2024/06/02
ふんわりとラベンダーが咲いてます、家の前ですのでフェンス越しですけどね、
Engelbert Humperdinck - Love Me With All Your Heart (Lyrics) "With every beat of your heart"
2024/06/02
80 代夫婦の介護の実態、従姉が直面してる今、
その夫の介護をしてる母方従姉は 80 歳になった、その夫さんは 85 歳で車いすを使用してる「家に居たい、育った家だし
どうしても家からは出たくない」と言った、62 歳で倒れて以来の介護だから 20 年を越えた、
その子らは家を出て家族が出来たので別居となり、夫婦二人きりになったので、従姉は独りで介護をしてる、従姉も
80 になったのを機に夜だけは2F の部屋にいることを願った、そして許可されて(その夫さんに)呼び鈴を持たされた、
夜だけでもゆっくりしたいと従姉は思ってたので一先ず安心した、
処が姿が見えない分だけその夫さんは不安がり、用事を頼む(薬や水や食事や etc.)時には呼び鈴を鳴らす、日中も別の
部屋に居る時には呼び鈴を鳴らす、家族で話し合った結果、その夫さんはデイ&ショートに渋々ながら通うようになった
それでもまだ慣れないので行くのをためらう日もあって、なかなかその予定を熟せないでいる、
従姉は少しでも自分を休ませないとと思いながらも、かと言ってほかに手立ては今の処は見つからないでいる「同級生に
も同じような境遇のひとがいるので、デイ&ショートの日を合わせるようにして、できるだけ茶飲みをしたり車で少しは
遠出をして気分転換はしてるんだけどね」と言った、
従姉はこの頃よく電話をくれる、大したことがあるわけじゃないけど「疲れたぁ」と言う、話をしたいようだ、私も
出来る限り明るく対応するように心がけてる、
「P ちゃんは叔母(亡母)ちゃんの介護をよくやったね~だから思い残すことはないべ~私はどこまで夫の介護ができる
かは分からない、私も 80 になったら急に疲れたと感じるようになったんだ」とよく言ってくれる、
「私はねー親子だから年代が違うから出来たんだと思うよ、25 も年が違えば体力気力も違うから、何とか出来たんだと
今は思うよ、それに母が介護ベッドに臥したのは 95 位からだったから、私は 70 代だったしね、介護する方の歳も大きい
だからMちゃんも無理はしないで~自分を大事にする事は悪いことじゃあないんだし、まずはMちゃんの体調が大事だと
思うからさ、ゆっくり休めるようなスケジュールをケアさんと相談するといいと思うよ」とよくよく説明する、
同じ年代の介護は難しいとつくづく思う、
2024/06/02
無頼派という言葉が指し示すように「正統派作家とは距離を置き、書く内容もちょっとルールから逸脱してる、洒落と」
こういう表立ったスローガンは掲げないけれど、敬遠されがちだけど私は好きなんだよね、そう思ったのは早かった!
