ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

松代城 (海津城) (日本100名城 : 長野県長野市) 2018.8.14


(写真は松代城)


昨日は、猛暑の中、上田城周辺を1日中歩き
回ってぐったりとなってしまったので、今朝は
ゆっくりと起きて、のんびりと温泉に浸かって
から、11時前にホテルを出ました。

今日も嫌になる様な猛暑で、ホテルから徒歩
15分の「松代城」へ、ゆっくりと歩いて行き
ます。

帰りのバスの時間を確認するために、先ず、
「旧松代駅」に立ち寄ります。

長野鉄道・屋代線の廃線跡を横切って、少し
歩くと「旧松代駅」に着きました。

平成24年に、電車は廃線になっていますが、
バス停の名前は「松代駅前」のままです。

昔のままの状態で残されている駅舎の待合室で
一休みします。





(廃線時の新聞)
この旧松代駅のロッカーに、リュックを入れ
身軽になって、この旧駅舎の隣の「松代
(まつしろ)城」へ向かいます。  


「松代城」の前身は、「川中島の戦い」で有名な
「海津(かいづ)城」です。

「川中島」では、甲斐の「武田信玄」と越後の
「上杉謙信」が信濃地方の覇権を争いました。

1560年に、武田信玄が、上杉に対する最前線基地
として築城したのが「海津城」(のちの
「松代城」)です。

海津城の城の出入り口には、「丸馬出し」(まる
うまだし)という、当時の最先端の技術が
施されていました。

半円形に築かれた「丸馬出し」は、敵が攻撃して
きた場合は、城を守る防御の拠点となります。

また、攻撃に転じる場合は、敵を攻撃しながら、
2方向から出撃出来るという、他の城には無い
機能でした。

そして、この海津城の「丸馬出し」を、真田幸村
が、大坂の陣で、大阪城に「真田丸」として築き、
ご存知の様に大活躍しました。



(松代城の丸馬出し:上の写真の赤丸印)


(丸馬出し:NHK・BS「英雄たちの選択」から)

海津城が築城された翌年には、もう、最大の激戦
となった「第4次・川中島合戦」が勃発し、
妻女山に陣取った上杉軍と、海津城に籠城する
武田軍が激突しました。

(NHK・BS「英雄たちの選択」から)

海津城の最大の特徴は、この「丸馬出し」で、
当時としては、海津城は鉄壁の要塞でした。
従って、北信濃を支配する上で、海津城は、
軍事的・政治的に最も重要な拠点となりました。
このため、武田氏の滅亡後には、織田信長、
上杉景勝、豊臣秀吉、徳川家康の各重臣が、
入れ替わりで海津城に入城しました。
そして、大阪の陣を経て、1622年、真田昌幸の
長男の真田信之が、13万石で「海津城」に
入城します。
信之は、「海津城」から「松代城」へと名を改め、
その後、松代藩の藩庁として、また真田氏の居城
として、明治維新までの250年間、長きに
わたって存続しました。

「松代城」は、桜の名所としても知られ、千曲川の
流れを外堀とする天然の要塞で、形式は平城です。
明治の廃城に伴い、城の建物が壊されたため、
長い間石垣を残すのみでしたが、昭和56年、
新御殿(真田邸)と共に、国の史跡に指定され
ました。
更に、平成16年には、櫓門・木橋・石垣・土塁・
堀などが復元され、現在は、海津城址公園として
整備されています。

「旧松代駅」から徒歩5分で、松代城の本丸の
大手口に着きました。

駐車場の前の下の写真の「二の丸南門跡」から
入って行きます。


大手口には、「橋詰門」とその奥の「太鼓門」が
復元されています。

内堀に掛かる「太鼓門前橋」を渡り、「橋詰門」
をくぐります。


次に次頁の写真の「太鼓門」(櫓門)をくぐり、
本丸跡に入ります。

太鼓門は、時を告げる太鼓を備えていたことに
由来するといわれています。




太鼓門をくぐると、上の写真の本丸跡です。





本丸の外側には、内堀が整備され、長大な土塁が
復元されています。



その土塁の一部には、トンネル状の埋門(うめ
もん)が造られており、土塁の反対側と行き来
出来るようになっています。







松代城跡の北西には、戌亥隅櫓(いぬい すみ
やぐら)の跡があり、ここから周囲を一望する
ことが出来ます。




(戌亥隅櫓から北側を見下ろす)

