ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

「真田氏」ゆかりの「真田邸と菩提寺」(長野県長野市) 2018.8.14


(写真は、真田氏の菩提寺の長国寺)

猛暑の中、昨日は上田城を見物して松代温泉に
1泊、今朝は、松代城を見物して昼食をとり、
午後は「真田邸」(新御殿)へ向かいます。

真田邸は、松代城の直ぐ近くにあり、次頁の写真
の真田邸の長い塀沿いに歩いて入口を探します。




真田邸は、9代藩主・真田幸教が、1864年に、
義母のために建てた江戸末期の建築様式の建物
ですが、後には自らの隠居所としました。






上の写真は、「”表”座敷」で、前頁の写真の
「杉戸」から先が「奥」です。

眞田邸には、「表」と「奥」が区別された設計
となっています。

「表」は公的な行事や儀式の場で、「奥」は
私的な生活空間です。
双方の間には、通常の襖ではなく、前頁の写真

の「杉戸」が立てられ、視覚的に2つの空間を
分離していました。

杉戸からの長い廊下を 「表」から「奥」へと
進みます。

上の写真は、御寝所です。

上の写真は、御持仏の間で、位牌が安置されて
いたそうです。

上の写真は、御化粧の間です。

上の写真は、畳張りで漆塗りの殿様用のトイレ
です。

上の写真は、 お湯の排水を考慮して、床が斜めに
なっている殿様用の風呂場です。

上の写真は、御居間で、ここの縁側に座って
休憩しながら庭を眺めます。

この庭は、座って眺める様に、木々などの高さや
配置を調整して設計されているそうです。








次に、真田邸の斜め前にある、表門が江戸時代の
ものだという次頁の写真の「旧白井家」(無料
休憩所)に入ります。

ボランティアのオバサンが、無料のお茶と漬物を
振舞いながら話しかけてきます。

オバサン「どちらから来られましたか?」
私「横浜からです。」
オバサン「えっ~っ!、横浜ですかぁ~!、
横浜の皆様には、うちのお殿様が大変お世話に
なっておりまして、ありがとうございます。」
私「???・・・」
オバサン「真田14代当主の真田幸俊さんは、
慶応大学の理工学部教授で、 現在は横浜に
住んでおられるのですよ。」
私「ああ、そういうことですか。」
オバサン「でも、松代のお祭りでは、お殿様役
として、毎年、乗馬姿で参加されますよ。」
と、オバサンは嬉しそうに得意げに話して
くれました。

う~ん、松代の皆さんの真田家に対する思い入れ
は半端ではなさそうです・・・
きっと、眞田氏が、代々、領民思いの良い殿様
だったからなのでしょうね。


旧白井家を出て、次に、真田氏の菩提寺の
「長国寺」へ向かいます。
散策地図を見ると、少し離れているみたいです・・・

このうだる様な暑さに、徒歩で長国寺へ向かう
のは危険と判断、近くのレンタルサイクル店で
自転車を借りて「長国寺」へ向かいます。(1日300円)
しかし、自転車で行ってみると、長国寺は意外と
直ぐ近くで、歩いて行っても問題なかったみたい
です。


総門をくぐると、目を見張る様な、下の写真の
ユニークな本堂がありました。




屋根の上の鯱と六文銭が巨大で印象的です。

境内には、上の写真の「恩田木工民親の墓」が
ありました。
松代藩の家老だった恩田は、1757年、困窮した
藩の財政を立て直しました。
恩田の”日暮硯”は、二宮尊徳も座右の銘として
愛読したそうです。

写真は、初代藩主・真田信之の御霊屋(おたまや)
(国重文)です。

入母屋(いりもや)造りの豪華で立派な造りです。


上の写真の破風の鶴は、左甚五郎作と伝えられて
います。


信之の隣は、写真の4代・信弘の御霊屋です。


写真は、歴代の真田家の墓所です。


次頁の写真は、信之の墓ですが鳥居があります。



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コメント一覧

ウォーク更家
長野市の松代町
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
失礼しました、松代は、長野市の松代町でした、訂正しました。

そうでしたか、松代は、みやさんの実家の隣町でしたか。
この辺り、雰囲気のある古くからの町並みで素敵ですね。

6年前までは、長野電鉄屋代線が走っていた訳ですから、ここまで頑張ったら、もう少し頑張って欲しかったですね、廃線は残念です。

次回は、幕末の先駆者・佐久間象山の神社、墓所、記念館などにも立ち寄ってみたいです。

街道歩きが趣味の私は、いずれ北国街道も歩いてみたいと思っているのですが、その脇街道の谷街道ですか、面白そうです。
みや
私の地元です
おはようございます。
松代に行っていたのですね!
ちなみに、松代は「市」ではありません。
10万石以上あって、市になれなかった唯一の「町」です...
松代は、私の実家の隣町です。
郡(藩)が違うので10万石の傘下には入っていなかったとは思いますが。
長野電鉄屋代線が無くなる年の正月には、象山神社に行って松代駅にも寄りましたが、もう6年ですか...
北国街道の脇街道でもある谷街道の間の宿が準地元なんですが、ここも歩いてみたいですね。
ウォーク更家
同じ場所を巡りました
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
今回は、こもよみこもちさんのブログを参考にして見て回ったので、結果的に、同じコースになってしまいました。

そうですか、私も、旧白井家での会話の遣り取りは、多分、同じオバサンだったのだろうと思います。

ええ、田舎町なので余り期待していなかったのですが、真田邸も菩提寺も、想像していたよりも、遥かに見ごたえがありました!
こもよみこもち
こんばんは。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
ホントに同じ場所を巡っていますね。
旧白井家での会話ですが、
ほとんど私の聞いた話そのもので、
ひょっとすると同じ方だったのかも?

真田邸も、菩提寺も見ごたえありますよね!!
ウォーク更家
真田邸と菩提寺は格式高く
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、真田邸とその菩提寺は、想像以上に、格式が高く立派な造りでした。

ホント、隠居してから、この様な立派な屋敷に暮らすのは、今も昔も夢のまた夢ですよね。

座敷があるiinaさんの素敵な実家が目に浮かびます。

そうか、平安初期の関東平野は山野を開墾する余地が多く、豪族が次々に田地を拓いて貴族や社寺に墾田を寄進することで、特例の私有を合法化したんですね。
もののはじめのiina
立派な真田邸と菩提寺
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a56a61f4d1c67d4612b825cf80f1de76
真田邸とその菩提寺は、立派です。
                いまも大切にされているのがわかります。

実家には「座敷」などと称する場所がありましたが、隠居したらこのような立派な屋敷に暮らしたいと思うものです。
まぁ、仕方ないので、ひとさまの屋敷を天下のものとして、アタマの中でその気分だけ味わいたく思います。

更家さんをはじめ、一部の愛読者さまにはコメント上にiinaの当該記事のアドレスを置いてきましたから、
説明する必要もないのですが、この注釈を読んでiina宅を訪ねる方がいるかもという気持ちも働いています。

きょうのiina宅題材は、真田氏たち「武士(もののふ)」のはじめについてを載せてみました。三日間つづけます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d2e9bbd8b2629631e8fa221cfec38ec8


 iinaの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

ウォーク更家
松代の方々の熱い思い
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、領民のための政を、代々の真田の殿様が続けたからこそ、松代の方々は、江戸時代から現代まで、綿々と熱い思いを抱いているのでしょうね。
hide-san
松代の方々
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
松代の方々は現代でも、半端ない思い入れがあるのですね。
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