極薄特濃日記

無駄の2乗、無駄の3乗、無駄の4乗、無駄の5乗、…懲りることないくりかえし。

「間に合うこと」の重要性

2007-07-31 00:14:59 | Chance Operation
●ああ、暑い、だりぃなぁ、なーんもやる気になんねぇ…って、べつに暑いからってわけでもなく、年中そんなふうにぼやいている気もするのだが、といって、なーんもやらずに無聊を決めて生計が成り立つほど恵まれてはいないので、とにかく金が流れてくるポイントをさがしつづけなければならない、動きつづけなければならない、ここだ!と思ったところでなりふりかまわず手を突っ込んで金を手にしなければならない、そのために、つい寝転びがちな海獣のような体に鞭打って、自分を騙しつつなんとか快活な体勢をとりつづけなければならない。
どうにも難儀なことであるが、そのためもあって、おれは、折にふれて、“武人”の言動に接し、だらけきった自分に渇を入れることにしている。ここでいう“武人”とは、“自らの身体に闘うための技を備えた人”という、とても広義の意味で言っているので、たとえば、スポーツ選手なども“武人”だし、棋士や雀士なんかも、あれはもはや“頭”で闘っているのではなく、“身体”で闘っているのだという意味で、“武人”ということになる。
ここ数年は、ずっと、古武術研究家の甲野善紀先生、雀鬼―桜井章一先生などの言動を、自らに活を入れるための拠り所としている。

●午前中、桜井章一『シーソーの「真ん中」に立つ方法』(TAKESHOBO2007年)を読んだ。
書かれていることは、彼がいつも語っていることと同じようなことである。それはそうだろう。“真理”はコロコロ変わったりはしない。いつもと同じようなことが書かれているのだが、説く相手が違えば、切り口にはいくらでもヴァリエーションがあり、だからいくらでも本が量産できるのだろうし、読者も、同じようなことが書かれているのはわかっていても、読むたびに、その同じようなことが別の光源から照らされるのをみて、より理解が深まるような気になり、それで同じようなことでもくりかえし反復して読むことになる。
桜井章一はよく、「間に合うこと」の重要性を語る。
何であれ、何かを為すために、もっとも重要なことは何か。それは、一定の速度―リズムにのって事を進め、タイミングを捉える、ということである。そのためには、立ちどまって考えていては遅れてしまう、現実はつねに思考よりも速く変化する、その変化を“考える”ことはできない、だから“考える”のではなく“感じる”ことが重要になる。…
この本でも、そのことが、くりかえし強調されていた。

―「気づいたことは、瞬間に行動に移す。
行動すると、さらに気づきが増える。
そうすれば、自然といろいろなことに間に合う。
『ピンと来る』という勘や感覚を研ぎ澄ませていくと、『何となく』『いつのまにか』良い方を選択する無意識のレベルの状態に、スーッと入っていけるものなのです。」

―「『武』のある人は、運動神経からくる素早さで、物事を瞬時に理解する能力があります。一方、知識の『文』から入る人は、どうしても物事の解決に時間がかかってしまうものなのです。
『武』の方は『瞬間』です。瞬間の能力、瞬間の決断力は本当に強いものですし、判断も正しいことが多い。
だから、日頃から瞬間で動くようにしていれば、勘もよく当たるのです。
世の中に科学や知識で解決できないことは、数え切れないほどありますが、『武』を鍛えて瞬間力を育めば、ほとんどの問題は解決できるようになるのです。」

―「『瞬間』とは、ひとつのことに囚われず、執着しないことです。『瞬間』でやっていくと、自分の良いところ、悪いところすべてがスピードに追われて表に出て、ごまかしがきかなくなります。
それで、もしも悪いところがあれば直せばいいだけの話なのです。
本人が自分の悪さに気付けば、その周囲も良い気分になり、手を貸しやすくなるものです。自分の非を非と認めた瞬間、何らかの救いの手も伸びてきます。それなのに自覚も反省もせず、『助けて』『直して』と言うのは、ただの身勝手ですよね。
ありのままを隠さず『素直』に瞬間で出し、『勇気』を持って非を認める。
鳴れないうちは、ありのままに瞬間でやると、直視したくない壊れた姿が出てくるかもしれません。でも、それを続けていくことが、人間本来の自然な姿を取り戻すことにもなるのです。」

●本を読み終え、毎日周回しているサイトを見ていたら、糸井重里が「ほぼ日」の「今日のダーリン」のなかで、こんなことを書いていた。ここで糸井重里が言っているのは、やはり「間に合う」ことの重要性に繋がるようなことだろう。

―「いいにつけわるいにつけ、変化しないものごとというのはありません。ついつい、目でものを見ようとすると、対象を静止させた状態で観察してしまいます。止めて見て見えるものは、限られているのですが、止めて見たほうが「じっくり見られる」ような気がして、 考え深い人ほど、そうしてしまうようです。(中略)
「変化のなかで、変化を見る」ことを、かなり自分に言い聞かせてないと、ついつい「静止画像」を凝視しちゃうんだよなぁ‥‥ なんてことをね、つくづく思ってました。」

