極薄特濃日記

無駄の2乗、無駄の3乗、無駄の4乗、無駄の5乗、…懲りることないくりかえし。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫) 引用・メモ

2008-01-25 11:55:07 | Chance Operation
●竹村健一・佐藤優『国家と人生 ―寛容と多元主義が世界を変える』(太陽企画出版 2007年)を読んだらおもしろかったので、佐藤優の処女作『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫 2007年)を買って読んだ。単行本は2005年の刊行。それからここ2年くらいは、本屋の新刊書の棚に佐藤優の本が並んでいないときはない。
文庫版では解説を川上弘美が書いている。佐藤優に川上弘美というのは、じつに意外な感じのする取り合わせだ。川上弘美自身この解説文の冒頭で、「情報。官僚と政治家。検察。外交。そんなふうな言葉が具体的にあらわれる世界について、ものを書く、ということを職業とする者の中で、わたしほど通暁していない人間は、なかなかいないと思います。自慢しても、いいくらいです」と断っている。しかしそんな「門外漢」が読んでも「いい本だな」と思えるということは、この本が、数多い内幕情報本ではなく、ひとつの文学として成立している証左であると言える。
川上弘美はこの本の「いい本だと思う」理由としていくつか挙げている。まず、ある事態を「克明に」描くために、どこを端折って何を描写するかといった取捨選択。この著者は、そのセンス、すなわち文章を書くセンスがある。
第二に、「その書きようがとても明晰」である、という点―「本の後半には、拘置所に入ってからの作者と検察官のやりとり、それからこの事件を作者のやりかたでさまざまに解析してみたその過程と結論、が書かれています。なぜ作者は国策捜査を受けたのか、考えつづけます。その書きようが、とても明晰なのです」。
この「書きようが明晰である」とはどういったことか。作者の思考が、自己弁護の堂々巡りに陥ることなく、自分を突き放したところで為されていて、その結果、読者がその状況の全体を多面的に捉えることを可能にしている、その書きようのことを「明晰」だと言っているのである。
佐藤優が読者に伝えたいと思ったことは、「自分は無実の罪を着せられました」という名誉回復の訴えとはすこし違ったところにある。作者が自分が巻き込まれたこの事件を、ひとつのケーススタディとして捉え、その克明なドキュメントを通して、「物事の見方」「世界観」をメッセージとして伝えようとしているのである。
―「ともかく、いろんなことをうのみにしない方がいいよ。作者はこの本の中で、さまざまに声を変えてそう言っているように、わたしには思えたのです。絶対的に正しいことは、ない。絶対的に間違ったことも、ない。あるのは、立場や目的や品性の違い、その他。
多面的にものごとを見ることが、なにしろ、大事なことなのですよ。
ぜんたいの記述を通じて、そんな作者の声が、わたしの頭の中には、鳴り響きつづけていたのです。ずいぶんと激しい告発を行っている本なのに、不思議なことでした。その告発自体をまるのみにしてはいけない、と、行間から語りかけてくるなんて。
この本の明晰さは、行間から語りかけるその作者の声を書きとめえたところにあると、わたしは思うのです」。
第三に、この本の作者の言動と眼差しには、ある一貫した「美学」があるという点。―「拘置所で作者と対峙する西村検察官。盟友鈴木宗男。ソ連時代の共産党高官イリイン。登場する主要な人たちは、みな、自己憐憫におちいらず、感傷におぼれず、自分の仕事の目的を遂行することに関してゆるぎがありません。いさぎよい。一言でいえば、そういうことなのかもしれません」。

●独房暮らしが127日目を越えた頃、佐藤優は、親しく付き合っていたソ連時代の政治犯のことばを思い出す。
「強い者の方から与えられる恩恵を受けることは構わない。しかし、自分より強い者に対してお願いをしてはダメだ。そんなことをすると内側から自分が崩れる。矯正収容所生活は結局のところ自分との闘いなんだよ」―。
自分より強い者にお願いをする、媚びる。自分がそうしてしまった瞬間、「内側から自分が崩れる」。屈辱のなかで、もはや自分で自分を恃むことができなくなってしまう。
自分自身を裏切ってしまったのだ。もはや自分自身に留まることはできない。もはやひとりでいることはできない。誰かの飼い犬としてしか生き延びるしかなくなる。
逆に言うなら、自分を恃むことができるという、この矜持さえ保つことができれば、たとえ何を奪われたとしても、自分自身でいつづけることができる。事件に対して佐藤優がとった態度、言動の根底には、「自分自身でいることを放棄してはならない」という、佐藤優が自身に課した原則があったように思う。
そして、「自分自身を放棄しない」ことを貫いたからこそ、佐藤優は、作家として立つことができたのだと思う。作家である佐藤優にとって、刑事被告人として有罪判決を受けたとしても、それが何ほどのことだろうか。彼は、自分との闘いに勝ったのである。

●佐藤優は外交のプロフェッショナルだ。外交のプロフェッショナルということは、つまり、情報を取るプロフェッショナルということである。外務省の役人がすべて佐藤優のようなプロフェッショナルかというとそういうわけでもなさそうだ。外交官試験に受かり、役人として務めているというだけで、彼のような情報取得能力、状況解析能力が身につくわけではないのだ。現実はつねにとりとめがない。あるひとつの状況の中にも、多様な人間の多様な思惑が含まれている。その曖昧模糊と広がる現実のなかから、自分にとって必要な情報を取るためには、観察力、洞察力といったものが必要になる。観察力や洞察力を発揮するには、見聞きしたことを咀嚼し消化するだけの「器官」が自らに備わっていなければならない。その「器官」とは、具体的には、有機的に結びついた幅広い知識、これを「教養」と呼んでもいいかもしれないが、その「教養」が必要になる。試験はできても、そうした「教養」のない人間は、たくさんいる。むしろその方が多いかもしれない。
こうした「教養」を身につけた人間を、佐藤優は、「地頭がいい」と言う。地頭がいいか悪いか、それは、個人の資質といってしまえばそれまでだが、たぶん、自らのうちに「教養」を給養できるかどうかは、その人間が根本で抱いている「どう生きるか」という志、モチベーションに大きく関わっているのだと思う。高い志を保持しつづけている人間は地頭も良くなる、というわけである。

●この本には、とりとめのないような人間関係、現実の動きの中から、自分にとって必要な情報をどのように取得すればいいのか、そのヒントとなるような視点、考え方がたくさん含まれている。
スパイが情報を取るというと、例えば盗聴など、どうしても「盗る」というイメージがあるが、じっさいはそればかりではなく、むしろ、必要な情報を握っている人間といかに人間関係を結べるか、ということの方がずっと肝になってくる。人間関係を結ぶ、というのは、相手の世界観、価値観を理解したうえで、自分のそれをぶつけて、闘ったり融和したり、そうした細かな突合せのプロセスを経て、信頼を得る、与えるということである。多様な歴史、文化のなかで棲息する多様な人間のいちいちと、そのプロセスを踏んでいくということである。前提として、世界の多様性を認め、そのなかで自分自身を相対化する構えがなければならない。

「この事務官は経験不足なのか、自己陶酔癖があるのか、仕事に酔って興奮しているだけだ。こういう手合いはたいしたことはない。過去の経験則から、私は利害が激しく対立する相手とソフトに話がでkりう人間は手強いとの印象をもっている。その意味で、この検事の方は相当手強そうだ」。

「私は田中真紀子女史は『天才』であると考えている。田中女史のことばは、人々の感情に訴えるのみでなく、潜在意識を動かすことができる。文化人類学で『トリックスター(騒動師)』という概念があるが、これがあてはまる。
『トリックスター』は、神話は昔話の世界によく見られるが、既成社会の道徳や秩序を揺さぶるが、同時に文化を活性化する。田中女史の登場によって、日本の政治文化が大きく活性化されたことは間違いない。しかし、問題は活性化された政治がどこに向かっていくかということだ」。

「情報収集、調査・分析の世界に長期従事すると独特の性格の歪みがでてくる。これが一種の文化になり、この分野のプロであるということは、表面上の職業が外交官であろうが、ジャーナリストであろうが、学者であろうが、プロの間では臭いでわかる。そして国際情報の世界では認知された者たちでフリーメーソンのような世界が形成されている。
この世界には、利害が対立する者たちの間にも不思議な助け合いの習慣が存在する。問題は情報屋が自分の歪みに気付いているかどうかである。私自身も自分の姿が完全には見えていない。しかし、自分の職業的歪みには気付いているので、それが自分の眼を曇らせないようにする訓練をしてきた。具体的には常に複眼思考をすることである」。

「私を含め、外務省関係者は鈴木宗男氏こそが日露関係のキーパーソンであるとロシア人に紹介してきた。もし、私が鈴木氏を裏切れば、ロシア人は今後、日本人外交官がどのような政治家をキーパーソンと紹介しても、信用しないであろう。私が最後まで鈴木氏と進み、一緒に沈めば、ロシア人は『われわれが信用する日本人外交官が、この政治家は信用できるといえば、それは本気の発言だ。政治の世界に浮き沈みはつきものだ。いつかまた、われわれが信用する日本人外交官がこの政治家は信用できると言って紹介してくれば、その話に乗ってもロシア側が裏切られることはない』と受け止めてくれる。これがロシア人の常識なのだ。
ロシア人はタフネゴシエーターで、なかなか約束をしない。しかし、一旦、約束すれば、それを守る。また、『友だち』ということばは何よりも重い。政治体制の厳しい国では、『友情』が生き抜く上で重要な鍵を握っているのである。このことはイスラエルをはじめとして世界中で活躍するユダヤ人についても言えることだった。私が沈むことによって、ロシア人とユダヤ人の日本人に対する信頼が維持されるならば、それで本望だと私は思った」。

