極薄特濃日記

無駄の2乗、無駄の3乗、無駄の4乗、無駄の5乗、…懲りることないくりかえし。

2007-8-30 木 曇

2007-08-31 09:28:33 | DIARY
5時起床。ポン太、ほんとうに夜中に鳴かなくなった。ぐっすり眠れる。とはいうものの、ポン太が来る前より、かなりの早起きになってしまった。朝起きて、Iがポン太のトイレを掃除をして、皿に餌を追加し、水を注ぎ足してやる。ポン太は、Iがトイレの砂を触り始めると、すぐ傍に寄ってきてちょこんと座り、その様子をじっと見つめている。餌は基本的にはドライフードを与えているのだが、朝起きたときだけ、一回分チャオをあげるようにしている。それを3日続けたら、朝はチャオがもらえると覚えたのか、Iが台所に行って、カチャカチャ用意し始めると、走り寄っていって、Iの足元でじっと待つようになった。

5時に起き、しばらくポン太が餌を食べたり、毛づくろいをしたりするのを観察し、それからパソコンを立ち上げ、日記を書き、6時過ぎにまた眠たくなったので、ポン太が寝そべっている床にいっしょに寝そべって、しばらくうつらうつらした。
朝飯は、粥とプリン。
昼飯は、久しぶりの激辛カップ麺。しばらくこういうジャンクフードは食べていなかったので、お腹の具合が悪くなるんじゃないかとびくびくして食べたのだが、案の定、食後しばらく胃に違和感があった。
午前中は、一昨日読み終えた樫村愛子『『ネオリベラリズムの精神分析 ―なぜ伝統や文化が求められるのか』を、再度、ノートを取りながら読み返した。
午後からは仕事が3件重なり、夜10時頃まで忙しく過ごした。そのうち1件はプレゼン用の資料作りだったので、夕方家に帰ってからやった。
夕飯は、サラダと豆腐。

<読書メモ>樫村愛子『『ネオリベラリズムの精神分析 ―なぜ伝統や文化が求められるのか』

※現在、フランス社会で、「プレカリテ」と呼ばれる現象が、問題になっている。「プレカリテ」とは「不安定化」という意味をもつ言葉で、「労働の流動化によって生活が不安定化し、住居を失い、貧困化することや、その過程で人々の連帯が解体していくさまを示している」。
この「プレカリテ」現象の背後には、労働や雇用の構造変化がある。「主要となる産業が情報・サービスへシフトするなど、産業構造の変化」があった。その結果、「多くの均質な工場労働者は不要となり、一握りの優秀な企画者や管理者と、第三世界(日本ではフリーターなど)の低賃金で働くスウェット労働者(十九世紀末、汗まみれ-スウェットで働いた繊維工場の悲惨な労働者の状況への回帰として、こういわれる)や、ディーセント(尊厳的)でない労働を行う者のみを必要とするようになった」。
フランスではこの「プレカリテ」現象を批判する言説が盛んだが、それは、「グローバリゼーション(その結果としての「プレカリテ」)が人々から生活の安定や豊かさだけでなく、存在の安定や関係の豊かさまで奪っていくという危惧があるからである」。
フランスには、豊かな人文主義的・政治的な言説の伝統があり、それを拠点にして、「プレカリテ」現象への批判的な言説が組織できる。しかし、日本には、そのような豊かな言説の伝統がなく、日本社会もフランスと同じ「プレカリテ」現象のなかにあるにもかかわらず、それに抵抗する言説を組織する拠点を持てないでいる。

※「再帰性」と、それを支える「恒常性」。
まず「再帰性」とは、「英社会学者ギデンズの言葉で、自分自身を意識的に対象化し、メタレベルから反省的視点に立って自己を再構築していく能力のことである」。つまり「再帰性」とは、自分のことは自分で考え、自分で決める、という存在の在りようを指した言葉である。
「現代の社会では、多くのことを自ら決定しコントロールする必要があり、再帰性は高まっている(けれども、再帰的な能力は人々の間で差があり、ついていけない人は打ち捨てられつつある。)」。
自分で自分を創っていく、という、この再帰性は、それ自体否定されるべきものではない。「再帰性が中核となる社会で重要なのは、どのような質の再帰性を確立できるか、また、再帰性をどのように確保し形成できるかということである」。
さて、しかしながら、人間はもともと「再帰的主体」として生まれるわけではない。「一定の教育や文化のもとで主体は形成されていくので、「再帰的主体の形成過程」を抜きに、再帰性は成立しない」。つまり、「人が再帰的人間になるためには、そのように育てられる過程が必要であるが、その過程は再帰的ではない」のである。
「再帰性」の概念を提示したギデンズ自身が、「再帰的主体を支えるものとして、「存在論的安心」という、再帰性と相容れない再帰性の外部にある概念を精神分析理論から導入している」。「精神分析が示すように、人は他者に絶対依存して生まれてくる。それなのに再帰的議論が想定するように、人が自分で何かを決定できるという前提に立てば、この初期の他者依存と、それがその後の人間にも及ぼす影響を見ることができなくなってしまう。他者に依存していた人間は、成長してからも他者に対して合理的な判断を超えた信頼や依存を持ち続け、それは、ネガティヴにもポジティヴにも作用する」。
他者に対する合理的な判断を超えた信頼や依存が担保されていることが、「存在論的安心」として、「再帰的主体」を支えている。
他者と他者が、ある超越的な信頼、依存を媒介にして、フィクショナルな共同性を実現している。「恒常性」とは、こうした、「他者と共に構成している、現実と距離をもつフィクション」のことである。「そしてそれは文化や社会と同義である」。
十全な再帰的主体であるためには、それが「恒常性」というフィクションに支えられている必要がある。しかしながら、現代の「プレカリテ」現象のなかでは、この「恒常性」が奪われつつある。

●「これまでの議論で、「再帰性」という議論を掲げてきたギデンズ自身が、専門化システムは大衆の信頼によって支えられていると述べていること、創造的な再帰性は実存性をはらむ象徴的なものによって支えられ、それは他者や社会と関わること、現実を留保する時間や空間が創造のために必要であること、現実にないものを見る想像力が社会を創造していくこと、などを見てきた。
この信頼、象徴性、想像性、留保などが、「恒常性」と関わるものであり、「プレカリテ」とネオリベラリズムの社会の中で奪われつつあるものである。そして「恒常性」とは、これまでの議論で垣間見られるように、現実と距離をもつフィクションであり、他者と共に構成しているものである。そしてそれは文化や社会と同義である。」