詩と神様は死んだふりをしていればいいのである

2007-07-29 20:59:53 | Chance Operation
●昨日、デパ地下で、鰻が安く売っていた。土用の丑の日ということで、一匹1200円だった。これが安いのかどうか、普段鰻など鰻屋でしか食べないからわからないが、まあ安いのだろう。二匹買って、ついでに寄ったスーパーで、スイカがこれも一個1200円で売っていたのを買って、よろよろと家に帰った。
鰻は、日本酒をかけてレンジで温め、山椒の粉をふって、アツアツのご飯にのせ、鰻丼にした。べつにとりたてて「精をつけよう」と意気込んだわけでもないのだが、そういえば、昨日の夜と今日の朝、続けてIとセックスになった。鰻が作用したのだろうか。
鰻を食べた後は、スイカを切って食べた。けっこう大きな玉だったのだが、ふたりで半個、一気に食べた。スイカというのは、腹いっぱいになるまで、ひたすらシャクシャクと食べるのが正しい。どれだけ水を飲んでもなんだか体が渇いているようなとき、腹いっぱいスイカを食べると、その渇きが癒えるのがわかる。

●今日も暑かった。炎天下のなかを、Iとふたりで、県の図書館まで借りていた本を返しに行った。12時過ぎに家を出て、40分、歩いて行った。Iは、服の下、腹の周りから太腿にかけて、ダイエットスーツを着込んでいて、ジャージのパンツが、まるでそのまま水の中に浸かったかのように汗まみれになっていた。
帰り道、円頓寺の商店街を通ったら、「円頓寺七夕祭り」という商店街の夏祭りがやっていた。アーケードの天井に、人の大きさほどの手作りの張りぼてが、何十個か吊り下げられている。昔ながらの屋台もたくさん出店していて、普段はほとんど人気のない商店街なのだが、今日はけっこう賑わっていた。
屋台を眺めていくと、いかにもテキヤの親父といったおっさんに混じって、十代か、せいぜい二十歳くらいの、いかにもギャル風の女の子が店番をしている店がある。それが、1店だけかと思ったら、3、4店に1店くらいの割で、店番がギャルなのである。
この屋台、じつはテキヤじゃなくて、商店街の振興会か何かがやっていて、あのギャルたちは、ここの娘か何かなんだろうか、それとも、テキヤが家族で巡業しているのだろうか、などと埒もないことをぼんやりと考えながら歩いた。
10年前なら、迷わず声をかけて、本人に訊くところである。その流れでなしくずしにナンパしたところであるが、さすがに40歳になると、ギャルをナンパするというのは無理がある。ナンパというより、援助交際のもちかけになってしまう(じっさい、30歳のときでも、すでにかなり無理があったように思うのだが)。

●家に帰って、とりあえずシャワー。汗を流し、麦茶をガブガブ飲んで、ベッドの上に横になった。窓を開けると、風が流れ、その流れを感じていると、冷たい川に身を浸しているようで、最高に気持ちがよく、しばらくうつらうつらまどろんで過ごした。
そのまま、ベッドの上で、田村隆一『ジャスト・イエスタデー』(小沢書店1978年)を読んだ。大須の古本屋で100円で手に入れた本だ。
田村隆一のエッセイは、濃密で詩的な文章と、軽い散文とが、一篇のなかに、とくにまとまりもなく散りばめられているような、ぶっきらぼうな印象がある。そのぶっきらぼうなたたずまいが格好よく、読んでいてとても“読み心地”がいい。

―世界が灰になったおかげで
ぼくらもう生きた言葉を使わなくてもいい
経済用語と政治的言語とで
夜はたちまちすぎて行くのだから
詩と神様は死んだふりをしていればいいのである
―P155「灰色の菫」より一部抜粋

●今日は参議院選挙があったらしい。民放は、すべて、選挙の特番がやっている。自民党がボロ負け、民主党が一人勝ち、与野党逆転の結果になったようだ。
“政治”に興味がないわけではない。だが、今、政治的に“問題”とされているようなことのほとんどには、あまり興味がない。“問題”の立て方が違っているように思うのだ。だが、では、自分ならどう“問題”を立てていくのか、その知見が、いまのおれにはない。
選挙は、面倒なのでいかなかった。

起こらなかったことを、おもいだす

2007-07-28 23:17:32 | Chance Operation
●おれは詐欺師なので、おれが一生懸命働くと、その分被害者の方が増える。おれは詐欺師だが、根が善人でもあるので、できるだけ被害者の方を増やさないよう、普段あまり働かないことにしている。清貧の詐欺師である。
しかし、そうは言っても、背に腹は変えられず、ここしばらくは意に反してかなりのハードワークをこなしている。騙された人たちには申し訳なく思う。数ヶ月食いつなぐだけの金が手に入ったので、またしばくはぶらぶら遊んで過ごします、と殊勝な気持ちになりつつ、いよいよ梅雨が明けました、というテレビの天気予報が流れてくるのに、耳をそばだてる。
夕方7時前、ベッドに寝転んで、窓から入ってくる残照をたよりに、本を読みつつ、隣の部屋から流れてくる、点けっ放しのテレビの音をなんとなく気にしていたのである。
天気予報によれば、今年は猛暑だという前評判だったけれど、ここにきて、そんなに暑くはならないのではないか、と予測が変わってきたようで、どうやら“平年並み”に落ち着くらしい。
“平年並み”か、ととりあえずホッとするものの、しかし、名古屋の夏は、“平年”であっても、蒸し蒸しとして、ひどく過ごしにくいことにかわりはない。おれは体質的にクーラーが苦手なので、滅多なことではクーラーをかけたまま眠りにつくということはない。夏は、だから、いつも寝不足気味で、ぼうっと過ごすことになる。
数十分、車を走らせて、岐阜辺りのキャンプ場に行けば、夏でも夜はぐっすり眠れるくらいには涼しく、どうせプー太郎のような生活をしているのだから、その特権を活かして、夏の間は涼しく過ごせる場所に居を移せばいい、と、毎年、来年こそは、と思うのだが、いつものごとく思うだけで実行には移さない。
今年もまた、脳をしゅうまいのように蒸しあげられて、ぼうっと過ごすことになるのだろう。

