![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c7/5e3ecfb8fcee0365a4d447e792249162.jpg)
(写真は、街道の両側の用水で回る水車)
白沢宿は、徳川家康が、上杉攻めで鬼怒川を渡るときに案内役
を務めた白沢村の庄屋の宇加地家と福田家が、その功績が
認められ、両家共同で白沢宿を構成することが許されたのが
始まりだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
明治18年に、奥州街道が現在の国道4号線に移ったため、
現在は、静かで真っ直ぐな町並みになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
稚児坂で亡くなった稚児を供養する白沢地蔵尊の前の
下の写真のやげん坂を、足の付け根に違和感を感じながら
下って行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0089.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/84/874b9f0beb351035fbdad075a94055e0.jpg)
信号のある丁字路になり、ここを左折すると、下の写真の
白沢宿が始まります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/24/bbed06e49920b98c2281cbf7f1c52468.jpg)
白沢宿は、現在では、往時の面影を残す建物はほとんど
ありませんが、すっきりとした町並みで、車も少なく、
のどかな風景です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/72/da91c7973941a1ef406874039779e2b9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b4/d7dd6af776f23e4508e32533d1254ffe.jpg)
宿場町の中心の道の両側には、綺麗な用水が流れ、用水には
ガードレールもなく、水車が回り、鯉が泳いでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/6a/12bf5dc3cb47285b409c9f2e97f5af5d.jpg)
各家には、宿場であった頃の屋号が表示されていて、奥州街道
をテーマにした町興しが進んでいるみたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fd/b882c81ddd9740459b9fbd91ab61a89d.jpg)
宿場通りの中ほどの左には、上の写真の「宇加地家 本陣」の
表示のある立派な建物があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9e/59795a0ea53f08d21a7bdfadd425ba60.jpg)
前述の様に、宇加地家は、白沢宿の成立に関わる古い家柄で、
幕末まで本陣を勤めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/04/bb139b7a1b333812b712971a7d238495_s.jpg)
宇加地家の直ぐ左手には、白沢宿の村社である「白髭神社」
への参道があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/47/c1/b40a4b9ab62b9348f79fa21e4e3bab33_s.jpg)
足の痛みで、びっこを引きながら白髭神社の急な石段を
上り切ると、眼下に白沢宿の町並みが見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/37/a94d64f1e9456e3cf82da1b3399b5038.jpg)
この神社の境内で、白沢宿の町並みを見下ろしながら、
一休みして、足の痛みが治まるのを待ちます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_stretch.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/60/fd95fa3fd77141c0f73f6990640d269f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e0/588e2cbfdc7c0e54b222598851ceba3b.jpg)
白髭神社の石段を下りて、再び白沢宿を歩き始めますが、
宿場通りは意外と短く、直ぐに宿の終りの「鍵の手」に
突き当たり、右折します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/3b/cdfa37ef8430f67daad0979eb9a4d966.jpg)
突き当たりは、井上清吉商店(上の写真の左側の家)で、
「澤姫」という地酒を造っているみたいです。
鍵の手を進むと、 下の写真の小さな九郷半橋があり、
渡った橋の袂に、白沢宿の看板が立っていたので、多分、
ここが宿場町の外れなのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d1/339976550096577b6cd117c682c990fd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2f/2f/f12b205cc8836e515b1f5084fd58610d_s.jpg)
白沢宿の看板の横に、上の写真のお洒落な郵便局の建物が
あり、その先の左手に、次頁の写真の「白澤の一里塚」碑
とバス停が見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ce/9d08ef864371d699f8a08ac03fd20b33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/a0/19e66251830cf1c55ee103be14dbf666_s.jpg)
案内板によると、この一里塚は、白沢宿の会が建てたもので、
元々の一里塚は鬼怒川の河原にあった、ということみたい
です。
私の計画では、今日は、ここから更に、次の氏家宿まで歩き、
JR氏家駅から宇都宮駅へ戻り、駅前のビジネスホテルに
泊まる予定でした。
そして、明朝、JR宇都宮駅から氏家駅へ向かい、再び
JR氏家駅から街道歩きを再スタートする予定でしたが・・・
しかし、足の付け根が痛くて、とても次の氏家宿まで
歩けそうにありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_deject.gif)
奥州街道踏破のスタート早々ですが、ここで、ついに無念の
リタイアです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_3.gif)
この一里塚の前にある白沢河原バス停が、JR宇都宮駅からの
路線バスの終点らしいので、取り敢えず、ここから路線バス
に乗って、終点のJR宇都宮駅に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
そして、宇都宮のビジネスホテルにチェックインして、
バスタブで足を温め、明日からの奥州街道歩きを続けるか
