる主は、実は他ならぬあの十字架で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なんぞ我をみすてたまいし)」と叫ばれたイエスその人であります。
私達は十字架による処刑というこの闇の深さ、そのリアリティーをしっかりと受けとめるところから出発しなければなりません。すぐに贖罪信仰という教理から出発してはならない。十字架の死の暗さ、絶望の深さをしっかりと受けとめることなしには復活の出来事の衝撃はわからない。
ある牧師が次のように記しています。「イースターの喜びは、決してあの十字架の暗さを解消し、あの苦悶の叫びを中和させるものではありません。いや、むしろそれは、イエスの死を新しく確認し、それを肯定する喜びなのです」。
復活の出来事なくしては、イエスの死は、単に敗北と絶望の死としてしか受けとめられませんでした。それは、たとえば暗い顔をしてエマオへと向かう旅人の、次の言葉からも明らかであります。
イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。(ルカ24:17-21a)
イエスの死が敗北と絶望の死ではなく、実にわれらの罪のあがないの死であり、主はわれらの絶望のどん底にまで身を置いて、とりなしをしてくださる方であることをしめすものであったということは、このことは復活を通して、十字架の死をみる時にはじめて明らかにされたことであります。繰り返して申しますがこの意味で復活は、十字架の死を否定するものではなく、それを肯定する喜びなのであります。
十字架刑という、文字通り残虐極まりない闇の現実がある。しかし、それが思いもかけぬ救いの道へと変えられる。十字架が神の救いの御業の場と変えられた。しかし、それはまた人々の罪が罪として、はっきりと白日の下にさらけ出されるということでもありました。祭司長や律法学者が、神を汚す者としてイエスを断罪することによって、彼らが神の御前に如何に根本的な倒錯の中にあるかが明らかにされた場所、それは復活の光にてらされた十字架の場面であります。そして罪の中にあるのは、むろん祭司長、律法学者だけではありません。それはまた私達自身の姿でもある。この告白を抜きにして、私達のキリスト信仰というものはありません。
十字架刑という形ではないけれど、私達の囲りには、人間的な闇の現実というものが一杯あります。私達はそれを恐れ、しばしばその前に身を固くして身構え、戦々恐々とした余裕のない態度に陥ってしまいます。しかし目の前の闇の現実が、それだけが決して全てではなく、それをひっくり返すもう一つの現実、神の現実というものがあることを知っている者は、目前の闇の現実に対して、もっと余裕をもった態度で応じることが可能となります。
ユダヤ人はジョークの天才だと言われます。それは彼らが、キリスト教徒とは違った根拠においてであれ、目前の現実以外に、もうひとつの現実、神の現実というものがあることを知っていて、そこから生まれた余裕が生み出したものといえるのではないかと思います。このことを抜きにして、あの半世紀にわたるバビロン捕囚期をユダヤ人としてしぶとく生き抜くことは出来なかったでありましょう。また一六00年にわたるキリスト教徒による迫害下を、ユダヤ教徒として生き抜くことは出来なかったでありましょう。この辺のことを宮田光雄先生が、次のように述べておられます。