※ところで、「再帰性」が可能になるには、自分が“自由”であるという前提が必要になる。つまり、「再帰性の成立のためには、行為の対象が主体にとってコントロール可能なように脱制度化(制度ではなくなり、個人や市場のコントロールに委ねられていくこと)している必要がある」。これをギデンズは「脱埋め込み」という概念で示した。
「ギデンズは「脱埋め込み」を進めている「脱埋め込みメカニズム」を提示し、それには二つのタイプがあるとしている。それは、「象徴的通票」と「専門化システム」である。
まず「象徴的通票」とは、「標準的な価値を持った交換メディアであり、さまざまな文脈を横断して交換可能」なものを指す。
この第一の例として、ギデンズは「貨幣」を挙げる。ドルを出せば、言葉が通じなくても、例えば第三世界の材料や労働力が手に入る。貨幣に見られるような「象徴的通票」は、こうしてローカルな慣習やルールを掘り崩していく(「脱埋め込み化」する)。
次に「専門化システム」とは、「システムの実行者およびクライアントとは独立に有効性をもつ技術的知識様式を用いて、時間と空間を括弧に入れるもの」である。
例えば医療技術は、昔のように呪術を使う呪術者に帰属するものではなく、脱人格化している。学ぶことができれば誰でも使用可能であり、共有されるものとなった。専門技術も、やはり有効性を通してローカルなコンテクストを解体していくのである(「脱埋め込み化」)」。

※さて、「再帰性」は、しかし、「恒常性」の解体によって、現代においてはある「機能不全」に陥っている。
●「現在の再帰的社会に起こっている機能不全について、四つの観点から見ていこう。
1.専門化システムの高度化、専門化と大衆の乖離
まず、象徴的通票や専門化システムの高度化と、それによる専門家と大衆の乖離である。
脱埋め込み化により、時間と空間は拡大し、多くの知識が直接的に接触できる世界を超えたものとなる。(中略)
専門化システムは、専門知にアクセスできる人であれば、その正当性を手続き的に脱人格的に検証できる。そのことがシステムの信頼を支えている。しかし、大衆はそういった能力を持ち合わせているわけではない。それゆえ大衆の信頼のレベルは、基本的な社会への信頼といった漠然としたものに依然支えられる。今後、ますますそうなるだろう。
ギデンズはこのことを指摘し、専門性の細分化、専門的知識の更新の速さ、知の多様性などにより、人々の専門性への懐疑は、ポストモダン社会においてはさらに高まると述べる。(中略)
2.再帰性の格差
第二に、再帰性の格差である。
現在、社会(制度)の再帰化の進行に伴い、社会(制度)の再帰化についていけない人々が生み出され、そこに見られる主体の再帰性の格差が生じている。(中略)
制度が個人の再帰性をあてにした設計になっていると、制度を活用しうる資源や能力をもち、それあRの資本を再生産する人々とそうでない人々の格差は拡大していく。
例えば、介護保険制度では、要介護の認定には自己申告と自己登録が必要だが(最近の問題では年金!)、そのような知識や情報がなければ、保険料を請求されるがままに払っても、制度の恩恵に預かれない。(中略)
3.限定付きの再帰性
第三に、再帰性が限定付きの再帰性でしかないということである。
「再帰性」について、日本での文脈を振り返れば、それは「自己責任社会」といった言葉で語られ、進められているものである。国家や共同体が個人を規制することを排し、結婚のみならず教育や健康、福祉のあり方までも、自己デザインする社会を志向している。
しかし、よく指摘されるように、国民に与えられているのは限定付きの再帰性である。
例えば、「参加型福祉社会」における「参加」とは、現場の手足だけを意味している。解体しつつある地域を再興するボランティアの動員が叫ばれているが、地域計画に住民は参加できない。(中略)
お上決定方の日本の政治の伝統の中で、再帰性とは、社会学者の渋谷望が示すような「動員への参加イデオロギー」でしかない。主体的・能動的にボランティアに参加しているつもりでも、実際は安上がりな労働として使われ、行政サービスの切捨ての口実になっている。
4.マクドナルド化
第四に、社会の中の種々のシステムの制度設計において、合理化、自動化、再帰化を推し進めるにあたり、偶然性や創造性をはらむ知的・サービス的領域で、結果としては非合理性を生むような合理化がなされてしまうことである。
これは「マクドナルド化」と呼ばれている現象で、「社会システムのマクドナルド化」は、「主体のマクドナルド化」を帰結する」。
●「再帰性が、コントロールを意識し、操作性を高めることであるならば、計算可能性、予測性、制御を高めることが目指される。生産性のための効率性も望まれるだろう。しかし、計算や予測、制御には、不確実な点が存在する。その不確実性に対し、計算可能性を超えた判断や行為が要請されることもあり、むしろそれが創造性を形作る。
これに対し、マクドナルド化における予測可能性とは、偶然性を排除することであり、計算可能性においては、質より量を重視する。このようにマクドナルド化は、創造性の源泉を排除していく。(中略)
本来の再帰性は、オリジナルから変化することを含む。つまり本来的な再帰性-実質的合理性をはらんだ再帰性-は、この創造性を含むはずである。
私たちの生活は、生産賃金から医療保険のシミュレーション、老後の生活設計、毎日のカロリー計算まで、現在、管理によってがんじがらめになりつつある。(中略)
すべてが可視化され、私たちの毎日がタスクをこなすだけのものであるならば、私たちの生は枯渇してしまう。シミュレーションを前提にしつつ、むしろそこから跳躍する行為が求められている」。
●「スティグレールの言うように、予測不能性をはらんだ未来への期待こそが、個人の実存性を支える。すなわち、不確実な未来に対して、計算可能性を超えて想像し、行為することが、個人の生の固有性を形作る。が、情報の氾濫は、主体のこのような労働を節約しようとするあまり、主体にとって創造性を意味する行為そのものも奪ってしまう。」
●「象徴的なものは、芸術に代表されるように、人の生の固有性を維持するものである。スティグレールは、象徴的なものの生産に参加できなくなると「固体化」の衰退が広まると述べる。そうなれば、象徴的なものは瓦解し、それは欲望の瓦解を引き起こす。欲望とは人に対する欲望であり、人に対する関心を意味する。それが解体すれば、人は自分のことしか考えなくなる。これによって社会的なものが崩壊すれば、戦争状態に至ると彼は指摘する。
象徴的なものとは、人間が生きている意味を問うような実存的な領域であり、それは人が他者を欲望することとつながっている。そして、それが人と共に生きるという社会性を支えているのであり、それがなくなれば、自分と他者をつなぐものはなくなってしまう。
社会に対する構想とは、私とあなたが同じ痛みをもち、喜びを分かち合えるという前提に立って、人に対する関心や欲望から牽引されるものである。あとで見る「恒常的なもの」とは、そういった同一視に支えられている。
スティグレールは、人が動物的欲求の状態から他者と関わる欲望の状態へ移行することで、社会的存在となることを「固体化」と規定している。哲学者アレントは、同様の事態を「現れによる複数性の保持」という議論として示している」。

