朝7時起床。
日記をつけ、目を覚ましたポン太を愛でる。ポン太は、衣類に付いているタグや、椅子に座布団を固定するための紐の結び目など、ピラッとしたものが気になるらしく、しきりに手で弄ったり、食いついたりしている。
朝飯は粥とサラダ。
今日は午前中に一件、クライアントとの打ち合わせがあったので、地下鉄で栄に向かう。12時過ぎに打合せを終え、同行したK君と昼飯にする。ヒレカツ定食。カツなど本当に久しぶりである。腹にドシンと来るかな、と心配したが、そうでもなかった。
午後、ハーゲンダッツに入り、コーヒーを注文して、高城剛『サヴァイヴ! 南国日本』(集英社)を読み終えた。例によって、昼過ぎの強烈な眠気に襲われ、椅子に深く凭れて、15分頭をOFFにする。
『サヴァイヴ! 南国日本』には、「地球が温暖化している。暖かくなれば、それにともない、流行やライフスタイルは大きく変わるだろう。現に、音楽、アパレルなどの“時代の気分”に敏感な分野の流行は“南下”の兆しをみせはじめているし、今までは怠け者だったスペイン人も、すっかり働き者になっている。今後温暖化地球環境に適応して生き延びていくためには、日本人もドラスティックに“南国モード”に頭を切り替える必要があるのだ!」というお話が語られている。
思わず「マジかよ!?」とツッコミを入れたくなるようなざっくりした立論ではあるが、それでもやはり高城剛の文章を読んでいると、そのツッコミ目線を忘れ、自然とワクワクしてくるような興奮を感じてしまう。それは、高城剛の文章を駆動するモチベーションが、彼自身が感じている時代のグルーヴ感を表出することにあるので、彼の文章を読んでいると、こちらもそのグルーヴに巻き込まれざるを得ないからである。立論の表層的な精緻さなどは、どうでもいいのだ。
彼はこの本の中でしきりに、どんな“夢物語”に依拠しようとかまわないから、とにかく日本は“スロー”なんてことを言ってる場合じゃなくて、もっと“速く”、ドラスティックに心身のシフトチェンジをしなくてはならない、とアジっている。ここで言われているのは、何のために、とか、どこに向かうために、という“夢物語”は、“適当なもん”でかまいやしない、とにかく“変化”してみろ、そうすれば時代の波動にのれるかもしれない、それはとても楽しくて気持ちいいことなんだぜ?ということである。
本を読んでいたら、Iから、窓辺で爆睡中のポン太の写メが送ってきた。可愛い。あまり可愛かったので、猫好きと思われる友人の何人かに転送しておいた。
夕方は、毎月末やっている料理写真の撮影の仕事をひとつこなす。
夜は、以前に勤めていた会社の後輩W君と、約1年ぶりに飯を食った。伏見に最近できたすいとん屋で、鴨の肉やすいとん汁を食べた。今日は、すこし食べ過ぎている。腹は大丈夫だが、明日の体重、体脂肪が心配だ。
W君は、今年30歳になったそうだ。あいかわらず、モラトリアムな悩みを抱えている。それでも話していて面倒くさい気分にならないのは、彼が、自分がいかにヘタレであるかを自覚し、自分のしょぼさを冷静に語ることができるからだと思う。
10時過ぎに家に帰って、仕事で請けているHPの更新作業をする。眠気に抗しながら、なんとか1時前には作業を終えた。仕事をしていても、10分に一度はポン太の動向をチェックし、面白い動きをしているときは、そのまましばらく観察して過ごす。しかし不思議と、それで仕事の効率が極端に悪くなる、ということはないようだ。
日記をつけ、目を覚ましたポン太を愛でる。ポン太は、衣類に付いているタグや、椅子に座布団を固定するための紐の結び目など、ピラッとしたものが気になるらしく、しきりに手で弄ったり、食いついたりしている。
朝飯は粥とサラダ。
今日は午前中に一件、クライアントとの打ち合わせがあったので、地下鉄で栄に向かう。12時過ぎに打合せを終え、同行したK君と昼飯にする。ヒレカツ定食。カツなど本当に久しぶりである。腹にドシンと来るかな、と心配したが、そうでもなかった。
午後、ハーゲンダッツに入り、コーヒーを注文して、高城剛『サヴァイヴ! 南国日本』(集英社)を読み終えた。例によって、昼過ぎの強烈な眠気に襲われ、椅子に深く凭れて、15分頭をOFFにする。
『サヴァイヴ! 南国日本』には、「地球が温暖化している。暖かくなれば、それにともない、流行やライフスタイルは大きく変わるだろう。現に、音楽、アパレルなどの“時代の気分”に敏感な分野の流行は“南下”の兆しをみせはじめているし、今までは怠け者だったスペイン人も、すっかり働き者になっている。今後温暖化地球環境に適応して生き延びていくためには、日本人もドラスティックに“南国モード”に頭を切り替える必要があるのだ!」というお話が語られている。
思わず「マジかよ!?」とツッコミを入れたくなるようなざっくりした立論ではあるが、それでもやはり高城剛の文章を読んでいると、そのツッコミ目線を忘れ、自然とワクワクしてくるような興奮を感じてしまう。それは、高城剛の文章を駆動するモチベーションが、彼自身が感じている時代のグルーヴ感を表出することにあるので、彼の文章を読んでいると、こちらもそのグルーヴに巻き込まれざるを得ないからである。立論の表層的な精緻さなどは、どうでもいいのだ。
彼はこの本の中でしきりに、どんな“夢物語”に依拠しようとかまわないから、とにかく日本は“スロー”なんてことを言ってる場合じゃなくて、もっと“速く”、ドラスティックに心身のシフトチェンジをしなくてはならない、とアジっている。ここで言われているのは、何のために、とか、どこに向かうために、という“夢物語”は、“適当なもん”でかまいやしない、とにかく“変化”してみろ、そうすれば時代の波動にのれるかもしれない、それはとても楽しくて気持ちいいことなんだぜ?ということである。
本を読んでいたら、Iから、窓辺で爆睡中のポン太の写メが送ってきた。可愛い。あまり可愛かったので、猫好きと思われる友人の何人かに転送しておいた。
夕方は、毎月末やっている料理写真の撮影の仕事をひとつこなす。
夜は、以前に勤めていた会社の後輩W君と、約1年ぶりに飯を食った。伏見に最近できたすいとん屋で、鴨の肉やすいとん汁を食べた。今日は、すこし食べ過ぎている。腹は大丈夫だが、明日の体重、体脂肪が心配だ。
W君は、今年30歳になったそうだ。あいかわらず、モラトリアムな悩みを抱えている。それでも話していて面倒くさい気分にならないのは、彼が、自分がいかにヘタレであるかを自覚し、自分のしょぼさを冷静に語ることができるからだと思う。
10時過ぎに家に帰って、仕事で請けているHPの更新作業をする。眠気に抗しながら、なんとか1時前には作業を終えた。仕事をしていても、10分に一度はポン太の動向をチェックし、面白い動きをしているときは、そのまましばらく観察して過ごす。しかし不思議と、それで仕事の効率が極端に悪くなる、ということはないようだ。