盤上の悪魔

囲碁、哲学(人間原理、相対主義、プラグマティズムとか)、ラノベなんかを中心にしてます。

ニューカムのパラドックス3

2009年06月30日 20時14分08秒 | 哲学ネタ
パラドックス大全とニューカムのパラドックス
続ニューカムのパラドックス

「あなたの前に小さいつづらと大きいつづらがある。
小さいつづらには百万円が、大きいつづらにはミッピーの絵皿一万円分が入っている。
あなたはどちらか片方を取ってもいいし、両方取っても構わない。

ただし、こういう注意を受ける。
一週間前、90%の確率であたる未来予測を行うコンピュータが、あなたがどう行動するか予測を行った。
その未来予測で、あなたがつづらを両方取るという結果が出たときにはその強欲を戒めるため、小さいつづらからはすでに百万円が抜かれている。

あなたは、両方のつづらを取るべきか、一方のつづらだけ取っておくべきか?」

このニューカムのパラドックスについて思いついたことを少々。

因果関係を重視する立場ならば、選択の時点で小さいつづらに百万円が入っているかどうかはもう決定されている事実であり、両方開けようと片方開けようと、その時点では入っているかどうかに影響を与えることは出来ないということになります。

従って、合理的には両方開けるのが正しいといえます。

しかし、もしコンピュータが未来予測を行う前にこの選択をすることがわかっていたら、「両方のつづらを取った時には罰金として1000万円支払う」といった契約を結んでおけば、選択の場では小さいつづらだけを開けるのが合理的になります。

この場合、選択の場で合理的に行動するならば、契約を結んだ場合の方が結ばない場合よりももらえる金額の期待値は高くなります。

契約するかどうかの決定をコンピュータが未来予測を行う前にすれば因果関係の問題もありません。

従って、この契約を結ぶことは合理的でしょう。

しかし、それならば、こんな契約を結ばずに、素直に小さいつづらだけを開けても同じことではないか、という疑問がでてきます。

何故この契約が必要になるのか、説明するのはなかなか難しそうです。
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囲碁NHK杯、秋山次郎八段vs 古谷裕七段

2009年06月28日 17時57分23秒 | 囲碁
今日のNHK杯は秋山次郎八段vs 古谷裕七段の対局。

お互いにしっかりと受けあうわかりやすい展開でしたが、解説のレドモンド九段によると、黒が左辺をあっさりと荒らしてしまったのが大きく黒の三目半勝ち。

今日の大ポカはこの局面。

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├○┼┼┼┼┼○○●┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├●○○┼┼○○●┼●┼┼┼●┼┼┼┤
├●●○┼○┼●●╋┼●弐┼┼●●┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼┼○○●☆┼●┼●┤
├┼●┼●┼●┼●┼┼┼○┼●●┼●┤
├┼○┼○┼┼┼●○┼┼┼○伊○●┼┤
├┼○┼○┼○┼○○┼┼○●┼○○●┤
├○●┼●┼┼┼┼┼┼┼○●○┼○●┤
├○●╋●┼●┼○╋┼○●┼●弐○○┤
├┼●○┼┼┼●●○○○●●┼○●○┤
├┼●┼○●●●○┼┼○●┼┼★●○┤
├●┼●●○┼┼┼○○●┼●●●○○┤
├○┼○○○┼○┼○●●┼┼┼○●●┤
├┼○┼┼┼┼┼┼○●●○○┼○●┼●
├┼┼○┼●○○┼●●○┼○●○○●┤
├┼┼┼○●●●●●○○○○○●●●┤
├┼┼┼○○●┼┼●○┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘


黒★ツギに対し、白は手をぬいて☆に打ってしまいます。

伊に出られて切断されたら、右辺の白には2眼は出来ません。

これは頓死か、と思いきや、黒はあっさり壱にツギ、白も弐に手を戻して何事もなく終了。

勝負には影響がなかったとは言え、こんなこともあるんですね。
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囲碁の神と人が打ったら?

