●ここ数日集中して佐藤優の本を読み、検事官僚の生態に興味が向いたので、田中森一と宮崎学の対話を読み、佐藤優、田中森一両者の共著者である宮崎学の言葉に触れていたら、宮崎学の本がもっと読みたくなって、『右翼の言い分』『突破者の本音』と2冊続けて読んだ。『右翼の言い分』は宮崎学が全国の右翼民族派団体の代表に取材したインタビューをまとめた本で、取り上げられている団体は日本皇民党、一水会など、全部で14団体。
加藤紘一の「小泉首相は8月15日に靖国参拝にいくべきではない」という発言に対し、右翼民族派の団体に所属する堀米正広が、加藤の自宅に火を放ち、その後切腹して抗議の意を伝えたという「加藤邸焼き討ち事件」。メディアは、この事件の報道において、言論に対し暴力を振るうのはとにかくけしからん、という論調一色に染まっていた。「何があっても暴力は許されるべきではない」―今の日本社会のなかでは、この主張に異見を差し挟むのは難しい。しかし、やはり右翼民族派の方々は違う。宮崎学は、各団体の代表にこの事件の是非をどう思うか聞いているのだが、その問いに、ほとんどの方々が、「天誅である、私は堀米の行動を支持する」という旨の答を返しているのである。この「直接行動」も辞さない、「肉体言語」を肯定する、という彼らの基本姿勢は、今の日本の空気のなかでは、やはりかなりの異彩を放っていると言い得る。
日本の右翼民族派は、そのほとんどの団体が、親米反共を自らの立場としてきた。それでは、共産主義陣営が自壊した現在、右翼民族派団体もその役割を終えたのだろうか。たぶんそうなのだろう。例えば堀米正広が加藤紘一を的にかけたところで、政治の情勢を動かすだけの意味はない。しかし、その言説が失効していたとしても、彼らの存在までが否定されるべきものとは思わない。
彼らは政治手段としての“暴力”を肯定し、時と場合によっては自らその“暴力”の主体となるだけの覚悟を持っている。彼らは、自らの信念に殉じる覚悟を持って生きている。たとえ、その信念が失効していたとしても構わない。「でも、やるんだよ!」(@根本敬)の精神である。
その精神は、今の日本を覆っている空気には馴染まない、突出した異物として存在する。彼らの存在は、今の日本を覆っている空気の中で、異物として突出しているというそのことにおいて意味を持っているのだ。
●『突破者の本音』は、その右翼民族派、一水会の代表(1999年当時)鈴木邦夫との対談である。鈴木邦夫は、この対談の後書きで鈴木邦夫は「(この対談を通じて)自分の中の核と思ったものが突き崩されたようだ」として、「これがキッカケになって運動のすべてから手を引くことになるかもしれない」と書いている。そして、この対談がきっかけかどうかは知らないが、彼はこの言葉どおりこの後一水会の代表を木村三浩に委ね、自らは脱右翼を標榜するようになる。
この対談を読むと、鈴木邦夫が、迷い、考えながら発言しているのがわかる。一方、宮崎学の言葉には、そういった揺らぎがない。どちらがいいことなのかはわからないが、ただ、宮崎の、自らの立ち位置をはっきり定めたところから語られる確信に満ちた言葉には、やはり迫力がある。
宮崎学の基本的な主張は、「掟が法に優先する」という一語に貫かれている。掟とは何か。宮崎の挙げる例を引こう。
「昭和期に広く名の知られた弁護士正木ひろしの生き様は、それを示唆する一例である。正木は1937(昭和12)年から十年以上、個人雑誌『近きより』を発行し、誌上で痛烈に時局を批判し続けた変わりダネである。当然、削除や発禁などの処分を受けるが、弁護士の良心に基づいて、処分を覚悟で発行を続けた。
正木を有名にしたのは、戦時中の『首なし事件』である。被告の冤罪を晴らすために墓を暴き、見事立証して見せた。これにより、獄中につながれていた罪なき人は放免となったわけで、正木はいわば被告の人生を救ったのである。ところが、他人の墓の中を無許可に開ける行為は法に触れる。法律的に言えば有罪なのである。その結果、正木は懲戒処分を受けた。
それでも正木の行為が人々の胸を打ったのは、正木が弁護士としての掟に準じたからである。現実に目の前にいる弁護依頼人の被告が、正木には犯罪者に思えなかった。状況証拠からはクロであっても、長年の弁護士の勘がそれを否定した。このままでは、ぬれぎぬを着せられて有罪判決を受けるのは必至であった。何か決定的な証拠がないか―証拠さえあれば、被告はどこをどうひっくり返しても、潔白なのだ。そこで正木は、法律のプロでありながら法を犯して、首なし死体の墓を暴いたのである。墓を暴くにあたり、それがどういう行為かわかっていたはずだ。その後の自分が受けるであろう処分も、当然想像ついていただろう。
この時、
『私は法の番人ですから、どんなことがあっても法を犯すことはできません』
と主張する者もあるだろう。みすみす冤罪のまま被告を処刑台に昇らせても、弁護士として法を守った、と胸を張るような奴もいるかもしれない。私は弁護士ではないが、こういう人間にだけは、なりたくないと考える」。
宮崎学は、法などは、所詮は時の権力に制定された、お仕着せのイデオロギーにすぎないという考えがある。それに対して、掟とは、具体的な人間関係のなかで肉感的に実感できる、ほとんど生理的な次元での倫理のことである。
宮崎学の語るところをもうすこし引用する。
「当り前のことだが、法は時の権力によって制定される。制定に当たっては、権力の側の『正義』が優先する。だから、戦前にあった『治安維持法』や『破防法』は、その当時の『正義』ではあったが、戦後、権力の性質が変わって『正義』もまた変わってしまうと、こうした法は姿を消している。権力はいつの時代も、自分の『正義』を押しつける。この種の『正義』は、単に自分の側の主義主張にすぎず、これもまた所詮人間の考え出したことなのである。
しかし、権力が強化され、平行して法の力も強まってくると、人々は自分の掟を忘れ、法に盲従するようになる。その時、個は全体の中に埋没し、多数派として大所帯が実に効率よく働くようになるのである。
人が人としての掟を忘れた時、すでにその社会では腐敗が始まっている。これは国レベルの話に限定されない。掟よりも法を優先させる社会は、戦前・戦中の日本だったし、宮本顕治主導の日本共産党でもある。
若き日々、私は日本共産党に入り、掟より法を重んじる空気を吸った。だがどうしても、自分はそれになじめなかった。法より掟を優先するヤクザの血がそうさせるのか、とうとう飼い殺しにされるにはいたらず、組織を追い出されて幕となった。いうまでもなく、私は掟を大事にする人間である。多数派に入って個を埋没させる愚行は、二度と繰り返したくない。常に少数派の立場に立ち、今何が起こっているかを意識する覚悟にある。それにより、法を犯すことがあっても、それはそれでいいと思っている」。
法に「盲従」することが、「多数派に入って個を埋没させる」ことであり、それはファシズムに繋がる。逆に掟を重んじることは、「常に少数派の立場に立ち、今何が起こっているかを意識する覚悟」をもつ、つまり、自分の生理において状況を判断するということであり、それは各人が自律した個として生きることを意味する。
宮崎学は「人が人としての掟を忘れた時、すでにその社会では腐敗が始まっている」と言う。掟とは、人間が「自分はここに生きている」と実感できる人間関係のなかにおいてのみ生起するものなのである。