●窓辺の残照をたよって本を読んでいたのは、“そこまで貧乏”だからではなく、夏の夕暮れから宵の口にかけての空の色合いの推移が好きだという、どちらかというと贅沢といってもいい、興趣を味わう心からそうしていた。
赤く焼けることもなく、昼のように明るくて、でも、空のどこにも太陽は見当たらず、気づいたときにはいつのまにか空全体の光が弱くなっていて、残っていた明るさも、すぐに濃紺の夜に溶け広がっていく。
夏の宵。本を読みながら、おれは、何かを思い出しそうになっていた。
たしか、保坂和志だったと思うのだが、誰かが、「いい小説というのは、読んでいるあいだ、その小説とは関係のないことを、次から次へと想起してしまうような、そんな体験をもたらしてくれる」、というような意味のことを、どこかに書いていたのを読んだことがある。
読んでいたのは、しかし、小説ではない。岸本佐知子『気になる部分』(白水社Uブックス2006年)である。前に一度一気に読んで、あまり面白くて一気に読んでしまったので、今度はじっくり読み返していたのである。やはり面白くて、けっきょく一気に読んでしまったのだが、その最後に所収されている一文、「あるようなないような、やっぱりあるような」というエッセイを読んでいて、さっき書いた「いい小説とは…」のくだりを連想した。
そのエッセイは、こんなふうに書き出されている。

●―「私は、川上弘美さんと一度もお会いしたことがない。川上さんの書かれたものが、私の知る川上さんのすべてだ。
それなのに、さいきん奇妙なことに気がついた。
一度も会ったことがないのに、一緒にお酒を飲んだ記憶がある。それもありありと。差し向かいで。しみじみと。」
エッセイは、これ以降、“一度も会ったことのない相手”とのあいだに起こったこと、…つまりは、“じっさいは起こっていないこと”を、そのディティールにいたるまで次々と“思い出していく”、その想起の記述にあてられている。
―「店だってはっきりしている。Yという下町にある、会社帰りのサラリーマンで賑わう、カウンターとあとテーブル席がちょっとの、いわしのつみれが美味しい、そう、あの店だ。季節は初夏、まだ外が明るいほどの夕暮れ時だ。飲んだのは向こうが日本酒の冷や、私は焼酎ロック。(後略)」

●ある精神状態にあるとき、おれもよく、こんなふうに、“じっさいには起こらなかったことを、そのディティールにいたるまで、次々と思い出していく”ということがある。
おれの場合、それは、なにか、普段はまったく忘れているような、少年時代の断片的な細部を想い出すのをきっかけに、起こることが多い。
たとえば、中学校の校舎の中庭にあった小さな花壇、…おれはそこでミミズを掘っては、学校で飼っていた鶏の鶏舎に投げ入れ、数羽の鶏が、そのミミズを取り合い、引っ張り合って食い合うのを眺めるのを楽しんでいた。この情景を、おれは瞼の裏に、ほんとうにその時空のあらゆる細部にいたるまでを、ありありと構築することができるのである。
その時空は、もはやひとつの自律した世界であり、だから、おれはその世界のなかを、自在に移動することができることを直観し、試してみる。鶏舎からすこし離れて、右側に眼をやると、そこには、数本の松が立っていて、その下には、大きな松ぼっくりが、四つ、五つばかり落ちている。やはり、動ける。そして、視える。耳をそばだてれば、…ほら、聞くこともできる。あるいは触ることすら可能かもしれない(のだが、これはまだ試していない)。

●ミミズを鶏舎に放り込んでいたのは“事実”だが、鶏舎の右側に松が立っていてその下に松ぼっくりが落ちていたというのは、もう“事実”かどうか曖昧な領域にさしかかっている。もし“事実”でないとすれば、おれは、それらを想起しているのではなく、想像しているのだということになるが、しかし、主観的にはどうしてもそれらの事物を、おれは“思い出している”としか思えないのである。想像にありがちなぼんやりしたところがなく、松の木も、松ぼっくりも、たしかにそこに実在した、といえるようなリアリティを備えている。
目ざめたまま、夢を見ているようだ。いや、しかし、そう考えると、その細部の充実も、“奇妙なまでの”リアリティも、すべて夢の世界に通じるもののように思える。
目ざめたまま夢を見ている。
あるいは、夢を見るということは、一般的に、“じっさいに起こらなかったことの想起”のようなものとして経験されるものなのかもしれない、とも考えたりする。
その夢と同じ構造をもつ時空のなかで、明確な虚構の意志をもてば、ありえない人に会うこともできる。じっさいそのようにして、おれは、渋澤龍彦や、天皇裕仁に会ったことがある。
会って、何を話したかは覚えていない。たいしたことは話していないのだろう。
この辺りが、修行が足りないところである。そこで、彼らが話したがっていることを聞くことができるなら、おれは、“死者を召還する”能力を持つことになるのだろうが、まだ、そこまでの展がりはもてないでいる。