2009年06月27日 23時49分38秒 | 囲碁
囲碁の全ての変化を読みきれるプレイヤーは、ある盤面の全ての手について、その手を打った後にお互い最善手順を尽くしたら、最善手に比べて何目損するか知ることが出来ます。(最善手は0、悪い手ほど損が大きくなる。)

qinの部屋 七路盤の研究に、価値マップとして、七路盤の初手についての推定値がのっていますが、同様の価値マップを全ての局面について作れるわけです。

これは見方をかえれば、最善手順を打つプレイヤーと対局するばあい、最善手を一手はずすごとに、(最善手順を打つプレイヤー同士の対局の結果比べて)何目かずつ損をしていくということを示しています。

もし、人間としての限界まで囲碁を極めた棋士と、最善手順を打つプレイヤーが対局したらどうなるでしょうか。

仮に対局が300手で終局したとします。

囲碁を極めた棋士は、何しろ極めているので、ヨセではまったく間違えません。
後半150手は全て最善手を打ち続けることにします。

前半150手も、なにせ人類最高の打ち手なので、三分の二の100手は最善手を打つことにします。

最善手からはずれるのは僅かに50手、さらに、外れるといっても、最高の棋士は大きい損はしません。

最善手とくらべ、一手平均2目しか損をしないことにします。

では、この完璧に近い棋士と最善手順を打つプレイヤーが対局した結果はというと100目負け。

まったく相手になっていない大差といえるでしょう。

ほとんど最善手を打ち続けているといっていい棋士でも、最善手順を打つプレイヤーにそこまでやられてしまうというのは、想像を絶する世界ですね。
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右上隅小目とミーム

2009年06月26日 22時36分44秒 | 囲碁
マメ知識 置石の順番 日本棋院

なんだか無意味にややこしい順番で、「これを機にしっかり覚えましょう。」といわれると、天邪鬼な人間としては覚えたくなくなってしまいます。

囲碁には、他にも先手の第一手は右上に打つ、という習慣があります。

これも、盤上の着手に口を出されているようで、個人的にはあまり好きな習慣ではありませんが、現実には他の隅から打つと不快に感じる人もいるようなので、摩擦を避けるために結局右上から打つことになる。

そうやってこの習慣に従う人が増えると、ますます他の隅からは打ちにくくなる、というわけで、習慣に従う人が一定レベルを越えると自己強化的に定着してしまうんでしょう。

おそらくは一部の人々の間で始まった、あまり意味のない習慣が、自己増殖に広がっていくというのは、確かにどことなく生物的な印象があり、ミーム wikiの典型例ということになりそうです。

宿った人間の行動をコントロールすることで、みずから複製を増やしていく右上打ちのミームは、日本で囲碁が続く限り繁栄し続けるのかもしれません。
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自己中な若者と自己中な役所とモスキート音

2009年06月24日 22時57分01秒 | ニュース
不快音装置の公園で便器破壊 NHKニュース

「若者は犯罪者で騒音をだすから、若者にだけ聞こえる不快音で追い払ってしまおう。」

これはずいぶんぎりぎりの考えかたな気がします。

不快音で攻撃というと、右翼が多用し、傷害として認められたこともある、暴力の一歩手前の行為。

その方法で行政機関が公共の場を利用している一部のグループを攻撃するというのはかなり非常識な気がします。

しかも、その理由が、そのグループのなかに犯罪を犯す人間が多いから。

いろいろなグループについて統計をとり、もし犯罪を犯す確率が高いなら、そのグループにたいしては攻撃を行っても構わないということなんでしょうか。

犯罪がおきたら、その犯罪を犯した人間を処罰するのは当然のことですが、犯罪を犯した人と共通点のある人まで攻撃するというのはあまり気分のいい話ではありません。

そもそも暇でエネルギーをもてあました一部の若者が、夜中に騒ぐのは今に始まったことではないでしょう。

これは夜中に寝ていたい人と普通に活動したい若者の利害の対立であり、常識的には若者の方に問題があるとしても、少なくとも行政機関が一方のグループに加担し、もう一方のグループを暴力的な方法で攻撃するような問題とは思えません。

