(写真は、真田氏の菩提寺の長国寺)
猛暑の中、昨日は上田城を見物して松代温泉に
1泊、今朝は、松代城を見物して昼食をとり、
午後は「真田邸」(新御殿)へ向かいます。
真田邸は、松代城の直ぐ近くにあり、次頁の写真
の真田邸の長い塀沿いに歩いて入口を探します。
真田邸は、9代藩主・真田幸教が、1864年に、
義母のために建てた江戸末期の建築様式の建物
ですが、後には自らの隠居所としました。
上の写真は、「”表”座敷」で、前頁の写真の
「杉戸」から先が「奥」です。
眞田邸には、「表」と「奥」が区別された設計
となっています。
「表」は公的な行事や儀式の場で、「奥」は
私的な生活空間です。
双方の間には、通常の襖ではなく、前頁の写真
の「杉戸」が立てられ、視覚的に2つの空間を
分離していました。
杉戸からの長い廊下を 「表」から「奥」へと
進みます。
上の写真は、御寝所です。
上の写真は、御持仏の間で、位牌が安置されて
いたそうです。
上の写真は、御化粧の間です。
上の写真は、畳張りで漆塗りの殿様用のトイレ
です。
上の写真は、 お湯の排水を考慮して、床が斜めに
なっている殿様用の風呂場です。
上の写真は、御居間で、ここの縁側に座って
休憩しながら庭を眺めます。
この庭は、座って眺める様に、木々などの高さや
配置を調整して設計されているそうです。
次に、真田邸の斜め前にある、表門が江戸時代の
ものだという次頁の写真の「旧白井家」(無料
休憩所)に入ります。
ボランティアのオバサンが、無料のお茶と漬物を
振舞いながら話しかけてきます。
オバサン「どちらから来られましたか?」
私「横浜からです。」
オバサン「えっ~っ!、横浜ですかぁ~!、
横浜の皆様には、うちのお殿様が大変お世話に
なっておりまして、ありがとうございます。」
私「???・・・」
オバサン「真田14代当主の真田幸俊さんは、
慶応大学の理工学部教授で、 現在は横浜に
住んでおられるのですよ。」
私「ああ、そういうことですか。」
オバサン「でも、松代のお祭りでは、お殿様役
として、毎年、乗馬姿で参加されますよ。」
と、オバサンは嬉しそうに得意げに話して
くれました。
う~ん、松代の皆さんの真田家に対する思い入れ
は半端ではなさそうです・・・
きっと、眞田氏が、代々、領民思いの良い殿様
だったからなのでしょうね。
旧白井家を出て、次に、真田氏の菩提寺の
「長国寺」へ向かいます。
散策地図を見ると、少し離れているみたいです・・・
このうだる様な暑さに、徒歩で長国寺へ向かう
のは危険と判断、近くのレンタルサイクル店で
自転車を借りて「長国寺」へ向かいます。(1日300円)
しかし、自転車で行ってみると、長国寺は意外と
直ぐ近くで、歩いて行っても問題なかったみたい
です。
総門をくぐると、目を見張る様な、下の写真の
ユニークな本堂がありました。
屋根の上の鯱と六文銭が巨大で印象的です。
境内には、上の写真の「恩田木工民親の墓」が
ありました。
松代藩の家老だった恩田は、1757年、困窮した
藩の財政を立て直しました。
恩田の”日暮硯”は、二宮尊徳も座右の銘として
愛読したそうです。
写真は、初代藩主・真田信之の御霊屋(おたまや)
(国重文)です。
入母屋(いりもや)造りの豪華で立派な造りです。
上の写真の破風の鶴は、左甚五郎作と伝えられて
います。
信之の隣は、写真の4代・信弘の御霊屋です。
写真は、歴代の真田家の墓所です。
次頁の写真は、信之の墓ですが鳥居があります。