ゴシック

2007-07-25 00:12:02 | Chance Operation
●何もしないで過ごした、といっても、目覚めているかぎりは、ほんとうに何もしないで過ごすのは難しい。何かはしている。ぼんやりしていただけだよ、と言ったって、「ぼんやりする」というのは、ただひたすら何もしていないということではなく、特定の何かに集中することなく、とりとめのない時間を過ごしているということ言っているのであって、そのぼんやりしているあいだ、人は、テレビを眺めたり、音楽を聴いたり、菓子を食べたり、酒を飲んだり、本を開いて数ページ読んでみたり、うつらうつらしたり、そうした「取るに足りない雑然としたこと」をしている。記憶に残るほどのことは何もなく、だから後から振り返って、「何もしないでぼんやり過ごした」ということになるのだけれど、じっさいは、そうした「取るに足りない雑然としたこと」をして、時間を埋めている。

●午後、テレビを消して、島尾敏雄の日記『続・日の移ろい』(中公文庫1989年)をもち、ベッドのうえに坐った。『続・日の移ろい』は、島尾敏雄が奄美大島に住していた昭和48年頃の日記文学で、当時島尾敏雄は、まとまった文章を書くことができない、ある種の鬱状態にあったらしい。精神的な“病い”を患っていたという妻ミホとの関わりを中心にした記述を読んでいると、不思議と気持ちがしんとしてきて、書いてある内容は暗いのに、いっそ白々と明るい気分になる。そんな気分になりたくて、数十ページずつ読み進めているその本をもって、ベッドに行ったのだが、坐ったきり、窓から流れてくる風に身を浸し、遠くから聞こえてくる街の音を聞いていたら、そのまま1時間が経ってしまった。
ほんとうに、何もしないで過ごした。ほとんど瞑想状態といっていい、奇妙な浮遊感があった。

●昨夜、眠いのを堪えて、紀田順一郎『幻想と怪奇の時代』(松籟社2007年)を読み終えた。そして、2時過ぎ、ベッドに入ったのだが、久しぶりに、とても分かりやすい悪夢を見た。

戦後日本の海外幻想文学の翻訳出版を推進、オーガナイズしてきた第一人者紀田順一郎が、当時の海外幻想文学の翻訳出版の状況を、大伴昌司や荒俣宏らとの交流を回想しつつ語った回想録が一篇。海外幻想文学という、当時としては“特殊な”読み物に惹かれ惑溺した人びとをめぐる、“青春小説”のような文章で、読んでいて切ないような、とても幸福な気分になった。

その回想録をメインとして、それ以外のほとんどのページは、ゴシック文学の紹介で占められていたのだが、その影響もあったのかもしれない、ゴシックっぽいイメージがふんだんに出てきた悪夢だった。

そういえば、昔、ラブクラフトの小説(タイトルは忘れた)を読んで、その後午睡したときに、同じように、その小説の影響がとてもわかりやすい形で夢に出てきたことがあった。それは、「水に沈んだ廃村」といったイメージだった。
ゴシックの系譜にある小説を読んですぐ眠ると、なぜかそのイメージがなんの加工もされないまま、生のまま夢に出てくるのである。そういう“体質”なのだろうか。

●悪夢を見て、一度目が覚め、明け方二度寝しているとき、また別の夢を見た。何かのコンテストで(カラオケが全部歌えたら賞金が出る、というようなコンテストだった)、賞金が当たる夢を見た。賞金は五千万円だ。
やった、五千万円だ!、と思ったあたりで目が覚めた。しまった、目が覚めてしまった、と思い、…いや、…でも五千万はあるんだよな、と数十秒間、現実逃避して足掻いていた。

●ゴシックの世界観は、その舞台も人間も物語も、類型化したモチーフに支えられている。『幻想と怪奇の時代』から引用すると、例えば、その舞台となるのは、こんなモチーフだ。

《神秘、幽暗、恐怖の場としてのゴシックの城には、いたるところに秘密の通路、地下の納骨場、落とし戸などがあり、黴くさい鐘塔、仄暗い蝋燭の揺らめく礼拝堂、そこにたちこめる乳香、没薬の香り、薄幸の美女が幽閉される土牢、黒き水松の枝影に梟のひそむ深夜の墓場、蝮が子を産む夜の森といった趣向が配されることによって、独自の恐怖のパターンが完成する。》P90