(戌亥隅櫓から西側を見下ろす)
松代城の石垣は、大小さまざまな自然石を巧みに
積み上げた特徴的なものです。
以前は、千曲川は、松代城(旧海津城)の北側を
えぐる様に流れていました。

(NHK・BS「英雄たちの選択」から)

そして、現在のこの戌亥隅櫓跡の石垣の下には、
何と!、更に4メートルもの高さの石垣が
埋まっているのだそうです。


(NHK・BS「英雄たちの選択」から)
従って、当時は、この千曲川の河岸段丘の縁に
築かれた松代城の石垣は、見上げる高さだった
そうです。

次に、本丸の北側へ向かいます。
本丸北側の搦手(からめて)には、桝形と
前頁写真の櫓の2つの北不明門(きたあかず
もん)が復元されています。
松代城の東に回ります。

(東不明門前橋)
松代城見物が遅いスタートだったので、見物を
終えるともうお昼時です。

松代城の前の「竹風堂松代店」に入り、昼食を
とります。
松代は長芋の産地です。

地元で採れた長芋のとろろを使った「麦とろ膳」
(1,188円)を注文します。

余りの暑さに、かき氷も注文します。

「栗みぞれ」(572円)

この栗みぞれには、栗を長く漬けておいた蜜と
栗あんが使われている、贅沢なかき氷です。

初めて食べましたが、忘れられない味で
美味しかったです。



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コメント一覧

ウォーク更家
松代城=海津城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
私は、出かける直前のBSテレビ番組で、松代城=海津城というのを知りました。

そうですね、埋門は場所的に見落としそうなところにありました。

猛暑の中を歩き回った後で食べた竹風堂のかき氷は忘れられない味になりました。
こもよみこもち
おはようございます。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
松代城=海津城というのは、
かなり後に知った事実です。

埋門、完全に見落としています。
唯一の失敗です。

竹風堂松代店のかき氷、美味しそうですね。
この猛暑の夏は、かき氷が食べたくなります。
ウォーク更家
松代城の前身
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
現地を見学すると、知らなかったことや驚きが沢山あり、それが素直に頭に入ります。

ええ、松代城に真田丸の前身があり、それが武田信玄の海津城だというのは意外と知られていないのではないでしょうか。
hide-san
松代城
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
真田丸の前身があったのですね。

それが武田信玄の海津城だったとは知りませんでした。
ウォーク更家
真田信之が真田家の血を
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、宿泊したホテルは想像以上に大きくて、お盆ということもあり800人が宿泊中とのことでした。

そう、「松代城」の前身が「川中島の戦い」で有名な「海津城」で、しかも、その城に真田昌幸の長男の真田信之が入城したというのは、面白い話しですね。

真田幸村が、この海津城の「丸馬出し」を真似て、大阪城に「真田丸」を築いたというのは、私も、歴史のTV番組で初めて知りました。

ええ、真田信之は松代の立派な殿様として、六文銭の真田家の血を絶えずにつなぎました。
もののはじめのiina
真田家の血
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/15db55b3f494106726edb5dc698da5d5
ホテルは、現代の泊まるお城ですね。

「松代城」の前身が、「川中島の戦い」で有名な「海津(かいづ)城」でしたか。その城に真田昌幸の長男の真田信之が入城していたとは・・・。

真田幸村が、大阪城に「真田丸」を築いたのは、海津城「丸馬出し」の経験が役立ったのですね。
      いずれにせよ、六文銭の真田家の血が絶えずにつづきました。


> これまでのミッション・ポッシブルは、レンタルDVDで見ましたが、今回も同じようなストーリーだったのでしょうか。
トム・クルーズの命懸けスタイルはエスカレートの度を増します。ストーリーにも反故がなく面白く仕上がっています。
大型スクリーンで見ると迫力が凄まじいですょ。


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