極薄特濃日記

無駄の2乗、無駄の3乗、無駄の4乗、無駄の5乗、…懲りることないくりかえし。

2008/01/28 月

2008-01-30 23:41:55 | DIARY
●ここ数日集中して佐藤優の本を読み、検事官僚の生態に興味が向いたので、田中森一と宮崎学の対話を読み、佐藤優、田中森一両者の共著者である宮崎学の言葉に触れていたら、宮崎学の本がもっと読みたくなって、『右翼の言い分』『突破者の本音』と2冊続けて読んだ。『右翼の言い分』は宮崎学が全国の右翼民族派団体の代表に取材したインタビューをまとめた本で、取り上げられている団体は日本皇民党、一水会など、全部で14団体。

加藤紘一の「小泉首相は8月15日に靖国参拝にいくべきではない」という発言に対し、右翼民族派の団体に所属する堀米正広が、加藤の自宅に火を放ち、その後切腹して抗議の意を伝えたという「加藤邸焼き討ち事件」。メディアは、この事件の報道において、言論に対し暴力を振るうのはとにかくけしからん、という論調一色に染まっていた。「何があっても暴力は許されるべきではない」―今の日本社会のなかでは、この主張に異見を差し挟むのは難しい。しかし、やはり右翼民族派の方々は違う。宮崎学は、各団体の代表にこの事件の是非をどう思うか聞いているのだが、その問いに、ほとんどの方々が、「天誅である、私は堀米の行動を支持する」という旨の答を返しているのである。この「直接行動」も辞さない、「肉体言語」を肯定する、という彼らの基本姿勢は、今の日本の空気のなかでは、やはりかなりの異彩を放っていると言い得る。
日本の右翼民族派は、そのほとんどの団体が、親米反共を自らの立場としてきた。それでは、共産主義陣営が自壊した現在、右翼民族派団体もその役割を終えたのだろうか。たぶんそうなのだろう。例えば堀米正広が加藤紘一を的にかけたところで、政治の情勢を動かすだけの意味はない。しかし、その言説が失効していたとしても、彼らの存在までが否定されるべきものとは思わない。
彼らは政治手段としての“暴力”を肯定し、時と場合によっては自らその“暴力”の主体となるだけの覚悟を持っている。彼らは、自らの信念に殉じる覚悟を持って生きている。たとえ、その信念が失効していたとしても構わない。「でも、やるんだよ!」(@根本敬)の精神である。
その精神は、今の日本を覆っている空気には馴染まない、突出した異物として存在する。彼らの存在は、今の日本を覆っている空気の中で、異物として突出しているというそのことにおいて意味を持っているのだ。

●『突破者の本音』は、その右翼民族派、一水会の代表(1999年当時)鈴木邦夫との対談である。鈴木邦夫は、この対談の後書きで鈴木邦夫は「(この対談を通じて)自分の中の核と思ったものが突き崩されたようだ」として、「これがキッカケになって運動のすべてから手を引くことになるかもしれない」と書いている。そして、この対談がきっかけかどうかは知らないが、彼はこの言葉どおりこの後一水会の代表を木村三浩に委ね、自らは脱右翼を標榜するようになる。
この対談を読むと、鈴木邦夫が、迷い、考えながら発言しているのがわかる。一方、宮崎学の言葉には、そういった揺らぎがない。どちらがいいことなのかはわからないが、ただ、宮崎の、自らの立ち位置をはっきり定めたところから語られる確信に満ちた言葉には、やはり迫力がある。

