何でんかんでん

自分はどうしたいのか自身に問いながらの日記

佐倉城下 坂散歩③/薬師坂

2023-04-14 00:09:45 | 坂散歩

佐倉城下は小高い台地にあり 何処に行くのも坂ばかり 主な坂には名前が付いていて その数は13箇所あります。

今日は「薬師坂」周辺を散歩しました。

スタートはJR佐倉駅 

▼ 北口を出て直進その先に坂がある

▼ この角の先に坂の起点がある

■ 薬師坂 (長さ165m 最大斜度16度 高低差21m)

■ 名前由来:坂の途中に薬師堂があったことから付いた坂名

▼少し上ったところに薬師坂の看板

▼ 看板の対面に子育地蔵尊の祠がある。   

▼ 竹藪が鬱蒼と茂る(がけ崩れ注意の看板)

~ 中間地点 ~

▼ 上りきって見下ろす (転げ落ちそうだ)

佐倉の真冬は、夜明け前の気温がマイナス3~7度まで下がる 路面凍結時はかなり危険だ

この道はJR佐倉駅を利用する生徒達が毎日利用する通学路だ 3年も通うとかなり足腰が丈夫になるだろう。大根足になると懸念する女生徒もいるようだがシェイプアップ効果の方が勝ると思うが

▼ 次に向かうは武家屋敷 

(住宅街に並行して)

▼ 武家屋敷が3軒並んでいる

平日なので人が歩いていない

▼ このような屋敷が3軒並んでいる

▼ 入場してみた 大人料金250円 ほぼ独占状態だ

▼ 当時の佐倉藩士の家財道具などが再現されている(藩では役員クラスのお方だろう)

(手掘りの井戸をコンクリートで補修していた)

▼ 靴を脱いで上がることも出来る

▼ 部屋との仕切りが低い (175㎝くらい)

(次の部屋を曲がると)

突然視界に入ってくる! (ビックリする)

▲ 当世具足(とうせいぐそく) が再現されている

「武」の備えとして所有していた

▼ 佐倉藩士の武士姿

写真は、倉次 亨(くらなみ りょう) 明治時代には茶園の経営に尽力された方

佐倉に小川園というお茶屋さんがあり 店舗の2階部分が古民家の素敵なカフェになっている。そこでお茶休憩をした時に、社長さん自らが”佐倉茶の歴史”や”伝統を守り続けている”という話を自分たちにしてくれた事を思い出した。

▼ お茶屋「小川園」に行ってみました

(カフェはまだ営業してませんでした)

▼ 2019年6月撮影 小川園 にて

▼ バスを使いJR佐倉駅へ戻ってきました。

**薬師坂~武家屋敷コースでした**

 


大豆ミート④/から揚げ/植物性へ転換

2023-04-12 22:00:00 | 適当クッキング

体質改善と生活習慣を改めて免疫を高い状態で維持することを目的で、自分の体質に適した食習慣を求め続けてきた結果、動物性食品を摂取するよりも植物性食品の方が体調も良く自身の体には適していると自分の中では結論づけている。

そのような背景から、獣肉・鶏肉からの転換を図るべく、麻婆豆腐・回鍋肉・ミートソース・キーマカレーと 肉を使わずに大豆を使ったいわゆるフェイクフードを自分なりに開発?してきた。その流れで今回は鶏から揚げのフェイクである「大豆ミートから揚げ」を紹介したいと思う。その前になぜ鶏肉かについて触れておきたい 多少愚痴になっているが。。

一番の理由=鶏肉が単純に嫌いだから

好きか嫌いかは調理の仕方によるのだが 最悪なのが「(博多)水炊き」、福岡の郷土料理で本当に美味しいものを食べたことがないのでそう思うのかも知れないが骨付きの肉などがたまらなく嫌だ。

