盤上の悪魔

囲碁、哲学(人間原理、相対主義、プラグマティズムとか)、ラノベなんかを中心にしてます。

観測選択効果を考慮すれば、恒星の寿命と、文明が生まれるまでに必要な時間は関係している

2020年11月11日 21時14分41秒 | 人間原理
我々が「太陽」として、白色矮星を見上げていないのは何故か? の続き

冷静に考えると、文明が生まれるまでに必要な時間と、恒星の寿命が無関係という主張は、観測選択効果を考慮していないといえる。

例えば恒星が核融合反応なりなんなりで光を発し始めてから数日で燃え尽きてしまうような物理法則の世界では、生命や文明も生まれず、我々はそのような短い寿命の恒星を見ることはできない。

我々が見ることが出来るのは、恒星が、文明が生まれるまでに必要な最小限の長さ以上の寿命を持っている宇宙だけだ。

もちろん、恒星の寿命が、文明が宇宙のどこか1か所で生まれるためにギリギリ必要最小限の長さである可能性は0ではない。

しかし我々が見る可能性が高い宇宙は、非常に文明が生まれにくい宇宙よりも、比較的文明が生まれる条件が整った宇宙である可能性が高いとは言えるだろう。

ただ、そう考えると、フェルミパラドックスの謎は深まってしまうが。
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我々が「太陽」として、白色矮星を見上げていないのは何故か?

2020年11月02日 22時54分06秒 | 人間原理
恒星の種類によるハビタブルゾーンの違いを解説した図表 sorae

我々が持っている、宇宙文明のサンプルは、我々自身の文明一つだが、サンプル一つでも何も言えないというわけではない。

この記事によると、ハビタブルゾーンを持つ太陽型の恒星は6%で寿命は100憶年、橙色矮星型の恒星は13%で寿命は400憶年、白色矮星型の恒星は73%で寿命は1000億年。

もし文明が太陽型よりも白色矮星型で生まれやすいのなら、我々が太陽として、太陽型ではなく白色矮星型の恒星を見る可能性は、少なくとも92%は越えるといえる。

我々が見ているのが太陽型の太陽である以上、白色矮星型の恒星に文明が生まれる可能性が、太陽型の恒星に文明が生まれる可能性より非常に高いということはありそうにないということが出来る。

これは、フェルミパラドックスの解の一つである、文明が生まれるために必要な時間が、平均的には地球での46憶年よりもはるかに長いという主張をやや弱めるかもしれない。

この文明が生まれるまでに必要な時間は、平均的には46憶年よりはるかに長いという主張を理解するためには、まず、文明が生まれるために必要な時間と、恒星の寿命は全く関係がないということを理解する必要がある。

文明が生まれるまでに必要な時間の平均と恒星の寿命が、例えば原子や素粒子の半減期と恒星の寿命のように関係がないのであれば、どれだけ桁が違っても不思議はない。

半減期は、10の-20乗のオーダーから、陽子の少なくとも10の34乗まで幅広く分布しており、たまたま太陽の寿命の10の17乗の10倍以内に入る可能性は低い。

文明が生まれるまでに必要な時間も同じことが言え、太陽の寿命の1/10でも100倍でも、10の34乗倍でも不思議はないとはいえる。

にもかかわらず、我々の文明は、太陽の寿命の10の-0.2乗倍という太陽の寿命にごく近い時間で生まれたわけだ。

これは、文明が生まれるために必要な時間が太陽の寿命より長い場合に予想される結果といえる。

しかも、それがどれくらい長いかははっきりしないため、我々の文明は非常な幸運に恵まれた、非常にまれな、もしかしたら宇宙にただ一つの文明かもしれないと主張できる。

宇宙に文明がただ一つならば、フェルミパラドックスはパラドックスではなくなるため、これはフェルミパラドックスの解の一つである。

しかしながら、我々が、太陽よりも寿命が一桁多く、10倍以上多く存在する白色矮星型の恒星を、自分達の太陽として見上げてはいないことは、この主張をやや弱める。

寿命が10倍ということは、非常に時間がかかる過程が起きる過程が起きる確率は10倍以上になるといえる。

実際には、文明に至るまでの過程は積み上げ型であり、複数の段階を必要とすることを計算にいれると、10倍の時間があれば、10倍よりもはるかに高い確率で文明が生まれることになる。

つまり、文明が生まれるのに46億年よりもはるかにながい時間が必要なら、その文明が生まれる確率は、寿命100憶年の太陽型の恒星よりも、1000憶年の白色矮星型の恒星の方がかなり高くなる。