宮崎学の基本的な主張は、「掟が法に優先する」という一語に貫かれている。掟とは何か。宮崎の挙げる例を引こう。
「昭和期に広く名の知られた弁護士正木ひろしの生き様は、それを示唆する一例である。正木は1937(昭和12)年から十年以上、個人雑誌『近きより』を発行し、誌上で痛烈に時局を批判し続けた変わりダネである。当然、削除や発禁などの処分を受けるが、弁護士の良心に基づいて、処分を覚悟で発行を続けた。
正木を有名にしたのは、戦時中の『首なし事件』である。被告の冤罪を晴らすために墓を暴き、見事立証して見せた。これにより、獄中につながれていた罪なき人は放免となったわけで、正木はいわば被告の人生を救ったのである。ところが、他人の墓の中を無許可に開ける行為は法に触れる。法律的に言えば有罪なのである。その結果、正木は懲戒処分を受けた。
それでも正木の行為が人々の胸を打ったのは、正木が弁護士としての掟に準じたからである。現実に目の前にいる弁護依頼人の被告が、正木には犯罪者に思えなかった。状況証拠からはクロであっても、長年の弁護士の勘がそれを否定した。このままでは、ぬれぎぬを着せられて有罪判決を受けるのは必至であった。何か決定的な証拠がないか―証拠さえあれば、被告はどこをどうひっくり返しても、潔白なのだ。そこで正木は、法律のプロでありながら法を犯して、首なし死体の墓を暴いたのである。墓を暴くにあたり、それがどういう行為かわかっていたはずだ。その後の自分が受けるであろう処分も、当然想像ついていただろう。
この時、
『私は法の番人ですから、どんなことがあっても法を犯すことはできません』
と主張する者もあるだろう。みすみす冤罪のまま被告を処刑台に昇らせても、弁護士として法を守った、と胸を張るような奴もいるかもしれない。私は弁護士ではないが、こういう人間にだけは、なりたくないと考える」。

宮崎学は、法などは、所詮は時の権力に制定された、お仕着せのイデオロギーにすぎないという考えがある。それに対して、掟とは、具体的な人間関係のなかで肉感的に実感できる、ほとんど生理的な次元での倫理のことである。
宮崎学の語るところをもうすこし引用する。
「当り前のことだが、法は時の権力によって制定される。制定に当たっては、権力の側の『正義』が優先する。だから、戦前にあった『治安維持法』や『破防法』は、その当時の『正義』ではあったが、戦後、権力の性質が変わって『正義』もまた変わってしまうと、こうした法は姿を消している。権力はいつの時代も、自分の『正義』を押しつける。この種の『正義』は、単に自分の側の主義主張にすぎず、これもまた所詮人間の考え出したことなのである。
しかし、権力が強化され、平行して法の力も強まってくると、人々は自分の掟を忘れ、法に盲従するようになる。その時、個は全体の中に埋没し、多数派として大所帯が実に効率よく働くようになるのである。
人が人としての掟を忘れた時、すでにその社会では腐敗が始まっている。これは国レベルの話に限定されない。掟よりも法を優先させる社会は、戦前・戦中の日本だったし、宮本顕治主導の日本共産党でもある。
若き日々、私は日本共産党に入り、掟より法を重んじる空気を吸った。だがどうしても、自分はそれになじめなかった。法より掟を優先するヤクザの血がそうさせるのか、とうとう飼い殺しにされるにはいたらず、組織を追い出されて幕となった。いうまでもなく、私は掟を大事にする人間である。多数派に入って個を埋没させる愚行は、二度と繰り返したくない。常に少数派の立場に立ち、今何が起こっているかを意識する覚悟にある。それにより、法を犯すことがあっても、それはそれでいいと思っている」。
法に「盲従」することが、「多数派に入って個を埋没させる」ことであり、それはファシズムに繋がる。逆に掟を重んじることは、「常に少数派の立場に立ち、今何が起こっているかを意識する覚悟」をもつ、つまり、自分の生理において状況を判断するということであり、それは各人が自律した個として生きることを意味する。
宮崎学は「人が人としての掟を忘れた時、すでにその社会では腐敗が始まっている」と言う。掟とは、人間が「自分はここに生きている」と実感できる人間関係のなかにおいてのみ生起するものなのである。

2008/01/27 日

2008-01-29 00:45:52 | DIARY
●ガスファンヒーターを消すと、暖まっていた部屋もすぐに冷え始めて、背筋をそくそくとした寒気が這い上がってくる。寒い。冬らしい寒さなのだが、最近では冬は冬らしくなく夏は夏らしくないので、ここ数日のように冬らしい寒さがつづくと、その“それっぽさ”がかえってリアリティがないような、倒錯的な気分にもなる。
風も強い。外を歩いていると、鞄を持った手が悴み、耳が凍ったようになって、移動手段の基本が“徒歩”のおれは、そんなときは歩速を速めて自家発電するのがせいぜいだ。あまり効果はない。寒暖が気にならない頃であれば、音楽を聴きながら、どれだけでも歩けるのだけれど、これだけ寒いと20分も歩けば身体が冷え切ってしまうので、震えがこないうちに適当に喫茶店に逃げ込むことになる。