この社会の不寛容さをあらわにするようで、なんとも気の滅入るニュースです。
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足利事件

2009年06月23日 21時03分50秒 | ニュース
足利事件 wiki

常識的に考えて、人間のやることにミスや不完全な部分がなくなることはありえず、裁判をして刑を執行する以上、ある程度の冤罪がでるのはやむを得ないことです。

重要なのは、ミスが起きたことを発見するシステムと、ミスが起きたときに、その原因を検証し、再発防止に生かすシステムを持つことでしょう。

その観点からすると、足利事件の弁護団と容疑者とされた菅谷さんが、冤罪が起きた原因の検証を求めたのは当然のことであり、裁判所が検証を行わずに再審を行う yahoo!ニュースとしたことには疑問が残ります。

また、今日のクローズアップ現代「えん罪はなぜ見過ごされたか」によると、再審にたいし、最高裁判所は厳しく臨んでいるそうです。

この事件のように、DNA鑑定という重要な証拠に大きな疑問が投げかけられた明らかに問題があるケースでも再審が何度も認められなかったことを考えると、
再審はミスが起きたことを発見するシステムとしてはあまり機能しておらず、冤罪をかなり見逃しているのではないか、という印象があります。

足利事件では、自白の強要も問題になっているようです。

他からの情報を遮断した状態で、睡眠時間を減らし、疲労を蓄積させ、長時間にわたって同じ言葉を浴びせかけ続けるというのは洗脳の基本的なテクニックです。

周囲の意見と異なった主張をすることがなかなかできず、ついつい流されてしまうようなタイプの人は、ついつい苦しみを逃れるために自白してしまっても不思議はありません。

なかには、洗脳されて、無実なのに本当に自分がやったような気になってしまう人もいるそうです。

この無実の人の自白の問題は冤罪が起きるたびに常に槍玉にあがっており、取調べの可視化が叫ばれています。

捜査の現場からは反対の声も多いようですが、少なくとも可視化は自白を証拠として取り上げるための必要条件にはするべきでしょう。

密室で行われる取調べではどのようなことが行われているのか立証することは難しく、もし強引な取調べが行われているなら、自白の証拠能力は怪しくなります。

従って可視化されていない自白を立証の重要な柱にすえることには疑問があります。

犯罪捜査上どうしても強引な取調べが必要な場合は、自白は、他の証拠を得るためのみの手段とし、裁判で証拠として扱うことは避けるべきではないでしょうか。
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ラマルク的過程は高度な情報処理システムの支援なしには機能しない

2009年06月22日 19時57分52秒 | 人類
後天的な生物の性質が子孫に受け継がれることによって進化が起きる、というラマルキズム wikiは、進化の説明としては欠陥品でしたが、多くの人々をひきつけてきました。

科学史的には、後天的な性質が子孫に伝えられない、という事実によってとどめを指されたラマルク説ですが、そもそも、ラマルク的な過程で、環境に適応した生物が生まれるには、子供が後天的に獲得した性質のほうが親のそれよりも環境に適応したものになっているか、
後天的な性質のうち環境に適応している性質のみが子供に伝えられるか、のどちらかである必要があります。

要するに、環境に適応した性質をデザインして後天的に付け足せるシステムか、後天的な性質のどれが環境に適応していて、子孫に伝えるべきなのか判定できるシステム、いずれかが必要になります。

そのシステムがどういうものか説明できない限り、ラマルク説は、進化は生物がよりよく生きれるように神様が起こした奇跡だ、という理論?と大差ないわけで、あまり説明になっていません。

しかし、この両方のシステムをもつ過程が我々の身近に存在します。

それが進歩です。

我々は、進化によって形作られた自然界では最大規模の情報処理システムである脳を持います。

そして、これを用いることにより、現行のものよりも優れた道具やアイデアをデザインし作り出すことが出来ます。

また、この情報処理システムによって、他人の作り出した道具やアイデアのうち、どれが優れたもので、受け入れたりさらに他の人に広めたりすべきなのか判断することも出来ます。