「小泉政権の誕生により、日本国家は確実に変貌した。私はこれまで、私自身が見聞きしたことを中心にその変貌をたどってきた。この章のまとめとして外交政策、外務省を巡る政管関係に関係に絞って、その意義を簡潔に整理してみたい。
第一は、外交潮流の変化である。
『トリックスター』田中真紀子女史が外相をつとめた九ヶ月の間に、冷戦後存在した三つの外交潮流は一つに、すなわち『親米主義』に生理された。
田中女史の、鈴木宗男氏、東郷氏、私に対する敵愾心から、まず『地政学論』が葬り去られた。それにより『ロシアスクール』が幹部から排除された。次に田中女史の失脚により、『アジア主義』が後退した。『チャイナスクール』の影響力も限定的になった。
そして『親米主義』が唯一の路線として残った。九点一・一同時多発テロ事件後の国際秩序を『ポスト冷戦後』、つまり、冷戦、冷戦後とも時代を異にする新しい枠組みで捉える傾向があるが、日本は『ポスト冷戦後』の国際政治に限りなく『冷戦の論理』に近い外交理念で対処することになった。
第二は、ポピュリズム現象によるナショナリズムの昂揚だ。
田中女史が国民の潜在意識に働きかけ、国民の大多数が『何かに対して怒っている状態』が続くようになった。怒りの対象は100%悪く、それを攻撃する世論は100%正しいという二項図式が確立した。ある時は怒りの対象が鈴木宗男氏であり、ある時は『軟弱な』対露外交、対北朝鮮外交である。
このような状況で、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった。私が見るところ、ナショナリズムには二つの特徴がある。第一は、『より過激な主張が正しい』という特徴で、もう一つは『自国・自国民が他国・他国民から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他国民に対して与えた痛みは忘れてしまう』という非対称な認識構造である。ナショナリズムが行きすぎると国益を毀損することになる。私には、現在の日本が危険なナショナリズム・スパイラルに入りつつあるように思える。
第三に官僚支配の強化である。外務省を巡る政管関係も根本的に変化した。小泉政権による官邸への権力集中は、国会の中央官庁に与える影響力を弱め、結果として外務官僚の力が相対的に強くなった。ただし、鈴木宗男氏のような外交に通暁した政治家と切磋琢磨することがなくなったので、官僚の絶対的力は落ちた。
外務官僚は、田中女史、鈴木に対する攻撃の過程で、内部文書のリークなど『禁じ手』破りに慣れてしまい、組織としての統制力がなくなった。組織内部では疑心暗鬼が強まり、チームとして困難な仕事に取り組む気概が薄くなった」。

「情報専門家の間では『秘密情報の98%は、実は公開情報の中に埋もれている』と言われるが、それを掴む手掛かりになるのは新聞を精読し、切り抜き、整理することからはじまる。情報はデータベースに入力していてもあまり意味がなく、記憶にきちんと定着させなくてはならない。この基本を怠っていくら情報を聞き込んだり、地方調査を進めても、上滑りした情報を得ることしかできず、実務の役に立たない」。

「大森一志弁護士だった。私より四歳年下の青年弁護士である。お互いに簡単な自己紹介をした後、友人や家族からのメッセージを聞いた。外はまだ雨が降っているのか、安物の傘をもっている。腕時計もごく標準的だ。異常に高価なアクセサリー類に関心の強い青年弁護士もときどきいるが、この弁護士は金銭に対する執着が強くなさそうだ。金銭に執着のない者は概して自己顕示欲を抑えることができる。第一印象で私は大森弁護士に好感を持った」。

「西村氏の説明には確かに説得力がある。私が逮捕、起訴され、その後も拘留されているのは、佐藤優と鈴木宗男を絡める事件を作り、現下の政管の関係を摘発、断罪し、検察官のことばでいうところの『時代のけじめ』をつけるためだ。ここまではそれほど難しい操作を経ずにも分析できる。問題はその先だ。なぜ、他の政治家ではなく鈴木宗男氏がターゲットにされたかだ。それがわかれば時代がどのように転換しつつあるかもわかる。私は独房で考えをまとめ、それを取り調べの際に西村氏にぶつけ、さらに独房に持ち帰って考え直すと言うことを繰り返した。
その結果、現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で『時代のけじめ』をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男がいるので、どうも国策操作の対象になったのではないかという構図が見えてきた。
小泉政権の成立後、日本の国家政策は内政、外交の両面で大きく変化した。森政権と小泉政権は、人脈的には清和会(旧福田派)という共通の母体から生まれてはいるが、基本政策には大きな断絶がある。内政上の変化は、競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化することである。外交上の変化は、日本人の国家意識、民族意識の強化である。
この二つの変化は、小手先の手直しにとどまらず、日本国家体制の根幹に影響を与えるまさに構造的変革という性格を帯びている。それと同時に、私に見立てでは、この二つの変化は異なる方向を指向しているので、このような形での路線転換を進めることが構造的には大きな軋轢を生み出す。この路線転換を完遂するためにはパラダイム転換が必要とされることになる」。

「独房生活では、何か一つのことにこだわりをもつと、それが思考の中で急速に肥大する。この頃になると私も独房生活のコツを少し身につけた。悪いシナリオについてはあまりくよくよ考えず、具体的に危機が迫ったところで知恵を巡らすことだ」。

「今回は、国策調査の手法について、私なりの見方を記します。国策操作の場合、『初めに事件ありき』ではなく、まず役者を決め、それからストーリーを作り、そこに個々の役者を押し込んでいきます。その場合、配役は周囲から固めていき、主役、準主役が登場するのはかなり後になってからです。ジグソーパズルを作るときに、周囲から固め、最後のカケラを『まっ黒い穴』にはめこむという図式です。役者になっていると思われるにもかかわらず、東京地検特捜部から任意の事情聴取がなかなか来ない場合は要注意です。主役か準主役になっている可能性があります。ストーリー作りの観点から物証より自供が重要になります。ストーリーにあわせて物証をはめ込んでいくという手法がとられます。私がかつて行っていた仕事の経験からすると、情報収集・分析よりも情報操作(ディスインフォメーション)工作に似ています。国家権力をもってすれば、大抵の場合、自供を引き出すことに成功します。特に官僚や商社マンなどは子供の頃からほめられるのに慣れ、怒鳴られるのに弱いので、ストーリー作りのための格好のターゲットになります。情報操作工作の場合、外形的事実に少しずつ嘘を混ぜ、工作用ストーリーを作り上げて行きます。ストーリーが実態からそれ程かけ離れていない場合、工作は成功します。国策操作の場合、どの様なストーリーが形成されるかについて、私は注意深く観察しています」。

―2008/01/24 木

茂木健一郎『すべては音楽から生まれる ―脳とシューベルト』(PHP文庫 2007年) 引用

2008-01-22 10:42:09 | Chance Operation
●橋本治『小林秀雄の恵み』から。
小林秀雄は、ある時能を観劇して、大きな衝撃を受ける。その体験を書いたエッセイで発せられた言葉が有名な「『花』の美しさなどない。美しい『花』があるばかりだ」というフレーズである。小林秀雄は、そこで「全的な認識」=「もののあはれを知ること」がどういったことなのかをじっさいに体験したのである。
「<『古事記伝』を読んだ時も、同じ様なものを感じた。解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。>
既に『本居宣長』への道はここに拓かれていて、『本居宣長』へと続く道は、このような道なのである。
『水の冷たさ』は、解釈を拒絶する。人の泣き笑いも、解釈を拒絶するものは、解釈を拒絶する。<空想>での泣き笑いは、その声を読者の耳に響かせることが出来ない。そして、文中から聞こえるまざまざとした泣き笑いの声は、下らない解釈を拒絶するのである。それが<常なるもの>なのである。だから、その<常なるもの>への反応を専らとするようになった小林秀雄は、『平家物語』のある部分を、完全に否定する。『ざまァみろ』と言いたいほどに見事な、『生半可の解釈』に対する否定、あるいは転覆である―。
<『平家』のあの冒頭の今様風の哀調が、多くの人々を誤らせた。『平家』の作者の思想なり人生観なりが、其処にあると信じ込んだが為である。一応、それはそうに違いないけれども、何も『平家』の思想はかくかくのものであると仔細らしく取り上げてみるほど、『平家』の作者は優れた思想家ではないという処が肝心なので、彼はただ当時の知識人として月並みな口を利いていたに過ぎない。>
私にとって『万歳!』と叫びたいような一撃である。『悲しいことに対して、もったいをつけて“悲しい”と言う―そんなことになんの意味があるのか。悲しいことは、ただ悲しいのである』―小林秀雄の言うことを煎じつめればこういうことである」。

「小林秀雄は西行である」(この一文が全体の文脈にどう接続するのかについては保留する)。では、西行とは誰なのか。
「西行は、どう違うのか?西行は、常に和歌の主題に『自分自身』を据える―つまり、『私小説の歌人』で、それが『自分を問題にする』以前に『和歌を詠むこと』を専らにしていた、彼と同時代人、あるいは前時代の歌人達とは違うのである。だから、<心なき身にもあはれは知られけり>の異色はあるのである。彼が単独でいると、『あまりにもむくつけな自分』ばかりが目立つ。ところが、『自分のあり方』というものを根本のところで問題にしないような熟練の歌人達の間に置くと、西行の歌が『そういうあなたはどうなの?』と問題提起しているように見え、他の歌がそれこそ<美食家がああでもないこうでもないと言っているように見える>になって、西行は『真の詩人』のように輝くのである。だから、当代の歌手の名手―見識高い名手は、こぞって西行を評価する。(中略)
歌合いに出された西行の歌を、藤原定家は、<左歌、世の中を思へばなべてといへるより終の句の末まで、句ごとに思い入て、作者の心深くなやませる所侍れば、いかにも勝侍らん>と評価した。その西行の歌は、<世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせん>である。
この歌の独自性は、<散る花>と<わが身>が完全にイコールになっていることである。<散る花>を見て、西行が『どうしよう……(いつぢかもせん)』と言っているわけではない。<世の中を思へば>、もう<わが身>はそのまま<散る花>なのである。あっちこっちに散る桜の花びら一つ一つが<わが身>で、だから<いづちかもせん>と行く方向で迷うのである。だから定家は、<世の中の思へばなべてといへるより終の句の末まで、句ごとに思い入て、作者の心深く悩ませる所>がある―それがいいと言っているのである。『一句一句のすべてに思いが深い』とは、『どこまでも“自分、自分”である』ということでもある。桜の花びら一つ一つに『自分』を見出して、『どうしよう……』をくっつけている人は、そうそういない。しかし、それが西行なのである」。