※「移行対象」(―「浮遊するシニフィアン」)という概念について
●「快感原則では、自分の快不快を中心に、子どもは妄想に近いことも想像する(子どもの頭の中ではお母さんは神に等しい)。その多くは修正されるが、目の間にいないお母さんは見えないところでも存在するという信念は現実にも正しいことが検証され、この想像は子どもの現実となる。このように現実における有効性を通して、人間的主観的世界は、現実の人間を支え、その中で科学的世界が形成されていく。
人間的現実とは、ラカンがいう想像界と象徴界が織り合わさったもの-人間の想像力によって構成されるフィクションと、それが現実に科学的に構成されていく象徴界が、コンビネーションできて存在しているもの-である。
両者はぴったりとは重ならない(科学や実践知が弱い宗教的社会などでは、かなり重なっていただろうが)。人間が認識を向上させていくときのジャンピングボードとして想像界は機能するからである。
ギデンズは、基本的信頼が、「未知なるものへの飛躍」というコミットメント、つまり、新しい種類の経験を受けいれる準備を可能にするとし、基本的信頼と創造性の結びつきを指摘する。カストリアディスのいう、新しいものを生む力は、こうして、基本的信頼という恒常性に依拠しているのである。」
●「ギデンズはさらに、基本的信頼から、人がアイデンティティや言語や世界を受容していく過程を、ウィニコットの「移行空間」論から記述している。
フロイトの議論は、糸巻遊びの中から「いない」と「いた」が結合されていることはわかっても、それがいつどのように結合されるのかは見えにくい。またくり返される遊びが終わって現実へと統合されるプロセスが見えづらい。
これに対し、ウィニコットの「移行空間」論は、遊びというフィクションが現実へと統合されるプロセスを記述している。
ウィニコットの「移行空間論」とは、人が主観的に生きている世界と現実の橋渡しをし、人間にとって常に外傷となりうる新しい現実との出会いやその処理を本人にとって無理のない形で受容させる装置である。
ウィニコットは「移行空間」において使用される道具を「移行対象」と規定して、その例としてぬいぐるみや毛布の切れ端などを挙げている。これはお母さんの代理である。ゆえにお母さんであってお母さんでない。こんなものをいつまでも抱えている子どもは、外から見れば幼稚に見える。しかしお母さんにしがみついているよりは断然自立の一歩を踏み出しているのであり、実際、そのうちぬいぐるみは捨てられていく。糸巻遊びの「いない」「いた」が結合し、それが不在のお母さんの代理ではなくなり、言語にって構造化されることで、遊びは終了し新しい現実認識が獲得されていく。
先述したように、基本的信頼の問題は、単に、それが、無力な人間に常に居続けるわけではない母の代理として幻想的な慰めや支えを与えるということに留まらず、その想像力が表象を媒介に言語(という恒常性、他者の代理)を生み、言語を通じて、現実認識を獲得していくという過程を意味している」。
●「近代初期の資本家たちは、これまで卑しい行為とされていた金銭獲得に励んだ。なぜこれまでと180度反対の思想や心情をもてたのだろうか。それはプロテスタンティズムの生み出した「神のための利得行為」という思想(=移行対象)のもとで、現実に利得行為に励むことができたのである。「神のための利得行為」という橋渡しが必要だったのである。
その隠れ蓑のもとで、利得行為は習得され習慣化され、それが身体化され社会化されれば(マルクスのいう物質的無意識的レベル、唯物論的レベルで)、もはやプロテスタンティズムの倫理は形骸化し必要ではなくなり、捨てられていく。
このように、移行空間の議論は、単に幼児の発達過程の問題だけでなく、「消滅する媒介装置」という議論として広く論じられる。そして人や社会が大きく変容するとき、主体の解体を防ぎ、ラディカルな変容を支えるものとして議論できる」。
●「一時「政治改革」という言葉が流行った時代があった。当時、左から右まですべての政治家が使用するオールマイティな言葉であった。それは、ラカンのいう「浮遊するシニフィアン」という意味内容が開かれている言葉であり、多くのものと結びつきうる移行対象であった。当時「政治改革」といっていれば何でもできた。人々から支持され、政治の舵取りを変えていける創造性や新しさの可能性があったのである。が同時に、何でも意味できるという意味の過剰性は、危険もはらんでいた」。

※人間にとって、言語の獲得もまた、「恒常性」を抜きにしてはありえない。
●「例えば、庭にきれいな桜が咲いていて、母親が「きれいな桜だね」「桜」とくり返し、子どもが指摘される目の前の映像に「桜」という音声を記憶において結合させていくとしよう。
次に子どもは、目の前をひらひら飛んでいく蝶を見て、花びらとの類似性から「桜」というかもしれない。このとき母親は、「あれは桜じゃなくて蝶だよ」と訂正するだろう。こうやって言葉は獲得されていく。
すなわち、このとき子どもは、桜の映像に対し、桜は「ひらひらしたもの」であり「蝶ではない」という情報をつけ加えていく。しかしこうやって追加情報をつけ加えられるのは、桜は「ひらひらした」「蝶ではない」「X(何か)」と措定できる、「X(何か)」という空項があるからである。(中略)
何かが真実であるといきなり決定的な形で措定されるのではなく、試行錯誤の中で間違いが否定され、その中で真実が成立していくのが人間の言葉や情報の獲得過程である。ここでこの否定はいきなり外に現れるのではなくて潜在的なものであることに意味がある。(中略)
人間において言葉が何とでも結合し、驚くほどの可塑性をもつのは、カストリアディスも示唆していたように、このXという留保的措定ができるからである。留保的措定は、他者によって支えられる(今はわからなくてもすべてを知っている母がいつか教えてくれるといった期待において)。また、現実的には時間によって支えられる。未来とは他者であり、だからこそ他者が解体すると時間が解体するのである(時間とはフィクションであるから)。
このように恒常性とは、原理主義の夢想するレベルにあるユートピア的な蒙昧な幻想なのではなく、人間の生物学的条件において、人間が言語を中心とする認識機能を発展させていくために不可欠な唯物論的構造であることがわかる」。
●「人間は、他の動物と比べて他者に絶対に依存しており、その他者が現実的に不在になるとき、その不在(は同時に自身の不在を意味する)を言語によって代補し、恒存させた。
お母さんが目の前にいないという危機において、お母さんは「いない」という言葉によって、常に世界に存在しているものに変えたのだった。
動物的能力(目で見て認知できる能力)を超えて世界を記述するツールを得た人間は、本能の内部で自足している動物と比べ、どんどん自分にとって広がる世界に対し、逆に世界の無根拠さ、過酷さに立ち向かわなくてはならなくなった。
人間は、最初に他者の全能性に守られて、自分が全能だというポジションからスタートしている。それは想像的なものとしての自我の出発点であり人間を支えている。それゆえ自分が死ぬとか何でもないということは受け入れがたいし、自分が生きていることが無根拠であることも受け入れがたい。
しかし現実に適応していくためには、客観的に世界を認識する必要がある。この埋めがたい二つの自己-全能から出発してナルシシズムを引きずり、他者に依存する自己と、世界を認識、支配し、自分の世界を実質的に拡大するが、自己の卑小さをも受け入れざるをえない自己-の両者を生めるものが文化であるといってもよい」。

