我々が「太陽」として、白色矮星を見上げていないのは何故か? の続き
冷静に考えると、文明が生まれるまでに必要な時間と、恒星の寿命が無関係という主張は、観測選択効果を考慮していないといえる。
例えば恒星が核融合反応なりなんなりで光を発し始めてから数日で燃え尽きてしまうような物理法則の世界では、生命や文明も生まれず、我々はそのような短い寿命の恒星を見ることはできない。
我々が見ることが出来るのは、恒星が、文明が生まれるまでに必要な最小限の長さ以上の寿命を持っている宇宙だけだ。
もちろん、恒星の寿命が、文明が宇宙のどこか1か所で生まれるためにギリギリ必要最小限の長さである可能性は0ではない。
しかし我々が見る可能性が高い宇宙は、非常に文明が生まれにくい宇宙よりも、比較的文明が生まれる条件が整った宇宙である可能性が高いとは言えるだろう。
ただ、そう考えると、フェルミパラドックスの謎は深まってしまうが。
冷静に考えると、文明が生まれるまでに必要な時間と、恒星の寿命が無関係という主張は、観測選択効果を考慮していないといえる。
例えば恒星が核融合反応なりなんなりで光を発し始めてから数日で燃え尽きてしまうような物理法則の世界では、生命や文明も生まれず、我々はそのような短い寿命の恒星を見ることはできない。
我々が見ることが出来るのは、恒星が、文明が生まれるまでに必要な最小限の長さ以上の寿命を持っている宇宙だけだ。
もちろん、恒星の寿命が、文明が宇宙のどこか1か所で生まれるためにギリギリ必要最小限の長さである可能性は0ではない。
しかし我々が見る可能性が高い宇宙は、非常に文明が生まれにくい宇宙よりも、比較的文明が生まれる条件が整った宇宙である可能性が高いとは言えるだろう。
ただ、そう考えると、フェルミパラドックスの謎は深まってしまうが。