●茂木健一郎『すべては音楽から生まれる ―脳とシューベルト』(PHP文庫 2007年)を読み了えた。

「この世はままならぬことばかりである。自分の理想とはほど遠い現状に憤慨や焦燥、諦念を覚えることも少なくはない。だが、座標軸があれば、周りがどう思おうと関係ない、という潔い強さを持てる。『周りがどうあろうと、自分の中から光を発し続けいればいいのだ』という域に達することができるのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。
『美しい』『嬉しい』『悲しい』『楽しい』……。一瞬一瞬に生身の体で感動することによって、人は、自己の価値基準を生み出し、現実を現実として自分のものにできるのである。それが『生きる』ということである。だからこそ、本当の感動を知っている人は、強い。生きていく上で、迷わない。揺るがない。折れない。くじけない。
音楽はそんな座標軸になり得る。音楽の最上のものを知っているということは、他の何ものにも代えがたい強い基盤を自分に与えてくれるのだ」。

「私にとって、『耳をすます』ことと、新しいことを『発想する』ことは、同義である。つまり、外界からの音を聴きながら、同時に、自分の内面に耳をすませ、なにがしかの意見や考えを発しているのだ。
『聴くこと』とは、自分の内面にある、いまだ形になっていないものを表現しようとする行為に等しい。余計な夾雑物なしに、『いかに内面に耳をすませられるか』という問題と日々闘っているといっていい。(中略)『耳をすます』とは、『私は○○を感じる』という主観性をさらに奥底まで掘り下げていく手段なのだ。
その深度は、脳の喜びの深さと比例する。そして深く掘り下げれば掘り下げるほど、普遍に至る道も拓かれるのだと気づいた。
入り口は、日常生活の中にいくらでもある。たとえば、雨の日のもの思い。雨音を聴いていると、不思議に心が安らぎ、自分が大海とひとつながりになっているような気がしてくる。あるいは、公園の中のお気に入りのコースの散歩。木々の合間を歩きながら風のざわめきや鳥の鳴声を聴いていると、心の中に、喜びの回路が広がり始める。
さらに、耳をすます。
すると、えもいわれぬ解放感が生まれてくる。これこそ、心が脳という空間的限定から解放される過程であり、<私>という個が、『今、ここ』という限定を超え、普遍への道に舞い降りた瞬間だといえる」。

「考えることにおいて重要なのは、『リズム』だと思っている。物事を上手に考えながら、思考を前へ前へと進めていく時、欠かせない同伴者は、リズムなのだ。それも、自分の中から生まれるリズムである。
脳内がいい音楽で満ちている時は、泉のように発想が湧いてくる。すると、一日の中の思索の時間において、いかに自分の内側にうまく音楽を鳴り響かせるか、というのが今の私の最たる興味かもしれない。
端的にいって、頭がいい人とは、脳の中にいい音楽が流れている人だと思う。そして私は、シューベルトやモーツァルト、ベートーヴェンやワーグナーといった作曲家の作品を聴く度に、偉大な音楽が生む濃密な時間の流れに匹敵するような密度でものを考えたいと心底思う。
脳内に音楽を鳴り響かせるのは、なにも思索の時間に限ったことではない。日々の生活におけるあらゆる場面に、リズムはさりげなく入り込んでいる。
人と話す時の間合いのとり方、話題の変え方、そして打ち切り方に至るまで、リズム一つで全体の印象はがらりと変わる。たとえば、相手に重要な話を切り出す時のタイミングとは、相手とのリズムをうまくつかめるか、つかめないかという問題なのだ。その時私たちは無意識のうちに、音のない音楽に耳をすませているのである」。

「そもそも私は、言葉というものを意味においてとらえていない。言葉は意味ではなく、リズムや音といった、感覚的なものに負う部分も多い。意味だけを求めると、本質からは遠くなってしまう。
この感覚がわかる人と共有できるものも多いが、わかってもらえないとすごくつらい。意味に囚われている人と話していると、堅苦しく息苦しいと感じてしまうことがある。だから、物事を音楽として感じているか否かというところに、分水嶺がある気がしてならない。共感できるかどうかの大きな分かれ道になるのだ」。

「「秘仏を実見しながら私が思ったことは、結局は人の心も、お互いに見ることの決してできない『絶対秘仏』である、ということだった。
『見てはいけない』『見ることができない』という禁則は、ギリシャ神話や古事記から綿々と続く大切なモチーフである。その対象である『見えないもの』とは、人間の心というものの本質と置き換えられるような気がした。
だから、おもしろい。だから脳は、不可視の『なにか』を無限に追い求める。その『なにか』を考えることが<私>の『喜び』、生命運動となり、ひいては『生きる』ということにつながっていく。
音楽と同じなのだ。
本体は、見えない。聞こえない。それを、いかに想像するか、ということ。聴くということの本質がここにある。
秘仏の本質に酷似したものとして、私は音楽をとらえる。それは『聴く』行為における、聴覚に優るとも劣らぬ想像力の重要性と、『なにかわからない』存在に備わる美しい生命力を感じることでもある。
目を閉じ、私は考える。
想像力と生命力は、<私>の脳の生きる糧に他ならない。これらを原動力に、私は自分なりの秘仏をコツコツと彫り続けていく。その先に生まれるであろう表現は、どのようなものであれ自分自身の生き方の果実である」。

「脳の中の神経細胞であるニューロンの働きは、交響曲(シンフォニー)を奏でているような全体像を持っているともいえます。つまりそれは、一千億個のニューロンが、ある法則とともに微妙に変化しながらそれぞれのタイミングで活動しているので、たとえば、一つひとつの働きに音を与えたらとしたら、その重なりはシンフォニーのようになるだろう、という意味です。
ですから、脳の中に音楽が入ってくることによって、もともと脳内にある『音楽』と共鳴を起こし、いろんなものが鳴り響いてくる、といった感覚があるのでしょう。つまり、ある音楽を聴いても、それを自分の中のシンフォニーとどれくらい共鳴させることができるかによって、感動の度合いが変わってくると私は考えています」。

橋本治『小林秀雄の恵み』(新潮社 2007年) 引用・メモ

2008-01-19 12:17:10 | Chance Operation
●橋本治『小林秀雄の恵み』(新潮社 2007年)を読み了えた。400ページばかりの本だったが、3日かけてゆっくりと読んだ。
橋本治は37歳の時、小林秀雄最晩年の著作『本居宣長』を読み、「震えるほど感動した」のだそうだ。『小林秀雄の恵み』は、その感動を起点に、それがどういったものなのかを解きほぐすように書かれている。
①橋本治にとって本居宣長とはどういった存在なのか。②小林秀雄にとって本居宣長とはどういった存在なのか。③橋本治にとっての小林秀雄とはどういう存在なのか。
その三つの複線が絡み合うのを、少し後に戻って読み返したり、そうやってくりかえし文意を辿り直しながら、ゆっくり読み進んだ。

「十七八で和歌を詠み始めた宣長は、ひたすらに和歌が好きなのである。それが好きなのは、和歌が『自分の生の声』を発する手段だからである。あるいは、こういう言い方をすることをいやがる人もいるかもしれないが、若き本居宣長は、自分に合致したおしゃべりをしたかったのである。(中略)
宣長は『自分の生の声』を発したい。それは、『人の情(ココロ)の、事にふれて感(ウゴ)く』に由来するものである。であるならば、彼が詠む歌は、『彼の物のあはれ』なのである。『彼の物のあはれ』と『「源氏物語」の物のあはれ』の違うところは、『彼の』と『「源氏物語」の』というところだけで、『物のあはれ』であることに違いはない。『物のあはれ』が『人の情の、事にふれて感く』である以上、それは当然のことである。
『宣長の歌=「源氏物語」=物のあはれ』で、であればこそ宣長は、『物のあはれを十全とさせる土壌のルーツ』を探して、真っ直ぐに『古事記』へと向かう」。

橋本治にとっての本居宣長は、とても単純明快な貌を見せる。
宣長は「自分に合致したおしゃべりをしたかった」、そしてそれは「人の情の、事にふれて感く」といった「物のあはれ」に由来する。だから「自分の生の声」を、そこに見いだしてしまった宣長にとっては、それでもうそれ以上言うべきことも何もないということになる。本居宣長とは誰だったのか、それだけで言い尽くせてしまう。
「宣長が『もういいだろう』と言うのは、彼の目的が「古事記」に現れた神代の合理的解明なんかではなく、『歌う』という行為がどこから生まれたかを探ることだからである―そのはずである。それが『把握できた』と思えばこそ、宣長にとって、他のことは『どうでもいいこと』になる。だから、<凡て神代の伝説は、みな実事にて>という、狂信にも通うような投げやりに言ってしまうのである」。

