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アイデアの散策

仕事・研究・日常の中で気付いたことのエッセイ。

形を知覚する能力

2010年10月13日 | 教育・数学・心理学
 街で偶然友達と出逢う。「あっ」と瞬間的に思った時には、既に友達の姿を捉えている。

 時々不思議に思う。新宿や渋谷、池袋といった大都会の人混みの中で、何気なく歩いているのに、大勢の通り過ぎる人の中から瞬時に友達を見つけ出す、その人間の知覚の能力とは、いったいどういうメカニズムになっているのだろうか。

1.図と地
 心理学において、知覚や認知は古くから研究されてきた。
 物が物として知覚されるためには、視野の中に異質な領域が存在し、その領域がまわりから分凝(segregation)できていることが必要である。図(figure)と地(ground)の分化が必要である。
 たとえば、ある風景の中で「山」を認識できるのは、山をメイン(図)と感じ、風景を背景(地)と感じているからである。「ルビンの盃」という絵は有名だ。盃に見えるときもあれば、二人の顔が向かい合っているようにも見える。見方が変われば、図と地が反転する。ゲシュタルトチェンジが起こる。

2.知覚の体制化
 ところで、いくつかの星がまとまれば、星座として見えるように、人間はバラバラな刺激に対して、あるまとまりをもって、「図」としてみようとする傾向がある。この傾向を「体制化」という。ゲシュタルト心理学のウェルトハイマーは、体制化が起きる要因として、次のようなものがあるとしている。

・「近接の要因」:同質のものなら近くにあるものが、まとまりやすい
  ●●  ●●  ●●  ●●

・「類同の要因」:距離が等しくても性質の異同があれば、類似のものがまとまりやすい
  ○ ○ ● ● ○ ○ ● ● ○ ○

・「閉合の要因」:閉じた領域をつくるものが、まとまりやすい
 <  ><  ><  ><  ><  >

・「よい連続の要因」:なめらかにつながるように、規則的で方向が変わることのない配列はまとまりやすい
 
 このような「類別」は、人間関係の構築でも無意識に起きていると思う。同質な人が仲間を作る(類は友を呼ぶ)ことはあるし、雑多に人が混ざっていても出身地や趣味によって性質の異同を把握したりする。知覚とは、とても高度な生物的機能だと思う。

3.認識の誤謬
 とはいえ、知覚が正しく機能しているとは限らない。街の中で、友達だと思いきや、人違いだったりして、恥ずかしい思いをすることがある。知覚の情報を処理する中で、しばしばエラーが起こる。
 たとえば、「ぞろ目」はすごいように思うが、宝くじのロト3で「777」と出る確率と「138」と出る確率は数学的には同じ1/1000の確率である。「777」が珍しく思うのは、やはり知覚において「近接の要因」が働いているからだろうか。
 最近、脳科学の研究が注目を浴びているが、人間の知覚や認識については、まだまだ未解明な内容が多いと思う。

参考文献
 本明寛監修「最新・心理学序説」金子書房、pp.32-34

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