goo blog サービス終了のお知らせ 

アイデアの散策

仕事・研究・日常の中で気付いたことのエッセイ。

「あいまいさ」と「知的努力」の関数

2011年02月13日 | 教育・数学・心理学
 最近は、いろいろ読んだ本から興味深いと感じた内容を紹介していますが、今日はつぎの本
野村幸正著『知の体得-認知科学への提言』福村出版
を参考に、「あいまいさ」と「知的努力を喚起するもの」の関係について、記事を書こうと思います。

 言語のもつ「あいまいさ」の程度と知的努力量の関係について、同著で140ページから141ページにかけて解説している内容を要約すると次のようになる。

・表現された体系のもつ「あいまいさ」が多い事態では、受け取ろうとする者は伝えようとする者の意図を積極的に理解しようとする知的な努力が高まる。「あいまいさ」を知的な努力で積極的に補ってゆくことは「こうでもない」、「ああでもない」といったようにさまざまなの可能性を考え、あらたな独創的なものがうみだされてゆくことも十分に考えられる。潜在的な反応の多様性が増大すると同時に、体系以外への知的好奇心も拡がってゆく。

・これに対して、表現された体系のもつ「あいまいさ」が少ない場合、伝えようとする者の意図が受け手側に率直に伝わるため、受け手側はなんら積極的な関与を必要としない。そのため多くの場合、伝えようとする者と同等ないしはそれ以下のレベルで受け手側に情報が伝わることになる。生じる反応の多様性は乏しく、知的好奇心が喚起されることも少ない。

・しかし、ある一定限度以上に「あいまいさ」が増大すると、ノイズが入り、伝達内容が損なわれるというデメリットも当然生じる。そのため、たとえ知的な努力で補うとしても限界が生じたり、あるいは知的な努力が喚起されないことも当然あり、そのため急激に喚起率は低下すると考えられる。

 以上が同著からの一部抜粋であるが、実体験でもなるほど、そう思えることが多い。他の人に仕事の作業指示をするときに、たとえば「こんな感じの資料を作ってね」とアバウトに指示したほうが、指示された側も自分なりにどう資料を作ろうか創意工夫をするし、積極的に資料のイメージを作ろうとする。
 しかし、あまりに抽象的な指示をもらうと、人は急激に意気込みをなくす。どうしてよいかわからなくなってしまうからである。作業指示があいまい過ぎることに、不満をもってしまう。逆に、あまりに具体的な指示をもらうと、機械的に処理しようとして何ら独創性ももたず、その作業に知的好奇心すら感じない。

 読書や語学学習でもそうだろう。あまりに難しい本や文章に出くわすと、急に読み進めることが苦痛になる。逆に、具体的な事例ばかりも無味乾燥としている気がする。ほどよく読者に考えさせる本が、もっとも興味深く面白い。その「ほどよさ」がどの程度かは、ケースバイケースであるが。

 ほどよく「あいまいに」指示すること。そのさじ加減が、良き部下を育てる秘訣かもしれない。その意味で、あまり形式知的な指示ではなく、多少の暗黙知的なアドバイスの方が、結構、人はやる気をおこすときがありそうだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。