ドトールでホットショコラをすすりながら、人心地つき、鞄から本を取り出す。アイリバーを操作して、スチャダラパーからアファナシエフに音楽を変え、読書に没頭する体勢を整える。
佐藤優『国家を斬る』(宮崎学コーディネイト 同時代社 2007年)。2007年に行われた佐藤優の講演が2つ、まとめられている。ひとつめの講演はJR東労組で行われたもの、ふたつめの講演は「警察・検察の横暴を許さない連帯運動」の主催で日本教育会館で行われたものだ。宮崎学は、ふたつめの講演での司会、質疑応答で登場する。

●日本の裁判で起訴された場合、99.9%の確立で有罪になる。これは先進国としては異様な数値だと言っていい。スターリン時代のソ連や北朝鮮の裁判より高い数字ということである。こうした異様な司法の現状下で、東京地検特捜部に国策捜査の的としてかけられた場合、自らの行動にまったく非がなかったとしても、まず有罪になる覚悟は決めなければならないということになる。勝つことはまったく期待できない、とすれば、あとは負け方をどうするか、ということでしかない。そしてその後、裁判以外の言論の場において、あるいは友人間での友人への“釈明”において、社会的に失地回復すればよいのである。

「あれは、奴らが作った奴らの法廷なのです。ところが僕には僕の友だちがいる。外務省の仲間たちがいる。あるいは有識者の仲間たちがいる。その人たちに、その人たちの法廷を持ってもらえばいいのです。彼らが見たこと、知っていること、私は正直に話します。もちろんそれに反するようなデータも集めて、いろいろな法廷で判断してもらって判決をもらえばいいのです。
そうしたら私の場合は、たまたま公の国の法廷は有罪なんですが、それ以外の私の持っている法廷は全部、無罪なのです。この国策操作に引っ掛けられてしまうと、そういった形で、社会的な形で復権していくというやり方しか、残念ながら、ないのかなという感じがするのです」。

「それで今回のこの『警察・検察の不法・横暴を許さない連帯運動』、結論から言うと負けると思います。国家権力に対して闘って勝つことはできない、という大前提からスタートしなければいけないと思うんですね。そうしたら問題は負け方です。ここも、社青同の原理主義的なところで、やはりマルクス・エンゲルス『共産党宣言』に帰ってきたわけです。プロレタリアートの闘いは負ける、と。負けるんだけどそこで重要なのは広がりゆく団結の輪である、と。こういうふうにマルクス・エンゲルスは言っているんですね。私はそこのところというのは非常に重要だと思うんです。どういう負け方をして、どういう団結、連帯をしていくかということだと思います」。

国家は個人に対し、時に不当な仕打ちをする。それが不当だと訴えても、国家を構成する“体制側”の司法に、正当な判断を求めることはできない。―「三権分立は嘘だとか何とか言いますけれども、国家権力は国家権力ですから、国家権力だって都合のいいときは三権分立で、都合がよくないときは権力というのは一体になってくるわけです。それ以上でもそれ以下でもない話なんですね」。国家と闘っても勝ち目はない。その裁きは裁きで受けるしかないのだ。しかし、そこで、国家の裁断を鵜呑みにすることのない人々との、オルタナティブな人間関係をもっていれば、その社会において生き延びることはできるのである。
国家はあてにならない、真の友人は頼りになる、ということである。

