![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/f2/c4bed81a906481e8823b4c7c906fad65.jpg)
(写真は、勝山城の空堀)
前回お話ししました様に、白沢宿から氏家宿へ向かう途中、
勝山城に立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
前回のブログが長くなり過ぎない様に、今回は、勝山城見学の
部分だけを切り離してブログにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
勝山城は、鬼怒川の左岸の段丘の最北端に位置する、南北
420メートル・東西370メートルの中世の平山城です。
鎌倉時代末期に、氏家氏により築城され(別名:氏家城)、
その後、宇都宮氏の一族の芳賀氏によって強固な城構えが
完成しました。
宇都宮氏一族の北方防衛の拠点の位置づけの城でしたが、
その後、1597年、宇都宮氏が秀吉により改易され、
廃城となりました。
現在は、「勝山城跡公園」として整備されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/16/1f228c0a069d0ca027ff07e6379855bd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0b/6d/4a3db1c433addb57d40e06e018a1b71a_s.jpg)
入口の案内板に従い、進んで行くと、上の写真の宝篋印塔が
ありました。
入口の先には、大手口(東側の入口)の木橋が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/8d/779139f1d37cffcaa00542926fe7caaf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/08/3c5174d14856956d8114fd185cb96ff8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ed/e688f6765326dbbfa2b9f1c484b4a1b2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/33/cd77fc2f1df8047cf3f920860f7a2dcf.jpg)
上の2枚の写真は、大手口の木橋の上から見た空堀と
櫓台(やぐらだい)跡です。
高い土塁と空堀が巡らされた次頁の写真の「本丸」は、
東西80メートル、南北70メートルの方形で、土塁の
堀底からの高さは7~8メートルもあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/9b/ece1c388d41add93ae7c527b30d33905.jpg)
空堀に架かる大手口の木橋を渡って進むと「本丸」跡があり
ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/98/c8c5c8f33563b616c3666f418dd93889.jpg)
本丸の南西側には、上の写真の「搦手(からめて)の虎口」跡
があり、かっては土橋が架かっていました。
勝山城は、本丸の東に「二の丸」、南に「三の丸」があり、
二の丸と三の丸が、本丸をL字型に囲んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ac/25a521cbd934acdb2e83b4574d6579d3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7f/75d3fecff132282b570584ffb49530fb.jpg)
(二の丸跡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/3e/fbec756062ebc2ab24a5829b012dbec9.jpg)
(本丸北の空堀)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/14/0dcb604893534f819f8518c00268f26a.jpg)
勝山城は、鬼怒川に面した段丘の西端に築かれているので、
眼下には鬼怒川の清流が望め、遠くには日光連山などを
一望することが出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/74/3f115129fa59686a636d6d4237cb57f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/e6/68a3c7bd7009220611a21fbd926ff63d.jpg)
秋晴れの下、素晴らしい景色に足の痛みも忘れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
その鬼怒川の清流を望む場所に、次頁の写真の「釜ヶ淵
雪姫・紅葉姫の伝説」の説明の石碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/11/3aa10982434fb931d02c0679acdf3c87.jpg)
石碑によると、その伝説は以下の通りです。
ずっと昔、勝山城には、「紅葉姫と雪姫」という美しい姉妹
の姫が居ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_f.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_f.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/93/055734fb13988191abc7c0aed64e045f.jpg)
(紅葉姫と雪姫:インターネットの無料アップロード写真から)
当時、勝山城を巡る戦いがあり、この戦いで両親を殺された
「紅葉姫と雪姫」は、敵に追い詰められ、勝山城の切り
立った崖の下にある「釜ヶ淵」(かまがふち)に身を投げ
ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
時は経ち江戸時代、勝山城跡の近くに住む「源じい」という
百姓は、網打ちが好きで、よく川に行っては、一日中網打ち
をしておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/31/0582638a7abf02bed1c85feca70ec560.jpg)
ある夏の夕暮れ、源じいが、勝山城跡の切り立った崖の下に
ある「釜ヶ淵」(上の写真の中央左側に小さく写る池の
辺り)で、網打ちをしていると、舟の周りに、美しく
鮮やかな緋鯉と雪のように真っ白な鯉が現れました。
真っ白な鯉は、源じいが投げた網にかかると、淵の底に
引きずり込む様な凄い勢いで網を引っ張りました。
源じいは、やっとの思いで、真っ白な鯉を船に引き上げ、
家路につこうと舟を漕ぎ始めました。
すると、どこからともなく「雪姫、雪姫」と呼ぶ若い女の声
が聞こえ、源じいの舟は、あっというまに転覆してしまい
ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f7/899a6c30e8914f6021e05785d9927641.jpg)
(紅葉姫と雪姫:インターネットの無料アップロード写真から)
船から逃げ出した真っ白な鯉は、鮮やかな緋鯉と寄り添う
ように「釜ヶ淵」の奥へと姿を消して行きました。
翌朝、源じいが気が付くと、淵よりずっと下流の岸辺に
投げ出されていました。
源じいは夢でも見たのだろうと思いましたが、それっきり
大好きだった網打ちを一切やめてしまいました。
今でも、「釜ヶ淵」では、美しく鮮やかな緋鯉と雪のように
真っ白な鯉が、淵の深くに潜んでいて、時々寄り添って
水面まで上がってきて、仲良く泳ぐそうです。
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(紅葉姫と雪姫:インターネットの無料アップロード写真
から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/0d/0c4bbc24991d82ca30e3ae5d0a0e07e7.jpg)
勝山城の土塁の外側を一周して、上の写真の「北限土塁跡」を
過ぎると、次頁の写真の「民家広場」に出ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f2/97f08865c7170dcff8ed4b6d8c07e6c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/5e/27055f9a225e2ab1e33160983266c25a.jpg)
上の写真は、喜連川宿から移築されたという「旧森家長屋門」
です。
民家広場から、元のの奥州街道に戻りました。
城址公園見学の以降については、前回の「奥州街道を歩く
(18-1:白沢)」の後半をご覧ください。