《ウォルポールやラドクリフの小説に不可欠な、暗鬱な秘密を宿した城内の一室や地下の廊下、ぼろぼろのつづれ織りの掛けられた居間、埃をかぶった家具、謎の部屋へつづく階段、黒い大理石が敷きつめられたホール、錠前が怖ろしい響きをたてる扉などの“大道具”は、探偵小説に探偵と犯人が欠かせないように、不可欠なエレメントである。T・J・ホーリス=カーティスの『聖オズワイス寺院の古記録』には、魑魅魍魎で充満している、湿っぽく冷やりとしたホールが出てくる。『メルモス』にいたっては、古城、修道院、廃寺、癲狂院、審問官など、およそ“暗黒の中世”の風物の総展示場である。その他、デイカー夫人の『ゾフロイア』には、女中が閉じ込められる地下の洞窟が、R・M・ロッシェの『僧院の子どもたち』にも、関東の牧歌的な風景と対照的に、中心部分では荒れ果てた城や僧院など、アンティックな背景が重要な役割を果たす。》P112

こういう文章は、書き写しているだけでも、とても悦楽的だ。こうしたゴシックの類型化されたモチーフに、どうしようもなく惹かれる自分がいる。

50人分の「体験談」を捏造した

2007-07-21 12:33:43 | Chance Operation
●数日、仕事が立込んで、久しぶりに「忙しいな」と感じた。朝、といえる時間にはベッドを出て、喫茶店でモーニングを食べながら、メールチェックをして、それから事務所に向かう。

事務所は2つある。そのうち1つは、かなりアンダーグラウンドな仕事をやるところで、ぶっちゃけていえばほぼ“犯罪組織”である。そこで、おれは「“まっとうなカタギ”じゃないとやりづらい仕事」を担当している。もう1つの事務所は、かろうじて“まとも”といっていい仕事をやるところで、そこでのおれの役割は、「かなり“グレー”な部分を含んだ仕事」を遂行することにある。
不思議なもので、“犯罪組織”で仕事をしているときは、内容としてはほぼ犯罪を犯しているにもかかわらず、あまり悪いことをしている気にはならないのだが、“まともな事務所”で仕事をしているときは、たいしたことをしているわけでもないのに、なんだかとても危ういことをやっている気分になる。この感じは、自分の立ち位置からくる錯覚であろうが、まあ、“気分”なんてものは、概ね錯覚といっていいようなものなのかもしれない。

ここ数日は、“犯罪組織”で一件、すこし大がかりな“恐喝”の仕事があって、そのプラニングに関わり(いわゆる「絵を描く」という作業である)、“まともな事務所”で二件、これもまたすこし大がかりなプレゼンのための企画書作りと、もう一件は、ある健康食品会社の「お客様の声」の代筆という、かなりしょぼい仕事をやっていた。
大がかりな仕事が二件と、しょぼい仕事が一件。しかし、そのしょぼい仕事に、いちばん時間とエネルギーを取られたのだった。

《私はもともと太りやすい体質みたいで、ちょっと気を抜くと、すぐにお腹周りとか、二の腕とか、プヨプヨしてきちゃうんです。だからもう、体型維持するのがタイヘンなんですよ。ダイエットしてリバウンドしてダイエットしてリバウンドして、ずっとそんな繰り返しでした。そんなふうなんで、ダイエット、詳しいですよ、わたし(笑)。もう、ダイエットマニアですから(笑)。
けっきょく、どんなダイエット方法でも、続けることさえできれば、それなりに効果はあるんですよね。でも、この、続けるってのが、難しいんです。いや、意志が弱いって言われちゃうと、そうんなんですけど(笑)、でも、正当化するわけじゃないけど、やっぱりダイエットって、多かれ少なかれ無理してるんですよね。無理は続きませんよ。ダイエット本出したタレントが、その後またリバウンドしちゃったりとか、私、そういうのたくさん見てますからね(笑)。
たとえば、カロリーをカットするの、ありますよね。あれ、やってみると分かるんですけど、何の努力いらないようで、やっぱり体に負担はかけてると思うんですよ。一週間でなんとか3kgくらい痩せますよね。でも中断したとたん、2、3週間で戻っちゃうんです。まぁ、一週間で痩せて、2、3週間で戻ってって、それ繰り返せばそれでいいような気もするんですけどね。私もずっとそう思ってカロリーカット系のダイエット、高いのから安いのまで、いろいろやってました。でも、これって、絶対体には良くないですよね。
○○は、最初、カロリーカット系のサプリかなぁ、って、そう思ったんですよ。わたしのなかには、カロリーカット系か、運動系か、どちらかしかありませんでしたから。でも、よくよく知ってみると、そうじゃなかったんですね。それで、どんなもんなんだろ?って、とりあえず買ってみました。ちょっと高いけど、ダイエットマニアの私としては(笑)、試さずにはいられなかったんですね。一ヶ月やって何の効果もなかったら、それでやめちゃえばいいし。
で、試してみたんですけど、まず、食前に数粒食べるだけって、その簡単さがいいですよね。効果がどうか分からないうちも、とりあえず何の苦労もなく続けることができる。カロリーカット系のダイエットと違って、体にも、何の負担感もなくて。じっさいのところ、これ、効いてるの?とすら思いました、正直(笑)。
けっきょく、1ヶ月つづけて3kg痩せることができました。今までは、一週間無理して一気に3kg痩せて、維持できずにまたリバウンドしてって、そういうサイクルだったのが、一ヶ月で3kg痩せて、2ヶ月目でさらに1kg痩せることができました。計4kg。で、今、7ヶ月つづけてるんですけど、リバウンドもまったくありません。じっさいは、もう止めてもいいんですけどね(笑)、でも、お腹の感じとあと、肌の感じがすごく良くて、これも○○のおかげかも、って考えると、なかなか中断することができないでいますね。》