もう一つ 同じく郷土料理の「がめ煮」だ あまり聞かない煮物料理だと思うが「筑前煮」に骨付きの鶏肉を混入させたものだと思えば理解が早い。

その他には、クリスマスシーズンにスーパーで大量に陳列している「骨付きの鳥もも焼き」見るだけで身の毛がよだつ。只これらを全く食べられないこともないのだが、見ると何かを連想してしまい気持ち的に嫌いのスイッチが入ってしまうのだ。その何かについては長くなるので触れないことにしておくが それがミステリアスなことだ とだけは書いておこう。

次の理由=劣悪な飼育環境 と 過剰な薬品投与の疑い

肉用に飼育される鶏(ブロイラー)は生産性を追求するあまり鶏舎の中に物凄い密度で閉じ込められて育てられている映像を見たことがあります。また品種改変され急激な成長がブロイラーの身体的負担となっていて、歩行困難・歩行不能・心臓疾患で死亡など。多くのブロイラーは一生のうち殆どが慢性的な苦しみの中で生きている。自分たちがそのようなストレスを感じた肉を食べるということは、そのような気も体内に取り入れているということになり、余り過剰に摂取しない方がよいと考えている。

もう一点は投薬の懸念だ、前述のように生産性を追求するあまり大量の薬品を投与されている可能性も否めない。そのような肉を食べ続けていたら健康を害することだろう。豚、牛などの獣肉にも同じ事が言えると思う。。以上が鶏肉から植物性食品への転換を考えた理由だ。

ついでに先人の叡智 古文書「ホツマツタヱ」にも鶏肉について記述があるので最後に紹介しておきます。

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    ~大豆ミートから揚げ~

■ 材料

大豆ミート(ブロックタイプ)80g おろし大蒜・生姜・酒・醤油 各大1 片栗粉 大2

■ ポリ袋に入れてよく混ぜ馴染ませる

■ 米油で揚げる

■ 出来上がり

■ 残り物のご飯と味噌汁のおかずになりました

本物の鶏から揚げとは別物ですが味や食感は良い感じです。タレで味を変えれば飽きないと思います。レモンがあれば尚可です。

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■ 古文書「ホツマツタヱ」御機の十五 御食ヨロヅ成り初めのアヤ より抜粋

引用書籍:はじめてのホツマツタヱ / 今村聡夫さん / かざひの文庫

▲ 肉食の弊害~火勝ち命の あぶら減る

ここでアマテル御神は一息入れられました。気が着くと、周囲には近隣の人々も集まって来ていて、アマテル御神の説話を熱心に聞き入っています。人垣を一渡り見回した上で、アマテル御神は改めて話し出されました。

『諸君もよく聞きなさい。人が日常に食物とすべきは、穀物主体の菜食が最良、鱗魚(ウロコウオ)がそれに次ぎます。鳥類は五元素の内の火が勝ち過ぎて、人を早枯れさせる原因となります。灯火の油を搔き立てて光を強めると、油はどんどん減ります。人の寿命も灯火の油と同じで、火勢を強めると命の油はどんどん消耗していくのです………(省略)………身体組成の内部では有効に燃焼する油が枯渇し、気力も衰えてやがて命を落とすことになるのです。 このような過ちを犯してしまった時には二ヶ月半、スズシロ(大根のこと)を食べなければ、正常に戻すことはできません

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▼ ヲシテ文字(神代文字)にて五七調で記述されている (ひらがなに変換したもの)

