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mtchiba world

投資、読書、車、旅行、いろいろなことに興味を持つmtchibaが、脈絡なく語ります。

夏の予約

2005-07-12 21:36:54 | 旅行
夏休み期間は、どんな旅館でもいっぱいになる、と昔旅行
代理店の人が言っていましたが、今年もそうなのでしょう
か。

愛地球博も盛り上がっているのかどうかわからないのに、
名古屋周辺の宿泊施設は全然予約が取れません。

日本でこうなのだから、長期バカンスの本場ヨーロッパで
はどうなるのかと思っていたら、皆が皆旅館やホテル(のよ
うなところ)に泊まる訳ではなく、キャンプやバンガロー的
なところに泊まったり、結構分散するらしいですね。
でも、渋滞は半端ではないようですが。


日本ではこれから人口減少なので、夏休み期間の渋滞や人
出も少しずつ減っていくように思うのですが、はっきりそ
ういう現象がおきたら消費も減ってますます経済が減速し
てしまいますね。

JR在来線特急の揺れ

2005-06-14 10:10:45 | 旅行
家にある地図帳を見ていたら、「甲府盆地の果樹栽培」という
地図があり、1951年のものと1998年のものが載っています。
1951年のものは桑畑が紫で塗られ、桑畑が広がる様子が一目で
わかるようになっています。1998年の方はピンクで塗られた果
樹園がいっぱいに広がっていて、土地利用の違いがわかるよう
になっています。

そのほかにも、1998年の方は市街地が広がっている、観光農園
が多くなっている、中央自動車道が通っている、ということが
わかり、時代とともに地域が変容していると言うことがわかり
ます。

でも、その中で変わっていないものがあります。それは国鉄(J
R)の路線です。笹子峠をトンネルで抜け勝沼から甲府盆地に降
りるため、ぐるっと山すそを回るように敷かれた中央線は、古
い地図も新しい地図も同じところを通っています。

この47年間で、その線路上を走っている車両はどうなっている
のでしょう。
もともとは蒸気機関車がのんびりと客車や貨車を引っ張ってい
たのでしょう。それがディーゼルになり、電化して電車になり、
いまでは振り子型の特急が、カーブを車体をうねうね動かしな
がらスピードを出して走っています。

JRの在来線特急の乗り心地はよくなくなってきています。座っ
ているとそうでもないのですが、歩いたりトイレに入ったりす
るとものすごい揺れを実感できます。スピード重視の中で、カ
ーブをものすごいスピードで曲がって行きます。いくら新型の
車両を入れたとしても、もともと蒸気機関車がのんびりと牧歌
的に走っていた路線をあまりに違うスピードで走ることに無理
があります。一般道をF1みたいなスピードで走れないのと同じ
です。

新型車両の導入もいいですが、もう少し路盤強化を図ったらど
うでしょう。


寝台特急

2005-05-31 19:09:07 | 旅行
JRの寝台特急は縮小が続いていて、ついに全滅寸前のとこ
ろまで来てしまいました。
よく言われている原因は、高い、遅いです。

新幹線で行ったほうが安く上がり、飛行機や新幹線の朝早
いのに乗れば前日の夜出発している寝台特急より先につい
てしまうと言う状況です。
さらに、安さを追求すれば夜行バスもあります。
車内販売すらない、いまの寝台特急にビジネスでの利用は
期待できません。

スピードを上げることや、サービスを向上させることが現
実的に無理であれば、あとは安さの追求しかありません。

寝台特急というくらいなので、特急料金が必要になります。
それにプラスして寝台料金がさらにかかると言う仕組みが
料金が高くなる原因です。どうせスピードも速くないし、
サービスもよくないのですから、特急ではなく、特別な料
金のかからない快速もしくは廉価な急行扱いにして、寝台
も個室やゴロゴロするだけのカーペットカーを中心に編成
を組んだらどうでしょう。

JRになり分割されたため、各社の利害が一致せずに寝台列
車が見捨てられていると言う主張もありますが、東日本だ
けでも東京~青森など夜行に適した距離は十分にあります。
営業的に苦しい四国も関西から夜行を受け入れたらどうで
しょう。