と、こんな「体験談」を、50人分書くのである。一人分が、約原稿用紙3枚分、1200字くらいの分量があって、書くのに15分くらいはかかる。それが50人分だから、15×50=750分=12時間30分かかることになる。いくら書きとばせばいいとはいっても、それでもぶっつづけで書けるものじゃない。けっきょく、気分としては、まるまる2日間費やしたような感じになった。それでいくらになるかというと、たった8万円である。……

●下らない文章を大量に書いていると、息抜きがしたくなり、バランスが取れるくらい大量の“下らなくない”文章が読みたくなる。それで、後藤明生『しんとく問答』(講談社1995年)を読み、町田康の初期の小説『くっすん大黒』(文芸春秋1997年)、『夫婦茶碗』(新潮社1998年)、『屈辱ポンチ』(文芸春秋1998年)、『きれぎれ』(文芸春秋2000年)を再読し、買ったままずっと未読だった四方田犬彦『モロッコ流謫』(新潮社2000年)を読んだ。

●散歩して、ダルマ書店に行ったら、100円均一セールをやっていて、全書籍が100円になっていた。閉店セールとは書いていなかったが、閉店するのだろうか。
昭和42年講談社発行の『われらの文学』というシリーズの、『小島信夫』の巻があったので、迷わず手に取った。「抱擁家族」「女流」「小銃」「殉教」「微笑」「馬」「アメリカン・スクール」「四十代」「郷里の言葉」「女の帽子」「自慢話」「十字街頭」「階段のあがりはな」「実感女性論」が収録されている。
それから、昭和48年筑摩書房発行の『現代日本文学大系』の『葛西善三・嘉村磯多・相馬泰三・川崎長太郎・宮地嘉六・木山捷平』『徳田秋聲』の巻、1991年筑摩書房発行の『ちくま日本文学全集』の『芥川龍之介』『梶井基次郎』『幸田露伴』『内田百』の巻もあわせて購入した。
これで700円。

小説の文章のことを考える

2007-07-18 11:50:50 | Chance Operation
●季節はずれの大型の台風が行き過ぎたと思ったら、新潟の沖で震度6を越える地震が起こった、とそんなテレビのニュースを眺めながら、Iの体調が悪かったので、2日間ずっと家にこもって看病していた。いや、看病といっても、傍にいただけのことである。おれなどは体調がすぐれないとひとりになりたくなる方なのだが、Iは違うらしく、傍にいて、ときどき手を繋いだり、添い寝したりしてやると、その方が身体を休めることができるらしい。固形物が食べられないというので、高島屋に行き、ゼリー、プリン、アイスクリームなどを買い込み、食べさせ、Iが寝ているあいだに、パソコンに向かって仕事をしたり、こそこそっとエロDVDを見たりして過ごした。

●川上弘美『溺レる』(文春文庫2002年)を読み返しながら、小説の文章のことを考えていた。
小説家は、文章が次の文章を産みだすようにして書き継ぎつつ、同時に、いかにして文章のなかに<事物>を定着するかということを考えている。
「文章が文章を産みだす」とはどんな事態か。ひとつの文章を書く。たとえば、なんでもいいが、「さやさや」から引くと、
―「うまい蝦蛄食いにいきましょうとメザキさんに言われて、ついていった。」という一文が、小説の冒頭に書かれる。
これに続く文章は、「えびみたいな虫みたいな色も冴えない、そういう食べ物だと思っていたが、連れていかれた店の蝦蛄がめっぽう美味だった。」となる。
さらに、すこし、引いてみよう。
―「殻のついたままの蝦蛄をさっとゆがいて、殻つきのまま供す。熱い熱いと言いながら殻を剥いて、ほの甘い身を醤油をつけずに食べる」。
ひとつめの文章で、「うまい蝦蛄」と書いた、これはその「うまい蝦蛄」という言葉の展開である。ただの説明ではない。ひとつめの文章では、「うまい蝦蛄を食いにいきましょうとメザキさんに言われて」までが、一呼吸となっている。「うまい蝦蛄」の展開のなかに、この「メザキさん」と食べている状況が含まれている。
文章は、次に、「それで、というでもないが、時間をすごした。帰れなくなった。」と転じる。これもしかし、「うまい蝦蛄食いにいきましょうとメザキさんに言われて、ついていった。」という、一文目からの、ありうべき展開である。「ついていった」という言葉から、「帰れなくなった」という言葉が産まれている。
―「気がつくと、電車どころか車もろくに通っていないような場所で、一軒だけある当の蝦蛄を食べさせる店がしまってからは、道沿いをいくら行ってもなにもない。ところどころに電柱があるのがかえって暗さを増す、そんなような道だった。今にも馬か牛がぬっと出てきそうな茂みや林があちらこちらにかたまっている、そんなような道だった。」
これは、ただ「さみしくて暗い道の説明文」ではなく、小説の文章になっている。
「小説の文章」というのは、言葉の択び方や、展開のさせ方が、ただ事象の説明ということにとどまっていない文章のことだ。事象の説明であれば、それで完結して終わりだが、小説の文章は、そのなかに、まだ展開しきれていない未完の予感を孕んでいる。ひとつの文章を書くとき、そこにある未完の予感が、次の文章を要請する。そのように、「文章が文章を産む」のである。

