ミセスローゼンの上人坂日記

一月の氷河を照らす一番星


まず最初に、バックパックにスキーを括り付け、身体をロープで繋ぎ合い、まるで吊橋みたいに高くて細い氷った坂道を、ロープ一本を頼りに一歩一歩渡りながら谷底を見下ろした時、ああ来るべきじゃなかった、と思ったよ。(そんなの最初見た時から分かったやろ!)
次に、別れ道に来た時にガイドが、易しい道と困難な道と中くらいとありますが、と聞いた。二人の参加者が困難な道を希望し、他の者は異議を唱えなかった。(一人でも異議を唱えろや!)
クレバスの横の細道を通り抜け、アイスバーンの急斜面をガリガリ削り、セラック帯(氷塔)のコブにつまずき、オフピステの深い雪にころび、ところどころは緩斜面もあった。(戻った時は全身汗と雪汁でずぶ濡れやった!)
三時間後、ようやく休憩した。巨人が使うような巨大な氷のテーブルがあった。氷の隆起だ。その上に六人の仲間と身を寄せ合って座り、持参したサンドイッチを食べた。寒くて寒くて座っちゃいられん。ガイドは何故か一人で反対の端に座ってたから、俺はワインとソーセージを届けに、柵の無いアイススケート場みたいな所を歩いて行った。彼は喜んださ。そうさな。五十がらみの不機嫌な男だよ。瞬く間にランチは終わり、またもやアイスバーン、セラック帯、オフピステ、どこまでも続く氷、氷、氷、なんだよ。(それ当たり前やろ!氷河スキーやから!)
恐ろしいほど美しい光景だった。氷河の青さ、氷塔の神々しさ、吹き渡る風のきらめき、遠い山肌の懐かしさ。あそこに行かぬ者には決して味わえない実感だ。みな息を飲んで見ていた。だが、本当に息を飲んだのは最後の最後だ。あと一つ氷河をクリアしたら登山電車の駅に辿り着くという時、それは今迄に無い細い急斜面の、しかもヘアピンカーブだった。ガイドは後ろ向きにゆっくり滑り下りてから、方向転換し、前向きにゆっくりヘアピンを曲がった。俺たちはそれを真似した。俺の後から来た男は真似できなかった。向きを変えた途端に、前じゃなくて、後ろ向きに滑り落ち始めた。じたばたもがいたんで尚更早く崖淵へ滑り落ち、一瞬スキーが引っかかって止まったが、本人はそのまま崖からクレバスへ落ちて行った。一瞬の事だ。誰も声が出ない。助けに行きたくても、凍る崖っぷちに誰も近寄れない。ガイドは先へ行ってしまっている。俺は思わず辺りを見回した。ドクターヘリが来てもどこにも止まる所が無いんだ。
彼がどうなったか? 助かったんだよ。顔を数か所擦りむいただけで済んだ。信じられないだろ。幸運な男だよ。ガイドがもう一人来て、30mの崖下から助け出した。幸い雪が深く積もった上に落ちたんだ。薄氷の部分に落ちてたら、そのままクレバスの底まで落ちて助からなかったそうだ。彼の救助に時間がかかったのさ。転落事故の前も後も、ガイドは終始俺たちを急かし続けた。だがそれは無理もない。日没後は濡れた身体が冷えてしまうからだ。当たり前だが、クレバスに落ちた男はショックを受け、帰路一言も喋らなかった。なに俺たち全員、ガイド以外は誰もほとんど口をきけなかったがね。
(実際電話してきた時ニックは何も言えなかった。大丈夫だ、と言って電話を切られた。足の親指の爪が肉に食い込み出血していた。靴下を洗うと水が真っ赤になった。親指が腫れ、翌日は歩けなかった。夜中うなされ、何度か足がつった。)
ともかく想像を超える経験だったよ。もう二度と氷河スキーはしない。約束する。
(帰りの飛行機の中で、「エベレスト」遭難の映画を見た。行きの飛行機でこれ見てたら、氷河スキーはなかったかもね!)

コメント一覧

朗善
Re:Unknown
バッハの全曲リサイタルをやる根性をつけるために氷河スキーを敢行した、と言ってますよ。
たぁさん
氷河スキーってそんな無謀なことをよくやりますねぇ。写真だけ見ている分にはとてもきれいですが…。
更紗
なんとまぁ小説のような映画のような展開ですね。はぁ~~~。
クレバスに落ちた方、なんて幸運!
もし助からなかったら、もしニックだったらと思うとゾ~ッとしますね。
風景はきれいでしょうに悪夢のよう。
ともあれご無事でよかった!!
4月9日を前にチャレンジするニック、漢ですね!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事