翌朝は、歩いて如水会館へ。藍生俳句会の事務所もこの近く。最初で最後かもしれない神田、神保町の町並みを、桜紅葉のちらほら黄葉や有名な出版社、大学のキャンパスをきょろきょろしつつ歩く。
喪服の方が圧倒的に多い。とは想定内。私は青い服を選ぶ。以前ある偲ぶ会に夫ニックと出席する際、ドレスコードについてお聞きしたら、「あなたは華やかにしていらっしゃい。」と先生が仰った。杏子先生に憧れて買った黒の半ブーツも履いて行く。
会場に入り、“勝雄兄さん”と姉が呼ぶ先生のご主人にご挨拶。「ローゼンさんのバッハを流してますよ。」と仰る。幻となってしまった“ナサニエル・ローゼン&福原彰美コンサート”。「残念でした。」と言いに来てくださる会員も。
件の会の横澤放川先生のスピーチ。京都で仏式と神式とたっぷりと杏子先生の初盆をお参りした。世の中の優れた人と会うのが俳句修行。杏子先生の本質は“歩く”ことに尽きる。歩く、歩く、一人で歩く、みんなで歩く。
杏子先生の63年来のご友人、フリーライターの中野利子先生のスピーチ。「杏ちゃんは電話魔、FAX魔、手紙魔、そしてまた電話魔。好きな事だけ言ってガシャんと切る、いつもの電話そのまま亡くなる時もそんな風。」「黒田杏子一代記を書かない?」の言葉を受け止めてみます。
献杯は、平凡社の下中美都会長。雑誌『ミセス』の俳句欄以来のご縁。京都のあんず句会にもご参加。黒田杏子とはどこまでもフェアで、自由で、“新しい女性”。季語は人類共通の生活文化のインデックス、という金子兜太先生、そして黒田杏子先生の教えに感謝。
夏井いつき組長のメッセージも、司会岡崎弥保さんの美しい声で朗読される。杏子先生のおられない道後俳句塾を松山でみんなで一所懸命盛り上げつつ、寂しさもひとしお感じていただろう。
杏子先生の周りには、先生が慈しみ、縁を結び、常に背中を押していた弟子や友人がひしめきあっていた。懐かしい句友や、藍生でしか巡り会い得なかった方々とお話しし、杏子先生の教えを杖として、俳句集団いつき組で俳句の裾野を広く美しくする為に一所懸命働こう、と心に誓い直す。