否か、判断しようと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/46/3ba3061873536fbfa6079eaa7bc82995.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
翌朝は、早朝から、宇都宮のビジネスホテルのバスタブに
ゆっくりと浸かって、足を温めてから、膝痛対策で
持ち歩いているフェイタスZを貼ります。
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足が温まったところで、ビジネスホテルを出て、JR宇都宮
駅前から、白沢河原行きの路線バスに乗り、終点を目指し
ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
通勤時間帯の路線バスは、通勤客の流れとは逆方向ということ
もあり、白沢に近づくと、乗客は私一人になりました。
終点の白沢河原バス停で降りようとすると、私を見たバスの
運転手さんが、幽霊でも見たかの様に、”あっ!”と
驚きの声を上げました??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
逆に、私の方も、俺、そんなに変な恰好してたっけ?、と、
状況が掴めず、思わず自らの身なりを見直してしまいました
・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
どうも、私が座っていた最後部の端の座席が、運転手席からは
死角になっていたらしく、もう乗客は乗っていない、
と思い込んでいたみたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
「失礼しました!」とバツの悪そうな顔をした運転手さんは、
私に丁寧に詫びると、氏家へ歩くルートについて親切に教えて
くれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4e/bfae8c56981863aa21a8a12d6b57ecf4.jpg)
昨日、無念のリタイアをした「白澤の一里塚」碑をスタート
します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7b/fb/8928d7a97ab389a09d8c1a3b2abf02f1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6a/17/97d442973137d9e70bfb0dd88e61a88e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ec/b7d4c5de91a39bfa7b031753ccb096da.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ac/5a3389d8938ade235649b35d895ef848.jpg)
快晴の秋空のもと、気持ちの良い田んぼの中の一本道を歩いて
行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
一時的でしょうが、フェイタスZのお陰で、足の痛みが消えて
います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/55/08871b8f4505a74508e2fe3c7710392a.jpg)
暫く歩くと、上の写真の西鬼怒川橋がありました。その橋の
袂に「鬼怒川の渡し」の矢印があったので、矢印に従って、
土手沿いに少し歩いてみましたが、下の写真の様な川の中を
向いた矢印があるだけで、「鬼怒川の渡し」の痕跡らしき
ものは見当たりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/08/ffce3cd60914167c3ca81912420da819_s.jpg)
西鬼怒川橋を渡り、田んぼの中の道を歩いて行くと、やがて、
鬼怒川の堤防に突き当たるので、ここからは、次頁の写真の
鬼怒川の土手の上を歩いて行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/37/32289b5fdd7508c8c3cc87557fd939ed_s.jpg)
鬼怒川の土手を歩き始めると、フェイタスZの効果が薄れて
きたのか、足の痛みが再発しました・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
この土手を河原の方へ下りて行くと、「鬼怒川渡し場跡」が
あるらしいのですが、足を引きずって歩いている様な状態
なので、河原の「渡し場跡」探しはパスします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/c4/1db95610133f85f8f961de4239c9bcd1.jpg)
やがて、前方に、鬼怒川に架かる「阿久津大橋」が見えて
来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/93/bb254b36297e7398e93695d599dcdd48.jpg)
江戸時代には、先ほどパスした「鬼怒川渡し場跡」から、対岸
へ舟で渡っていた訳ですが、現代では、その渡し場より少し
上流に架かるこの「阿久津大橋」を歩いて渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/70/7eff63db1b46ac91e3c51edb717ff757.jpg)
この橋は、歩道がなく、車の通行量も多いので、足を引きずり
ながら、小走りで、必死で渡り切ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_run.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/61/900dfda8ccc31c8a46654396e2ff4219.jpg)
鬼怒川を渡ると、「さくら市」に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
さくら市側の鬼怒川の護岸には、昔、「阿久津河岸」があり、
奥州各地からの米を江戸へ運ぶ基地として、江戸時代から
明治中期まで賑わいが続いたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
阿久津大橋を渡った直ぐ左手の土手を下りた近くに、船の御霊
を祀った極彩色の「船玉神社」があるみたいですが、足が
痛んで、土手を下りて行く気がしないのでパスします・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/9b/c31c280395e09362649db1d631f950cf_s.jpg)
少し歩くと、「浮島地蔵尊」の矢印があったので、それに
従って行ってみると、下の写真の「浮島地蔵尊」のお堂が
ありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c7/3c58821efb4f07e2808d8b670a902491.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/41/a2e36b1c11427762a6a733c4475645d4.jpg)