●小説には、なぜ人物が登場するのか、それは、人物を書けば、必ず、そこにこの「未完の予感」が孕まれることになるからだ。なぜなら、人物というのは、そもそも完結したものではありえず、関係のなかでしか存在しえないものだからだ。ひとりの人物をきちんと書く、とは、その人物が関わる人物を書く、ということであり、そうすれば、それは物語となる。

●小説を書くなら、まず、人と人との関係のありよう=世界のありようについて、強いモチーフを持つことが必要不可欠になる。
小説の言葉は、描写の言葉である。強いモチーフがあれば、そこに描出されるべき必要不可欠な<事物>がどういったものか、自然と浮かび上がってくるのではないか。

一年越しのプレイ

2007-07-16 16:46:30 | Chance Operation
●昨夜は激しい風雨が窓の外を吹き荒れ、それでというわけでもないが、なんとなく3時過ぎまで起きていた。
東海ローカルで、「ノブナガ」という、今田・東野がMCの深夜番組がある。その番組のなかで、人に言えない悩みの相談や、顔を出せない職業の人の裏話などを、匿名で電話で語るというコーナーがあるのだが、そこで昭和47年から続いているという老舗のスワッピング情報誌の編集者が出演した。その編集者の話に、とても興味深いエピソードがあった。
スワッピングの究極的な形で「レンタル妻」というのがあるらしい。夫婦が互いの妻を交換し、契約期間のあいだ、そのまま相手の妻を自分の妻とし、自分の妻を相手の妻として過ごすというのである。いや、それが一晩だけというなら、とりたててどうこういう話ではない、ただのスワッピングプレイというだけのことだが、驚いたのはその契約の期間がすごいのである。長くなると、一年に達するということすらあるというのだ。一年越しのプレイというわけである。これはすごい。最近ではどんな過激なプレイの話を聞いても、「ふぅん」と思うだけだったのが、久しぶりに想像力を刺戟された。

●朝9時過ぎ頃起きると、台風は関東の方へ通り抜けた後で、雨も止んでいた。
今日は、母の社交ダンスの発表会があって、大阪の帝国ホテルまで行かなくてはならなかった。昨日の天気予報では、ちょうど今日の朝くらいに、近畿から東海にかけて直撃するようなことを言っていたので、新幹線が動くか気がかりだったのだが、これならだいじょうぶだろう。そう思って名古屋駅に行ったら、大阪方面はだいじょうぶだったのだが、東京方面へ向かう電車は運休になっていて、駅にはいつ運転再開するか分からない電車を待つ人たちが、ところどころで群れをつくっていた。ホームに車座で座り、酒盛りをやっているオッサンたちもいた。

新大阪からJRを乗り換えて大阪駅、そこからタクシーに乗って、1時前には帝国ホテルに着いた。
ショーは1時半に始まり、アマチュアの演技、プロの演技、ゲストの演技と続き、7時過ぎまで5時間以上もつづく。ダンスのためのフロアを真ん中に、周囲に円テーブルが設置してあり、帝国ホテルのランチコースを食べながら、各出演者のダンスを鑑賞するのである。フレンチのコースは、「鴨のテリーヌ リンゴのコンフィチュールを添えて ハーフサラダと共に」「卵とパルメザンチーズの香るコンソメスープ “ミルファンテ”」「新鮮な舌平目のワイン蒸し 爽やかなトマトソース」「特選牛フィレ肉のローストと組み合わせの温野菜 マティラ酒香る芳醇なソースと共に」「ヨーグルトのブラマンジェ 森のフルーツと野菜のソース」の5皿だった。

おれは社交ダンスには興味がないので、いくらプロがすごいダンスを踊っても見せてくれても、「ああ、すごいな」と思うだけ、アマチュアがそれなりのダンスを踊っているのを見ても、「ああ、それなりだな」と思うだけで、さして感動するわけではない。
それでもダンスを見ているしかやることもないので眺めていると、ひたすら退屈というわけでもなく、ときどき「おっ」というような演者もいる。「おっ。この子、ものすごく顔が小さいな。腰周りがキュッと締まってて、最高のプロポーション。それでいてさすがにダンスのプロだけあって脚の筋肉はしっかりしている。カモシカのような脚ってのはこういうのを言うんだろうな。ほとんど裸に近いようなステージ衣裳。やっぱり自分の体に自信があるんだろうな」「おっ。この子は、なんというのか、ものすごく肉感的な体をしているな。筋肉でムチムチしてるって感じ。彼女のエネルギッシュなダンスを見ていると、こんなに遠いのにフェロモンが漂ってくるようだ。彼女もまた露出度の高いステージ衣裳。やっぱり自分の体に自信があるんだろう」……