この進歩というラマルク的な過程は、わずか一万年ほどで、農耕から原子力、コンピュータに至ったことから見ても、自然選択による適応を主軸とした進化よりもはるかに迅速で、強力だといえます。

この身近で強力であり、わかりやすい気がする過程とイメージがかぶる事により、進化においてもラマルク説はなんとなく機能しそうに見えてしまうのでしょう。
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囲碁NHK杯、清成哲也九段 vs 陳嘉鋭九段

2009年06月21日 14時39分43秒 | 囲碁
今日のNHK杯は清成哲也九段 vs 陳嘉鋭九段。

清成九段は棋聖リーグ入り、関西棋院第一位決定戦決勝進出と、好調。

今日の対局も、力を出し、黒陳九段の石をばらばらに切断して勝負を決めました。

陳九段もぼやきながらも白地を何とか破壊しようとあがきますが、上手くいかず大敗でした。

解説の倉橋九段によると、清成九段はプロを目指す息子に稽古をつけているとか。

武宮正樹九段も息子の陽光五段と朝練をしているそうですが、やはり最近好調です。

もっとも効果的な勉強法は人に教えることだ、といいますが、その言葉どおり、二人とも息子よりもむしろ親の方に効果がでているのが面白いですね。
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クローズアップ現代を見ていてこけた

2009年06月18日 21時12分56秒 | Weblog
クローズアップ現代「“10歳の壁”を乗り越えろ ~考える力をどう育てるか~」を途中から見ていたら、子供達が百ます計算 wikiのタイムを早くするために、計算方法を工夫する話をやっていました。

面倒なので16マスでやりますが、まず、縦軸の0の行に、横軸の数字をそのまま写します。

  0312

0 0312



次に1の行に0の行の数字に1を足した数字を書いていきます。

  0312

0 0312

1 1423

同様に2の行に1の行の数字に1を足した数字を書き、3の行に、2の行の数字に1を足した数字を書いていけば表は完成。

なるほど、これはミスも少なく素早く計算できるすぐれたアルゴリズムです。

百ます計算は単純作業をやらせているようでも、子供から創造性を引き出すことが出来るんだな、なかなか馬鹿にはできないな、と思いながらみていたら、教師がインタビューにたいし、これでは計算の練習にならない、百ます計算をする意味がない、しかし、タイムにこだわるとどうしてもこうなってしまう、とコメントしていてこけました。

とにかく学習指導要領に従って足し算の練習をさせたいという先生の立場もわかりますが、行列の規則性を利用して、簡単に計算できるアルゴリズムを作り出す、というのは考える力の発露そのものだと思うんですが。

また、どうしても百ます計算で足し算の練習をさせたいなら、一定タイムをクリアした生徒にたいして、このアルゴリズムを使うことを前提に、難易度を上げた問題をだせばいい話です。

  0163





例えばこんな感じに、百ます計算セカンドステージとか。
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立花隆 脳死三部作

2009年06月17日 22時11分40秒 | Weblog
「脳死」「脳死再論」「脳死臨調批判」

かなり古い本ですが、脳死からの臓器移植問題について、脳死は人の死か、ではなく、脳は本当にちゃんと死んでいるのか、という観点から批判を行っています。

ドナーから心臓をはじめとする臓器を摘出する行為は、侵襲性がたかく、もしドナーが生きているならば、瀕死の人間にたいする残虐な殺人になってしまう、
従って、臓器移植のための脳死判定は、安全係数をかなり大きくとるべきであり、器質死(脳細胞のほとんどが死滅し、脳が自己融解を起こす状態)を基準にするべきだ、という主張にはかなりの説得力があります。

また、医学的に意識というと、刺激に対する反応レベルのことであり、内的意識はほぼ無視されている、という指摘も興味深かった。

脳死の判定基準のかなりの部分を満たしながら蘇生した患者の中には、事後のインタビューで内的意識がたもたれていたと主張する例もあるそうで、もし内的意識が保たれたまま心臓を取り出されたら、と思うとぞっとしない話です。

生命倫理だの日本人の生死感だのばかりの本には飽き足らないという人にはお勧めです。

脳死移植法案が論議される中で、読み直す価値はある本でしょう。
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両曲がり四目