これは我々が太陽型の恒星を太陽として見上げている事実といくらか矛盾しているといえる。

文明が生まれるまでに必要な時間はどの程度かは、フェルミパラドックスを考える上で重要なポイントといえるだろう。
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太陽系へ他の恒星が接近しなかった理由

2020年05月26日 22時08分06秒 | 人間原理
動き続ける星々。太陽は数万年ごとに別の恒星と接近している? sorae


この記事によると、5万年に1回程度の頻度で、他の恒星が、太陽の3.26光年内に突っ込んでくるらしい。

そんな話を聞くと、さらに接近して地球に大きな影響が出る可能性はないか心配になるのが人情だろう。

遠くから見た場合ダーツの的のように、太陽を中心にした半径3.26光年の円のどこかを恒星が突っ切ると考えると、ダーツの的に突き刺さる恒星は、100万年で20個、500万年で100個、5憶年で10000個ということになる。

10000個のダーツが的に向かって降り注ぐというのは安心できる光景ではない。


この恒星のダーツが海王星の軌道の内側に突き刺さる可能性は、単純計算で5万年あたり、約2.1×10^-8となる。

この頻度が長期的に安定しているなら、大体23憶年に一回、太陽系の惑星軌道の内側に、他の恒星が突っ込んでくることになる。

これは、我々人類の将来に影響を与えるような確率ではないが、(それよりはるか以前に人類は滅びるか、太陽系を巣立つだろう)過去に起こりえた大災害としては無視できるものではない。

なにしろ地球の歴史は46憶年もあり、恐らく、もう少し恒星が突っ込んでくる場所が惑星軌道の多少外側だったとしても、地球を含めた惑星の軌道は破滅的な影響を受けるだろうからだ。

ただ、太陽の質量の10%以下の恒星が高速、短期間で突っ切る程度なら影響はそれほど大きくないかもしれない。

逆に、引力で太陽方向に恒星が引っ張られるなら、ダーツが的に当たる確率はもう少しあがるかもしれない。


いずれにせよ、太陽系はたまたまそのような他の恒星の接近を免れる幸運に恵まれたのだろう。

もし、太陽系がもう少し不運だったら、我々はここにおらず、太陽系が観測されることはないわけで、これも観測選択効果の一例といえる。
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充分に広い宇宙と無限の宇宙

2019年12月26日 21時41分34秒 | 人間原理
宇宙が十分広ければ、極度にありそうもない現象でも起きうる。の続き

宇宙が充分に、例えば10^10^10^10mくらい広ければ、観測可能な宇宙で起こりうることは、宇宙のどこかの領域で起きているといえる。

さらに言えば、観測可能な宇宙と全く同じ領域が無数に存在し、また、起こり得るすべての可能性のある事が起きている観測可能な宇宙と同サイズの領域が、それぞれ無数に存在するといえる。

もちろん、10^10^10^10mあれば充分な広さだ、というのは概算であり、10^10^10^10^10m必要かもしれないし、10^10^10^10^10^10mかもしれない。

いずれにしてもどこかで充分な広さに達するといえる。

では、あり得る観測可能な宇宙が全て無数に存在する、この充分に広い宇宙と無限の宇宙には、何か違いがあるのだろうか。


まず、無限の宇宙では確率論が機能するのか、疑問がある。

充分に広い宇宙では、確かにあらゆる可能な観測可能な宇宙が無数に存在するだろうが、可能性の高いタイプの観測可能な宇宙はより数多く存在し、可能性の低いタイプの観測可能な宇宙はより数が少ないといえる。

従って、観測者が見ることができる宇宙は、可能性の高いタイプの宇宙である場合が多いといえる。

しかしながら、無限の宇宙では、あらゆる可能な観測可能な宇宙はありそうだろうと、ありそうもなかろうと、全て無限に存在することになる。

果たしてこの場合、観測者は、ありがちなタイプの宇宙を見る可能性が高いといえるのだろうか?

ありがちな宇宙を見ることになる観測者も、非常にトリッキーな宇宙を見ることになる観測者も、同じように無限に存在することを考えると、果たして確率に意味があるのか疑問が生じるだろう。


また、無限の宇宙では、我々がどこにいるのか、原理的に特定可能かどうかも怪しくなる。

有限の宇宙では、時間がたち、観測可能な範囲が広がっていけば、理論上はどこかの段階で、我々のいる場所を1つに絞るだけの情報が得られると考えられる。

要するにある一定以上の範囲を観察できれば、そこと全く同じ領域が宇宙のどこにもないと判断できる充分な広さというのが存在するはずだ。

一方無限の宇宙では、いくら観察する範囲を広げたとしても、その領域と全く同じ領域は無限に存在すると考えられる。

つまり、特定の場所というのが存在するかどうかにも疑問が生じる。


いずれにしても、充分に広い宇宙と無限の宇宙は全く異なる概念であり、充分に広い宇宙のほうがはるかに扱いやすいことは間違いないだろう。
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終末論法ではAIの個数ではなく観測の個数を数えるのが妥当か

2018年11月17日 22時53分01秒 | 人間原理
過去に人類が滅亡していないという事実は、人類が滅亡する確率を算出するために利用できるか?