●行き帰りの新幹線で、古谷実『わにとかげぎす』4巻(完結巻)(講談社2007年)、田邊剛『アウトサイダーズ』(エンターブレイン2007年)を読んだ。

おれはなぜしょっちゅう傘を失ってしまうのだろう

2007-07-15 00:06:53 | Chance Operation
●9時過ぎに目が覚めると、隣で寝ているIも目を覚ましたような気配がした。なんとなく手を繋いで、なんとなく体を触っているうちに、そのままセックスになった。
Iが上に乗って腰をふった。女性上位だと、ペニスに感じる刺激が小さくて、なかなか気持ちよくならない。それでいて、集中していると、ある時一気に昇りつめて、あっけなく射精してしまう。
朝食は、スクランブルエッグをつくり、ロールパンといっしょに食べた。日記をつけ、12時過ぎに家を出た。
家を出るとき、玄関で靴を履いていたら、Iが来て、「また傘減ってるじゃん、どこになくしてくるのよ、ったく」とぼやいている。反射的に「煩せぇなぁ」と思うが、そのまま口にすると、つまらないことで喧嘩になってしまう。思ったことをそのまま口にするのはNG、無視するのもNG、その場をつくろうためにおもねるような態度をとるとこっちが気分が悪い。こんなときはどうするべきか。一瞬ムッとした顔をした直後、一転“可愛い目”をして、Iの頭を抱き寄せ髪をくしゃくしゃと撫でるのである。ほとんどのフリクションはスキンシップが解消してくれる。
台風4号が近づいている。自転車くらいのゆっくりした速度で近づいているらしい。朝から、雨が強くなったり弱くなったりしながら、降りしきっている。濡れてもいいような格好(Tシャツにジャージ、スニーカー)をして、傘をもち、家を出た。それにしても、おれは、なぜしょっちゅう傘を失ってしまうのだろう。ぼんやりしてるからよ、と頭のなかでIが言う。

●県の図書館に寄り、借りていた本を返し、新しく4冊借りた。山城むつみ『転形期と思考』(講談社1999年)、鶴見俊輔『埴谷雄高』(講談社2005年)、武田秀夫『シネマの魔』(現代書簡1999年)、奥泉光『虚構まみれ』(青土社1998年)。
そのまま窓辺の閲覧席で、坪内祐三『三茶日記』(本の雑誌社2001年)を読んで過ごした。ふと目を上げると、窓の外は激しい雨で真っ暗になっていて、窓に自分の顔が映っている。自分の顔じゃないみたいに感じる。なんというか、いつもよりずっと男前だった。
夕方、図書館を出て、事務所に顔を出した。誰もいないかと思ったら、さっちゃんがいて、ひとりパソコンの画面に向かっていた。仕事をやっているらしい。「あ、Mさん、いいところに」と何か手伝わされそうな気配がしたので、先手を打って「あ、この後、おれ、面接あるんだけど」と嘘をついて、そそくさと事務所を後にした。さっちゃんに頼まれる仕事というのは、いつもたいてい細かな集中力が必要とされる、しかも激しい“つまらなさ”に耐えなければならないような仕事なのである。それにしても、おれは、何をしに事務所に寄ったんだろう。

●坪内祐三『三茶日記』の2000年1月3日の日記に「栗本慎一郎さんをみかけた」という記述を見つけた。
栗本慎一郎は1999年10月に脳梗塞で倒れているはずだから、その数ヵ月後ということになる。
1980年『幻想としての経済』(青土社)が出版されたとき、13歳、中学にあがったばかりのおれは、書かれていることのほとんどが分からないまま、しかし直観的に「ここに“すべて”に通じる知の門が開いている」と興奮したのを覚えている。以降、1988年に出版された『意味と生命-暗黙知理論から生命の量子論へ』(青土社)に至るまで、1980年代のほとんどを、おれは栗本慎一郎を我が導師と一人決めして、何度となくその著作を読み返し、彼が薦める著書を片っ端から読破していったのだった。
その栗本慎一郎の、病後の一場面が書かれていた。
《二時頃散歩に出て、三軒茶屋のサミットストア脇の路地から世田谷通りに向うと、駅の方から栗本慎一郎さんに似た人が杖をつきながら奥さんらしき人と共に歩いて来る。すれ違いざまにチラッと眺めるとやはり栗本さんだ。『東京人』時代に何度か仕事(対談やインタビュー)をお願いし、そのあとも山口(昌男)さんたちテニスをした仲だから、お久し振りです、と声を掛けようと思ったけれど、かえって気をつかわせてしまうかもしれないから、やめる。栗本さんたちは若林方向に進んで行く。私は駅近くのキャロットタワー脇のドトールコーヒーに入り、アメリカン・コーヒーを飲んでいると、十五分ぐらい経った頃、何と栗本さん夫妻が店に入って来て、私の隣の席に坐る。今度こそ挨拶しようかと思って、隣の席で読書している若いオネーチャンの頭越しに、栗本さんの方を盗み見ると、栗本さん、丁度、奥さんのチーズ・ケーキを、がばっと、フォークでつまみ食いをしようとしている所だ。そのけっこう幸福そうな姿に少し胸がキュンとなる。》P148―149

●野菜の天麩羅が食べたくなり、食材を買って帰った。インゲン、オクラ、オオバ、海苔、サツマイモ、玉ねぎと人参の掻揚げ、あとやはりエビを2尾。夕餉は、野菜の天麩羅と、ミョウガの千切りと鰹節と葱の小口切りが入った味噌汁(これがさっぱりして実に美味かった)、それにニンニクの紫蘇付けを付けてご飯を食べた。