もろたみも よくきけつねの

くいものは ぞろはさいわひ

うろこいお つきなりとりは

ほがかちて ほとんとまかる

ともしひの かきたてあぶら

へるごとく ほかちいのちの

あぶらへる あやまりみての

ししはめば ししこりちちみ

そらこえて みのあぶらへり

けもかれて やがてまかるぞ

ふつきなか すずしろくえよ ~ 続く

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春野菜 旬のタケノコ

2023-04-12 00:16:20 | 日記

筍をいただきました    地物野菜です

■ 30cm級=2本      40㎝級=1本です

■ 皮をむくと10cmくらい小さくなりました

■ 身よりもゴミの方が多いです

しかし、昔はゴミではなかったのです。

筍の皮は殺菌と防腐効果があって、通気性が良く水を通しにくいことから 食べ物を包むのに使われていたそうです。

「おにぎり」など包んでいたのでしょう。生活に根付いていた必需品だったかも知れません。

今では「おにぎり」を筍の皮で包む人は殆どいないでしょう。ラップやアルミホイルなど手軽な方を選択しますよね。

■ 調理は毎度の如くテキトーが信条です

■ 米のとぎ汁で20分ほど茹でて

■ バター醬油ソテー & 削り節で

▲ 旬の恵みをいただきました

「ごちそうさまでした」

「美味しかったです」

森羅万象 自然の力 恵をもたらして頂いた「地球様」に感謝!

これ以上 地を ”破壊したり” ”汚したり” してはいけません!

 

 

 

 

 

 


佐倉城下 坂散歩②/玉屋の坂

2023-04-11 00:32:04 | 坂散歩

佐倉城下は小高い台地にあり 何処に行くのも坂ばかり 主な坂には名前が付いていて その数は13箇所あります。

今日は、金毘羅縁日ふれあいマーケット &「玉屋の坂」周辺を散歩しました。

■ 城下町のメインストリート(佐倉新町通り)は、毎月10日の縁日に”金毘羅縁日ふれあいマーケット”が催され大勢の人でにぎわいます。

▲ 忘れていても 新聞に広告が入り思い出す

新聞の内容で信用出来るのは日付とイベント告知の広告だけ

■ バスを使いメインの新町へ (JR佐倉駅と京成佐倉駅間の路線を使う)

快晴! お散歩日和

宮小路町バス停」からスタート

▼ バス停から100m歩くと右折方向が)目的の新町通りです

 ※ 道路右側 茶色く丸い屋根が佐倉美術館

▼ 周辺には古い造りの民家が点在します

▼ 新町通りの概要

▼ ふれあいマーケットに行く一番の目的は 佐倉美術館前にある

印西市のお菓子工房 梛(なぎ) 」さん

▲ 和菓子の他にも今が旬のタケノコ、梅干、みそなどありました (和菓子の他に 赤飯・筍ご飯 を昼食用に買いました)

■ 佐倉おはやし館前 (この通りは秋祭りには山車が出て大勢の人で賑わいます)

▼ 城下町らしい看板 (佐倉市民憲章など)

▼ 新町通り~逸れて 三叉路を左折 (甚大寺・佐倉小学校方面へ)

▼ 道を挟み左右にお寺さんがありイベントやっています

覗いてみると、野菜・果物・お魚屋さん、焼き鳥屋さん、焼きそば屋さん

出展者看板よりも興味があったのは、その隣にある石碑「佐藤泰然」

泰然といえば「蘭方医」 蘭学といえば長崎のイメージがありますが佐倉も盛んだったようです。

新町通りに戻ります

右に90度のカーブが現れます

▼ 200mで左に90度のカーブが

佐倉城正門に繋がる道なので、攻めてくる敵の勢いを遮る目的のクランクなのか、地形 (真っ直ぐ先は急な下り)に合わせて作った道か どちらかだろう

▼ 民家に突っ込まないようにコンクリート製のガードレール

(何度もこすった跡がある)

▼ 右折方向に下り坂 (名もなき急坂です)

ここを下りて戻ります

▼ この辺りを袋町といいます (袋小路になっているから?)