での検討が妥当ならば観測者の個数ではなく、観測者が行う一連の観測の個数を数える必要があることになる。

その上で個々の観測が人類滅亡に直面する確率を評価するわけだ。


AIの数えかたを決めるよりも、AIが行う観測の数え方を決めるほうがまだ簡単だろう。


まず、人類(AI含む)が滅亡しているかどうかを観測し、その確率を評価していないAIは、人類滅亡の確率を評価している観測者ではない。

これはトートロジーだが、人類滅亡の確率を評価していないAIがいくつあったとしても、人類滅亡の確率を評価しているAIが人類滅亡に直面する確率に影響を与えることがないことを示している。


例えば、人類が複数の恒星系に広がり、人類滅亡の確率がほぼなくなった時点で、全ての観測者から人類滅亡という概念が削除され、2度と復活しないとする。

このケースでは、人類滅亡確率を検討しているという段階で、観測選択効果により、観測者がまだ、人類が複数の恒星系に広がる前の、人類が滅亡する可能性がある時期にいると決定されてしまう。

この場合、人類滅亡確率を検討する観測者が1年のうちに人類滅亡に直面する確率は、人類が複数の恒星系に広がる前の1年間に人類が滅亡する確率になる。

その後人類がどれだけ増えるとしても、その確率には何の影響ももたらさない。


サンプルになるのは、AIではなく、AIが行っている観測であり、数えるべきもその観測ということになる。


AIではなく、AIが行っている観測を数えるなら、どうにか個数の数え方を一つに絞れそうだ

たとえば観測を行っているAIが2つに分かれた場合、2つのAIは観測を始めた時点も同じであり、常に同じ確率で人類滅亡に直面する。


A→→→→A0→→→→→→→→→→→→→人類滅亡
....↓
....↓
....A1→→→→→→→→→→→→→→→


こんな感じだ。

観測者が分離したとはいえ、観測自体に全く差はないため、これは1つの観測とみなせる。


では、2つの観測を行っているAIが合体したとしたらどうだろうか。


A0→→
.......↓
.......↓
A1→→→A→→→→→→

こんな感じだ。

こちらはなかなか厄介そうだ。

A0、A1は最初はそれぞれ別の観測を行っているが、合体してAになって以降は常に同じ確率で人類滅亡に直面するため、それぞれの観測を区別することはできなくなる。

また、合体する以前に人類が滅亡した場合、当然合体自体が起こらない。

合体以前にどれだけの観測が行われていたとしても、今一つの観測が行われているとすれば、合体以前に人類滅亡が起きた可能性はなくなるようにみえる。

これは、合体した段階で以前の観測が終了し、新しい観測が始まった事を示唆しているように見える。

しかしながら、一方が観測を行い、一方が観測を行っていなかった場合は、合体しても観測は一つのまま問題なく続いていくというのが自然な見方だろう。

また、合体というイベントが観測の開始終了に影響を与え、他のイベントがそうでないと考える根拠はなんなのかも明確ではない。

これもまた検討課題だろう。
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人類滅亡確率のパラドックス

2018年10月30日 23時28分49秒 | 人間原理
どのような時点でも、自分が世界を観察できているなら、その時点で人類が滅亡している可能性は0だ。

そうなると、自分のこれまでの人生がどれだけ長くても、その期間に人類が滅亡したことはあり得ないため、人類の滅亡確率の標本としてはつかえないのではないか?


この論点を明確にするために、十分に広い宇宙について考えてみる。


宇宙は十分に広く、地球と非常によく似た星が非常に多く存在すると仮定する。

地球と地形も住んでいる生物もほぼ同じであり、ほぼ同じ人間が、ほぼ同じ文明とほぼ同じ歴史を持って存在している。

これを実現するためには、宇宙は見える宇宙の10^10^10^10^10^10^10・・・倍と延々と繰り返さなくてはならないかもしれないほど広い必要があるだろうが、ともかくそれだけ広いとする。