2009年06月16日 23時06分41秒 | 囲碁
ふとこんな図を思いつきました。

┌┬┬○●┬●┬┐
├┼┼○●┼●┼┤
├○┼○●●┼●┤
├┼┼○○●┼┼┤
○○○┼○●●●●
●●○┼○●●○○
├●○○○●●○┤
○●●●●○○○●
○○┴●┴○┴●●



(
;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[9]DT[2009-06-16]
KM[5.5]
AW[fh][fi][gh][hh][hg][hf][if][bi][ai][ah][eg][dg][cg][cf][ee][ed][be][ae][ce][ef][dc][db][da][dd][bc]AB[bf][af][bg][bh][ch][dh][di][eh][hi][ii][ih][fg][gg][ff][gf][fe][fd][he][ie][fc][ge][ec][eb][ea][gb][ga][hc]AE[hd][de][df][cd][bd][ad][ac][cc][gc][gd][id][ic][fb][fa]
)

この図の下辺曲がり四目の死活はどうなるのか?

普通に駄目をつめると、コウ材がないので攻め合いにするしかなく、駄目をつめたほうが負け。

つまりセキです。(以下sgf)

(
;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[9]DT[2009-06-16]
KM[5.5]
AW[fh][fi][gh][hh][hg][hf][if][bi][ai][ah][eg][dg][cg][cf][ee][ed][be][ae][ce][ef][dc][db][da][dd][bc]AB[bf][af][bg][bh][ch][dh][di][eh][hi][ii][ih][fg][gg][ff][gf][fe][fd][he][ie][fc][ge][ec][eb][ea][gb][ga][hc]AE[hd][de][df][cd][bd][ad][ac][cc][gc][gd][id][ic][fb][fa]
;B[ei];W[ci];B[ag];W[bi];B[gi];W[ig];B[hi];W[ai];B[ii];W[ci]
;B[ah];W[bi];B[gi];W[ih];B[hi];W[ci];B[ai];W[ci];B[bi];W[ci]
)

しかし、日本囲碁規約 囲碁ルール博物館 に従うと、対局の停止後に死活確認を行うことになります。

この際、コウの取り返しは出来ないため、四目にして捨てる筋で死が確認されます。(以下sgf)

(
;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[9]DT[2009-06-16]
KM[5.5]
AW[fh][fi][gh][hh][hg][hf][if][bi][ai][ah][eg][dg][cg][cf][ee][ed][be][ae][ce][ef][dc][db][da][dd][bc]AB[bf][af][bg][bh][ch][dh][di][eh][hi][ii][ih][fg][gg][ff][gf][fe][fd][he][ie][fc][ge][ec][eb][ea][gb][ga][hc]AE[hd][de][df][cd][bd][ad][ac][cc][gc][gd][id][ic][fb][fa]
;B[gi];W[ig];B[hi];W[ii];B[ih];W[tt];B[ii];W[tt];B[ei];W[gi]
;B[ii];W[ag];B[ci];W[ah];B[ih]
)

と思ったら、
┌┬┬○●┬●┬┐
├┼┼○●┼●┼┤
├○┼○●●┼●┤
├┼┼○○●┼┼┤
○○○┼○●●●●
●●○┼○●●○○
├●○○○●●○┤
○●●●●○○○●
○○☆●┴○★●●


黒★に白☆と打つ手がありました。

ということは結局セキで結果は同じ。

死活判定で手番によって結果が変わる形を探しているんですが、なかなか見つからないものですな。
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定義と線引きは黄昏に飛び立つ

2009年06月15日 22時41分02秒 | 哲学ネタ
背が高い人と聞いて我々が思い浮かべるイメージには明確な定義や線引きはありません。

自分より目線が上だったり、周囲から頭一つでていたり、入り口に頭をぶつけたり、身長が180cm を超えていたりといった種々のイメージの複合体に概ね当てはまっている人のことを背が高いと感じるのであって、明確な定義や線引きによって判断しているわけではありません。