橋本治が本居宣長のありようを単純明快に描くことができるのは、本居宣長を「近世の人」と割り切って捉えているからである(近世がどういう時代だったのかということも、この本にはしっかり書かれている)。しかしそう割り切ってしまって終わりであるなら、近代は近世ではないのだから、本居宣長など近代に生きる我々には無関係である、というだけのことになる。じっさい、橋本治は、「だから本居宣長には関心がない」と言い切っている。橋本治の関心は、本居宣長を読む近代的知性としての小林秀雄に向かっている。単純明快な近世を、小林秀雄は、近代として捉えてその可能性を探っている。そのことから、小林秀雄にとっての本居宣長は、単純明快な貌のものではなくなり、その記述を辿ることは「ひどい悪路」を行くようなものになる。小林秀雄にとっての本居宣長はどのような存在だったのだろうか。それは橋本治にとっては小林秀雄はどのような存在なのかという問いと重なっている。さらにそれは、近代とはどのような時代だったのか、という問いでもある。読んでいて、ここが勘所なんだろうなと思いつつ、おれはまだ十分に理解できた気がしていない。
「『物のあはれを知る』が<全的な認識>だというのは、そういう知識教養を持った小林秀雄の設定したゴールで、本居宣長はそう考えない。『そう考えれば分かると思うのならそう考えなさい』と宣長は言うかもしれないが、<全的な認識>という西洋由来の考え方を欠いているという点に於いて、私には小林秀雄の考え方よりも、本居宣長の考え方の方が分かりやすいのである。分かりやすいがしかし、困ったことに私は、本居宣長に関心がない。なぜないのかと言えば、彼が『近世』という彼の生きた時代のなかに自足してしまっているからである。しかし、本居宣長を読んで『本居宣長』を書く小林秀雄は、『本居宣長のいた時代は、近代であってもいい』と言うのである。それが私にとっては衝撃であって感動でもあるから、小林秀雄の書いた『本居宣長』を読む―読んで、頭を抱えたりもする。私と小林秀雄の中で、なにかが根本的に違っているからである。それはなにか?」

●夜、竹村健一・佐藤優『国家と人生 ―寛容と多元主義が世界を変える』(太陽企画出版 2007年)を読み了えた。元外務官僚、「外務省のラスプーチン」佐藤優の著作は、2007年怒涛の新刊ラッシュだったが、どういうものか判断がつかなかったので買うのを控えていたところ、松岡正剛がブログで「佐藤優はおもしろい」と書いていたので読んでみる気になった。
読んでみて、なるほどただ情報を羅列してある種類の本ではなかった。ただ誰がどこで何を言ったか、やったかという事実を情報として得るだけでは、世界を見ることはできない。歴史を知り、システムを捉えるための知的な蓄積が必要なのだ。この竹村健一との対談を読んで、佐藤優という人には、この知的蓄積があるように感じた。他の著作も読んでみよう。

―2008/01/18 金

小沼純一編『武満徹対談選 ―仕事の夢 夢の仕事』(ちくま学芸文庫 2007年) 引用・メモ

2008-01-18 10:38:30 | Chance Operation
●音楽文化史家の小沼純一が編んだ武満徹の対談集がちくま学芸文庫から出た。小沼純一編『武満徹対談選 ―仕事の夢 夢の仕事』(ちくま学芸文庫 2007年)。主に1970年代から80年代にかけての対談を中心に編まれている。対談相手は、黒柳徹子(徹子の部屋出演時の採録)、杉浦康平、辻靖剛、ジョン・ケージ、ヤニス・クセナキス、キース・ジャレット、ジョージ・ラッセル、秋吉敏子、寺山修司、谷川俊太郎、吉増剛造、デヴィッド・シルヴィアン、大竹伸郎、黛敏郎・岩城宏之。<ジュンク堂>で平積みになっているのを見つけてさっそく購い、喫茶店をハシゴしながら一息に読み終えた。

薩摩琵琶の奏者辻靖剛との対話から。
「われわれの琵琶は、やはり絹地に描いた枯木一本の墨絵のようなものだといいたいのですね。華やかなものもある。ちょうどベニヤ板に描いたペンキ美人のように。最初はきれいだ、しかしよく見るとよくない。美しいけれども、長く見るあいだにはあきてくる。そういうものではいかんのですね。やはり床の間に飾っておいても、いつ見ても筋金の通った、心打たれる美しさ、なにか暗示を与えるもの、そういうものが薩摩琵琶にあると私は信じているのです。薩摩琵琶は素朴なものであっても、そのなかに底知れない強さと美しさとをもっている。それをわれわれはつかまなければならないということです」。(辻靖剛)

ジョン・ケージとの対話から。
「私たちは多くの美しい機会(チャンス)に囲まれて生活しているのに、だが、それを見失いがちです。昨夜のあなたの音楽会も、素晴らしいチャンスでした。『四重奏曲(クワルテット)』という名の室内オーケストラは、静かな、だが比類ないほどに豊かな音楽でした。聴衆のなかには、その明晰さのせいでか、やはりジョン・ケージも歳をとった、というような声もありました。(笑)(私は)ジョンの音楽は、昔から、典雅(エレガント)で、優しさに満ちていたと思います。だが、『四重奏曲(クワルテット)』は、ただ美しいだけの音楽ではない。あれは、大胆に、在来のオーケストラの音楽を成立させていた原理を壊しています。ヨーロッパ近代音楽は、量的な空間というものをだいじにするんですね―。」(武満徹)
「そしてクライマックスへと向かう運動。」(ジョン・ケージ)
「たとえば、第一ヴァイオリンが二十人、第二ヴァイオリンが十五人と謂うように、量(マッス)がつくる等質空間。ところが、あなたの『四重奏曲(クワルテッド)』では、同種の楽器は遠く離れて配置され、空間は質的に多層になる」。(武満徹)

「ちょっと気付いたんだが、最近私がよく経験するようになったのは、これは私にとってほんとうに新しい経験なのだが、夜と昼の近さということだね。君も歳をとるとだんだん睡眠時間が短くなっていくと思うけれど、そうすると夜のかなりな時間を半ば目覚めた状態で過ごすことになる。そしてこの半覚醒状態には、一種の夢がある。それは、君がなんと呼ぼうと、それ以上のものだ。私はそれを白昼夢day-dreamingというのと考えあわせて、夜間夢night-dreamingと呼ぼうと思っている。現実夢とか睡眠夢とかいうよりね。睡眠夢というよりむしろ夜間夢なんだ。
それがなにかというと、もちろんそれは心の柔軟さだ。そう思わない?柔軟性、そこに日々の経験が積み重なって、私たちに、習慣をつくりあげてしまう。だからエリック・サティも言っているように、『経験は麻痺のひとつの形』なんだ。麻痺―動けない状態、柔軟さの正反対。
私の父は、熟睡している時に最良の考えが浮かぶ、と言っていたものだ。それは夢想ではない。そういう形のいろいろな考えがかれのところにやってきたということだと思う」。(ジョン・ケージ)

キース・ジャレットとの対話から。
「私が“近い(クロース)”という言葉を使うときは、それはパーソナリティより近いという意味なのです。我々は、というよりほとんどの人たちは、よくパーソナリティこそ人の中の一番中心にある、それ以上近づけないものとしてとらえているのだけれども、大事なものはすべてそのパーソナリティより近いところにあるのですね。だからそこまで私が近づけた時に武満さんにはもはやジャレットが弾いているとは聞こえなくなるし、カテゴリーだの何だのいうものも、私がそこまで達しないときには、いろいろなふうに聞こえるかもしれないけれど、でも私がパーソナリティよりも近づいた時に、そこにあるのは音楽、ただ純粋な音楽だけ。パーソナリティというのは殻のようなもので、その殻を常に破ろう、破ろうと努力をつづけなければならない」。(キース・ジャレット)

「私には他に先生もいましたが、音楽が私にとってはずうっと先生でした。私は同じ正直な関係を自分の作り出す音との間に保ってきたと思います。つまり、自分を見つめると、時々はひどくばかげたことをしたり、ある瞬間は真正直だったり、またうそをついてみたり、本当のことを言ったり、という自分に気づくと思うのだけれど、私の音楽との関係は、正に真正直なもので、それを私は今まで演奏している間ずっと見つめてきたんです。だから音楽はいつも私に欠けているもの、私が次にしなくてはならないことを教えてくれました」。(キース・ジャレット)

秋吉敏子との対話から。
「僕はいつもおもうことですけれど、僕が何かやろうと思って僕が考えるようなことは、きっと他のだれかも考えているに違いない。そこで考え方が二つに分かれると思うのだけれど、たぶん、だれかがやるからそれじゃ私はやらなくてもいいという人と、だれかがやっているから、それだから私がやってもいいだろう、という二通りの考え方があると思うのです。僕は、人ができないことをするのじゃなくて、人が考えていることだから僕はしなきゃだめだということじゃないかと思います。その外には、ほんとうの意味での、流行のことばでいえば、アイデンティフィケーションはないと思うのです。アイデンティファイするものはないと思うのです」。(武満徹)

寺山修司との対話から。
「コルトレーンが死んでね、コルトレーンのバンドが解散し、メンバーがばらばらになっちゃったあと、あそこのバンドにいたファラオ・サンダースって男が自分の子どもと一緒にマンハッタンのはずれの小さい、いわゆるジャズバーみたいな所で演奏してるのを見てね、その時に突然感じたのは、やっぱりジャズってのは外国人の音楽だなと思った。それは、おそらく黒人にとってもやっぱり外国人の音楽なんじゃないか、っていう感じだった。ヨーロッパ人にとっても僕らにとっても、白人にとっても黒人にとっても、結局全部だれにとっても、ジャズは外国人の音楽―故郷喪失の音楽だなって気がした。その異邦人の感覚っていうのが、ひどく重く在ってね。奇妙なエキゾチシズムと奇妙なアウトサイダー意識。なんかやり切れないような疎外感のようなもの、そういうものの総合された結果がジャズだって気がしてね。僕は、黒人はあのジャズを吹く時にものすごい生き生きとして、自分たちの肉体と自分たちの伝統を背負って吹いてんだ、っていうふうにいつも思い込みたいと思っていながら、アメリカで黒人のジャズを聴いて、いつも裏切られた」。(寺山修司)