※さて、では、現在「恒常性」を奪われることで、機能不全に陥った「再帰性」を、十全なものに回復するためには、どうすればいいのか。
●「これまで見てきた議論でわかるように、今、進行している透明性や形式合理性の幻想のもとで破壊されている、個々人の固有性(スティグレールのいう固体化)や複雑性、それに伴う人々の行為の自由や創造性や豊かさ、それを保証する人々の想像性とそのベースとなる人々の信頼を確保していくことが文化の中身である。
それは本書の言葉でいえば、貧しい再帰性が破壊しようとする恒常性を守ることであり、しかし再帰性を排除するような貧しい恒常性(原理主義)も退けることである。
そしてまたコミュニケーションにまで切り詰められている文化(と文化的無意識)の深さや豊かさを取り戻し、コミュニケーションの場に張り付いて自らの存在と他者を確かめようとしている人々に、メタレベルの信頼や落ちつきや余裕を与える場や文化的・社会的認識を提供していくことであり、その場にフランクに参加できるようにすることである。
ドゥルーズがいうように、普段の管理と瞬時に成り立つコミュニケーションによって動かされている人々に、現在の貧しいコミュニケーションとは異なる想像への回路を開き、管理を逃れるために非=コミュニケーションの空洞や断続器を作ることである」。

2007-8-29 水 曇

2007-08-30 06:43:40 | DIARY
6時に目が覚める。何日かぶりできちんと眠れた。夜中にポン太があまり鳴かなかったおかげである。Iに「ポン太鳴かなかったね」というと、「昼ずっとそう言い聞かせていたからね」と言う。まあそういうこともあるのかもしれないが、いずれにしろ、ようやくこの部屋の空間に馴染んだということなのだろう。

朝飯は、粥とコールスローサラダ。
昼飯は素麺。

午前中は、パソコンに向かって、溜まっていた事務処理の仕事を済ませる。12時になったときにはもう終わっていた。早起きすると一日が長い。
昼過ぎに家を出て、あるクライアントのところに向かい、しかし打ち合わせは20分くらいで終わってしまったので、その後夕方までぽっかり時間が空いてしまった。丸の内の近くだったので、県図書館まで歩き、生田武志『ルポ 最底辺 ―不安定就労と野宿者』(ちくま新書 2007年)を読んだ。著者は、学生時代からずっと大阪釜ヶ崎を中心に、自身が日雇い労働を体験しながら、野宿者の救済活動をやってきた人らしい。もともとシモーヌ・ヴェイユの著作に感銘を受けたことがきっかけだった、というようなことが書いてあったのを見て、「なるほど、そういう資質のひとか」と思う。

中に、無宿者のなかに、自分の生活もギリギリなのにもかかわらず、犬や猫を飼っている人が多い、という観察があった。著者は、家族がいると思うと心強いのだろう、と考察している。
これは、とてもよくわかる。
おれも、ポン太が来てからというもの、情緒的にものすごく安定している。いや、もともとそんなに情緒不安定な人間ではないのだが、しかしあきらかになんというか、そう“心強い”のである。
ペットを飼えばそれだけいろいろな意味での負担は増すのだが、しかしそれでも、ペットの存在は“心の支え”になる。よく定番のポップスの歌詞で「きみのことを想えば強くなれる」といった意味のフレーズがあるが、ちょうどそんな感じなのだ。

読みながら、間に2回、10分程度の仮眠をとった。普段は昼、多少でも仮眠をとれば、その後夜までずっと大丈夫なのだが、ここ数日の睡眠不足が後を引いているのだろう。

午後遅く、ある“調査”の仕事のため、某所で“聞き込み”をする。あまり役立ちそうな情報を得ることはできなかった。

夕方、駅西の行きつけの喫茶店で、高城剛『サヴァイヴ! 南国日本』(集英社)を読み始め、二章分、半分くらい読み進んだ。
夕飯は、野菜スープとフランクフルト。
10時過ぎには、また、ベッドに倒れこんだ。ポン太、ほんとうに鳴かなくなった。もともとよく鳴く種類の猫ではないのだから、一昨日までは、明らかに異常な興奮状態にあったのだろう。

2007-8-28 火 晴

2007-08-30 05:56:19 | DIARY
6時に起床。さすがに寝不足を感じる。気分は浮き立っていて、身体も辛くはないのだが、なんだかどこか鈍くなっているような感じで、例えば階段を小走りに駆け下りたりすると足をもつらせて転んでしまいそうな不安がある。

朝飯は粥とコールスローサラダ。
昼飯は素麺。

午後、喫茶店で眠気に抗いつつ、樫村愛子『『ネオリベラリズムの精神分析 ―なぜ伝統や文化が求められるのか』を読了した。
三省堂に行き、生田武志『ルポ 最底辺 ―不安定就労と野宿』(ちくま新書 2007年)、大久保一彦『行列ができる店はどこが違うのか ―飲食店の心理学』(ちくま新書 2007年)、高城剛『サヴァイヴ! 南国日本』(集英社 2007年)を購入した。
夕方、喫茶店で、大久保一彦『行列ができる店はどこが違うのか』を読み始め、そのまま読了した。大久保一彦は、ランチェスター経営の竹田陽一の弟子筋にあたる経営コンサルタントで、経験知と理論のバランスがいい人で、一時期飲食店経営についての本はたくさん読んだことがあるのだが、この人の書くものがいちばん勉強になった。

夕飯はサラダ。

10時頃、ベッドに横になり、そのままうつらうつらしていたら、本格的に眠ってしまったようだった。

2007-8-27 月 晴

2007-08-28 11:30:13 | DIARY
朝7時過ぎには目が覚めた。Iは5時から起きて、ポン太の相手をしていたらしい。おれは、いびきをかいて熟睡していたそうだ。何かとても懐かしい夢を見たような気がするのだが、どんな夢だったか、その内容は全く思い出せない。
3、4時間眠ったのだろうか。睡眠は足りていないはずなのに、気分はとても晴れやかだ。

朝飯は粥とサラダ。
昼飯は大豆クッキー。
昼前に家を出た。駅裏の喫茶店でK君と待ち合わせ、パソコンを立ち上げ、仕事の打合せをした。その後、K君は別の仕事の打合せに行き、おれはそのままその喫茶店に残って、樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析 ―なぜ伝統や文化が求められるのか』(光文社新書 2007年)を読み始めた。第三章、193ページまで読み進む。
世界を覆っていく“グローバリズム”に対する抵抗の拠点として、精神分析理論に依拠した「恒常性」という概念を打ち立てている。その論の立て方は、たいへんラディカルで、それゆえ拡張性が高い議論になっており、これまで頭の中でバラバラに引っ掛かっていた現代の社会を象徴するような様々な事況を、統一的に見張らせる視座を得られたように感じた。読んでいるあいだずっと、「あ、なるほど、アレはコレと関連してる現象なんだな」という発見があって、その度に頭を上げて、しばらくその“関連”の行く末を追う。いつもよりずっとゆっくりとした読書になった。