実際、最初から定義や線引きがあるグループは、かなり特殊なケースでしょう。

我々が通常扱うグループは、イメージの連合体に概ね当てはまっているものの集合であり、それらのイメージに、よく当てはまっているものや、大体当てはまっているもの、あまり当てはまっていないけれど完全に違うとはいえないもの、といった具合にグラデーションを描き、明確な線引きは存在しません。

しかし、このイメージの連合体は、個々人によって内容が微妙に異なっており、コミュニケーションの際に誤解や喰い違いを生むことがあります。

また、グループの範囲を明確に決められないと、定量的な分析もできないし、法的な規制のように、グループによってはっきり扱いを変える必要がある際に困ります。

これらの実際的な必要性から、定義や線引きは行われます。

このように、概念やグループの基盤は、イメージの連合体であり、定義や線引きは、必要に応じて概念やグループの範囲を明確化するための手段といえます。

定義や線引きが、目的に依存し、その必要に応じて変えるべきものだ、という点には注意が必要でしょう。
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NHK杯囲碁 今村俊也九段 vs 中小野田智己九段

2009年06月14日 17時39分45秒 | 囲碁
今日のNHK杯は今村俊也九段 vs 中小野田智己九段の対局。

黒番の中小野田九段が、序盤左上を白にあけわたす代わりに上辺に巨大な黒の谷を作り出す意欲的な展開に。

白今村九段の落ち着いたしのぎに、一時は白優勢になりますが、右辺の白壁を急攻し、叩き殺しての黒中押し勝ち。

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
├●○┼○┼┼┼○┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤
├○○┼○┼┼●┼○┼○●●┼┼┼┼┤
├●●●○┼●┼┼╋┼○┼┼┼╋●┼┤
├○┼○●●┼┼●○┼┼●┼┼┼┼┼┤
├●┼○┼┼┼┼┼●○○┼●┼┼○┼┤
├○○┼●┼┼●┼●○┼┼┼┼○┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○┼○○┼○●┤
├┼●┼●┼┼┼┼┼●●●●○○●┼┤
├┼┼╋┼┼┼┼┼╋┼┼┼☆●●●●┤
├┼┼┼┼┼┼┼弐○○○○○○●○●┤
├┼┼┼┼┼┼┼●●●●○●壱○○○●
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●●┼○●○┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼○┼┼┼┼┼○●┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼●●┼○○┤
├┼┼○┼┼┼┼┼○┼┼┼●○○○●┤
├┼┼┼┼○┼┼┼┼┼○┼○●●●●┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○●┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘


白大石のしのぎについて解説の淡路九段によると、この局面で今村九段が☆と打ったのはミスで、壱と継ぐべきではなかったかということですが、実戦と同じように弐と曲げられて、やはり白大ピンチは変わらないように見えます。

先に切るか後に切るかでなにか違いがあるんでしょうか。
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厳密な馬鹿

2009年06月13日 21時21分53秒 | Weblog
言葉で物を伝える時には、その背景に無数の暗黙のルールや常識を必要とします。

「サイコロを振って1の目が出る確率は?」という問いがあったときに普通は六分の一と答えるでしょう。

しかし、サイコロは立方体とは限りません。
正多面体には八面体、十二面体、二十面体があり、実際にサイコロとして市販されていますし、正多面体以外のサイコロも歴史的には使用されています。

また、重量が偏っているイカサマサイコロのように特定の目がでやすい可能性も考えられます。

従って、厳密には「どの面が上に来る確率も同じの立方体のサイコロを振って、1の目がでる確率は?」と問うべきかもしれません。

しかし、サイコロの面にふってある数字は1~6とは限りません。
全部1だったり、100~105かもしれません。

また、出た目とは、上の面と下の面の数字を足したものだとか、横の面の4つの数字を掛け合わせたものだと考える人もいるかもしれません。

振るサイコロが複数ではなく一つで一回だけ振るという指摘も必要でしょう。

厳密には「どの面が上に来る確率も同じで、面ごとに1から6までの数字が書いてあるサイコロを一つ、一回振って、1の数字が書いてある面が上になる確率は?」というべきです。