それぞれの地球に住むそれぞれの人類はどんどん滅亡していくかもしれないが、地球は非常にたくさんあるので、一部の地球の人類は生き残っていく。

仮に一年間のうちに各人類が滅亡する確率が99.9%だとすると、自分が1年後も生きて人類を見るとは考えにくい。

5年後にはほぼ確実に人類は滅亡し、自分も存在していないだろう。

従って、5年後に自分が生きて人類が存続している姿を見ることができるとしたら、1年間に人類が滅亡する確率は99.9%よりはかなり低いと考えるのは理にかなっているように見える。


一方、5年前について考えてみると、このモデルのもとでは、どれだけ滅亡確率が高くても、一部の人類は生き残っており、自分が観測可能なのは、どれか一つの生き残っている人類の生き残っている間のどこかの時点のみであるといえる。

従って、どれだけ滅亡確率が高くても、観測時点から5年前までに人類が滅亡していることはあり得ず、5年前から今まで人類が滅亡していないことは、人類が滅亡する確率が高いことを否定する材料にはならない。


この2つの推論は明らかに矛盾しているように見える。

この問題はもう少し丁寧な検討が必要なようだ。
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過去に人類が滅亡していないという事実は、人類が滅亡する確率を算出するために利用できるか?

2018年10月07日 13時03分23秒 | 人間原理
人類が滅亡した場合、それを観測する人間もいなくなる。

よって、人類滅亡を過去に起こった事実として観測する可能性は0%であり、観測が行われている以上、人類が滅亡していない確率は100%である。

つまり過去に人類が滅亡していないという事実は、情報を含んでおらず、人類滅亡の確率を推定するためには利用できない。


では、一人の人間が続けて行う観測についてはどうだろうか。

人が生まれてくるには人類が存続している必要があるため、人が生まれた段階で人類が滅亡していない確率は100%である。

したがって、生まれるまでに人類が滅亡していないという事実は人類が滅亡する確率について情報を含んでいない。

しかし、ある人間がその人生のどこかで人類滅亡、少なくともその最初の過程を観測することは可能だろう。

もし人類滅亡を経験することなく40年生きてきたとすれば、少なくともその人間にとっては、40年人類が存続したという事実は情報を含んでいると思われる。


これは、観測を行うのが自分ではなくなっても成り立つように見える。

つまり、観測開始の10年後に寿命がきたため、誰かに観測を託し、その誰かが40年目までに人類滅亡を観測しない確率と、寿命が来ずに自分で40年後まで観測を続けられた場合の人類が滅亡しない確率は同じに見える。


しかし、観測を託された側の視点からすると、観測を託された時点で、人類が滅亡していない確率は100%であるため、自分が観測を始めた時点からしかデータとしては利用できない。

どの人間から見ても、自分が生まれる前の10年間には(もちろんそれ以前もだが)人類は滅亡していない。

したがって、生まれる前の10年間に人類が滅亡していないという事実は、過去に人類滅亡するかどうかを観測している人間がいようといまいと、人類が滅亡する確率に関して何の情報も含んでいないわけだ。


利用できる統計データが、自分が生まれてからだけだというのはいいとして、ちょっと気になるのが、正確にはいつからのデータを利用できるかだ。

少なくとも多少の観測は可能となる、物心ついた段階なのか、人類という概念を理解した段階なのか、明確に人類が滅亡する可能性があることを把握し、今後滅亡する確率を検討した段階なのか。

物心ついたり、人類という概念をもってから、例えば1年で人類滅亡の最初の過程を観測した場合、その観測結果を人類が滅亡する確率に反映させることは、そもそも確率モデルを持っていない以上不可能だろう。


よって、少なくとも開始時点は、確率を理解し、人類滅亡確率を検討することが可能で、人類滅亡の初期過程を観測した場合に、人類滅亡確率にその観測結果を反映させることができるようになった段階以降と考えられる。

それ以前に人類が滅亡した場合、確率評価が行われることはない。

そのため、確率評価を最初に行った段階で人類が滅亡している確率は0である。


よほど早熟な人でないかぎり、人類滅亡の確率を考えるようになるのは10代以降と思われるので、10代から今の年齢までが、人類滅亡の直接の統計データのすべてになる。

その程度の期間からは人類滅亡確率についてほとんど何も言えないだろう。


人類滅亡は利用できる実データが観測選択効果のためにかなり少なくなるため、実際の経験だけでなく、起こりえた事も含めた予測を行わなければならない分野だと言えるだろう。
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ホモサピエンスは知的観測者の中ではもっとも知能が低い

2017年07月27日 23時55分46秒 | 人間原理
人間の祖先が、チンパンジーやボノボと別れてから500万年といわれているが、ホモサピエンスが10万年前に生まれるまでは、文明が築かれることはなかった。