夕方、7時頃、家に帰った。
夕飯は野菜炒めと豆腐。
夕食後は、日課の筋トレを済まし、その後はずっとポン太と遊んで過ごした。もうすっかりこの部屋にも馴染んだようだ。ご飯もとてもよく食べるし、水もよく飲み、よくうんこもする。
またたびをしみこませた布で拵えられた、ピンポン玉くらいの大きさのねずみのぬいぐるみを与えると、部屋中を走り回って遊んでいた。おれの家は、椅子やテーブルの足、家具の隙間、猫タワーと、子猫にとっては擬似的な森のような複雑な環境になっている(ようするにモノが多くて散らかっている)。その隙間を、ものすごい速度で走り回り、ねずみのぬいぐるみを弄っている。超一流のサッカー選手でもこうはいかないという器用さである。
それで、運動に疲れると、餌を食べ、水を飲み、床の上にダラ~と伸びて、軀を休めるのである。その休んでいる間に、頭や腹を撫でてやると、ゴロゴロ喉を鳴らし、目を細め、とても気持ちよさそうにじゃれかかってくる。その仕草はもう、ものすごく可愛い。
けっきょくまた、猫にかまけて、また夜更かししてしまった。ベッドに入ったのはもう3時になるかという時だった。

2007-8-26 日 晴

2007-08-27 10:52:45 | DIARY
今、これを書いているのは、27日月曜の朝なのだが、昨日のことだというのに、朝何時に起きたか、朝飯に何を食ったかが思い出せない。ずっと猫にかまけっきりで過ごしたせいで、猫以外のことには普段にも増して上の空だったのかもしれない。
とにかく、あまりしっかりとは眠れていないような感じがあったものの、べつに不快感はない。
子猫は、名前をポン太と決めた。
ポン太は、夜中中ニャアニャア鳴きながら部屋の隅々までを探検し、朝8時頃には眠ってしまった。Iが小物を置いている台があって、台の下にほんの15cmほどの隙間があるのだが、その隙間スペースがポン太の寝室になったようだ。大きな<猫タワー>を買ってあるのだが、そこにはこない。まだ軀が小さいから、より狭いスペースを求めるのか、それとも暑いから、冷たいフローリングの床に腹をつけているのが気持ちいのだろうか。いずれにしろ、暗くて狭いところが落ち着くらしいのは間違いない。

ポン太はときどき弱々しく寝言を発しながら、夜までずっと眠っていた。おれも、断続的に昼寝をして過ごした。
昼、テレビで「たかじんのそんなに言って委員会」を見ながら、筋トレをする。また2日間サボってしまったが、体重、体脂肪は順調に減っている。
夕飯は、トロカレーとシメジ、ピーマンを、レトルトのふかひれスープのもとで煮た煮物と、栗南瓜(ほんとうに栗のような味がした)を半分に割って、そこにシーチキンマヨネーズを和えたサラダ。満足。

夜9時を過ぎる頃になって、またポン太が目を覚まし、寝室スペースから顔を出した。まずニャアニャアと鳴声がする。それで、寝室スペースを見やると、台の下から顔だけ出して、こちらを伺うような様子を見せている。「ポン太、おいで」と言うのだが、そんな呼びかけには今のところまったくの無反応だ。それでも、しばらく様子を伺って、つぎに上半身がゆっくりと現われる。そこでまた固まって、しばらく様子を伺い、ようやく安心して、台の下から出てくるのである。「ジジイが熱い風呂に浸かるときみたいだな」と思いつつ、その様子をずっと眺めていた。
目が覚めると、まず全身の毛づくろいが始まる。全身の毛並みを、腕と舌でたんねんに整え、それから全身の伸びをし、あくびを一回する。そして、おもむろに餌の皿に向かう。
昨日は、まだ緊張の余韻が冷めず、餌もほとんど食べなかったのだが、今日はバリバリ食べていた。水もゴクゴク飲んでいる。食べた後は、迷わずトイレに行き、大きなうんこをした。

おれが、そのうんこを片付け、トイレの砂を整えるのをすぐ傍まで寄ってきてじっと見ている。するとその後、ポン太の態度が急変し、手を伸ばして頭や腹を撫でても逃げなくなった。昨日は傍にも寄れなかったのに、一気に距離が縮まった感じがする。
けっきょく、3時過ぎまで猫の相手をして、就寝した。Iは、5時にポン太の鳴声で目を覚まされたらしいが、おれは完全に熟睡していたようだ。

2007-8-25 土 晴

2007-08-26 12:24:19 | DIARY
10時過ぎまで眠った。10時間くらい眠ったことになる。頭がスッキリした。
朝飯は粥とサラダ。昼飯はコンビニのサンドイッチとソフトクリーム。
午前中は家の掃除。今日午後から猫をもらいに行くので、床に散らかっている細かなものを片付けた。

午後から車で、<ねこや>というブリーダーの店に、予約しておいたアメリカンショートヘアの子猫を受け取りにいった。
本当は、5月末にはもらいにいく予定だったのだが、いろいろあって延びてしまった。前に見たときは掌に乗るくらい小さかったのが、もう生後5ヶ月になるので、成猫と大差ないような軀に成長していた。
残りの代金10万円を支払い(前に内金を26000円入れておいた)、Iがネットで購入しておいた猫用のバスケットで、家まで運んだ。
<ねこや>の店内は空調が整えられて、猫にとってとても過ごしやすい環境に調整されている。それが、いきなり、狭いところに閉じこめられ、猛暑のなかに連れ出され、慣れない車に揺らされて、猫にとっては、かなりのストレスになる経験だったのだろう。<ねこや>では、鳴声もまったく出さず、触られても抱かれても為すがままだった子猫が、バスケットの中で暴れ周り、ひっきりなしに鳴声を上げていた。
息を荒げ、ハアハアいいながらニャアニャア鳴声を上げるのに、Iがずっと話しかけていた。「かわいそうにね~、わかるよ~、苦しいよね~」。
運転しながら助手席に座ったIの膝に抱えられた猫を見ると、なるほどたしかにとても苦しそうな表情をしていて、胸がきゅっとなった。

家に帰り、部屋に放っても、よほどストレスが強かったのか、<ねこや>にいたくつろいだ様子ではなく、警戒心を露にして、狭い家具の下にもぐりこんでしまった。水ものまず、そのまま、家具の下で眠ってしまったようだった。

夕方、スーパーに行って、食材を買って帰り、夕飯は、コールスローサラダと素麺を茹でて食べた。

夜、7時を過ぎる頃になって、子猫はようやく家具の下から出てきた。それから、そろそろと、家の中の探検を始めた。伺うようにそおっと、部屋のあちこちを探索し、もぐりこめるスペースにはもぐりこんでは、一声ニャアと鳴いてから出てくる。そんな動きを1時間くらいつづけて、それですこしは落ち着いたのか、ようやく水をピチャピチャと飲んだ。
水を飲んで、それから、設置しておいたトイレを使った。<ねこや>で躾けてくれてあったので、同じトイレ砂を使えば、匂いでそこだとわかるらしい。
うんこを済ませると、俄然元気になった。ニャアニャア鳴きながら、部屋の体験を再開する。それでもまだおれたちへの警戒心は解いていないようで、抱こうとすると、バタバタッと暴れて、腕から逃れようとする。昼の不快な経験が、ちょっとしたトラウマになっているのだろうか。