しかし、サイコロを振るといっても色々な状況が考えられます。

粘土のような柔らかい材質の上で振れば、サイコロが角を上にして立つことも充分考えられます。

また、下が振動していれば、上になる面がどんどん変わるということもあるかもしれません。

宇宙空間なら、衛星軌道にのってしまう可能性も無視できません。

振る力がつよいと壁や天井にめりこんでどの面が上か判断できなくなるかもしれません。

さらには、脆い材質のサイコロを強い力で振って、破損してばらばらになり、二つ以上の面が上になる、という状況も想定すべきでしょう。

また、破損はしなくても数字の一部が消えて4が1になったり、全部消えてしまう可能性も否定は出来ません。

従って、厳密には「どの面が上に来る確率も同じで、面ごとに1から6までの数字が書いてある、字が消えたり破損したりする恐れのないサイコロを一つ、適切な重力下で、水平で平らで堅く、充分に広く安定した面の上で適切な力で一回振って、1の数字が書いてある面が上になる確率は?」と書く必要があります。

そして、ここまで厳密に書いたとしても、暗黙の常識すべてに気付いているという確証はありません。

たとえば、サイコロの大きさが量子力学的な効果が重要になるほど小さかった場合や、振る前と振る後で、数字の解釈に変化がおきる場合など、他にも問題になりそうな場合は思いつきます。

充分に考えた後でも、さらにもう少し考えたり、他の人が考えたりしたら、別の問題が浮かび上がる可能性を否定することはできません。


以上の事情を考えると、暗黙の常識に頼って文章を簡潔にすることは、妥当なだけではなく望ましいことだといえます。

また、他人の文章を読む際には、背景を適切に補い、好意的に読む必要があるともいえます。

そうしない限り、我々は「サイコロを振って1がでる」と書く代わりにいちいち「どの面が上に来る確率も同じで、面ごとに1から6までの数字が書いてある、字が消えたり破損したりする恐れのないサイコロを一つ、一定以上の重力下で、水平で平らで堅く、充分に広く安定した面の上で適切な力で一回振って、1の数字が書いてある面が上になる」と書かなければならず、またこのような冗長な文章を読まされることになるわけです。
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情報の中の幽霊:非実在論の立場から見た実在

2009年06月11日 22時41分31秒 | 相対主義
我々の脳は非実在論的な考え方とは相性が悪く、日常的に非実在論的な思考をし続けるのは困難ですが、モデルとして理解することはできます。

非実在論モデルの一つとして、ゲーム的な非実在論を考えて見ます。

通常、我々がチェスを指す時には、チェスの駒、キングやナイトが実在の王的な何かや騎士的ななにかの事を指していて、チェスを指すことで、実在の戦いが同じように進んでいくと考えたりはしません。

チェスの駒はゲーム上定義された抽象的な概念であり、とくに実在する何かを指すと考える必要はありません。

もちろん、チェスが実在のナンタラ宇宙のナンタラ同士の戦いを示している、と信じて指すことも可能ですが、それによってチェスのルールが変わるわけではないし、チェスの技術が変わるわけでもありません。

ゲーム的な非実在論では、我々の思考が、このチェスのようなものだ、と考えます。

我々の思考は、概念やイメージ、感覚などの情報を秩序だった形で処理します。

これらの情報がそれ自身ではない何か実在するものを指している、と考えることは可能ですが、そう考えなくても、いわばゲームのルールに従うように秩序だった処理を行うことはできるでしょう。

例えば、穴があったから落ちないように避ける、というのは、単に、感覚情報をいわばゲームのルールどおりに処理した結果そういう概念が生まれ、そうした概念に結び付けられる出力を出したというだけであって、それらの感覚情報や穴、落ちる、避けるといった概念、出力は、それら自身であるだけであって、それら自身ではない何か実在するものを指しているわけではない、ということになります。

この立場からすれば、概念や感覚が、それら自身ではない真の世界の実在する何かを指しているという考えは、ゲームのルールを変えない空虚な仮定であり、機械の中の幽霊ならぬ情報の中の幽霊に過ぎない、ということになるわけです。
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