●「官僚というのは、これはもう昔からある。その根っこのところは共同体と共同体の関係だと私は見ているんです。柄谷行人さんに言われて気づいたのですが、共同体と共同体の関係で、一方の共同体が圧倒的に強いか、もう一つの共同体が弱いと、一方の共同体が他方の共同体の連中を捕まえて奴隷にして働かせる、これが国家の原型だと思うんです。ですからそこは基本的には暴力で、収奪なんですね。
それに対して、共同体と共同体の間が五分と五分か、あるいはその力の差というのがそれほどでもないという状況だと、戦いを始めてしまうと自分の痛手が大きいし、勝たないかもしれない。あるいは共倒れに終わるかもしれない。そういう状況では交換をするわけなんです。そこから出て来るのが商品なんです。ですからマルクスは、商品というのは共同体と共同体の間から現れる、と言っている。ですから共同体と共同体の間で交換が起きると社会になったわけで、共同体と共同体の間で征服が起きれば国家になる。こういうところに私は起源があるんじゃないかと見ています。
それから、『プロレタリアートとブルジョワジーの関係』というのは、それは基本的な階級対立はあります。この社会の中には。他方、官僚階級を相手にする場合は、結果として、資本家階級、労働者階級、地主階級の利害が一致する場合というのがあるわけなんです。ここのところも一つのポイントだと思います」。

佐藤優はここで、官僚階級を、公の利益に資する公僕としてではなく、独自の収奪階級であると位置づけている。ずっと外務官僚として勤務してきた佐藤優の実感なのかもしれない。
国家は、ひとつの共同体が大きく育って生まれたものではない。国家の成り立ちには、複数の共同体間の暴力的な闘争があって、現在の国家にも、その闘争の痕跡が強く残っている。この考え方はおもしろい。栗本慎一郎、小松和彦、吉本隆明のいくつかの著作を再読してみようと思いついた。柄谷行人『トランスクリティーク』も、そろそろ読まないといけない。
もう90分ほども300円のホットショコラ一杯で粘っている。アファナシエフのブラームスも終わって、ペンギン・カフェ・オーケストラがかかっている。そろそろ喫茶店を移った方がいいだろうなと思いつつ、けっきょくさらに30分ほど粘って、本を読み了えてしまった。

●寒い中を歩いて、名駅に戻ってきた。ふたたびドトールに入り、コーヒーを注文して、佐藤優と鈴木宗男の対話『反省』(アスコム 2007年)を読み始めた。
『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読んで、事件の流れ、その事件に当たっての佐藤優の視点・考察は把握していた。この本では、それ以上の新しい知見が語られているわけではないが、事件の当事者同士の対話ということで興味深く、のめりこんで一気に読んだ。
この本では、「特別付録」として、話題に出た外務省官僚の顔写真が載っている。なるほどなぁ。いかにもそーゆー恥ずかしいことしそうな顔してやがんな。と、思わせるような。
レジャックのドトールからエスカのカフェ・ド・クリエまで歩き、コーヒーを飲みながら読み継ぎ、読了した。

●<ジュンク堂>に寄り、元特捜検事でその後裏社会の弁護士に転身したという田中森一の本が目に留まった。宮崎学との対話『必要悪 ―バブル、官僚、裏社会を生きる』(扶桑社 2007年)を手に取る。ついでに、宮崎学『右翼の言い分』(アスコム 2007年)も。思想書の棚を流していたら、吉本隆明の新著『日本語のゆくえ』(光文社 2008年)を見つけてこれは迷わず。3冊購入した。

家に帰り、夜、田中森一・宮崎学『必要悪』を読んだ。
まず、1章では、バブル時の銀行がやった呆れるほど滅茶苦茶な融資の、その現場のエピソードが語られる。2章では司法官僚としての検察の実態。3章は田中弁護士が山口組の幹部とのつきあいのなかで見聞きしたエピソード。すべて体験者ならではの、実感の伴ったリアルな言葉で語られていて、読んでいて迫力があった。