夜中になって、猫はどんどん元気になり、しかし、やはり環境が急に変わったことにはまだ慣れていない様子で、しきりにニャアニャアと鳴声を上げる。
1時過ぎには眠ったのだが、猫の鳴声で、3時頃には目が覚めてしまった。けっきょく、猫の相手をしているうちに、そのまま夜が明けてしまった。

2007-8-23 金 晴

2007-08-25 10:44:46 | DIARY
今日はまた照りつける太陽に焦がされ、35度まで気温が上がった。眩しい暑い。それでも夜中から明け方になると、クーラーを消しても汗ばんで目が覚めてしまうということはない。もうすぐ、秋だ。

ここ数日の“躁状態”の疲労が溜まったのか、今日は6時過ぎにいったん目が覚めるも、8時になるまで身体を起こすことができなかった。ベッドのうえでノタノタと過ごした。
8時過ぎに起床して、パソコンをたちあげ、しばらくいつもの周回コースを周った。しかし、なかなか文章が頭に入ってこない。誰のどのエントリーを読んでも、ふと気づくと文意がつかめていないことに気づき、もういちど最初から読み直すというようなことを何度かくりかえし、けっきょく途中で諦める。
どうも身体に違和感がある。どこがどうということはないが、腹が膨れているような、栄養が足りていないような、運動神経が麻痺しかかっているような、とにかく自分の身体が自分のものじゃないみたいな不如意な感じがある。

朝飯は粥と冷奴。昼食は大豆クッキー。
11時頃家を出て、ヒルトンに向かった。クライアントとあって、“仕事100%”の打合せを、30分した。ふだんの雑談交じりの打ち合わせなら、2時間はかかる内容だ。効率よく仕事をしようと思えば、ふだんの四分の一には、時間を短縮できるということである。まあ、効率よく仕事をしよう、などとはこれからさきもたぶん思わないだろうが。
今日は、たまたま、おれに次の仕事の予定があって、こうなった。先方の担当者に「Mさん、いつもと違う~、つまんない~」と言われる。その担当者は、そろそろ会社にも倦んできた入社3年目の女の子で、おれとの“打ち合わせ”が、「いちばんいいリフレッシュになる」のだそうだ。
つづいて、某悪徳弁護士事務所に場所を移し、“調査”の仕事をひとつ請ける。仕事の内容について、「これって、違法なんじゃないですか?」と聞くと、「裁判で違法と裁定されない限りは違法ではないんだよ」と言われる。

夕方、喫茶店で、ノートを広げて、今請けた仕事の段取りを考える。しかしやはり集中して考えることができず、けっきょくヘッドフォンから流れてくるケイト・ブッシュのベストに聴き入って過ごしてしまった。
6時半頃家に帰った。
夕飯は、豚肉の炒め物と野菜炒め、それに五色納豆。たんぱく質に餓えていたこともあり、じつに美味しく感じられる。
今日は筋トレを一日休むことにする。12時過ぎ、就寝。

2007-8-23 雨-曇

2007-08-24 10:27:33 | DIARY
このところずっとクーラー点けっ放しで寝ているのだが、今日は朝起きたら、寒くて布団をかぶっていた。クーラーを消し、窓を開けてみると、おおっ涼しいっ!久しぶりに外気が涼しく感じる朝だった。天気予報によれば、まだしばらく残暑はつづくそうで、この涼しい朝も今日限りということらしい。しかし、確実に秋は近づいてきている。ふっふっふ。

7時半頃起床。朝飯は、粥とサラダ。日記を書いて、ついでにネットを周り、9時過ぎには家を出た。
名駅のドトールで山口昌男『「挫折」の昭和史』上巻を読み終え、下巻に入る。2章分を残して、午前中が終わった。
毎食後に飲んでいる薬を忘れたため、いったん家に帰り、スナックだけの昼食を食べ、薬を飲む。注文してあった本棚が届いていたので、梱包を解き、設置してから、ふたたび家を出た。

久しぶりに友人のSと会った。すこし仕事の話をして、雑談をして、ヒルトンのカフェで2時間過ごした。
Sは、明日からしばらく沖縄に行くという。仕事が2割、遊びが8割ということだった。やっぱり、仕事:遊び=2:8くらいが適度な感じだよね、と話した。その仕事の中身も、8割くらいは遊びの要素が入っていないとやる気にならないから、適度な“純仕事”の割合は、2割の2割、つまり0.2×0.2=0.04ということになる。おれたちが耐えられる“純仕事”は人生の4%というわけだ。
その後、名駅までタクシーに乗り、すこし用事があって、近鉄パッセを通った。ここは客のほとんどが10代か20代初めの女の子で、いかにも「ポップティーン」を愛読していそうな女の子が群れをなしている。
Sが「Mさん、ロリコンでしょう、こういうの見てるとうずうずするんじゃない?」と言う。「かたっぱしから犯したくなるね」と答えておく。

その後、喫茶店で本を読み終え、すこし早めに家に帰った。帰ったら、Iが本棚の整理を終えていた。
夕食はトウモロコシと野菜炒め。
食後、すこしのあいだベッドに横たわり、それからIとセックスした。
テレビを眺めつつ、日課の筋トレをし、その後20分間ゲルマ風呂に浸かる。これも最近の日課になっている。
眠るまでの間、バッハの管弦楽組曲第一番~第四番(ラ・ストラヴァガンツァ・ケルン/有田正弘)を聴きながら、読書メモを取って過ごした。
2時前に就寝。


<読書メモ>山口昌男『「挫折」の昭和史』

●「本書は、そもそも、昭和六年の満州という舞台ではじめは肝胆相照らし、高度の協力関係にあると見られた二人の軍人分化の担い手が、それぞれの形で挫折していく過程をたどるべくはじめられた。その発端に導入されたのが甘粕正彦であり、後半から終末に至る部分に登場したのは石原莞爾であった。」下巻P261

●「もともと本書の発端は、ベルトリッチの映画「ラストエンペラー」の中の甘粕正彦の満映理事長室の背景を構成していたアール・デコ風の壁画に対する関心にはじまった。もちろん映画の中のデコールであるからフィクションであることはわかり切ったことである。しかし、ベルトリッチがどうして、甘粕と三十年代モダニズムを結びつけたのか、偶然であったか、それとも必然に転じうるのかという疑問を、自分の探索によってたしかめてみようとしたのが、この試みの発端となった。もちろん甘粕の執務室にはそのようなものはなかったが、甘粕の満映には、映画のモダニズムの最良の部分が流入し、この知的・芸術的空間が、岡田桑三を介して、『FRONT』の東方社を経て、1930年代の最も刺戟に満ちた実験的知につながることが、系譜学的にたしかめられた。この系譜は甘粕正彦-内田吐夢-大塚有章-岡田桑三-林達夫-岡正雄-東方社-日本工房という風に、戦時下に知的挫折を遂げながら、それを逆手にとってユニークな仕事をした芸術家、知識人たちに繋がる。」下巻P262