脳の容量ではホモサピエンスを上回り、つい最近まで生き延びていたネアンデルタール人も文明と呼べるような痕跡は残していない。


恐らくはホモサピエンスに至ったところで、人間の知能が文明を築くのに必要な閾値を超えたのだろう。

しかし、ホモサピエンスとネアンデルタール人の脳に形態的に大きな差があるわけではなく、ホモサピエンスとネアンデルタール人の混血も起こったことを考えると、2つの種に非常に極端な知能の差があったとは考えにくい。


ホモサピエンスの知能とネアンデルタール人の知能の間に文明を築くのに必要な知能の閾値があると考えるならば、ホモサピエンスの知能はその閾値を大きくは超えていない、ギリギリ超えたところだ、と考えるのが妥当だろう。


一方で、科学技術を用いた知能の向上には、特に原理的な制限はないように見える。

極端な話、倫理的な制限を無視して、家畜に行われているような品種改良を人間にも行ってしまえば、技術水準が低くても知能の向上は可能だろう。

遺伝子操作や人工知能を考慮に入れるなら、今の人間よりもはるかに知能が高い人間?が生まれ、主流になるのは時間の問題に見える。


ホモサピエンスは文明を築く知的存在のなかでは、もっとも知能の低い部類に入ると考えるのが自然だろう。


しかしながら、終末論法の変種はこの結論と矛盾しているように見える。

無論、文明が滅亡せずに長期間繁栄し続ける可能性が非常に低いなら、何の矛盾も生じないが。
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終末論法の知的観測者の数え方 観測選択効果を用いることによる観測選択効果を利用

2017年07月19日 21時29分24秒 | 人間原理
知的観測者をどう数えるか 続き

観測が行われるためには、知的観測者が必要だ。

この知的観測者を数えることができれば、知的観測者の一つである自分をサンプルとして使うことにより、知的観測者全体についてある程度の事が言えるようになる。


知的観測者を一般的に数えようとした場合、コンピュータのように、密接に接続することで、実質的に一つにすることもできるし、分離することもできる存在も含まれる。

これを母集団から除き、離合集散せず、明確に一つの存在として数えられる知的観測者のみについて検討することもできる。


しかし、技術が十分に進歩すれば、知的観測者の機械化は避けられないと思われ、個々の境界はぼやける可能性が高い。

従って、これを取り除いた場合、十分に進歩した文明については何も言えないと考えるべきだろう。


合体したり、分裂したりする知的観測者を数えようとした場合、一つ利用できる資源が、検討を行うことによる観測選択効果だ。

自分が知的観測者のなかで、背の低いほうの0.01%に入らない、という主張について考えてみる。

この主張について検討した知的観測者のグループの中で考えた場合、この主張は(知的観測者が数えられるなら)99.99%の知的観測者にとって正しく、0.01%の、この主張を検討したもの中では特に背の低い知的観測者にとっては間違っている。

これは(知的観測者が数えられるなら)論理的な帰結であり、自明な結論だろう。


しかし、この主張を検討するのは、自分が非常に背が低いのではないか、と不安に思っている特に背の低い知的観測者だけかもしれない。

この場合、この主張を検討した知的観測者のうち、知的観測者全体の中で背の低い0.01%に入るのが例えば10%になってしまうかもしれない。


あるいは逆に、特に背の低い知的観測者は、自分の相対的な背の高さについて考えるのを避け、この主張を検討することはないかもしれない。

この場合、この主張を検討した知的観測者のうち、知的観測者全体の中で背の低い0.01%に入るのはほぼ0%になるかもしれない。


いずれにしても、この主張で扱える母集団は、この主張を検討した全ての知的観測者であり、この主張を検討していない知的観測者については何も言えない。


これを利用すれば、知的観測者の数え方をある程度制限できる。


例えば、2つの知的観測者が合体して1つになる場合、一方がこの主張を検討していて、一方が検討していないなら、合体前も合体後も、この主張を検討している知的観測者は一つである。

ただ、両方がこの主張を検討している場合、この知的観測者を合体前の2つと数えるべきか、合体後の1つと数えるべきか、この方法ではしばれない。


この制限だけでは、知的観測者を数えるのは難しいが、主張を検討しているかどうか、どのタイミングで検討したかは、知的観測者をカウントするうえで役に立ちそうだ。
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知的観測者をどう数えるか 