収入的には微々たるもので、そんなことをするなら駅ビル
でも一つ作った方がはるかに増収になるのでしょうが、本
業で稼ぐと言うことを忘れないでほしいと思います。


中央道上り

2005-05-23 21:50:48 | 旅行
中央道を上り方向で走っていると、あるところで景色が一
変します。
それは都県境の小仏トンネルを抜け、カーブをいくつか過
ぎたところです。右手に共立女子第二中学校・高等学校の
校舎が見えるところから、大きく変わります。
簡単に言うと、田舎から都会へ、まばらな人家と自然から
ごちゃごちゃした家並みとアスファルトへ、と言う風に。

中央道の大月から小仏トンネルまではカーブがかなりきつ
く、アップダウンも激しく東京へ向かう上り方向は実際の
勾配からいくと下がっていく、つまり下り坂になり、スピ
ードが出やすく、夜はかなり運転しにくいところです。
それでも景色はまったく山だけというわけでもなく、かと
言って都会と言うわけでもなく、あちらこちらに集落が散
らばっているのを見ながら、さらには右手にちらちらと相
模川の上流域も眺めることができます。短いトンネルもあ
ります。

関東平野から地方へ出て行くとき、上越方面は三国峠、東
海道方面は箱根など山を越えていかなくてはなりません。
関東平野の周りを山がぐるりと囲んでいるからですが、東
京へ向かう道を走っていると東海道方面(東名高速)はだら
だらと家が増えてきます。
それに対して、中央道は「一気」に家が立ち並びます。そ
の地点が、元八王子にある共立の学校のところです。

さらにそのまま新宿方面に近づいていくと、山梨県内の景
色などは一体なんだったのだろうと思ってしまいます。東
京と言うところにいかに人が集中しているかがよくわかり
ます。

昔中央道を滑走路にたとえて歌を作った人もいますが、中
央道は小仏トンネルと言う名の異次元空間への通路を通り、
別世界へと続いています。

高速バス vs JR特急

2005-05-15 00:10:18 | 旅行
甲府から新宿までの高速バスに乗ったら満員でした。切符
を買いに窓口へいくと、すぐ次に出るバスは満員の札が出
ていました。遅い昼でも食べてからにしようと思い、一時
間後のバスの切符を買い、昼食後発車時間の少し前にバス
乗り場へ行くと、乗ろうとしているバスもすでに満員のよ
うで、札が出ていました。

全国各地でここまで行かなくとも、これに似た光景が見ら
れるようです。
昼行の適度な距離を結ぶ高速バスが充実しています。とい
うことはそれだけ需要もあると言うことでしょう。
東京駅八重洲口の高速バスの乗り場へ行けば、つくば行き
が15分間隔で走り、その他の路線も多数あって、常に人が
あふれています。

四国のJR特急の利用者はかなりの勢いで減っているようで
すが、バスと比べると時間がほとんど変わらず、値段はバ
スの二倍、バスは出発地と到着地で市内の主要な場所に停
留所があり、街の中心部から離れがちなJRの駅からまた移
動しなくてはいけないことを考えれば、トータルでバスの
方が時間的にも有利です。

その他の地域も似たり寄ったり。九州も、博多~熊本など
激しい競争が繰り広げられています。

ただバスは窮屈です。甲府~新宿間でも満員の車内は途中
で息苦しくなって、隣に大きな体の人が座ったりするとか
なり疲れます。

北海道の留萌~札幌間(約3時間)を乗ったときは一般道を
走る距離も長く、札幌に入ってからの渋滞もあり、頭が爆
発する~、という状態でした。

高速バスを選択する人の第一の理由は多分料金の安さでしょ
う。それなので多少の窮屈さはしょうがない、それがいや
ならJRでいけばいい、というところが一般的な感覚と思いま
す。
でもこれからますます高齢化する日本社会。JRよりも少しで
も安くいきたい、だけどあまり狭苦しいのはちょっと、とい
う人も多くなることでしょう。
本数の多い路線に少し料金が上がってもいいので、3列のバ
スも走らせてもらえないでしょうか。