「一つ一つの曲が聴き手の記憶と馴れ合って世界を作り出してゆく。大体、日付のある表現というのはみんなそうだ。その時おれはどこにいて何をしてたというアリバイを伴奏しているんだ。音楽っていうのはそういうものを超えようと葛藤してきて、少なくとも現代音楽は超えてきたのだけれど、歌とかジャズの魅力はその日付を絶対なくさないことにこだわるべきです。短歌なんてのは日付なしでは成立しないけど、自由詩っていうのは日付なしで存在するようになってしまった。谷川俊太郎の詩なんかやっぱり日付がある。しかし、大半は日付のない詩がすごく多くなったような気がする。だからやっぱり、詩は歌じゃなくなったんだ」。(寺山修司)

谷川俊太郎との対話から。
「僕らは一種の勘みたいなものでことばをつかまえてるわけでしょう。その勘というものが時代と一緒に動いているし、自分の年齢とも一緒に動いているんだよね、勘というものは固定したものじゃなくてね。自分の周囲の社会が動けば自分の勘もそれにつれて微妙にゆれてるわけ、いつでも時代の影響を受けてて。だからそういう意味ではすごく相対的なんだけど、言語というのはいつもそういうふうに自分の中にある言語と自分の外にある言語というのは必ずつながってて、同じ水面みたいにして水路でつながってて、片方が上がればこっちも上がるみたいなことがあると思うんだけどね」。(谷川俊太郎)

「もしあなたがいまかかれている詩に違和感があるとすれば、それは詩人に才能がないのでもなくて、日本語がだめななのでもなくて、要するに詩人がほんとうに生活していないということだというふうにも言えると思うんだ、おれは。それを生活していないというと何かまたすぐ私小説的なものとかそういう観念が日本は入ってくるでしょう。だからちょっと言いにくいんだけど、ほんとうに詩人というのは、もっと本気で絶対生きなきゃいけないんだよ。どうも本気で生きてないんじゃないの。本気で生きてれば、たとえば自分が晩ごはんで飲んだみそ汁と自分がかく詩がどっかでちゃんとつなげられるはずだと思うのよ」。(谷川俊太郎)

吉増剛造との対話から。
「きょう、武満さんのレコードを久しぶりにかけて聴きながら、同時に武満さんの言葉を読んでいたのです。その中に、何かぴったりそうだと思ってびっくりするようなことばがあったんですね。それが間の問題。武満さんの発言の中に、『日本人は「間をいかにあけるか」などという考え方をするんでダメなんですね。間をあけちゃいけない、間はいかにして詰めるかということから音楽がはじまるんです。その間を詰める詰め方に音の速度の問題が出てくる』とおっしゃっている。それの部分を読みまして、僕なりに翻訳した部分もあると思うけれども、昔からことば、詩を書くときに速度というのが非常に僕にとって問題だったわけです。スピード・アップをしないと詩というものはできてこないような固定観念があって、それを、間のことも考えるのですけれど、武満さんのおっしゃったように、間を詰めることによって、それこそマジックの魔が出てくるものです」。(吉増剛造)

「この間雪の中を飯山線に乗って、豪雪地帯へ一人で渡し舟を見に歩いてきたのですが、それで駅の待合室に戻ったら、田舎の駅の待合室というのはストーブがありまして、寒いから入り口も閉まっているのですけれど、そこでおばあさんがしきりに話しているのです。それを聴いているだけでちょっと感動したような部分がありましてね。内容も実際におもしろいのです。“うちにいてもおもしろくないから、だんなは病気だし―、テレビを見ていてもおもしろくない、だから……”というような感じでしきりに喋っている。その、本当に人間の語りぐあいとか、声だけでも聞いてみたいような……。今日あたりでも、武満さんってどんな語り方、喋り方をなさるかなァ、ドモってくれるかななんて、それがものすごく楽しみで、武満さんの語り口を聞こうと思って……」。(吉増剛造)

デヴィッド・シルヴィアンとの対話から。
「普通、音楽というと、小さなものを大げさに誇大に誇張したりする。つまりそれほど言うことがないのにたくさんのことを語ってしまうという特徴があると思いますが、武満さんの作品は、小さな形で拡大する、あらわす、シンプルなレベルでそれをあらわしているところに美しさがあるなと思っています」。(デヴィッド・シルヴィアン)

「僕たちは内面的な自己、内面的な存在ということをもっと考えなければいけないと思うんです。もしそれをしなければ、私たちはもっとナショナリズムとか、愛国主義とか、そういった方向に行くと思います。こういうナショナリズムというものは、人間が不安だから、何かアイデンティティを求めて出てくるものだと思うんです。そして自分が何であるかを定義するために、表面的な荷物のようなものとしてそれを持ちたがるんですね。しかし、自分の内面に安心と愛と責任というものを感じれば、そういった荷物は必要がないはずだと思います。その責任というものもだれかから与えられたものではなくて、みずからもつ責任、政治制度や国に対する責任ではなく、人類に対する責任、人類に対する愛とでもいうか。芸術というのは愛の延長にすぎないと思うし、芸術は愛の一つの行為だと考えていますので、そういうことを追及している人たちは自然に集まってきて、そして協力することができると考えています」。(デヴィッド・シルヴィアン)

大竹伸朗との対話から。
「時間の層の記憶がどこかしらに積み重なっているのかもしれませんね。たとえば日本の地下鉄の駅だったり、ニューオリンズの裏町とか、とんでもないところにとんでもない記憶の層が積み重なっているような気がするんです。それがたまたまひょんなことで引っかかってくる、それがだれかが見る夢じゃないか、そんな気もします。個人的なものじゃなくて、地球上にこれまで生まれた人たちの記憶のとんでもない層が、国籍とか時間のすべてを無視したところでポコッ、ポコッと積み重なっているという気がするんです。お伽噺みたいな話ですが」。(大竹伸朗)

―2008/01/16 水

呆ける

2008-01-17 11:59:00 | Chance Operation
昨日、一昨日、世間は連休だったようだ。成人式。おれは普段から働いていないから、世間が休みで街が混み合うときには、外にはでかけることなくじっと蟄居している。
一昨年までは十代の女の子との付き合いがけっこうあって、成人式となると何人かから振袖姿の写メールが届いたものだったが、昨今ではそんなこともない。
ずっと家にこもって何をやっていたかというと、Wiiスポーツをやったり、テレビを眺めたり、本(荻原魚雷編『吉行淳之介エッセイ・コレクション4 トーク』(ちくま文庫 2004年)、『en-taxi』)を読んだり、Pと遊んだりして、とりたてて何をするということもなく時間を過ごしていた。用事が立込んで忙しくしているより、気持ちのいいことを飽きるまでして、飽きたら放り出して、という感じで、何をするということでもなく過ごす方が、おれの生理には合っている。
本に没頭すると、いつまでもその世界に浸っていたくなるところを、ふと中断し、テレビを点ける。テレビ番組はほとんど退屈ではあるものの、ハイビジョンの放送は、そこに映っている事物、街や花や水溜りなんかを眺めているだけでも綺麗なので、番組の内容は別にしてその映像に見とれているうちに30分くらいは瞬く間に過ぎる。でも、そんなのは30分くらいで飽きるので、今度はWiiスポーツを起動して、しばらく「ボウリング」に没頭する。程のいい単純さにハマってずっと続けていたくなるところを、ふと中断し、少し小腹が減ったのでキットカットを食べながら、Pが起きてあくびをひとつ、それから背中をぐううんと伸ばす様を眺めて、その姿があまりに可愛く、思わず膝に抱きかかえて指先で喉元をこちょこちょすると、Pは気持良さそうに目を細めてゴロゴロゴロと喉を鳴らす。Pに膝を温められながら、ふと気づくと、さっき正午を回ったところだと思ったのに、もう空は暮れなずんできていることに気づく。暖房を切って、窓を開けると、爽やかな寒風がさあっと入ってきて全身を包み、それでもういちど目が覚めたような心地になる。

―2008/01/15 火

「何もない」がある

2008-01-14 11:16:39 | Chance Operation
●町田康『テースト・オブ・苦虫』(中公文庫 2007年)を読んだ。何年か前に単行本が出たときにも読んだので再読ということになる。内容はまったく覚えていなかったが、前回読んだときの感じは体に残っていて、読みながらその感じが蘇ってくるような感じがした。田島貴男が解説を書いていて、「脳の括約筋のトレーニング」をしているような文章だと書いていた。ああ、そんな感じだ。どこでもいいのだが、ペラペラとめくり、任意の箇所を読んでみる。

―「点け放しのテレビジョンから流れるぎゃんぎゃん喚き立てるばかりで無内容なこと甚だしい音が思考・思索の妨げになるのでリモコーン装置を操作して音を消し思考・思索に耽り、ふと疲れて顔をあげるとニュース画面に奇怪な文字と映像が映し出されていた。私は思索を中断午後中ずっとそのことについて考えた。画面には苦しげな顔の農林水産大臣。揃いの鉢巻を巻き襷をかけて気勢を上げている人たち。海のなかに横たわる長大な建造物が映し出され、それらにオーバーラップして『ノリ問題』という大きな文字が躍っていた。
『ノリ問題』。蓋し重要な問題である。やはり人間なにごともノリが大事で、世の中にはノリなどなくても大丈夫と思ってこれを軽視する人があるが大間違いであって、なにをやるにもノリというものがなければうまくいかぬ事が実に多い。……」。

この文章はこの後「人生においてノリがいかに大事であるか」ということをめぐって続けられていくのだが、この冒頭の第一節目は、文章の主題からすればべつになくてもいい余分な部分だと言える。しかしこの「ノリ問題」という「問題」が、そもそも「思索に疲れてふとテレビジョンの画面を眺めた」その刹那に思いついた、言わばその問題自体が取るに足らない、考えても考えなくても同じような、放っておけば泡のように消え失せるだろう「余分」な問題に過ぎないのである。冒頭第一節目の状況説明があることで、ふと余分な問題を思いついてしまう、そんな男の在りようが髣髴となる。この文章は、「ノリ問題について書かれたエッセイ」であると同時に、「ノリ問題などという『余分』な問題を考える男のドタバタ劇」でもあるのだ。