「新宿西口に高級麻雀屋があったんです。一部屋二十畳ぐらいのところに一卓だけの個室麻雀で。そこでたまに麻雀やってたわけですけれども、メシを運んでくる兄ちゃんと仲良くなりましてね、ある日に隣はどんな奴がやっているのかと聞いたら、『いやあ、わからんのですよ。見て行きますか?』って。そうしたら、若いお姉ちゃんが打ってるわけですよ。青白い顔して、たぶん二十代だと思う。レートを聞いたらだいたいハコテンで一千万円ぐらい。東風戦だから回転が速くて、十五分か二十分で一千万が動くんだけど、そのお姉ちゃんは負けっ放しだというんです。
それで、カネがなくなってくるとどこかに電話するんだけど、おばさんがカネを持ってくるわけです。たぶん誰かの二号か三号なんでしょうけどね。『カネは一ヶ月でだいたい何億か使ってますが、もういなくなりますよ』と店員が言ってましたね。若い女性が何億も使って青白い顔をしたまま打ち続けている姿というのはね、これがバブルなんかなと思いました」(宮崎学)。

「司法のワイドショー化と言えば、その先鞭をつけたのが、僕は検察だと思ってるんですよ。あのガサ入れの時のダンボールの運び出しですね。今ではおなじみだけど、『東京地検特捜部』とかロゴが入っている箱を二十箱ぐらい準備して、事務官がダーッと腕章を巻いて行くわけですよ。
でも、事前に必要なものは押さえちゃってるんだから、ダンボールはカラなんですよね。実際に押収するのは紙一枚とかだけで。でも、テレビ的にはすごい絵でしょう。『これだけ検察はやってるんだ、この事件に対して熱意を示してるんだ』というのを見せてね。
裏が取れてないんですが、リクルート事件でNTT初代会長だった真藤恒がやられたのが最初だったと言われてますよね。ダンボールをたくさん運ぶことで、世論受けと言いますか、そういうことを八十年代に入って検察がやり始めたと。今やこれは警察も真似してるわけですね。だから、警察も神戸の山口組総本部のガサ入れ行くときは、大阪府警は特に屈強なのばっかり揃えて。
カメラの前で乱闘して見せたりね、わざわざ。単にこんだけやってんだということを示したいんですよ。押収品は当番表一枚だけ、とかでね」(宮崎学)。

「植草一秀がパクられた時のことなんですけどね。実は、村上ファンドの設立当初のアドバイザーが植草さんだったわけ。村上ファンドは、ほとんど植草の人脈と経済分析で成立してるの。植草さんはパクられた時に、最初に村上に連絡を取ろうと思ったらしい。そうすれば、村上は弁護士を付けて、ちゃんとやってくれると思ったんでしょう。でも、村上は、僕はそんな人とは関わりたくないと、即決で断るわけです。で、次に連絡が来たのが私だったんです。私はちゃんと高輪署まで面会に行って、すぐ弁護士をつけましたよ。それで植草さんは『やってない』と言うから、わかったと、もうそれで通せよと。ということで、どちらにしても、大した事件じゃないしという頭もありましたから。でも、村上は物の見事に逃げましたね。
村上は植草には足向けて寝られないぐらい世話になっていると思います。あそこまで上りつめるにあたって、ほとんど植草のノウハウを使っているわけです。
ただ、その時に村上はてっぺんまで上ってますから、そういうところで人間というのが見えますよね。そこで見える姿が、僕はほんとうの姿なんだろうと思う」(宮崎学)。

12月28日(金) 雨

2007-12-29 12:45:51 | DIARY
●11時前に起きて、午前中はパソコンに向かって仕事をした。あっというまに昼。家を出て、昨日買ったCDを聴きながら、名駅に歩いた。ドトールでコーヒーを飲みながら、『SPT』01を読んだ。
180円のコーヒーで1時間半粘り、最後の戯曲は読み残して読了した。

りそな銀行に行って残金を確認する。某所からの振込み60万円があったようだ。ちょっとリッチな気分になる。15万円引き出した。

●<ジュンク堂>に行き、前から読もうと思っていてその機会を逸していた岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社 2007年)を手に取った。『SPT』04で岡田利規のインタビューが掲載されていて、数日前、それを興味深く読んだところである。
“社会学・社会問題”の棚の辺りで、岩村暢子という人(アサツー・ディ・ケイ200X年ファミリーデザイン室というところで社会調査の仕事をやっている人らしい)の『普通の家族がいちばん怖い ~徹底調査!破滅する日本の食卓』(新潮社 2007年)という本が目に留まった。帯に養老孟司の推薦が引かれていて、そこに「S.キングよりも怖かった」とあり、興味をそそられたのだ。
2冊を購入して3500円。