織田作之助、坂口安吾、太宰治、檀一雄センセ達の小説は「正直だ」と感じてしまったから仕方がない、当時は正統派が
主流だったのに、突然、私生活をモロ出ししたような恋愛小説を書いて、しかもモデルは居ない!とは決して言わずに、
むしろその世界では想像できる範囲で、何の躊躇もなく(あるいはあったんかもしれないけど)書くのだから、モデルと
される、特にオナゴにはいい迷惑だったかもしれないし、いいんじゃない?ホンとなんだしと、むしろ得意だったかも、
高校生の頃、太宰を読んで(日本文学全集のの中の一冊として、童話のパロディの感じがした)簡単じゃない?世の中で
騒ぐほど不道徳だとか文学とは言えないとか揶揄されてたけど、可愛いもんじゃない?と大それたことを感じてた、
そして飛ぶように売れた(と言われた)”斜陽” を読んだ時には道ならぬ恋のような喧伝だったけれども、よくある話だわ
と思ったに過ぎない処が私の横柄なところよ(´∀`*)ウフフ でも嫌いじゃなかったから次々読んで、その人生を垣間見ると
「ぉ―――実体験からきてるのね、じゃあ言葉を選んだり、例えば設定をアレンジして作品に詰め込めば、人の気を惹く
作品になるわけだぁ」と、
井伏鱒二センセの紹介で女教師さんと結婚して、家庭を持ちながらも作家としては経験を積まなきゃとの考えで、恋愛し
それを余すところなく書いてしまう手法が、そりゃ従来の作家にあいたら「小説でも文学でもなんでもない」との感想は
当然です、でも、かの高名なセンセの踊り子の話だって、実は経験で、それを赤裸々に表現するか、控えめに品よく書く
かの違いでしかないと私は思ってるわけよ、
前書きが長過ぎて何を言いたいんじゃ!と言う処ですけど、檀一雄センセの「リツ子、その愛、その死」「火宅の人」
を読んだ時、前作は、美しいほどの物語として表現されてたし、そこに邪心の欠片もない、
そのセンセが火宅のひとを作品にして映画を撮って世の中に出た時には、やはり無頼派のひとりとして括られてたので、
なるほどねと思った次第よ、
リツ子、その愛 その死 脚本 山田信夫 テレビ東京 1992 you tube
テレビ東京
見つけましたので楽しみに拝見させていただきましょう、なんたって佐藤浩市様の若かりし頃ですので、檀一雄センセ
にはご満悦と思いますし、私もワクワクしてます、
一気に看破しました、無頼派の看板を外して差し上げたい(笑)
無頼派がイケないといってるのではなくて、オナゴの私には無頼派の所以は分からないけれど、病身の妻を支えた夫君と
して、ぉ子の父として、これほどのぉ方がおられたらお目にかかりたい、おられないでしょう、
戦後のモノのない時代に、住いを確保するのさえ大変な時代に、ましてや医師や食べ物などの心配をしながら、ぉ暇など
ない上に作品を書かねばならない環境におかれたら、人はどうなるのでしょう、
あれほど心を込めて看護して下さる夫君は、そうそうおられますまい、夫としても父としても完璧でした、このような
優しい夫君がこの世に存在したことは事実で、ドラマとはいえ、企画が檀太郎さん(1943)と知って感嘆、その上でも
真実味にあふれた作品と思えたのは、時代考証もよかったこともありましょう、
私も 1945 生まれですから、あの頃の地方の農家の様子はよく覚えています、野菜を植え必要に応じて採り、鶏小屋に
転がってる卵を籠に入れてきて朝食に食べたり、竈に向かってる祖母の姿etc.
そういう時代に設定上ではありましょうけど、樹木希林さんの強情な妻の母役の演技は凄すぎて、不心得ながら笑うほど
親しみを覚えた作品で、浩市様・役は実に優しくて、気が利いて正直者で控えめで、このような夫を演じてるんだから、
きっと実生活でも・・・なんてあらぬ妄想に(´∀`*)ウフフ
家で寝て養生してるリツ子さんは鏡をかざして、外出先から帰ってくる一雄さん役としずこさんという娘と太郎ちゃんが
仲良く連れ立ってる姿を見ながら嫉妬に苦しむ、しずこさん・役(この方今の三浦知良夫人の設楽りさ子さん)はとても
初々しくて可愛らしい、そのしずこさん役に惹かれちゃった一雄さん役は「結婚してほしい!」と、或いはそれ無頼派?