加藤典洋は、町田康の文学を指して、「何もない」を越えて「『何もない』がある」ということに気づいてしまった人間の書く文学である、という意味のことを語っていた。「『何もない』がある」という、その『何もない』は、どんな姿かたちをしているのだろうか。どんな在りようをしているのだろう。
空虚な『何もない』が、現実の圧のなかで、ひよひよと頼りなげにふらついたり、とんでもないタイミングで飛躍したり、いつまでも同じところをぐるぐる周り続けたり、そうした運動の軌跡が、つまり町田康の文章である。町田康の文章を読んでいるとき感じる独特のダイナミズム、脳の括約筋をトレーニングしているかのような感覚、その正体。

●何もすることないなぁ、といつものように街をふらついて、けっきょく図書館に向かい、稲川方人+樋口泰人編『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド出版局 2000年)、リン・ティルマン『憑かれた女たち』(杉浦悦子訳 白水社 1994年)の2冊を借り出した。丸の内から名駅まで歩いて引き返し、いつものドトールに入って、『ロスト・イン・アメリカ』を読み始めた。青山真治、阿部和重、黒沢清、塩田明彦、安井豊による座談録(「1980年代以降のアメリカ映画の変容」が主題)を中心に編まれている。何箇所か、気になった発言を引用する。

「塩田の言葉で言えば物語の全体としてはサスペンスってものがまったくなくなってしまった。これからどうなるんだろうとハラハラドキドキするんじゃなくて、ただ唖然としてどうなるか見てるしかないっていう作り方ですね。各所各所に見せ場があるからそのとおりワーキャー言うんですけど、総体としてはまったく行き当たりばったり。これってつまり現実ってことですよね。『ジュラシック・パーク』は、スピルバーグが映画をいよいよ、物語のレベルから現実にレベルにスライドさせてきた作品であると僕は見るんですが」。(黒沢清)

「存在論的なものというのを一言で言うと、要するにさっき黒沢さんがおっしゃった現実ってことですよね。つまりそうであるしかないってことです。こうにも見える、ああにも見えると、いろんなふうに解釈しうるっていうのが観念だとしたら、こうとしかありえないっていう物事の有り様、つまり現実ですね。それをまさにそうとしかありえないものとして描くことを僕は叙事と呼んだりもするんですけど。例えば『悪魔のいけにえ』なんかが存在論的、あるいは叙事的だと思うのは、さっきも黒沢さんが『ジュラシック・パーク』に関して指摘されたように、あの怪物一家に出会った人間たちはただもう逃げるしかないわけですよね。何かをどうかすれば立場を逆転できるってことじゃないんですよね。なんらかの賢い行動があって、最後に見事な反撃に打って出るってわけでもない。ひたすら逃げて逃げて、助かったとしたら、それはあくまで偶然だよねっていう。そういう偽の距離を捏造しない映画の作り方ですよね。それは僕は存在論的とか叙事的とか言ったりしてるんですけど。ただ、そういうとりつく島のなさって要するに悲劇あるいは喜劇の基本的な世界把握ではないかとも思うんですけど」。(塩田明彦)

「これは以前から思っていたことなんですけど、キャメロンという人は要するに叙事の問題を分かっていないんですね。物事の有り様の決定性や絶対性に対する感性が、彼にはどうにも欠落している。物事が人間の感情なり思惑なりを平然と蹂躙しながら作動していく感覚、ひとたびスイッチが押されてしまえばもう誰にも止めようもなく、ある地獄へむけて歯車が作動していく感覚、そういう物事の有り様の非情さというものを彼は描くことできない。
例えばこれは傍系的な描写ですけど、(『タイタニック』の)あの楽師たちのエピソード。史実的なことを言えば、彼らがなぜ沈みゆく船の上で音楽を演奏し続けたかというと、そうやってみずから粛然と冷静さを示してみせることで乗客たちのパニックを抑えようとしたのですね。で、傾きゆく船の上で彼らは演奏を続けたわけだけど、一度それを始めたらもう止めることができないわけですよ。なぜかというと、危機の中で平然と音楽を演奏し続けていた彼らがあるとき不意に演奏を止めたら、まさにそのこと自体が一種の最後通牒として乗客たちに受け止められてしまうからです。それゆえ、彼等は本当にあの船と共に沈む覚悟で最後まで演奏を続けた。死を覚悟して職業意識を貫き通したわけです。実に感動的で、そして非情な話なんです。ところがこの場面は、ただなんとなく楽師たちがうなずきあって演奏してるという、なんとも間の抜けたものになっちゃってる。前半の段階からそれなりに楽師たちを描写しとかなくちゃ、いきなりあそこに出しても彼らの“顔”が見えてこないですよ。顔が見えないから、彼らの職業意識もまるで真に迫ったものになってこない」。(塩田明彦)

「二人を比べてみると、僕の印象では、キャメロンの方が実はずっと物語に固執しているように見えますね。物語に映画を合わせようとしてる。スピルバーグは本人何考えてるか知りませんけど、ともすると映像が突出してですね、語られている物語を見失う。で、慌てて説明に入ったりするんですが、それでますます混乱する。少しくらい混乱したっていいんだと開き直っているところがチャーミングで。だから、復古的な意味で言ってもキャメロンの方が僕にとってはえらく古く見えて、スピルバーグの方が見たこともない映画に見えることが実はあるんです。別にこの二人に限らず、安井君が言ったようなこの20年ぐらいのアメリカ映画をとりあえず肯定して、40年代と比べてどうだったかということをあまり考えず、見るとおもしろい。ほっとするとそれまでこんなものだねって思っていたかもしれない映画の物語が、すごく変に見えてくる。その結果2時間半になったりもする。それは悪いことかいいことか分からないんですけど、映像優位になるがゆえに、語られる物語も本人の意図と関係なく実は変容してきているんじゃないか。そんな状況の中にあって、スピルバーグではなくキャメロンの方が、いやいやそうではいけないと思っているのかもしれない、っていう気さえするんです」。(黒沢清)
「今の黒沢さんの発言を僕なりに言い直すと、要するにキャメロンの視覚性というのは物語に対してきわめて予定調和なんですよ。つまり説明してるわけですよ、キャメロンは。何かこれまでに見たこともないようなすごい映像を撮っているようで、実は見たことがなくても想像できる範囲のレベルの映像を物語に沿って律儀に配置しているだけなんですよ。例えば宮崎アニメの縦に割れる雲とか、飛行艇を跳ね返す雲というビジョンがありますね。あれはビジョンとして僕らの想像を超えていたがゆえに僕らを驚かす。ところがキャメロンの映像ってのは基本的に僕らのビジョンを超えないわけです。見たことはないけど、想像できるわけです」。(塩田明彦)

「例えば現実世界というものには本質的に統覚がないわけですね。そこに人間界から視点を導入しない限り、統覚というものはない。で、人はそこになにがしかの統覚を持ち込むことで現実世界の中にある種の目的と距離を導入する。すると、その時ある人間を登場人物とする物語が生まれるわけですね。ところが、映画は今やそうした統覚をあえて消す方向にある可能性を見いだしつつあると。あるいはそれがある形式として完成されつつあると」。(塩田明彦)

「オリヴァー・ストーンが『JFK』を撮った時に、安井さんがあの映画のカットの速さ、カメラの視線の在り方みたいなことで『JFK』を取り上げてましたよね。で、あの物語というのは、誰がどこからケネディを撃ったのか?ということに終始するわけじゃないですか。ミステリーというか、謎解きとしては。つまり、視線の位置を疑う物語ですよね。あの頃から、意識的にか無意識的にかアメリカ映画の中に、スピルバーグで言えば誰が語っているのかという問題やら、誰がそれを見ているのかという問題が、形式だけじゃなく物語のテーマそのものとしても出てきたんじゃないかなっていう気はしている」(青山真治)

―2008/01/12 土

余生、余勢

2008-01-12 12:15:22 | Chance Operation
●今年の正月は、正月らしいことはほぼ何もしないまま終わった。初詣にも行かなかった。ずっと部屋に籠もって、何をしていたかというと、DVDで『ディスパレートな妻たち』を観ていた。アメリカのドラマシリーズである。シーズン1が23話、DVD11枚、シーズン2が24話、DVD12枚。計47話、DVD23枚をゲオで借りてきて、実質5日で観通した。内容は、4人の妻たちがそれぞれの家族のなかで葛藤や融和を繰り返すという、アメリカのドラマによくある小さなコミュニティの群像劇である。わかりやすい(区別のつけやすい)キャラ設定と、程よい(あまり複雑でもなくひどく単純でもない)サスペンス構造。こういうのは、最初の1、2話でその設定を理解すれば、あとはほとんど頭を使わなくても観続けることができる。いや、観続けないではいられなくなる。“はまる”という状態に陥ってしまう。ギャンブルにはまる、とか、女にはまる、とか、覚醒剤にはまる、とか、つまりある一定の刺激に耽溺してやまない心持ちになる。まあ、とは言っても、所詮はホームドラマである。ギャンブルや女や覚醒剤とは違って、観終わればそれきりのこと、特に禁断症状に苦しむということもなく、もはやお話もほとんど忘れかけている。

●Wiiを買ったので、ここ数日は、妻とふたりでWiiスポーツをやっている。種目は、ベースボール、ボウリング、テニス、ゴルフ、ボクシングの5種類。例えばベースボールでは、スティック状のコントローラーをバットに見立てて振り回し、ピッチャーが投げた球を打つ。テニスではラケットに見立てて、球の打ち合いをする。これがけっこうな運動になる。医学会ではWiiスポーツは運動にならないという見解が出されたということだが、では、今おれの腕を上がらなくしているこの二の腕の筋肉痛を何とする。おれのように普段まったく運動も労働もせずフニャフニャダラダラ暮らしている人間には、Wiiスポーツは十分運動になるのである。が、しかし、だんだんコントローラーを使うコツが飲み込めてきて、あまり無駄な力を使わずとも高得点が出せるようになってきた。操作に習熟してゲームは楽しくなってきたが、運動の効果は望めなくなっていく。ま、いいけど。