カフェ・ド・クリエに行き、不味いコーヒーを飲みながら、岩村暢子『普通の家族がいちばん怖い』を読み始めた。さらさらと読み飛ばし、1時間半で読了した。

●夜、DVDで山下淳弘監督『松ヶ根乱射事件』を観た。久しぶりに映画らしい映画を観ることができた。紙芝居のような映画ばかりが制作されるなかで、やはり映画がどういうものかがわかっている監督の存在は貴重である。
映画というのは、最初の3分でその良否が判断できるものだが、では、おれはそこに映し出されている“何”を見て、その判断をしているのだろうか。映画らしい映画の特質があるとすれば、それは、どんなものなのだろうか。
まず、映画らしい映画には、そこにリアルな“物”が映し出されている。例えば雪が積もっている場面であれば、そこにはちゃんと“雪が積もっている”が映っているのである。雪が積もった時の、独特の静けさ、寒々しさ、凛と張ったような空気感、瑞々しさ、そういったものがそこにはちゃんと映っている。つまり、映画らしい映画のなかには、リアリティのある“物”で構成された、現実と地続きの空間が存在しているのである。
現実と地続きの空間があって初めて、そこに登場する人物のリアリティが保証されるのだ。人物のリアリティが保証されることで、彼らが演じる役割、彼らが巻き込まれる物語に説得力が出る。観客は、登場人物に対して肯定的であろうと否定的であろうと、彼らが確かにそこに存在しているということそれ自体は疑うことができなくなる。彼らはたしかにそこに存在する。つまらない映画では、人物はただ単に物語を遂行する記号のようなものに還元されてしまう。

12月27日(木) 晴

2007-12-29 11:39:50 | DIARY
●昼までパソコンに向かって仕事をした。
午後、昨日買ったCDを聴きながら、名駅、伏見、大須、上前津、鶴舞と歩いた。万歩計でだいたい1万歩くらいの距離だ。鶴舞からJRで名古屋駅に帰った。途中、中古CDショップ、古本屋に寄り、CDを何枚かまとめて購入した。

まず上前津のサウンドベイで、純アリス『花模様』、『メモリアル・フォーク・クルセイダーズ』、湯川潮音『湯川潮音』の3枚を購入。5000円。鶴舞の古本屋でサンダルズ『エンドレス・サマー』。1200円。駅西の69で、トゥイーカー『アトラクション・トゥ・オール・シングス・アンサーティン』、ザ・ジーザス・アンド・メリーチェイン『サイコキャンディー』、エイフェックス・ツィン『リチャード・D・ジェイムズズアルバム』、スクエアプッシャー『ゴー・プラスティックス』、ザ・ベータ・バンド『ザ・ベータ・バンド』、『松田優作クロニクル ‘73~’89』。7500円。

●今日は活字をまったく読まなかった。歩いたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしつつ、ずっと音楽を聴いて過ごした。薄い曇り空のような、ほの明るい気分で過ごした。

12月26日(水) 晴

2007-12-27 11:43:38 | DIARY
●眩暈が緩和した。一週間ほど症状が続いたが、まだ本調子ではないものの、フワフワしている感じはなくなった。
空はどっピーカン。11時頃家を出て、とりあえず名駅のカフェで、カジキマグロフライを挟んだパニーニとコーヒーの昼食をとりつつ、坪内祐三編『戸川秋骨 人物肖像集』(みすず書房 2004年)の続きを読んだ。210ページ読了。

●午後から、地下鉄に乗って、千種の正文館へ行った。『SPT』のバックナンバーがあったので、手にとって目次を見て、01を選んだ。松浦寿輝『方法叙説』(講談社 2005年)、池内紀『作家の生きかた』(集英社文庫 2007年)と合わせて3冊購入した。3500円。