鬼怒川は、名前の通り大洪水が多かったのですが、このため、
水害除けの水神や地蔵の信仰が多く生まれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
その中で、度重なる水害にも拘わらず、ここの地蔵尊は、
流されずに浮いいて、この地に留まったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/be/4d92e6164794392554509684988b7023_s.jpg)
浮島地蔵尊から旧奥州街道に戻り、更に進んでいくと、右手に
「将軍地蔵」の矢印があり、その直ぐ奥に、次頁の写真の
地蔵堂が見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/63/5744fb7d5da5c4ee48b9e25ca95d817f.jpg)
案内板によると、この「将軍地蔵」は「そうめん地蔵」とも
呼ばれているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/54/5fc35796983cd2465372246565915b13.jpg)
これは、室町時代、この地から日光山に修行に行った坊さん
が、意地悪な山伏に素麺を無理やり食べさせられて気絶
しました。
その後、別の坊さんが来て、日光中の素麺を食べつくした
ので、その山伏は降参しました。
すると、勝った坊さんは、「将軍地蔵」の姿となり、無理やり
食べさせられて気絶した坊さんをここに連れて帰りました。
これが、現在行われている日光の「強飯式」の由来だそう
です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a3/f1232f70151400fa9764571988f8ecd6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/94/3dd6abbd92ee715f4d23305d1ffbd6a0.jpg)
そうめん地蔵の境内には、写真の閻魔堂もありました。
そうめん地蔵を出ると、少し先の左側に、「勝山城址」の
案内板があったので、案内板を左折して城址公園に
立ち寄ります。
⇒「勝山城址」見学については、次回に報告します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/0c/512bc96c942ae52eea05bb838d67977a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/0d/3c468484694a394e2ed40f0b397bbf69.jpg)
(赤色線が旧奥州街道と思しき道、黄色線が国道4号)
城址公園の見学を終えて、旧奥州街道に戻り、少し歩くと、
国道4号にぶつかりました。
旧奥州街道と思しき?狭い道は、国道4号を横切って、反対側
に真っ直ぐに伸びています?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
ここの交差点は、横断歩道も信号もなく、ダンプが猛スピード
で走っているので、横断するのは恐ろしい感じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_shock_s.gif)
でも、信号のある横断歩道まで迂回するには、かなりの距離が
ありそうなので、左右の車が切れたのを十分に確認してから、
足を引きずりながら走って渡りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_run.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
やれやれ、ホッ・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
しかし、こんな信号も横断歩道もない様な田んぼ道のあぜ道
が、ホントに旧奥州街道なのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/ac/46b4225ac97286d2d4957b4821a5d828.jpg)
不安になってくると同時に、多分、何処かで道を間違えたの
だろうな~、という気がしてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
城址公園まで引き返して、分岐点を確認しようか否か、と
迷いながら、とても旧奥州街道とは思えない田んぼ道を、
トボトボと歩いていると、道の脇に、下の写真の
「お伊勢の森」の矢印がありました。
ホッ、間違えていなかったんだ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/88/947d8faf3565e03ce3a393dbbef617d7.jpg)
「お伊勢の森」は、かっては広大な森だったらしいのですが、
現在は、民家の脇に、次頁の写真のこんもりとした木立が
あるだけで、「天照皇大神宮」の大きな石碑が建っています。
案内板によると、伊勢神宮をここに勧請した小さな神社が、
ここ旧奥州街道の脇にあったとのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/bf/0a88662fa3f303d4f61dacf09263e1ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7d/36/789b4032390149094bded37a642ccb3f_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6a/4f/dc93e0b378ae6792b786ee35512402d0_s.jpg)
更に進むと、JRの「旧奥州街道踏切り」があり、その先で、
T字路に付きあたりますが、この右角に次頁の写真の
「奥州街道道標」と「馬頭観世音像」が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/b6/4036162b88492e3d0566aaa4f6e497fa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/0e/7c87bcfe732f5d629da110e0a66a3d30.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/cc/864aae395c7006e293272ffb559678e5.jpg)
道標は、ほとんど読めませんが、「右 江戸海道」、
「左 水戸・かさま・下だて・下づま」と彫られています。
この道標を左折すると、もう次の氏家宿です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
氏家宿に入りましたが、足の痛みが酷くなったので、宿場町の
見学はしないでJR氏家駅に直行します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
JR氏家駅から東北本線に乗り、宇都宮で上野東京ラインに
乗り換え、横浜に帰りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
白沢宿から氏家宿までは、約6キロです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)