●車谷長吉『弔中』(文春文庫 2006年)を読み終えた。
表題作の「弔中」の主人公は67歳の男で、彼は「夫婦心中の生き残り」だ。病にふせる妻と共に死ぬ約束を交わし、妻に手をかけて、自分は死ねなかった。今は腐っていく妻の死体の傍らで、日々を暮らしている。パチンコでわずかな蓄えも使い尽くし、さらにサラ金やヤミ金で1千万近くの金を借りて、サウナのマッサージの女に貢いだ。自分を死の淵まで追いつめるためだ、と自分では思っていて、じっさい最後にはその目的どおりの状態になる。男は死ぬ。死ぬことが適った。
男と妻との間の親密な交情(男は妻の死体の腐臭を胸いっぱいに吸い込んだりする)が胸に迫り、死に向かうわずかな猶予期間に若い女と交わす生々しい情交に肌がざわめく。佳品であった。

●<ジュンク堂>で、柳下毅一郎『ハリウッドがつまらなくなった101の理由』(エクスクァイア・マガジン・ジャパン 2007年)を購い(1600円)、喫茶店で目を通した。
柳下毅一郎が「エクスクァイア」に連載している映画時評。樋口泰人との対談がおまけに付いている。最後まで一気に読みきった。最近の映画がどのようにつまらないのか、という“悪口”のなかに、映画への愛が滲み出している。つまり、悪口に芸がある。
例えば「タイタニック」。この映画はなぜこんなにもつまらないのだろうか。

「『タイタニック』は壮大なラブ・ロマンスである。意に染まぬ結婚を強いられた自由を愛する処女と、才能あふれる貧乏画家とが運命の船で出会う。いささか少女趣味な気がしてならないが、それはそれ。問題なのはこれが物語の中心、というよりも唯一のプロットだというところにある。いささかでも性格を持ったキャラクターはこの二人以外には三角関係の相手である婚約者のみ。それ以外の登場人物はただ員数合わせにその場にいるだけだ。
タイタニック号の沈没では全乗船客の三分の二以上が死亡した。とてつもない悲劇である。だが、千五百人の死者も、それだけではただの数字でしかない。死者一人一人の重みを感じさせる工夫がなければ、三分の二でも全員死亡でも同じことだ。そして、その点ではキャメロンは完全に失敗していると言わざるを得ない。性格も持たず、名もない人々が何人死のうと、せいぜいが数合わせでしかない。『ポセイドン・アドベンチャー』でシェリー・ウィンタースが死ぬシーンを誰が忘れられるだろう。だが、あれ以上の場面などいくらもあるはずのこの壮大な沈没事故で、ドラマチックな死はたったひとつ(それも、容易に予想されるもの)しかない」。

―2008/01/11 金

古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』(講談社 2007年) 引用・メモ

2008-01-11 10:44:56 | Chance Operation
●昨日読んだ古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』(講談社 2007年)から、古井由吉が「近代―現代」という時代について書いている箇所を引く。
「世界のどこかで惨事が起こる。理解を絶したことだと呆然としていると、そこに至るまでの、関係地域や関係民族の歴史を人に教えられて、そういうことだったのかと得心する。しかししばらくの後、たしかに歴史的な経緯はよほど呑みこめたが、それにしてもそこからどうしてこのような事件が生じたのかと、その発生の境のところがさらに不可解になる。事件そのものに、長い歴史の陰翳が濃く落ちているようには、かならずしも見えないのです。
すべては長い歴史から、由って来たるもののはずですが、近代は異常に屈折率の高いレンズのようなものであるらしく、歴史はそこに入ると鋭い角度で方向が折れる。レンズならそれだけだが、近代は歴史の質まで変える。普遍と言えば聞こえはよいが、すべてが同質になりやすい。極端まで行けば、無質になりかねない」。

この古井由吉の言葉を受けて、松浦寿輝はこう書いている。
「グローバリゼーションもインターネットも、言ってみれば、もはや『外部』はないという宣言です。岬を回りこんで新たな海域に出ようとしても、もはや既知なるものとしかめぐり遭えない。『近代』の船が逢着しつつある『異域』と古井さんが呼ばれたものは、案外、そうしたあっけない場所なのかもしれない。
『近代』は、破船の刻を先へ先へと繰り延べつつ、しかも破船への切迫した脅えそれ自体をむしろ原動力としつつ、航行を続けてきたような按配ですが、どうやら船は、難船という華々しい悲劇的運命を享受する以前に、燃料切れでぶざまに立ち往生し、新たな岬の在り処を遠望しようとする熱望そのものを、曖昧に萎えさせつつある。
言語の危機、と古井さんは言われた。まことにごもっともと思うのは、言語とは本来、『外部』それ自体に属するものだからです。『内部』の者同士の意思疎通に益する道具が言語だというのは俗見にすぎない。人間にとって言語は、とりわけ自国語は、絶対的な『外部』であり、どうしても手の届かぬ彼方に退いてゆく永遠の異物であるはずだ。ところが、今人々は、『内部』の閉域での符牒のやったり取ったりだけでコミュニケーションの用は足りると信じ、言語というこの怪異な化け物への畏れをすっかり失ってしまっているようです」。

「近代」が「異様な屈折率を持つレンズ」のようなものであるなら、「いま、ここ」を構成する「歴史」を知るためには、その「屈折率」を解きながらでなければなしえない。
「いま、ここ」を構成する「歴史」を知りえたとき、はじめて「次手」を指すことができるはずである。
しかし、それは幻想に過ぎず、もはや「歴史」という概念自体が失効しているのかもしれない。
どのような「言葉」が、この同質化した世界を、異様性―多様性へと切り開く力を持つのだろうか。

●小説は、今、どのようにして書かれえるのだろうか。
松浦は、今は、「距離のパトスのない時代」だと、ニーチェを引く。
「『偶像の黄昏』でしたか、ニーチェがおもしろいことを言っていて、ルネッサンスのような『強い』時代には、人と人との間、階級と階級との間に距離があり、その距離にパトスがみなぎっていた。そのパトスを通じてこそ、自分が自分自身になり、自分を他から卓越させたいという欲望が実現されたんだと。ニーチェ自身の生きていた十九世紀後半のドイツはそういう『強い』時代ではあり得ないという嘆きなんでしょうが、さらに時代がくだって、我々はそれよりさらにいっそう『弱い』時代を生きている。『距離のパトス』が失われているんですね。そうすると、結局、個人ひとりひとりが自分自身の内面に無理やり『距離』をつくり出していくしかない。これは何とも厳しい途ですよね。切羽詰った力業によって、そのつど捏造されるほかない文学の発生でしょう」。(松浦)
「距離のパトスがない」とはどのような事態を指すのか。
例えば小説に登場する誰が何をやっても、そのすべてが作者の恣意的な操作によるものでしかないという感覚。つまり、そこで描かれる人物の行動も心理も、現実に生きている自分とは、直接切り結ぶことのない、空疎な虚構でしかないといった感覚。こうした感覚は、「(作者である)個人ひとりひとりが自分自身の内面に無理やり『距離』をつくり出している」ことに由来するのかもしれない。小説を読むときにつきまとう徒労感は、小説を読むということが、そうした空疎な虚構に付き合うということを強いられる体験だからにほかならない。
「距離のパトス」がないということは、「歴史的な必然」もないということである。いや、「ない」というのは言い過ぎかもしれない。限りなく希薄になって、ほとんど「ない」に等しくなっている状態。小説の作者は、そのうっすらした濃淡を見据えて、そこに無理やり「距離」を「捏造」する。

「登場人物を造形し、その人物たちに何か葛藤を起こさせる、そういう仕掛けはとりあえずの口実に過ぎないのか、それとも小説の基本的な条件だと思ってらっしゃるところがそれでも多少はあるのか」。(松浦)
「基本的な条件でしょうね。ただ、その人間の出し方や葛藤の表し方について、近代小説はそれ自身の虚構で膨れ上がっているわけです。小説を評するときに、人間が書けている、人間関係の屈曲がよく出ているなんて常套句があるでしょう。でも、現実に人と渡り合っているとき、ああいう文学的な人間認識にどれだけリアリティがありますか。ドストエフスキーの時代ならともかく、小説の人間認識という神話はもう信じられないですね」。(古井)
「ドストエフスキーみたいな小説はもう成り立ちにくいでしょうね。」(松浦)
「だから、私の事としては、出来るだけ小説的な要素を切り詰めたほうがいいと思うんです。これ以上いったら小説としては成り立たないその際まで切り詰めたほうが、あるいは現実に人と渡り合う人間たちの認識や感情と一瞬出会う可能性がある」。(古井)

「言語は『わたし』という観念を、その文の理つまり文法の、『始め』に据えているのではないでしょうか。あらゆるセンテンスは、『わたしは言う』あるいは『わたしは思う』あるいは『わたしは聞く』あるいは『わたしはそれを真相と取る』など、その否定的な形も含めて、たいてい省略されていますが、これに支配されているのではありませんか。われわれ当今の作家の、しがない推敲も、この始めの「わたし」に照らしてのことではありませんか。
推敲のことはどうでも、ワタシの輪郭が崩れ去れば、アナタもソナタもなくなる。事物と事物との、同じも違うもない。何々であるも何々でないも、ない。すべて境界が失せて混然となり弁別がつかない。そのような極限は実際にあるでしょう。極度の下に置かれた人の心を、私は思います。とにかく、物が言えなくなる。
薄められた極限と言えば皮肉になりますが、満遍もないその予兆の中でわれわれの『わたし』は崩壊を思う。しかしそのつどあらためて自己を回復するその運動が、『わたし』というものなのでしょう」。(古井)

●いかにも小説に登場しそうな登場人物が、いかにも小説に書かれそうな人間関係の屈曲にもまれて、そのなかで葛藤し、融和する。そのような数多の小説は、現実を生きている「私」のリアリティとは、無関係に生産され、消費されている。
では、リアリティのある小説は、どのように書かれえるのか。