今池まで歩き、P-CANファッジで、中古CDを4枚。ハワード・ショアがオーネット・コールマンをフィーチャーして作った映画『ネイキッドランチ』のサントラ、小西康弘プロデュースのムッシュかまやつ『ムッシュ』(この2枚は以前持っていたが、データを飛ばしてしまったので買いなおした。『ネイキッドランチ』が500円、『ムッシュ』が800円と安かった)、プティ・マミ『Girl Friend ~Baby Doll』、ピコ『abc』。4700円。

●今池から、栄まで歩いた。栄町ビルのバナナレコードに寄って、ここでは何も買わず、ハーゲンダッツでアイスのカップを食べながら、松浦寿輝『方法叙説』を読み始める。しかし、数ページ進んだところで激しい眠気に襲われ、ソファーに深く凭れてうつらうつらした。そういえば、昨日は4時間くらいしか眠っていない。

12月25日(火) 晴

2007-12-27 11:14:43 | DIARY
●眩暈、あいかわらず。起床時、上体を起こすと、一回強いのがフワッと来る。活動にさほどの支障はないのだが、それでも無意識に身体が構えているのだろう、普段は凝らない肩が痛いくらいガチガチになっている。

●テレビを眺め、ネットでいつものレギュラーサイトを周回し、昼前に家を出る。ドトールで、椎名誠選 日本ペンクラブ編『素敵な活字中毒者』(集英社文庫 1983年)の残りを読んだ。野坂昭如(○)、夢野久作(○)、渋澤龍彦(○)、江國滋(○)、椎名誠(△)、鏡明・目黒考二・椎名誠(鼎談)(△)。363ページ読了。

午後、一件仕事で人と会い、家賃や光熱費の支払いを済ませ、<ジュンク堂>へ向かった。普段はあまり熱心に見ることのない“演劇”の棚で、『SPT ~Setagaya Public Theatre』という雑誌が目に留まった。野村萬斎監修で、表紙の装丁は大竹伸朗。中身も充実している―野村萬斎、田中冺、岡田利規、宮台真司、弘中淳一郎、平田オリザ、白井晃、松本修のインタビュー、豊竹咲甫太夫と長島有の対談、渡辺守章、谷川多佳子、飯沢耕太郎の論考、岡崎武志のブックレビュー、それにカフカの『審判』を松本修が構成した戯曲。これで値段は税込1000円である。とても“お得”な感じがする。
購って、ドトールに行き、ココアを飲みながら、さっそく読み始めた。喫茶店を移動し、一息で読みきった。

●家に帰り、食事(駅弁)を済ませた後、ゲオにDVDを返しに行き、ついでに栄向のブックオフに寄った。柴田宵曲著 小出昌洋編『団扇の絵』(岩波文庫 2000年)、保坂和志『季節の記憶』(中公文庫 1999年)、『もうひとつの季節』(中公文庫 2002年)、柴田元幸編訳『夜の姉妹団 ―とびきりの現代英米小説14篇』(朝日文庫 2001年)、車谷長吉『忌中』(文春文庫 2006年)、山岸涼子『甕のぞきの色』(秋田文庫 1997年)、『神かくし』(秋田文庫 1998年)を買った。3200円。

●夜は、録画してあった『M1グランプリ』を観た。ファイナル進出は、キングコング、トータルテンボス、サンドイッチマンの3組。優勝はサンドイッチマン。キングコング、トータルテンボスは、テンポも速く語彙も的確で、技術は素晴らしかったのだが、ネタに新味は感じられなかった。うまいなぁ、とは感じても、観ていて思わず笑ってしまうという場面はあまりなかった。その点、サンドイッチマンは、うまいというだけでなく、なによりセンスが良くて、思わず笑ってしまう部分が何箇所もあった。

12月24日(月) 晴

2007-12-25 22:43:35 | DIARY
●11時過ぎまで惰眠を貪る。起き上がるとき、また、眩暈。終日フワフワする。どうもこれは長引きそうな予感がする。