●「石原莞爾を喚起したいきさつは、石原が冨塚清にコンタクトを取ろうとした背景を探るためであった。それは、石原の最終戦争論における地球を軽く一周する航空機に対する関心に由来するものであることが間もなく明らかになった。しかし、そうでなくても、一種とぼけた処世の態度において石原と富塚には相通ずるところがあったと言える。石原は決して世にいう芸術愛好家ではない。しかし、その蔵書からも推しはかられるように体系的学問に対しては異常な嗅覚を持っていた。日蓮への信仰も介して、文明史について体系的な感想を抱いていた。この点では甘粕の対極にあると言える。傑出した人間を見抜く目があったから、領域を問わずあらゆるジャンルの人たちと親交を結ぶに至った。
石原-小沢開作-繆斌-東久邇宮-三笠宮
石原-浅原健三-竹中英太郎
石原-岡部平太-牛島辰熊
石原-中川小十郎-愚庵-清水次郎長
石原-今田新太郎-津野田知重-牛島辰熊-曹寧柱-大山倍達
石原-里見岸雄-北原龍雄(アルス)―大川周明・大杉栄
石原-伊達順之助
このように石原のコネクションは、一本の糸でたぐることが不可能で、あらゆる方向に開かれている。」下巻P263

●「これらの人間関係は戦後、敗戦ショックで見失われてしまっていたけれども、丹念に繋いでみると、戦時下の、誰もが苦しんでいた時期の、知的感受性の歴史の匿れた水脈を構成していることがわかる。戦時の怒号のディスクールを介しては表面化することはなかったし、戦後においては、戦犯告発という別の怒号によってかき消されていた。
歴史の流れの中には、それぞれの時代において、秘かに、時には言葉を介しないで生きられるプラクシス(行為の規範)が存在する。時にはそれは無意識を介して共鳴しあったり共有されたりする。充分言葉にならない神話のようなものであるかも知れない。戦前の昭和は、大正から、そのような感受性を受け継いだ。
しかし、戦前昭和の公的言説体系は、そうした感受性を挫折に追いやる方向で構築され、それは方向を変えて戦後にも生き続けた。敗戦までの昭和は、これまで検討して来たように、昭和モダニズムに見られるようなこの時代が育んで来た最良質の部分を挫折させることにより、自らの可能性を断ってしまった。従って、戦争に敗北することによって招来した破滅を、我々は「挫折」と区別して使いたい。この二つを混同してはならない。我々の使う意味での「挫折」とは、あくまでも、より良質の知的・芸術的可能性の開花が妨げられることであり、権力の上に立つことに失敗するといった世俗的な事象とはほとんど無関係である。従って、その生涯に同情的であっても、また人間としての魅力を認めても、我々は甘粕正彦の挫折ということは口にしない。
今日、我々が「挫折」を介して見つめようとするのは、控え目で壊れやすい知のネットワークの、ほとんど神話的と言ってよいつながりであると言えるのかもしれない。つまり時代の挫折した部分の検討を通して、はじめて昭和が何であったのかということが少しずつ明らかになって来るのである。さらに言い換えれば、幕藩体制の呪縛を払いのける可能性の在りどころが見えてくるのである。」下巻P264

●「そうした知のダンディズムが何処から来たのかを考えると、戊辰戦争、明治維新後の薩長中心の新秩序において排除された江戸町民のダンディズムが浮かび上がってくる。ダンディズムは頽廃(デカダンス)と結びつき易いが、それは階層秩序に編制されること、分類されて上下関係の網の目に組み込まれることを拒否して、自らを開かれた状態に置いておく精神に基づいていることに由来するものであろう。
秩序に対しても、人に対しても、自然および環境に対して開かれた状態に置いて置く精神の技術こそ、薩長中心の藩閥体制に飼いならされて来た近代の日本人の人びとの最も不得意な、あるいは全く欠如しているものと言える。今日、日本出身の人間たちはこうした欠陥の故に、国内においても国外においても、その柔軟性の欠如の故に、至るところで行きづまりの状態に達している。
昭和モダニズムを含めて、日本近代で一度政治的に敗北したか、あるいは近代の隊列から横へ足を踏み出した人物たちの中に、日本人の生き方のもう一つの可能性を探り出せる鍵が秘められているのではないか、という目的を設定して書き進めてみたのが、本書である。」P394

●目次。
1.「挫折」の昭和史―エノケンから甘粕正彦まで
白井鐵造と甘粕正彦のフランス
白井・エノケン・ロッパ
満映の甘粕と「私の鶯」
昭和の神話空間としての満州
岡正雄と林達夫
東方社・「FRONT」という磁場
新劇人山川幸世と東方の秦豊吉
グラフィック・デザイナー原弘
コスモポリタン岡田桑三
自分のうちに埋もれた歴史
2.戦争と“知識人”―名取洋之助から富塚清へ
名取洋之助の活動
日本工房の人々
対外文化宣伝活動としての雑誌
名取洋之助と岩波書店
林達夫の知的ダンディズムの射程
間奏曲-三つのいたずら霊
富塚清の場合
回想録を手がかりに
戦時中の知識人として
モダニズムという光景
3.スポーツ帝国(一)―小泉信三とテニス
小泉信三とテニス
岩波書店と小泉
平沼亮三との関係
戦前・戦中の小泉
戦後の文化人批判
小泉と戦後のメディア
小泉のなかのスポーツ
軽井沢のテニスの光景
4.スポーツの帝国(二)―岡部平太の“満州”
岡部平太のアメリカ体験
岡部平太の「満州」
日本初の国際スポーツ大会、日仏対抗陸上競技会
満州事変の影
さまざまな岡部像を超えて
むすびにかえて
5.絵師と将軍
絵師竹中平太郎
浅原健三の水脈
竹中の周辺-牛原虚彦・美濃部長行
小山勝清と『少年倶楽部』
橋本健三と高群逸枝
下中彌三郎と平凡社の周辺
雑誌『苦楽』のモダニズム
山名文夫と英太郎
『新青年』・乱歩・久作
絵師と将軍
満州時代の英太郎
6.ダダイストのような将軍の肖像
メタ軍人石原莞爾
石原の精神形成
青年石原
里見岸雄と田中智学
ベルリン時代の石原
満州時代の人的背景
花谷正と石原イズム
都市ハルビン
郡司次郎正の「満州事変」
7.「夕陽将軍」の影
駒井徳三の「満州」
満州事変頃の石原莞爾
「満州国」建国と大同学院
衛藤利夫の軌跡
笠木良明のサイドから
于冲漢と石原莞爾
自治指導部と資政局
協和会
満州と北海道
民間人と満州
駒井の後半生の活動
8.読書する軍人
さまざまなる石原像を超えて
昭和七年、石原、満州を去る
永田鉄山
宇垣組閣反対運動の深層
林内閣の人脈
建国大学の夢、或いは今日の大学批判
孤立する石原
9.実験的な<知>の系譜学へ
浅原逮捕-東条の影
帰国後の石原
東条暗殺未遂事件
石原のスポーツ・コネクション
昭和天皇と石原莞爾―繆斌事件
石原の死と大川周明
補論・将軍の蔵書
おわりに-甘粕にはじまり石原に終わる
補遺1 知のダンディズム再考―「エロ事師」たちの精神史
ジュール・シェレ展からの旅
不思議な二冊の古書
トリックスター梅原北明
梅原北明と浅草空間
梅原の『文芸市場』の位置
好色の出版文化
F・シャンソールの水脈
影の精神史-知のダンディズム再考
補遺2 モダニズムと地方都市
1.北の建築家
五歳の頃のある遭遇
田中義也とライト
北海道のモダニズム建築
建築と文化人類学
2.金沢の1920-30年代
映画の地方モダニズム
昭和モダン展1920-40
洒落た「染色破風壁掛」