2017年07月14日 23時41分26秒 | 人間原理
終末論法の変種続き


(この問題を検討したことのある)全ての知的な観測者の中で自分が知能の低い0.01%には入っていない、と推測したとする。

こう推測した知的観測者の中で、知能が低いほうの0.01%に入るのは、当然ながらその0.01%のみだ。

従って、99.99%の知的観測者は正しい推測をしたことになり、この推測が間違いである可能性は0.01%しかない。


つまり99.99%の確率で我々自身は、この推測をした知的観測者の中で知能の高いほうの99.99%の中に入っている。


しかし、近い将来テクノロジーの進歩が知能の向上に向かうのは避けられないようにみえ、また、文明が宇宙に広がるならば、今の人間より遥かに知能の高い存在が遥かにたくさん生まれることになるのは明らかに見える。

もし、その可能性が高いならば、我々は知能の低い0.01%に入っている可能性が高い。


これは先ほどの、我々が知能の低い方の0.01%である可能性は非常に低い、という結論と矛盾する。

従って、文明は宇宙に広がらず、比較的近い将来に滅亡する可能性が高いということになる。




以上の終末論法の変種が成立するためには、少なくとも、知的な観測者を数えることが可能でなければならない。

しかし、終末論法の観測者に人工知能を含めたらで述べたように、知的な観測者を数えられるかどうかは自明ではない。


知的な観測者がいないところは観測されることはない。

従って何らかの観測が行われ、世界が認識されている所には、知的な観測者が存在している。

知的な観測者が、自分自身を観測し、自分自身の範囲、自分と自分以外の世界の境界を引くことができるならば、知的な観測者の内のひとつとして自分を数えることができる。


では、知的な観測者がAIのような機械的な存在で、今は一つだが、明日には二つに分裂してしまう、という場合はどうだろうか。

この場合すぐに思いつく可能性は、一つと数えられる、二つと数えられる、一つとも二つとも数えられる、数えられない、の4つだろう。

この4通りの可能性のうち、どれが妥当か検討する必要がある。



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終末論法の変種

2017年07月03日 21時32分22秒 | 人間原理
何かが観測されるためには、観測する能力を持つ知的な存在、観測者が必要だ。

従って知的な観測者が存在できる条件、生命が進化し、知性が生まれることが可能なあらゆる条件が満たされた場所しか観測されることはない。


知性が生まれる条件が満たされていない宇宙は、当たり前ながら知性によって観測されることがないのだから、我々が観測する宇宙が、知性が生まれる条件を満たすよう調節されているように見えるのは当然である。


この人間原理のロジックにでてくる観測者を数えることができれば、自分を観測者のサンプルと扱い、自分の性質を調べることで、観測者全体の性質について多少の事が言える、というのが終末論法の基本的なアイデアだろう。


例えば、人間はかなり明確に数えることが可能である。

自分の身長を測って、仮に160cmだったとしたら、99.99%の人間が160cmより身長が高いということはなさそうだと推測できる。



もしすべての人間がこの推測をおこなったとしたら、ほとんどの人、具体的には99.99%の人は、この推論によって正しい答えを出すのは明らかだろう。

では、宇宙に存在するすべての知的な観測者の99.99%が自分の身長、160cmより背が高いということはなさそうだと推測したらどうだろう。


全ての知的な観測者がこの推測をおこなったとしたら、「知的な観測者の99.99%が自分より背が高いということはなさそうだ」という推測をした知的な観測者の99.99%は正しい推測をすることになる。


では「知的な観測者の99.99%が自分より知能が高いということはなさそうだ」という推測はどうだろう。

やはり同様にこの推測を行った知的観測者の99.99%は正しい推測をすることになるのは明白だ。


文明が滅亡せずに存続し続ければ、機械的な支援、あるいは遺伝子操作によって人間の知能は高くすることが可能であり、文明が宇宙に広がれば、今よりも知能の高い観測者が、これまで生きてきた人間の数よりもはるかに多く存在することになるだろう。

従って、自分が知能の低い0.01%の中に入っていない可能性が高いと考えるなら、文明が宇宙に広がり、高度化する可能性は非常に低いと認めることになる。


つまり、これは終末論法の変種と言える。
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終末論法の観測者に人工知能を含めたら

2017年06月23日 22時32分24秒 | 人間原理
人類が滅亡せず、宇宙に広がった場合、人口は今よりも遥かに増える。

また、人類が暮らしているのが地球のみで、地球の生態系に強く依存している時代には、1回の核戦争がそのまま人類の滅亡につながりかねない。

しかし、いくつかの惑星や衛星、宇宙空間などにある程度安定した社会が築かれていれば、戦争で一度に滅亡する可能性はかなり低くなり、かなりの長期間安定した状態で存続できると思われる。