▼ 200m進むと「玉屋の坂」が現れます (この先右奥)

▼ 坂上が(奥の方)段坂になっていて下が(手前側)スロープ

▼ 一番上まで上ってきました

     ~「玉屋の坂」~

( 長さ60m 最大斜度17度 高低差13m )

▼ 由来:料亭「玉屋」の脇の石段の坂になっていることから付いた坂名

■ メインの新町通りから1本住宅側に入った裏通りに出ました

そう遠くないところから声が聞こえる(切り抜きます)→『皆さんが元気になれば日本も元気になれる』どうやら「市長の西田三十五さん」がイベントでの挨拶をしているようだ

■ 裏通りを100m程度行くと

▼ 牛乳パック製の帽子などを庭先に陳列しているお家があります

作成者は地元では有名な方で

「牛乳パックおじさん」と呼ばれていて子供たちに親しまれています

▼ 我が家でも牛乳パックの帽子を大切に飾っています

■ メインの新町通りに戻ります

▼ 狭い路地から新町通りへ

▲ 1人通るのがやっとの狭い路地です

スマホで景色を撮影しながら

歩いて通り抜けていたら

正面から人が来た 

2人目が合い

ニッコリ

気持ちいい笑顔は

先程の声の主

持っているスマホは撮影モードのまま

思わず自撮りで

おっさんのツーショット

(マスク着用で失礼します)

■ 新町通りに出ました

由緒があるお茶屋さん「小川園」を見学

お茶詰め放題やっています

(2Fのカフェはまだ営業していないようです)

▼ 右手に新しく出来た図書館を見ながら (月曜日は休館日)

▼ 宮小路町バス停へ

**玉屋の坂&ふれあいマーケットコースでした**

 

 

 

 


佐倉城下 坂散歩①/みそべやの坂

2023-04-09 07:27:00 | 坂散歩

佐倉城下は小高い台地にあり 何処に行くのも坂ばかり 主な坂には名前が付いていて その数は13箇所あります。

今日は「みそべやの坂」周辺を散歩しました。

スタートは市民体育館 

佐倉藩 藩校跡の石碑があります

 

現在の県立佐倉高校(別の場所にあります)  佐倉高といえばミスターG長島茂雄さんですね

に行けば佐倉城域 に行けば城下町 今日は右に行きます

市民体育館を出て麻賀多神社の中間地点 (左折)「みそべやの坂」が現れます。

真っ直ぐの急坂です

(下り勾配 斜度16度 長さ75m 高低差7m) 

(筋トレ直後の)膝をかばいながらゆっくり降りていきます 

  ~中間地点~

名前の由来は、坂の下に味噌を蓄えておく藩の備蓄小屋があったことからついた坂名(その片鱗は全く感じられず住宅街が広がっている)

一番下まで降りて来ました

上り勾配はこんな感じ (下手な筋トレよりも足腰の鍛錬になりそうだ)

一番上まで登ってきた (息が切れます)

こんな看板があります

次は産土様の麻賀多神社へ

御祭神は「古事記」和久産巣日神(わかむすび)様です。古文書「ホツマツタヱ」ではワカヒメ様のことなので 天照大御神(男性)のお姉様にあたる方ですね。

話は変わりますが……天照大御神は女性として解釈されていますが実際は男性です。

アマテル様(男性)のモデルが姉ワカヒメ様になっています。

なぜ歴史では、アマテル様を女性に改ざんしワカヒメ様の存在を消す必要があったのでしょうか。誰が何の為でしょうか?こんな所で「闇」を感じてしまいました。「虚偽の世界」が作り上げられていることを疑わざるを得ません。

自分としては「闇」も有難い学びの一つと考えています。コロワクの件がいい例で嘘を刷り込まれ騙され続けてきた訳です。それは騙されるには騙されるなりの自分の至らなさがある故の事。であるならば本当のことを知る必要がある。知ることと真か嘘かを見極めることの大切さを「闇」から教わりました。

過去の残像に執拗に執着するよりも これからの事に目を向けようと思います。 闇があるから光があるのです。

この地域を守護下さっている霊人様へご挨拶をしてきました。

「いつも見守ってくださり有難う御座います」

来た道を引き返し市民体育館に戻って来ました。

▼ 西村勝三翁さんの銅像があります

皮革産業の先覚者で渋沢栄一が士魂商才の面目を絶賛した人物です

チューリップが開ききっています。

** みそべやの坂 & 麻賀多神社コースでした **