※現代史からなんらかの“ネットワーク”を抽出するには、そのネットワークが結ばれる動因となった、それぞれの人物たちのプラクシス(行動の規範)が、いったいどんな性質のもので、どんな歴史的経緯のなかにあるものなのか、まずはそのことを感じ取ることがなにより重要なポイントであろう。
そして、その“ネットワーク”は、いったい何を実現し、何を実現しえなかったのか、その達成と挫折のありようを確認し、そのネットワークが潜在的にもっていたあらゆる可能性をあらいだしてみると、あるいはそこに私自身の未来へ繋がりうる可能性も見いだせるのではないか。
もしそうなら、私自身、時を超えて、“彼ら”のネットワークに参加し、そこにはらまれていた可能性を実現することができるということになる。“彼ら”の実現しえなかった可能性を受け継ぎ、歴史の流れを変えることができるかもしれない、ということになる。

2007-8-22 水 曇

2007-08-23 08:32:46 | DIARY
昨日寝たのは夜中の3時頃だったと思う。今日目が覚めたのは7時頃。昨日もあまり眠っていないし、あきらかに睡眠が足りていないはずなのだが、体調はすこぶるいい。ときどきこういう躁状態が訪れることがある。“循環気質”ということかもしれないが、しかし、躁状態は巡ってきても、鬱を自覚することはまったくない。平穏な時間と祝祭的な時間が循環しているようだ。なんというか、つくづく幸せな男である。

朝飯は昨日送ってもらった野菜と買い置きの野菜で豪華なサラダを作って食べた。
昼飯はインスタントのワンタンスープに中華そばの玉と野菜を入れて煮た、自家製ラーメンを食べた。
朝から3時過ぎまで、ずっとPCに向かって、仕事をする。仕事を始める前に、心に抵抗があって、1時間くらい音楽を聴きながら、じりじりして過ごした。それでとにかく始めてみると、やはりなかなか集中することができず、効率の悪い仕事になった。それでもやはり「とにかく始めること」が重要なのだ。

3時過ぎから家を出て、名駅の喫茶店で、山口昌男『「挫折」の昭和史』の上巻を読む。一章を残して、家に帰った。
夕飯は、土鍋で茹でた玉蜀黍(とうもろこし)と、南瓜。それだけの食卓だったが、これがふたつとも実に甘くて瑞々しくて美味かった。

夜は、テレビを眺めつつ、1時間の筋トレ。そろそろ効果がはっきり自覚できてきた。身体がしまってきたように思う。
『寺田寅彦随筆集』の2巻を読み始め、100ページほど読み進む。
12時過ぎに就寝。

2007-8-21 火 晴

2007-08-22 09:22:22 | DIARY
5時半ごろ目が覚めて、そのまま寝付けなくなったので起きだし、耕治人『そうかもしれない』を読みはじめた。しばらくすると、おれが起きている気配に気づいたIも目を覚ましてしまったようなので、もういちどベッドに戻り、そのままセックスした。
セックスの後、ときどき訪れる深い眠りを2、30分貪り、しかし目が覚めたら眠気が散って目が冴えてしまったので、ふたたびひとりでこそっと起き出し、読書に戻った。
耕治人のことは、少し前に読んだ、高橋源一郎と佐藤友哉の対談のなかで、高橋源一郎が耕治人のことを「闘っている私小説作家」だと誉め、佐藤友哉に読むことを進めているのを読んで、その存在を知った。
『そうかもしれない』を読んでいて、なるほど「闘ってる」という感想をもった。何を守るためにどんな敵と闘っているのかは、今、簡単に言い当てることはできないが。

本を一冊読み終えてもまだ8時半。朝食に、ブロッコリー、きゅうり、セロリ、トマト、サラダ用カニカマのサラダをつくった。粥と食べる。

11時前に家を出て、まず大名古屋ビルのアルアビスで、マンゴーのシェイクを飲みながら、読みかけだった『ユリイカ』の怪談特集を読んだ。
それから、久しぶりに千種の正文館に行ってみようと思い立ち、JRに乗って千種に向かった。正文館では、すべての棚を、1時間くらいかけて見てまわり、高山宏『超人 高山宏のつくりかた』(NTT出版 2007)、山口昌男『「挫折」の昭和史』上・下巻(岩波書店 2005年)、樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書)、カート・ヴォネガット『国のない男』(金原瑞人訳 NHK出版 2007年)を購入した。
昼飯に、千種の公園のベンチで、大豆スナックを一袋食べ、それを昼飯にして、JRで名古屋駅に向かった。

名駅のドトールで、高山宏『超人 高山宏のつくりかた』を読み始める。高山宏を読むのは久しぶりだが、彼の抱えている過剰がそのまま饒舌のなかに溢れ出すような文体に、半ば酩酊するような興奮を味わった。
“知”の世界は、一歩足を踏み入れると、キーワードが別のキーワードに結びつき、固有名が固有名と響きあい、そのつながりの生成は“無限”につづくことが直観され、人はそこに眩暈を覚えるような興奮を味わうことになる。
ただし“無限を直観する”とは、見方を変えれば、すべての事象が等価となる空漠を体験するということでもあって、すなわち過剰に溢れる知の底には、つねに灼けるような空漠が確固としてあるということだ。
この空漠-過剰に一身を投じるのは、まさに魔のなせる業と言えるのだろう。高山宏が自身を“学魔”と称する所以である。
バッハを聴きながら読んでいたのだが(読書のB.G.M.はやはりバッハに限る)、興奮して、足が勝手にリズムを刻んでいた。

6時半頃、家に帰った。Iがうなぎが食べたいというので、近くのスーパーに買いに行ったらうなぎは売り切れていた。時間を見ると、7時を回るところだ。まだ間に合うと思い、高島屋まで歩き、フードフロアでうなぎを手に入れて帰った。
夕飯は、うなぎの蒲焼と、素麺と、5色納豆。
夜、クール宅急便で、北海道に住んでいるIのいとこから、とうもろこしやじゃがいも、パプリカ、トマトといった、いかにも美味しそうな、こちらではなかなか手に入らない立派な野菜が贈られてきた。

夜は、読みかけだった『寺田寅彦随筆集』の一巻のつづきを読みはじめ、そのまま読み了えた。
2時過ぎ、Iとセックスしてから、眠りに就いた。