2024/06/02
一面がラベンダー色~都下ですから精々このような感じで楽しんでるんですけど、毎年義理堅く咲くのが可愛いですよ、
さてラベンダーと言えば北海道、と言えば”日ハム” と言えば交流戦で”横浜DeNA” 願ったり叶ったりのゲームでした、
録画もして写真を撮ったり game again を楽しんだりしちゃいました、
ご活躍でした!以前の雨の中での試合も拝見、ご苦労様でした、
監督さんも緊張の時間を、拮抗してましたのでね、ファンは楽しませて
頂きましたので、心から御礼を申し上げる処です、
華々しい指揮ぶりでさすがスターさんでらした、
おかげさまで初のご登場以来の拝見でした、交流戦ってなかなか盛り上がるなぁと改めて敬意を、有難うございました、
そしてヒーローインタビューでの笑顔、家での観戦も十分でしたよ、
2024/05/31 4対3 で勝利でした、おめでとうございます、
②
亡母84 と私58 の暮らしはなかなかスリル満点だった(笑)
母と娘だもんで、どこかが似てて、その感性の同じな処でもめたり、あるいは全く違った処ですったもんだして忙しない
先ずは畑のエリア取得騒動(´∀`*)ウフフ だって植えたい花が違う、山野草大好きで、母方実家の山から採ってきて移植し
それを大事に大事に育ててた、家の前の粗方のスペースは、まるで小さな森のようだった、
そこへ頼みもしない娘がやってきて、家は変えるわ、バラの花を20本も植えるわ、コスモスが好きだからと、隣の地所と
続きの地所に種をいっぱい撒いて「コスモス畑~」などと浮かれてる娘にご立腹だった亡母、
二人の蜜月に陰りが差し、独り暮らしの自由を味わってしまった亡母には、いささか面倒くさい娘、控えめという言葉は
その辺りに捨てちゃって、親孝行の呼び名をいいことに、したい放題だった娘に、仕事が舞い込んだら、亡母どうなる?
その交渉に来た、後に私の上司(上司ったって5つも年下で、仙台の学校では後輩だった、知らなかったけどー笑ー)に
茶を差し上げながらこう言った「出戻りのような娘(ったって 58)ですげんと、良かったら使って遣ってください~」と
笑いながら言ったもんだ、私ですか?その時既に、違う道を模索してて、その為に申し込み済みだったのよ、
それが叶ってたら、私の今は無い(笑)
さて話は親から先にOK!したもんだから事は滑るように決まり、元の職場ですから、そりゃそうよ、ただし無力じゃこう
は話はうまくは進むはずねーべ(´∀`*)ウフフ 「先口を諦めてきたんだからそこの処よろしくね」と、上司ったって年下で
おまけに昔、私が仕事してた面子がほぼほぼ残ってて、ま、昔取った杵柄よ、
58 とはとても見えないという世辞をいいことに私は図々しくも、ぉ若い新人さんたちに臆することもなくの言動だった、
ので「あのひと誰?」状態だった、非常勤だし、そんなにチカラをいれなくてもいいべ?という、邪悪な心だったのよ、
常勤で同級生のひともいたけど、それだって、あら、その方だって、昔は、私の方が先に勤務してたんだし~と、
出戻り感ゼロだった、だって親の介護(84で誰が見ても介護の必要はないような婆様)というキャッチフレーズは通用
しないけど、事実、離婚したわけじゃなし、そう言ったら「今って離婚しても苗字は変えないらしい」とのうわさ話、
その年下の上司はごぼう抜き8人だか9人で出世しちゃったので、味方が少なくて、しかもオナゴだし、大概のオトコ達は
敵視とまでは言わないけど、面白くなかったらしい、そこで年下の上司は周りを固めるために、自身の知り人を非常勤に
仕立て上げる策に出た、そりゃ昔取った杵柄連中ですから、精神的にも強くて、というか無頓着だから若者には無理よ、
それでも仕事ができなきゃ話にならない、そこは生きてきた日々の長さは無駄じゃなかったし、子育てはもちろんのこと
家庭を守り、連れの傲慢に耐え、近隣と決して諍いはせず、自分を戒めてきた効果は役に立った、
以前なら、相手や処かまわず突っ込んでいったものだったけど、年は伊達に取ってるわけじゃなし「往なす」いいでしょ
これが出来てるから毎日の時間外勤務(ぉ分かりですよね? drink time)も卒無くこなして、いう事なしの出戻り勤務!