「今どき文学上のリアリズムっていうと、まあ多少文学を考える人はまともに付き合うまいと思うでしょう。リアリズムというのは、人がどこで得心するか、なるほどと思うか、そのポイントなんですよ。つまり人は論理で納得するわけじゃない。論理を連ねてきてどこか一点で、なるほどと思わせるわけです。その説得点あるいは得心点ともいうべきところで、形骸化されたリアリズムが粘るというのが、文学としてはいちばん通俗的じゃないかと思うんです。説得点にかかるところだけはすくなくとも人は真面目にやってほしい。つまりこんな言い方もあるんです。今どき文章がうまいというのは下品なことだと。それをもう少し詰めると、感情的な、あるいは思考の上でのポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる。筋の通ったあり来たりならいいですよ。もしもそういう筋の通った『俗』がわれわれにとって、説得点として健在ならば。しかし時代になんとなく流通するものでもって人に説得の感じを吹き込む、そういう文章のうまさ、工夫、これは僕はすべて悪しき意味の通俗だと思う。これがいわゆるオーソドックスな純文学的な文章にも、ミナサンの文学にも等しくあるわけだ。これをどうするのかの問題でね」。(古井)

―2008/01/10 木

空の青み

2008-01-10 11:59:28 | Chance Operation
●午前中には仕事を終え、昼過ぎからとくに行く当てもなく街に出た。ザ・フォーク・クルセイダーズの『メモリアル』を聴きながら歩いた。
とてもいい天気で、名曲「悲しくてやりきれない」の冒頭―「胸にしみる空の輝き 今日も遠く眺め 涙を流す」というフレーズが、切ないように胸に逼ってくる。

胸にしみる空の輝き
今日も遠く眺め
涙を流す
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか

何か事件や物語があって悲しいのではない。ただ悲しい。「空の輝き」に照らされている、この一身の存在が悲しい。そういう歌だ。
この歌を聴くたび、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユの『空の青み』という小説を連想する。
バタイユは、人間が人間であることの根拠に、人間以外の動物にはないある「過剰」があると喝破し、その「過剰」を「呪われた部分」と名づけた。
そして、人間は、その「呪われた部分」を「蕩尽」するためにのみ存在している。自らを消し去ることを至上の目的としている存在…人間とはそうした根源的に悲しい存在なのである。
人間が人間であるということ、それ自体が悲しい。サトウハチロー作詞のこの歌は、純度の高い言葉で、その「人間が人間であるという悲しさ」を表現している。

●池内紀『作家の生き方』(集英社文庫 2007年)を読み終えた。その中で、坂口安吾を取り上げた「退屈」と題された章に、こんな一節があった。
「退屈とは、ひとことにしていうと、この世、またわが身というもの、自分がもっとも愛しているはずのそれが、かくべつおもしろくもおかしくもないと気がつくことである。とりたてて何一つ言うべきことがない。だからこそ退屈者は、ことのほか大胆な説を立てる。目をむくような主張をして、地の果てまでへも突進する」。

もうひとつ、寺山修司を取り上げた「ホラ」と題された章の、こんな一節。寺山修司のフリークス(小人や大男、シャム双生児、狼男)への傾倒について論じた一部分を引く。
「寺山修司のつねにもどって行ったところである。拡大、縮小、また歪曲のなかで、人間が人間の尊厳をはぎとられ、世にも奇妙な生きものにならなくてはならない。地上の人間でありながらバケモノ視され、しかし、やはり人間の自画像そのもの」。

●午後2時を回った頃。この時間になると、いつもうっすらとした眠気に襲われる。半ばボーッとした心地で、栄の<丸善>に入った。
古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』(講談社 2007年)を買った。1700円。ハーゲンダッツに入り、オレンジジュースを飲んで、15分くらい仮眠を取ってから、読み始めた。前半は往復書簡、後半は対談といった構成。対談の部分から読み始め、店をドトールに変えて、コーヒーを飲みながら、往復書簡の部分に読み進んだ。とても刺激的で、付箋紙でいっぱいになった。

「でっかい借財というブラックホールが臨在する社会で、人間の生命力は薄れて絶えて行くのか、それとも昂進するのか、社会にとっても個人にとっても重大な関心事でしょう。借財を抱えていない人間だって、こう生きたいと自分では思っても、いざ実行に移すとなると、ブラックホールがその願望を嘲笑うわけですよ。そういう状態で、人間の生命力がどうなるのか、興味がありますね」。(古井)

「経済成長といい、バブルといい、いずれにしてもインフレでしょう。インフレになると物事が根をねくしやすい。物事がつねに新規に追われて、それなりのいきさつとか歴史を持つ閑もない。そうなってから、もう三代目ぐらいに来ている。だから、重みがある言葉で語れといっても、そもそも重みという体験がないのだから、できない。文字そのものが、随分心細いものと感じられてしまう。それで、余計に言葉をまき散らす。そういうことなのではないかと思うんです」。(古井)

「羽生さんの語っていた話で、僕がおもしろいと思って覚えているのは、将棋で長考するということがありますね。そのときいったい何を考えているのかというと、ここからこの手を指すと、相手がこう指してこういう局面になり、次にもしこう指せば、あるいはああ指せば……といった具合に可能性が分岐していくわけですね。で、もちろんそういうことも考えているんだけど、むしろ初手から現在の局面までに至る過去の過程をもういちどおさらいしていることが多いんだと。そう羽生さんは言っていて、ああ、そういうものかと思いましたね。時間の流れのなかで徐々に形成されて、今のできあがった図があるわけだけど、どういう思考の蓄積の中からその図が出てきたのかということをもう一度確かめ直す。そうすると、おのずからその次も出てくる」。(松浦)

―2008/01/09 水

意味より、無意味の方が広大である

2008-01-08 11:39:59 | Chance Operation
●部屋でトイレに入ると、必ずPが走りよってきて、いっしょにその狭い空間の中に入室する。完全に熟睡しているときだけは別だが、すこしまどろんでいるくらいの時であれば、Pはこちらがトイレに入ったことを見逃さない。眠気に足をふらつかせながらも、ヨレヨレと走りよってくる。
Pの部屋の中での居場所は決まっていない。リビングではなく、トイレとは離れた別の部屋にいることもある。しかし、おれがトイレに入ると、どこにいても必ずそのことを察知し、トイレを目指して走りよってくるのである。ドアを開け閉めする微かな物音に反応しているのだろうか。しかし極力音を立てないようにそおっと動いても、やはりPはおれがトイレに入ったことを察知する。
たまに、Pが入室してくる前にドアを閉めたりすると、ドアに前足をかけて、ガリガリと爪とぎを始める。しかたなく小さくドアを開けると、その隙間からすうっと入室してきて、足元にちょこんと座り、おれが用を足す間はおとなしく待っているのだ。
何を待っているのかというと、おれが立ち上がり、水を流すのを待っているのである。用を済ませ、立ち上がり、便座の蓋を閉め、水を流す。すると、蛇口からタンクに水が流れるのだが、Pはその水が飲みたいのである。蛇口から水が流れ始めると、タンクの縁に前足をひっかけて立ち上がり、蛇口に口をつけて、水が流れているあいだ、美味しそうにその水を飲んでいる。
水は常に飲めるよう皿に入れて置いてある。その水も飲むのだが、それはしょうがなく飲んでいるかのようで、Pには蛇口から流れる水がいいらしい。
しかしそれにしても、どんなときでも、どんなところからでも、トイレの水を求めて駆けつけるその情熱はいったい何なのだろうか。
パンツを下ろし、便座に座っているおれの足元に、Pが座って、真丸な眼でおれの顔を見上げている。
最近では、たまにどうしたわけかPがトイレに入ってこないと、なんだか落ち着かないような気分すら覚えるようになった。

●Pは、一日の大半を眠って過ごしている。数時間熟睡して、数時間まどろんで、また数時間熟睡して、それからようやく目を覚ます。餌を食んで、水を飲み、トイレを済ませ、部屋の中をひとしきりうろちょろ歩き回って、適当な場所を見つけて、そこでまたまどろんで過ごしている。たまに、どういうわけか興奮して、部屋中を走り回っているときもあるのだが、それもせいぜい15分くらいしか続かない。走り回った後は、たいていフローリングの床にべったりと寝そべって、息を鎮めながら、たいていはそのまままたまどろみのなかに入っていく。
おれは、Pと暮らすようになって、Pを眺めているうちに、その優雅さを模倣してみたいと思いたった。
よく考えてみれば、人間がやっていることの多くは、必死で暇を潰しているだけのことのようにも思えてくる。何をしても何もしなくても同じことなら、何もしないでいてもいい。いや、そうできれば、その方がずっと高尚である。Pのその優雅な佇まいに照らせば、必死になってあくせくと暇を潰すことに余念のない人間という生き物が、いかに下賎な存在かが身に沁みてはっきりする。
テレビもつけず、音楽もかけず、薄暗い部屋の中で、何もしないでぼおっと時を過ごす。放心しているわけでもなく、眠っているわけでもない。ただ、半ばまどろんでいるような状態で、時間の流れのなかに溶け込んでいる。
もっとも、Pのように優雅には行かない。下賎な人間に過ぎないおれは、一日のうちわずかな時間を、そんな無為のなかに過ごすのがせいぜいで、後の時間は、やはりじたばたを時間を潰すのに足掻いて過ごしている。

●ただ、一日のうちで、無為に過ごすわずかな時間があるのとないのとでは、まったく違っている。
意識より、無意識の方が広大である。意味より、無意味の方が広大である。光より闇のほうが広大である。
わずかでも無為な時間を過ごせば、一日の活動のすべてを足したものより、時間にすればわずかなその無為の方が広大だということが知れる。自分の活動、自分の生の意味など、広大な無意味のなかに浮かぶ小さな島のようなものに過ぎないのだということが知れる。