午前中、妻がアマゾンで注文したマンガが6冊、届いた。さそうあきら『トトの世界』1、2、4巻(なぜか3巻がなかったらしい)、『コドモのコドモ』全3巻。午後、『コドモのコドモ』『トトの世界』の順で一気に読んだ。さそうあきらの作品は初めて読んだが、じつにおもしろかった。『コドモのコドモ』は、小学生が妊娠、出産するという物語である。ここでの子供の描き方、捉え方が、なんというか“的確”なのである。例えば、これを当の“子供”が読んだとしても、白々しく感じないないのではないか。“的確”とはそういうことだ。
小学生が妊娠、出産というと、いわゆるスキャンダラスな次元で捉えられがちなテーマだが、このマンガには、そうした下種な視線は、まったく繰り込まれていない。作者はこのマンガの主人公を、あくまでも肯定的に捉え、彼女が妊娠、出産する過程を、大げさな抑揚を加えることなく、リアリスティックに描き出している。その丁寧な描写の積み重ねが、最後の感動を産む。

●今日は終日家に蟄居して過ごした。夕方からは、椎名誠選 日本ペンクラブ編『素敵な活字中毒者』(集英社文庫 1983年)を読み始めた。200ページまで読み進んだ。“活字中毒”をテーマにしたエッセイ、小説のアンソロジーである。山口瞳(○)、武井武雄(×)、田辺聖子(△)、石川喬司(△)、内田魯庵(○)、植草甚一(○)、大岡昇平(△)、殿山泰司(△)、井上ひさし(△)、鶴見俊輔(○)、小林秀雄(○)、紀田順一郎(△)、野呂邦暢(△)、開高健(△)、江戸川乱歩(○)、高田宏(△)。○△×は、おもしろかった・まあまあ(または「どうでもいい」)・つまらない、の区別である。批評ではなく、気分的なものだ。

●夜、DVDで『憑神』を観た。またもや浅田次郎原作の映画で、やはりおれはこの人のドラマの盛り上げ方が嫌いである。ただ、この映画は、愉しんで観ることができた。脇の西田敏行、赤井秀和、佐々木蔵之助、香川照之らが味わいのある演技を見せてくれたからだろう。

12月23日(日) 晴

2007-12-24 11:31:20 | DIARY
●昨日の午後から降り続いた雨も、朝には止んで、雨上がりの気持ちのいい天気になった。妻が、木がいっぱいあるところに行きたい、というので、熱田神宮に散歩に出ることにする。名古屋駅からJRに10分乗り、熱田神宮に到着した。

樹齢何千年という木々が鬱蒼としげる神域である。
雨上がりということもあるのか、空気がじつにうまい。空気がおいしいなんてのは気分的なものかと思っていたけれど、じっさいに味があるのだなと思う。木々の匂いといっしょに瑞々しい空気を思いっきり吸い込んだ。
本宮まで歩き、賽銭を投げ入れ、拍手を打つ。べつに何を祈るわけでもない。形だけのことだが、それでも気分が刷新したような心地がする。

昼食に名物、宮きしめんを食べて、神宮を出た。帰りは名鉄で帰った。なんだか甘いものが食べたくなり、妻もそうだと言うので、名駅の地下のカフェに寄り、ケーキと飲み物を口にした。

●家に帰り、DVDで、三池崇史監督『龍が如く』を観た。人気ゲームの映画化作品。主演は北村一樹。三池監督らしい、破綻スレスレの映画であった。岸谷五朗の怪演を見るためにだけでも観る価値はある。
続いて、録画しておいた『極道の妻たちⅡ』。ううむ、じつに昭和くさいというか、ああ、日本映画ってこういう感じで当時駄目だったんだよなぁ、というノスタルジアに浸った。

12月22日(土) 雨

2007-12-24 10:27:30 | DIARY
●昼過ぎから雨が降り、そのまま夜までずっとしとしと降り続いた。あいかわらず頭の体勢を変えると眩暈がしてふらつく。

●昼過ぎまでパソコンに向かって仕事し、午後から<三省堂>へ行き、坪内祐三編『戸川秋骨 人物肖像集』(みすず書房 2004年)を買った。2400円。カフェ・ド・クリエでゆず湯を飲みながら、読み始めた。110ページまで読み進み、その後、栄まで歩き<丸善>に行った。椎名誠選 日本ペンクラブ編『素敵な活字中毒患者』(集英社文庫 1983年)、関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』(文春文庫 2003年)を買った。1100円。