人口もはるかに増え、存続期間も長ければ、ほとんどの人間は宇宙ひろがって以降の時代に生きることになる。

人類が宇宙に広がる以前の時代に生きる人間は、例えば今の人口の100倍の人口が1万年維持されたとすれば、0.001%以下に過ぎないことになる。

つまり、宇宙に広がる以前の時代に生まれる可能性は、非常に低い。


しかし、人類が近い将来に滅亡する可能性が充分高いならば、産業革命以降の極端な人口増加のため、今生きている人間は、大雑把な計算では、すべての人間の中の最後から25%程度の位置に生まれたことになる。

この場合、宇宙に広がる以前の時代に生まれる可能性も、ある程度高い。


従って、自分が生まれた時代が、宇宙に人類が広がる以前の時代だとしたら、人類が宇宙に広がる前に滅亡する可能性は高いと考えられる。


ただ、この議論は、人工知能を無視している。

これは、人類が滅亡するのではなく、人が自らを機械化するなり、発達した人工知能に滅ぼされるなりして、生物としての人間がいなくなるという可能性を無視しているといえる。


しかし、充分に発達し、ホモサピエンスに置き換わった人工知能ならば、自分が存在している時代が文明史のなかでどこに位置しているか検討できるだろう。

仮に、宇宙に広がる前の時代にこの議論を把握し、展開できる人工知能が開発さたなら、同じ過程を経て、この地球の文明は宇宙に広がる前に滅亡する可能性が高いと結論付けても不思議はない。


ただし、終末論法の母集団に人工知能を含める場合、人工知能をどう数えるか、という問題が生じる。


人間の場合、1人1人はかなり明確に分かれており、寿命も比較的定義しやすく、数えるのは容易である。


しかし、人工知能の場合、理論的には無数の可能性があり、しかも個々のパターンがグラデーションを描き、明確な線を引けない。

例えば人工知能全体はある程度、インターネットのような情報ネットワークでつながることになると思われるが、非常に密接につながっている領域から、ごくわずかの情報しかやり取りしない領域、あるいは完全に孤立した領域まであらゆるケースがあり得るだろう。


しかも、こういった結びつきは時間とともにかわりうる。

ある日には切り離されていた人工知能が、次の日には別の人工知能と緊密に結び付くという可能性もある。

ある人工知能が完全にコピーされて2つの人工知能に分かれる、ということも考えられるだろう。


また人工知能が長い寿命を持つ場合、どこまで同じ人工知能といえるかも問題だ。

ほぼすべて昔と異なる回路に置き換えられ、過去のデータも消してしまったなら、別の人工知能と見なすべきかもしれないが、例えば処理能力が100倍になり、過去のデータは残してあるが、アクセスすることはほとんどない、となったらどうだろうか。


一般的には、数を数えようとする場合、何を1個と数えるかは定義による。

人工知能も、必要に応じて、適当に定義を決めれば問題なく数えることはできる。


この場合も、終末論法における、知的な観測者について検討し、何を1つの観測者と見なすべきか、適切な定義を決める必要があるだろう。
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終末論法の母集団

2017年06月14日 23時37分30秒 | 人間原理
終末論法問題点リストの続き



通常の統計では、母集団から、サンプルを抽出する。

逆に、サンプルをどのような方法で、どこから抽出したかがわかれば、母集団は決定できる。

100本のくじから10本ランダムに引いたのなら、100本のくじが母集団だし、電話によるRDD方式の世論調査なら、固定電話をもち、世論調査を行った期間、時間帯に電話にでれて、世論調査にアンケートに答える気のある人々が母集団になる。


またサンプル抽出法によって決まる母集団は、広げることはできないが、サンプルをグループ分けすることにより母集団もグループわけし、小さくすることはできる。

50本の青いくじと50本の赤いくじ、合わせて100本のくじから10本引いたときに、青いくじが3本だった場合、50本の青いくじの中から3本くじを引いたとみなすことはできる。

日本全国対象の世論調査で2000件の回答があり、東京に住んでいる人間の回答が200件だった場合、東京都の住人に電話による世論調査を行い200件の回答を得たとみなすことはできる。

しかし、アメリカと日本で行われた世論調査と見なすことはできない(当たり前だが)。


終末論法でも同様に考えれば、最大の母集団、基礎的な母集団は人間原理と同じとなる。

知的で観測選択効果を利用し、自分と自分の周囲の状況をサンプルと見なして検討を行う存在を全て集めた集団となる。(さらにここに観測選択効果を用いることによる観測選択効果等がかかり、母集団の範囲が決まる)