さて亡母、そういう私をどう感じてたかというと先ずは「煩くない」近隣に「P 子は仕事頼まれて前の勤務に#$%&”」
自慢げに言ってましたので案外、思ってたよりは気分が宜しかったらしく、しかも二人の夕食はそれぞれで、昼食は、
私が弁当を持ってゆくので、その時に準備して置いてゆくから手がかからない、更にできた娘は(私ですよ、私)茶飲み
の支度までしてゆくから、娘が遅かったら茶飲みを延長すればいいだけだから、おかずも多めに作ってるから申し分なし
さて休日の 57577 の会では風向きが変わり、私が仕事をし始めたら急にトップ(ったって趣味の会です)が頼り始めてた
あんなに軽く扱ってたというのに、それに気づいた亡母は気分はいいけど、ぽっと出の娘に大きい顔で 57577 を詠まれる
のにはムッとしたらしく、ご意見番のように指摘するわするわの難儀な状況となってきた、
そして時折り私が実家で亡母のサポートをするようになった切っ掛けを忘れず【D】に対する不信感を払拭するような、
明確な言動が見られず、私が地元と都下を行ったり来たりするようにしながら、じっくりその実態を把握する目的もあり
ただ単に親孝行をキャッチフレーズにしてたわけじゃないから長続きしてたのだ、結果が出ないし効果もないから(笑)
③
私が【D】にこのように敵対心を持つようになったには数えきれないほどの背信行為があったからだ(笑)
よくあるじゃない?家族を蔑ろにして仕事と称して家を空けて、その上アリがちな遊びが、ここでは書けないけど、都会
じゃあ掃いて捨てるほどある種のね(´∀`*)ウフフ
その頃にはもうオナゴの嫉妬なんて私は持ち合わせてなかったので、同時に私の亡母への感謝の気持ちを行動で表そう!
フェスに協力さえしてくれれば何んという事もなく過ぎたであろうほぼ 20 年間の経緯があって、それがどうしても許容
出来ない、不出来な【D】の手法だったのよ、分かりやすく言えば”逃げ口上”
この事は多すぎて箇条書きにでもしなきゃ、しかも片手落ちにならないように私自身の不心得も鑑みながらじゃないと
片手落ちとなるやもしれないので危険なエリア、デンジャラス~~なんだけど、
誰にでも覚えがある項目はないとも限らないので、攻めのリアルだけじゃなく、愉快さも含めていきたい、今までなら
繊細な P の心がボロボロになり折れて、ブログの削除!の危機にも瀕するやも知れなかったであろう事も(^^ゞ
流石に鍛えられた鋼のような心はそう簡単には折れないオナゴになれたから、親に教えられた、或いは親族の尊い言葉を
加味しながら、品よく仕上げたいと心得てる(´∀`*)ウフフ それがなきゃ私のブログの意味がない、花の美しさを引き出し
親への言葉にできない感謝の念を文字にして、娘に言われたように「孫の事には触れないで」を守り、地元発覚!は無縁
色々なルールを守りながら、幾度目かにやっと不削除のブログを成してきて、今はラスト・ブログに向かってる、
愛子センセの本に従って、多少は家族にも厳しい結果にならないとも限らない言葉も、さり気なく忍び込ませ、作家じゃ
ないけど、ブログだって十分に自分を鼓舞し、もしや読んで下さってるかもしれない方に響くかも、私も現にぉよそ様の
ブログや写真や言葉で「よし!もう少し頑張ろう」と思えるから、かえって素人さんのぉ声の方が身近という事もある、
① 【D】さんの親御さんやご兄弟は?「私は天涯孤独です、父は戦死ですから」ローカルの私の親は言葉を吞み込む、
② 【D】さんの母校はどこですべぇ?「私はK$未熟大学です」父は大喜びして本家に走り大本営発表!した、
未熟≠G塾、私もこれにコロリと騙された、ここではだれも気付かない、だって釣り書き付きの見合いじゃないし
幾度目かの会合でそんな事聞く親がいるかと思うけれども、そんな事ローカルじゃ当たり前で、本人の私は聞くなど
という品のないことはしなかったし、大体、そんなことでうそ八百を言うか?(笑)