昔の栄光か~息栖神社

2005-05-14 09:10:56 | 旅行
利根川下流の水郷地帯に息栖神社があります。それほど知
られている神社ではないのかもしれませんが、江戸時代に
は香取神宮と鹿島神宮とあわせて回る三社詣でで賑わった
神社のようです。

息栖神社は応神天皇の御代三月、今の神栖町日川に鎮祭さ
れ、大同二年(807)四月十三日、右大臣 藤原内麿の命によ
り現在地に遷されたと伝承されているように、大変由緒あ
る神社です。それなのに香取、鹿島がいまも知名度もあり、
それなりに賑わっているのに対し、息栖のほうはどうして
しまったのでしょう。

昔はこちらの方が上だったのに、いまは逆転してしまった
とか、生きているときはこちらの人が上と言う評価だった
のに、死後評価が逆転した、あるいは亡くなった後すぐに
忘れられた、などということはよくあることでしょうが、
何がそうさせるのか不思議です。

息栖神社は場所もわかりにくく、鹿島に比べると境内も狭
いためそれほどでも、と言う印象は確かに受けますが、そ
れだけが原因なのかどうかはわかりません。
やはりPRを含めた知名度アップのための戦略が必要なので
しょう。駐車場はそれなりに広く車で行っても問題はあり
ません。佐野厄除け大師があれだけ賑わっているのを見る
と、ご利益も少しはありそうでないといけないのかもしれ
ません。

そんなことを考えていると、ふと藤沢周平を思い出します。
彼は死後ますます名声を高めているようで、やはり時代と
言うものもあるのでしょう。

この里は 気吹戸主の 風寒し    芭蕉

パーキングエリアのイベント

2005-05-07 12:35:32 | 旅行
パーキングエリアのイメージは自販機とトイレ。地方の小さな
ところだと自販機すらないところもあり、夜は立ち寄るのも怖
い感じがします。

これまでに印象に残っているところは、中央道上りの石川。
ここは中央道最後となり、その先の首都高が常に渋滞している
ところなので、必ず立ち寄りますが、同じ考えの人が多いよう
で、昔に比べ随分拡充しました。

車を止め降りようとすると、一人の中年男性が寄ってきて「い
ま熱海からの帰りで、熱海で芸者さんと仲良くなっていろいろ
写真撮らせてもらったんだけど、これ家に持って帰えれないん
でどう?」という感じで話しかけてきたのです。危ない雰囲気だ
なと思い、しらばっくれていると、「見るだけ見てよ」といって
強引に写真を見せてくるので、早足で立ち去りました。

よく考えてみれば熱海から帰るのにどうして中央道の上りを走っ
ているのか不思議ですが、このときは、こういう商売もあるのか
と思いました。その後その男性はパーキングの中をあちこち車で
走り回り、やはり他の人に声をかけていました。

パーキングに人が集まっても、道路公団にあまりいいことがない
のかもしれませんが、もっといろいろイベントをやってほしいと
思っています。
昔東名の海老名で大太鼓や民謡などをやっていたことがあって、
すごい人が集まっていました。大道芸などがあっても面白いよう
に思います。

八景島に着かず

2005-05-04 23:02:19 | 旅行
今日八景島へ行こうとしたのですが、たどり着きません
でした。

目的地は八景島にある水族館。水族館が開くのは9時、
八景島全体の入島時間は8時30分ということだったので、
9時少し前には着くようにと7時45分に家を出ました。

首都高湾岸線から順調に幸浦の出口に近づいたのですが、
「出口渋滞2㌔」の表示が。ちょっといやな予感がしつ
つも2㌔ならたいしたことないとそのまま渋滞最後尾へ。
この時点で8時45分、ここからが連休の混雑というやつ
です。