AIも、知性があり、観測選択効果を利用し、自分と自分の周囲の状況をサンプルと見なして検討を行うならこの母集団に含まれる。


また通常の統計と同様、サンプルを適切にグループわけ(と言っても1つしかサンプルがないグループ分けだが)することにより、母集団を分割し、限定された範囲の新たな母集団について検討することもできる。

例えば、自分がホモサピエンスなら、自分をホモサピエンスの母集団の内の一つのサンプルと見なすことができる。


従って、終末論法では、AIを含んだ母集団と含まない母集団、どちらについても検討することが可能である。


ただその場合、AIをどうやって数えるか、という問題は生じるだろう。
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終末論法の問題点リスト

2017年06月10日 21時31分57秒 | 人間原理
人類が、滅亡せずに宇宙に広がる可能性がある程度あるなら、宇宙に広がる前の時代に生きる人間は非常に少なく、自分が宇宙に広がる前の時代に生まれる可能性も非常に低い。

しかし自分が見ている世界は、人類が宇宙に広がる前の世界である。

従って人類が滅亡せずに宇宙に広がる可能性は低い。


この終末論法の論理にはそれなりの説得力はあるが、使っている方法が通常の統計的な手法とはかなり異なっており、その特殊な手法になにか問題や限界がないかは検討する必要がある


まず、サンプルを選択する過程が存在しない。

通常の統計ではサンプルを選択する手法は、統計の精度に大きく影響する重要な要素だが、終末論法の場合は、終末論法を知った、あるいは思いついた段階で、その知った本人が自動的にサンプルになり、またサンプルとして自分を選択しない、ということもできない。

いわば、自発的、自動的なサンプル化であり、通常の選択されたサンプルとは異なるわけだ。

この差がなにか問題を引き起こさないか検討は必要だろう。


また、サンプルが決まってから、母集団を決めるため、母集団を恣意的に選べば、サンプルを外れ値にすることも可能だ。

例えば、自分の身長が170㎝、体重65㎏なら、身長170㎝、体重65㎏以下の人間、という母集団を作れば、自分が最も背が高く、もっとも体重が重い特殊なサンプルだ、ということにできる。

母集団の決め方に結果を歪める点がないかは検討が必要だろう。


さらには観測選択効果の影響も検討する必要がある。

たとえば、バナッハタルスキーの定理を使って問題を解いている人間がいたら、その人は20世紀以降に生まれており、ほぼ確実に数学者か物理学者か、そのたぐいの人間だ、とわかる。

バナッハタルスキーの定理ほどではないにせよ、終末論法は普通に思いつく手法ではないため、その論法を使って問題を検討している人間も限られている。

この終末論法を使うことによる観測選択効果が働くため、終末論法の効果が弱められる可能性がある。


他には、母集団の取り方にどのような制限があるのか、という問題もある。

特に重要なのが、AIも母集団に含めることが可能かどうかだ。

これにより、終末論法の意味が大幅に変わる可能性がある。

この問題にも観測選択効果は大きくかかわってくるだろう。


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人類が滅亡しないなら、ほとんどの人間は、地球外で生まれることになる。

2017年06月06日 21時38分30秒 | 人間原理
宇宙のあちこちに、人類と同じような文明があり、人類と同じような歴史を歩んでいると仮定する。

その文明の半分くらいは、核兵器が開発されてから100年程度で核戦争を起こして滅び、半分くらいは危機を乗り越え、宇宙に進出し、滅亡のリスクのほとんどない、長い歴史を刻むとする。


この場合、宇宙に進出した後の人口は、進出する前の人口を遥かに上回り、期間も長くなると思われるため、宇宙に進出した後の人口は、宇宙に進出する前や、滅びる文明に属する人の数を遥かに上回る。

従って、ほとんどの人は、自分が宇宙に進出した後の文明に生まれたことに気づくことになる。

逆に、自分が、宇宙に広がる前の文明に生まれたことに気づく人はごくわずかである。


ではどの程度文明が滅亡する頻度が上がれば、この比率は逆転するだろうか。

宇宙に進出する文明の人口は明確な制限がないように見える。

また、一つの惑星の生態系に依存せず、広範囲に広がった文明が、短い期間で滅亡する可能性はあまりないように見える。

人口も多く、存続期間も長いならば、宇宙に進出した後の文明の総人口が宇宙に進出する前の総人口の100倍あるいは1万倍、あるいは100万倍でも不思議はない。


従って、宇宙に進出する以前の世界に生まれる人の数が、宇宙に進出した後の世界に生まれる人の数に比べて無視できない割合になるためには、相当文明が滅亡する頻度が高くなければならないことになる。


自分が地球に生まれたことに気づいた人間は、人類がかなり高い確率で滅亡することを覚悟しなくてはならない、というわけだ。
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