盤上の悪魔

囲碁、哲学(人間原理、相対主義、プラグマティズムとか)、ラノベなんかを中心にしてます。

続ニューカムのパラドックス

2006年09月22日 22時41分53秒 | 哲学ネタ
以前ここで紹介したニューカムのパラドックスについてごちゃごちゃ考えたことをまとめてみることにしました。

1)結果から原因を予想する事には問題はない。

例えば一枚目に1、二枚目に4、三枚目に5というように円周率の小数点以下の数字が一枚ずつ書かれているカードがあったとして、そのカードの十枚目に書かれている数字を円周率が計算できるコンピュータに予測させたとします。

あなたが円周率を知らず、計算も出来なくても、カードをめくってみて、十枚目に5と書かれているのを見れば、コンピュータも5と予想しただろうと推測することが出来るでしょう。

2)統計的な予測ではパラドックスは生じない

コンピュータの予測法が、つづらを開ける人物についてのプロフィールに基づく統計的なものだったとします。
例えば、野党支持者で、二人兄弟の長男で、・・・コーヒーにはミルクと砂糖一杯を入れる人物がつづらを両方開ける可能性は90%であるとコンピュータが予想するわけです。

この場合、実際にこの人物が両方のつづらを開けるとしても、小さいつづらだけを開けるとしても、この人物が野党支持者で、二人兄弟の長男で、・・・コーヒーにはミルクと砂糖一杯を入れる人物であれば、コンピュータは両方開ける確率は90%と予測することになります。

このように、つづらを開けるかどうか、その判断がコンピュータの予測と直接の関係を持たない場合、例えその予測が正確なものであっても、両方開けた方が得なのは明らかでしょう。

3)結果が出てからの賭け
両方のつづらを開けるか、片方だけを開けるか、結論を出してから小さいつづらに百万円が入っているかどうかの賭けをするとします。
この場合フィフティフィフティの賭けなら、両方開けると結論した場合は百万円が入っていない方に、片方しか開けないと結論した場合は百万円が入っている方に賭けることになるでしょう。

これは現在の状況から過去を推測しただけの話であり、特に問題はないようです。

4)思考内容を予測する場合
コンピュータが選択を行う人間の思考内容をシミュレートするような形でつづらを両方開けるかどうかを予測したとします。
この場合、円周率の書かれたカードの場合と同様、つづらを両方開けるかどうかの選択から、コンピュータがどう予測したかを推論することには問題はないでしょう。

従って、両方開けた場合の10%の確率でもらえる百万円+ミッピーの絵皿と、片方開けた場合の90%の確率でもらえる百万円を比較して価値が高い方を選べばいいことになります。

人間の脳のような複雑な構造物の未来をそれほど高い精度で予測できるのか、という問題はありますが、それはこのパラドックスの本質からはややずれるでしょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドイツ語訳 | トップ | ヨーロッパをなめるな »

コメントを投稿

哲学ネタ」カテゴリの最新記事