この出口渋滞を最初は出口付近の合流や信号待ちと思っ
ていたのです。最初は少しずつ進んでいたのですが、そ
れでも刻々と時計は進みます。
幸浦の出口で本線からでたときにはすでに11時を過ぎて
いました。
そこら辺からぱったり進まなくなりました。ちょっと前
に進むのに軽く30分、本線から分かれ、一般道に合流
するまでのわずかな区間を進むのにそこだけで2時間以上
かかる有様。
買い物に行く人が車を降り、続々と歩いていましたし、道
端で用を足す人も。
ようやく一般道に合流したときには2時を回っていました。

ここでこの渋滞の本当の先頭がわかりました。それは目
的地の八景島の駐車場だったのです。駐車場も満車で、
入れない車が並んでいたのです。駐車場まではまだ3㌔
あります。
2㌔を5時間かけて進んだのですから、駐車場についた頃
には水族館は終わっています。

そこで幸浦で車を降り、横浜シーサイドライナーに乗って
八景島へ行くことにしました。幸浦駅を通り過ぎていたの
で次の信号で横に入り、などと思っていたのですが、その
次の信号までが何時間かかるのか、というようなピタッと
止まってしまっている状態。
そのとき、前の車が倉庫の敷地の中を通り抜け、わき道に
出て行きました。やった、とばかりにこの車と同じように
わき道から幸浦駅に戻り、シーサイドライナーで八景島へ。

水族館もまた混んでいて、入場券を買ってから入場するま
でが長蛇の列、結局水族館に入場したのが3時30分、家を
出てから7時間45分経っていました。

そうまでしていった水族館、今回が2回目という事もあり、
それほど感動もなく、イルカのショウにも1時間並んで、典
型的な「連休」の混雑を味わうことになってしまいました。

この大渋滞の中でエンストしている車が一台もいなかったこ
とが印象に残りました。(やはり日本の車は壊れない)

ちなみに帰りは水族館から家までが1時間45分でした。

美ヶ原

2005-05-01 00:07:27 | 旅行
美ヶ原の王ヶ鼻に行ったのは4月29日でした。天気は
とりあえず晴、しかし山に登るにつれ、うっすら雲がか
かった状態で視界はよくありませんでした。

美ヶ原の4月はまだ多少雪なども残り牧草も枯れていて、
シーズンの少し前かなという風情で、夏ならたくさんの
人でにぎわう王ヶ鼻には私のほかにあと一人だけという、
信じられないような状態でした。
そこにいた方と話をして、お互いに写真を撮ったりして
別れましたが、まったく一人だったら写真も撮ってもら
えなかったところです。

王ヶ鼻へ山本小屋から歩くとかなり時間がかかりますが、
松本からなら林道美ヶ原線を上り、駐車場に車を止め、
そこから20分も歩けば着いてしまいます。ただ当然道
はクネクネです。この林道、かつては有料だったのです
が、いまは無料になっていました。

王ヶ鼻から見える景色はよく写真などに使われるのです
が、実際に北アルプスがはっきり見えるということはな
かなか難しいようです。

奈良井宿

2005-04-30 12:15:49 | 旅行
旧中山道の宿場町の跡がよく残っているところとして
有名なのは妻籠でしょうが、ここ奈良井も伝統的建造
物群保存地区としていい町並みが残っています。

連休直前の28日の夕方についたのですが、時間が遅
かったのか、単なる平日だったからなのかはわかりま
せんが、人がまったくいませんでした。あまりに人が
いなすぎて、お土産やさんにもはいりにくく、喫茶処
や資料館なども早々と店を閉めていました。

「民宿かとう」に泊まったのですが、ここも宿泊客は
私ただ一人。かなり大きな民宿のようですが、さすが
に夜はちょっと不気味でした。

昔の宿場町、という観光地はそれなりにシーズンにな
れば人が訪れるのでしょうが、たぶん車で来て、ぶらっ
と見て次のところへという人が多いと思います。松本
まで一時間もかかりませんし、近くの温泉宿でもいい
わけで、奈良井に宿泊する理由というのはあまり見つ
かりません。

「民宿かとう」の料理は思っていた以上で、夕食は食
べ切れませんでした。それに他の宿泊客もいず、町自
体も静かということもあり、本当に物音一つしないと
いう夜を経験できたのはよかったです。
ちなみに「民宿かとう」一泊二食つき7500円でした。