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ミセスローゼンの上人坂日記

我思ふ故に我在り雁渡し

弦子は、自己の自我が二年も前から目覚めていて、しかも自我との深い対話を孤独にしぶとく続けていたことを、初めて両親に打ち明けた。その思考たるや、ソクラテスやプラトンと肩を並べて歩くにふさわしい本格哲学である。いわく、自分とは何であるかわかりたい。それがわからないまま、日々の具体的な問題を、たとえばチェロを弾くとか、合唱や宿題をするとか、やり続けているので、だんだん混乱して、自信も失ってきてる。家族の音楽に対する偏重も重荷である。自分と言う存在の意味、思考してる意味を何より突き止めたい。自分をとりまく世界に対する疑問が一斉に萌え出し、それぞれの疑問の種から仮定の芽が出て枝分かれしてみるみる伸びてゆき、言葉と意味と感情とイメージの奔流に身を任せながら一つ一つを思考し続ける。その時が幸福である。学校も友人もいらない。永遠に思考していたい。
両親はショックを受けている。弦子の父親は、この思考の種を枯れさせず、開花させるために、何ができるか、何をしてはいけないか案じている。弦子の母親は、弦子の抱えてきた大問題に比べ、己の卑小な問題を恥じている。そういえば去年のハロウィンに、弦子は「ギリシャ哲人になりたい」と言った、などと思い出している。結局、ギリシャ哲人にはならず、三銃士の一人になったのだが。弦子が黒髪をゆるやかに結い上げ、ギリシャ風のコスチュームをなだらかに着て、囀る庭を思索にふけりながら歩く姿を想像したりしている。
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